賢治と私の出会い
長山雅幸
私は盛岡の生まれで、いわば生粋の岩手県人です。とはいえ、実は、岩手にいたのは3歳まで、その後、転勤族の父に連れられて、東北地方太平洋側を転々としました。ですが、空気や母の乳を吸うが如くに賢治の精神を身につけたのか、福島で過ごした中学時代は、農業への憧れをもっていました。具体的には、農業試験場での品種改良、しかも東北の寒冷地に強い作物の開発に興味を持っていました。ところが、どう間違ったのか、社会思想史という分野に進み、以来、19世紀のドイツ、フランスの研究に従事するようになりました。学校を出て最初に就職した先は東京で、そこで約10年を過ごし、縁あって花巻に戻ってくることになりました。
それまで賢治の作品は、親が読んでくれるものか教科書で読んだものぐらいしか知らないのが現実でした。しかし、「ご当地」ということもあって、単身赴任で埼玉に残してきた一人息子にせっせと賢治の童話を買い送り、埼玉に帰った時には、布団の中で読み聞かせました。そうして、40歳近くになって、賢治の精神世界、作品の謎に触れることができ、改めて賢治の世界に関心を抱くようになったのです。。
さて、私が特に専門としているのは、テオドール・デザミというマイナーな思想家です。彼は、フランス南西部のヴァンデ地方のリュソンという町の出身で、これまで生まれた年もはっきりしませんでした。しかし、この度、世界で初めて彼の生年月日を特定することに成功しました。が、「しかし」と私は思いました。「こんな仕事はリュソンの郷土史家の方がいい仕事ができるのではないか」。勿論、この仕事を日本でやることの意義があるとは思っているのですが、私は賢治に目を向けました。賢治が生まれ、学校に通い、作品を書き、畑を耕したこの花巻で地の利をいかした厳密な賢治研究をしようと思いました。しかし、先行研究の多いこと、生資料の多いこと! なかなか先は見えてこないのですが、ぼつぼつと、この花巻ののんびりした時間の中で、腰を据えて賢治研究に励むつもりでおります。
(2002年6月4日作成)