88 菅野薫(クリエーティブ・ディレクター)前編
世界中を湧かせた、リオ2016大会閉会式「東京2020フラッグハンドオーバーセレモニー」や、歌姫ビョークとのコラボレーションなど、最先端のテクノロジーと斬新なアイデアで見たことのない世界を見せてくれる、Dentsu Lab Tokyoの菅野薫さん。広告業界をベースにしている菅野さんは、アイデアや魅力を発信することの重要性をどのように捉えているのでしょう。そして六本木が街としての発信力を高めるにはどうすればよいのか、貴重なアドバイスをいただきました。
update_2018.1.10 / photo_tada(YUKAI) / text_ikuko hyodo
音楽を中心とした文化に出会った街。
Space Lab YELLOW
1991年、西麻布にオープンし、東京のダンス・ミュージック・シーンを牽引したクラブ。通称「YELLOW」。400名を収容するメインフロアのほか、ラウンジやバーなどを併設。2008年6月に惜しまれながら閉店。
僕は杉並区出身なんですけど、中学と高校の6年間、元麻布にある麻布学園に通っていたんです。歩いて行ける距離なので、友達と渋谷に遊びに行ったり、洋服を買いに行くなら代官山だったりもしたのですが、六本木は学校から一番近い街なんだけど、もうちょっと大人の街というイメージでした。今日撮影した「六本木ヒルズ メトロハット」の辺りに、当時は「六本木WAVE」っていうレコード屋があったんです。後から知ったのですが、そこで働いてのちに音楽ライターやDJになった人も多いらしく、ライナーノーツばりのやたら詳しくて丁寧なレコードの解説や、熱いプッシュが売り場に置かれていました。お金がないからそう簡単にCDを買うことはできないんだけど、学生って基本的にヒマだからせっせと通っては、いろんな音楽の情報得ていたんです。だから僕にとって六本木は、音楽を中心とした文化に出会い、世の中にどういう音楽があるのかを知った場所なんですよね。
『Sound of Honda / Ayrton Senna 1989』
1989年のF1日本グランプリ予選でアイルトン・セナが樹立した、世界最速ラップの走行データを用い、彼の走りを音と光でよみがえらせた。エンジンやアクセルの動きを解析し、実際のMP4/5マシンから録音したさまざまな回転数の音色と組み合わせることで、当時のエンジン音を再現。全長5,807mの鈴鹿サーキット上に無数のスピーカーとLEDを設置し、再現した音を走行データに合わせて鳴らすことで、24年前の走りを表現した。
緊張しながら、初めてクラブに行ったのもこの辺り。これももう今はないのですが、「Space Lab YELLOW」っていう西麻布のクラブですね。当時はインターネットなんてなかったから、レコード屋で情報を集めたり、調べてもわからないことは店員さんに聞いたりして、自分の足で情報に接して、友達と情報交換していました。六本木WAVEで知ったアーティストがどうもYELLOWに来るらしいって、そわそわしていたのが、僕にとっての六本木の原体験。
大人になってからだと、2013年の文化庁メディア芸術祭で『Sound of Honda / Ayrton Senna 1989』がエンターテイメント部門で大賞をいただいたとき、国立新美術館で展示をさせていただいて、トークショーやワークショップをしたり、森美術館の10周年記念展『LOVE展』に作品を出させていただいたり。仕事で関わることがやっぱり一番多いですね。
アイデアは発想よりも、実践に意味がある。
僕は、自己と対峙した表現を発信するアーティストではなく、広告の企画を仕事にしているので、クライアントとか主体となる発信者がいるプロジェクトがあって、それらがうまく機能する表現を考えるのが役割だと思っています。だからなんのお題もなく「菅野さんはどうしたいですか?」と言われても、実は世の中に何かを発信したい強い意志があるわけではない。「こういう目的においては、この方法が最も機能すると思います」というふうに、目的に対してやるべきことを明快にしていく思考法なんです。だから六本木の発信力について問われても、もし六本木自体がどうなるべきかが明快になっていないなら、まずは大義を探るというか、それを浮き彫りにしていくプロセスから始めると思います。主体者が何のために何をメッセージすべきか、から一緒に考えるのが、広告コミュニケーションなのだと思っています。
若い頃は先輩たちのすばらしい仕事を見て、よくこんなことを思いつくなあと、着想に感動していたんですけど、今はアイデアを発想するという能力は、その人自身の強い意志があれば、訓練で技術として獲得できると思っています。アイデアを思いつくのはクリエイターとして当たり前のことで、むしろそれをちゃんと世の中に定着させるというか、実現することのほうが本質的には意味がある。たとえば他者が新しくつくったものを見て、自分も似たようなことを考えたことがあるなって感じる人はいると思うんです。だけど、ちゃんとそれを最初に世の中で実現することが尊い。アイデアを高いレベルのクラフト力で、世の中の空気に触れる状態まで持っていくことではじめて発明といえるんですよね。
テクノロジーなんかはまさにそうで、1800年代の後半のベル、グレイ、エジソンの電話の発明のタイミングですらほぼ同時で僅差だったっていうじゃないですか。技術がある程度飽和してきたタイミングで、実現できそうなことっていうのは、状況をそれなりに見て考えていれば発見できると思うんです。大変なのは、それを高いレベルで表に出すこと。大人になっていいことを思いついても、なかなか実現しないじゃないですか。そこには予算や、いろんな事情があるんですけど、それらをひとつずつクリアして、つい盛りがちなところも削ぎ落として、当初のアイデアのまま、なるべくピュアな状態で世の中に出すことに徹底してこだわる。それがクリエーティブ・ディレクターの仕事なんじゃないかなと思っています。