書評:200CD ウィーン・フィルの響き 名曲・名盤を聴く

岩下眞好・佐々木直哉編 B5版 243頁 定価1900円 立風書房 ISBN4-651-82047-6 2000年発行

 「世界の二大オーケストラ」と言えば、ウィーン・フィルとベルリン・フィルを挙げるのがオーソドックスな答えであろう。勿論、ドボルザークをやるにはウィーン・フィルでは洗練され過ぎている、チャイコフスキーをやるには迫力に欠ける、いやオーマンデイのフィラデルフィア・サウンドこそが何をおいてもすばらしいというむきもあるだろう。それにしても、「世界の二大オーケストラ」と言えば、渋々とは言え、この二つを挙げることに大筋で賛同してもらえるだろう。ただ、ウィーン・フィルがカール・ベームを、そしてベルリン・フィルがヘルベルト・フォン・カラヤンを失ってからは、やや特色を失いつつあることも確かのようではあるが。(これはまた、他のオケのレヴェル・アップの賜でもある。)

 個人的なことで恐縮であるが、本書の編者であり、執筆者でもある佐々木直哉君は、私の福島市立第一中学校・器楽部のホルンの1年後輩である。佐々木君は、現在、東京・神奈川を中心に複数のアマチュア・オーケストラに在籍し、また、数多くのアマチュア・オーケストラにエキストラとして招かれ、主に、ホルン・パートの低音域である2ないし4番ホルンを担当している。中学の頃からウィーン・フィルに魅せられ、現在は、ドイツが生んだ世界の名器アレキサンダーとヤマハの特注のウィンナ・ホルンを吹きこなしている。彼が師と仰ぐのがウイーン・フィルの2番ホルン奏者フォルカー・アルトマンであり、彼のホーム・ページも開設している(http://www.sf.airnet.ne.jp/naoya/)。その佐々木君の真骨頂を示すのが本書の第3章「ウィーン・フィルの響きをつくる男たち」のアルトマンの項である。

 内容に入る前に、本書の構成を示そう。

第1章 ウィーン・フィル名曲曼陀羅① 交響曲・管弦楽・協奏曲編

第2章 ウィーン・フィル名曲曼陀羅② オペラ&声楽編

第3章 ウィーン・フィルの響きをつくる男たち

第4章 ウィーン・フィルの響きはこうしてつくられる

第5章  小さなウィーン・フィル――ウィーン・フィル・メンバーによる室内楽

第6章  音楽史の中のウィーン・フィル

特別付録 ウィーン・フィル「お宝ディスク・ガイド」

 更に、この6章だての中に、「ウィーン・フィルの秘密」、「私とウィーン・フィル」、「ウィーン・フィル博物誌」の3種のコラムが挿入され、本書をいっそう魅力的なものにしている。

 本書の第1・2章は、作曲家の時代順に、編者たちによってチョイスされたCDが紹介され、その盤でのウィーン・フィルの特色、その指揮者がどうウィーン・フィルの響きを引き出しているかを中心に解説が書かれている。いや、「解説」と言うよりも、執筆者各人の「感想」が述べられている。執筆者は、編集の佐々木君も含めて16人であり、執筆者の紹介はないのであるが、佐々木君が編者であるということは、おそらく執筆者諸氏もアマチュアであろうと推測される。この本はまさに、ウィーン・フィル愛好家が、楽しんで書いた本であると思われる。B5版の1ページにCD1枚のタイトル写真とデータ、そして解説(あるいは感想)が書かれており、当然字数の制約があって全てをバランスよく書き尽くすことは難しいのであるが、とにかく執筆者各人が担当のCDを自分の好みで書いている。全体に見られるその様子は、例えば、現在のところ世界で唯一のモーツアルト全集(ジェイムズ・レヴァイン指揮・1984年6月~1990年12月録音)の項で、こう書かれているところからも窺い知られる。「演奏自体はWPh(ウィーン・フィルの略称――評者)の特質を最大限に活かしたものといえる。早い楽章での弦楽器のパッセージの鮮やかさや緩徐楽章での優美な歌い方は、モダン楽器を使うWPhならではのものだし、演奏の一体感も彼ららしい。レヴァインの特徴はそういうWPhの自発性を引き出すところに表れている」。要するに、ウィーン・フィルの特質・能力を引き出すところで指揮者が評価されているのである。執筆者たちが、とにかくウィーン・フィル(特にその響き)を愛してやまない姿が垣間見られる。自分の好みに偏っているという点は、例えば、佐々木君執筆のモーツァルトの交響曲第25番(リッカルド・ムーティ指揮・1996年録音)の項で典型的に見られる。彼は、映画『アマデウス』の冒頭シーンで広く知られたこの曲についてこう書いている。「…… 特に、この曲ではホルンの響きに注目してほしい。モーツァルトの交響曲としては異例の4本という数が用いられているホルンだが、その全員に総じて『高音』が求められるオーケストレーションであるため、WPhホルン・セクションの場合、少なくとも2名は、通常使用するウィンナホルンではなく、〈ハイF管〉という高音用の特殊楽器(秘密兵器?)でこの曲に臨むことが多い。しかし、この楽器はオケに音を溶け込ませるのが難しく、単に『音を外す』というリスクを回避する目的だけで中途半端に使ってしまうと、かえって音楽をぶち壊しにしかねない。 /しかし、このリッカルド・ムーティ指揮の演奏からはそんな『危険性』はまったく感じられないだろう。そこにはいつもの『ウィーン・フィルのモーツァルト』があるはずだ。ウィーン・フィルがウィーン・フィルである所以は、楽器のシステム以前に、奏者個々人がもっている確固たる『音』のイメージにある。そのことを証明している演奏といえるだろう」。これまた、要するに、ウィーン・フィルはウィーン・フィルであり、ウィーン・フィルのホルンはウィーン・フィルのホルンだ、ということである。とにかく、執筆者の全員が、ウィーン・フィルについて語るのが楽しくて仕方がないという風情である。市販のCDの解説が、バランスよく、音楽的に押さえるべきところを押さえながら、無味乾燥であることが多いのと好対照である。

 ところで、私は、早速、本書を息子のピアノの先生にご覧に入れた。「私も好きで研究をしている訳ですが、こういう風に楽しくて仕方がないというものは書けません」と感想を申し上げたところ、先生も「私たちの演奏もそうですよ」とおっしゃっていた。確かに、それが「プロ」というものかもしれない。そうであるとしたら、芸術の分野だけでなく、学問の世界においても、「プロ」と「アマチュア」の分業、「プロ」の「アマチュア」的要素の取り込み、こうしたものが必要なのかもしれない。そして、そうしたことがまた、自分の厳密な(それゆえ幅の狭い)専門研究にもフィード・バックしてくるのではなかろうか。本書は、そうしたことをも考えることを要求してくる一冊である。

 私は、現在の研究テーマのひとつとして、今日の日本の消費生活協同組合(以下「生協」と略)を選んでいる。日本の生協運動は、古くは二宮尊徳にまで遡ることができるが、現在の生協運動の発祥は、戦後、キリスト教的社会改良主義者・賀川豊彦によってである。彼によって、現代日本の最大の単位生協「コープこうべ」の基礎が作られた。しかし、戦前は、協同組合運動は「産業組合法」によって、すべての協同組合が一括されており、戦後、「生協法」の設立が必要となった。そして、各生協は賀川のもとに結集し、いくつかの紆余曲折を経て現在の「日本生活協同組合連合会」(以下「日生協」と略)が生まれた。その日生協設立の際、スローガンが検討された。話し合いの結果、「平和とよりよき生活のために」が最終案として浮上してきた。しかし、最後の詰めで反対意見が出された。生協は、消費財の小売りをとしているのだから、「よりよき生活」が先に来るべきではないか、と。しかし、賀川は、会議室の机を拳で激しく叩き、「平和だ! 平和なくしては、よりよき生活もない!」と怒鳴ったという。現在もこの「平和とよりよき生活のために」というのは、日生協の正式のスローガンとして生きている。しかし、原水禁運動が政党色を帯び、やがては分裂してゆく中で、日生協もこの「平和」という言葉を使いあぐねるようになってきているように見える。それが現代(の日本)なのである。

 さて、たしか私が高校生の頃だったと思うが(それ故、記憶も曖昧であり、今回も時間の制約の為、盤の確定はできなかった)、第二次世界大戦中のベルリン・フィルの『運命』(ベートーベン・交響曲第5番)のレコードを聞いたことがある。第1楽章の冒頭後すぐに、ベートーベンが弟子に「運命はかくのごとく戸を叩く」と説明したというあの有名なモチーフをホルン2本のユニゾンで吹くところがある。ひどい演奏だった。タイミングも合っていない。ピッチも音程も合っていない。高校生ながら、戦争とはこうしたものかと実感した。この国で、そして全世界で、音楽などという何の腹の足しにならないものがいつまでも栄えますようにと願わずにはいられない。

 それゆえ本書の所謂「マニアック」な世界、こうした微細な世界をぜひとも多くの人に共有して頂きたいと思う。また、世界最高峰のオケの名盤の紹介なのであるから、クラッシック音楽の入門書としても好適であると思われる。                                   (長山雅幸)


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(2001年10月16日作成)