大迫町ワイン紀行
――観光と生活圏内での小旅行と地場産業についての覚書――
長山雅幸
「人間には知らない場所を歩き回ってみたいという本能があると」いう説がある。好奇心の一種と考えればうなずけるが、このように具体的に言われると疑問の余地がある。少なくとも私は知らない場所にはできれば行きたくはない。つまるところは、旅行嫌いということになる。にもかかわらず、本学で観光産業論を担当しているということは、やや皮肉なことかもしれない。
しかしながら、まったく旅行が嫌いかというと、必ずしもそうではない。私的なことで恐縮であるが、私の場合の「旅行」には2つのパターンがある。ひとつは、偶然ないし強制でもって行った場所に繰り返し行くパターンである。一度何等かの理由で行ってしまえば、完全に「知らない場所」ではなくなるからである。もうひとつのパターンは、ほぼ「生活圏」の内部での、いわば「小旅行」である。紫波町のラ・フランス温泉館はその最たるものである。盛岡-花巻の通勤途中で、しばしば同僚のK氏と食事をし、露天風呂を中心としてあれこれのお湯に浸かりながら歓談の一時を過ごす。また楽しからずや、である。
ところで、ヨーロッパでは観光研究が19世紀から行われており、今日でも観光の定義の代表とされているものは、1980年代のスイスのカスパール(C. Kaspar)の「観光は、その滞在地が主たる居住地ないしは労働の場とならないような人の旅行および滞在から生じる諸関係および諸現象の総体を意味する」というものである。ここでは、「観光」とは「その滞在地が主たる居住地ないしは労働の場とならない」場所への「旅行および滞在」が問題とされているから、私の上のような「生活圏」内での「小旅行」は「観光」には入らないことになる。また、カスパールの「観光」定義の中にはすでに「旅行」という言葉が使われており、そもそも「(小)旅行」とは何かが問われなければならない。この点、今後の研究課題である。
このように、担当科目が観光産業論と銘打っているところから「観光」にこだわるのだが、くだんのラ・フランス温泉館への「小旅行」は語の本来の意味での「リクリエーション」(recreation)である。そして、そこでの鍵となるのは、温泉の湯治効果(肉体的リクリエーション)もさることながら、非日常的なシチュエーション(心的リクリエーション)であると思われる。晴れた日に「イギリス海岸」へ弁当を持ってランチに行く。これまた、物理的には「生活圏」内でのことだか、リクリエーションであり、非日常である。大方の読者も、この点に異存はないのではなかろうか。そうした時、「観光」定義の中にも是非この「非日常性」を入れるべきではないかと考えている次第である。ちなみに、上のカスパールにも見られる、ヨーロッパの伝統的な「観光」定義の2本柱は「非定住性」と「非営利性」である。これは極めて客観的で、科学の体系を作るのには大変都合がいい。しかし、「非日常性」は心理的な要素が大きく、ここがネックとなる訳である。
さて、そうこうして初めての観光産業論の講義を担当し、本学付属の地域経済文化研究所の所員となった目で、今年はいろいろとこの中部地域の「小旅行」を試みた(楽しんだ)。前書きばかりが長くなったが、そうした「小旅行」の中で、9月16日(日)に行われた大迫町の「新世紀ワイン祭り」について書いてみたいと思う。
私は、大迫町には今回初めて行った。この「ワイン祭り」も新聞のイベント情報で知った。前日の土曜日は「小ワイン祭り」ということだったので、午後も比較的遅い時間に行ってみたのであるが、イベントが終わっていたのか、場所が分からなかったのか、結局は「ガラス体験工房 森のくに」を見学して、「ワインハウス早池峰」で食事をして帰った。当然、食事の際には地元産のワイン(エーデルワイン)を頼んだ。こういったものについてあれこれ言う資質は持ち合わせていないのだが、醸造したての全く寝かせていないワインで、極めて控えめに幼稚な表現を使えば、ジュースのようで飲みやすかった。関係者の表現を使えば、「岩手の気候が作り出す酸味の張りが効いたバランスの良い味」だそうである。
因みに、観光の歴史は当然ながら非常に古く、僅かではあるが、紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスの中にもエジプト人の観光についての記述が見られる。古代ギリシアになると、宗教、体育(オリンピアの体育競技会)、保養の3つの動機から行われていたようである。古代ローマ時代になると、食道楽が現れる。療養観光の動機も、過度の美食によって健康を害したというものであった。そうすると、当然、各地の地ワインを飲み歩くという観光も現れてくる。歴史家マッサノ(G. Massano)はこれを「ワイン観光」(il turismo enologico)と呼んだ。そうすると、我が岩手県には「葛巻ワイン」(山ぶどう)という銘柄もある。ワインのみならず、「銀河高原ビール」(これは全国展開されているので、地ビールの楽しみは薄いが)、石鳥谷の南部杜氏の日本酒などもあり、「酒飲み観光」が楽しめる。とりわけ、この石鳥谷の南部杜氏に関しては、10月13日に「酒まつり」があったのだが、残念ながら大学祭とぶつかってしまったため行けなかった。
さて、この大迫町の「ワイン祭り」の基本的な仕組みは、「ワインチケット」(1,500円、記念グラス付き)を購入し、このグラスで8杯飲めるというものである。ワインの種類は赤・白・ロゼ・シュットルムのどれでもよい。食事の時に飲んだワインに味をしめた私は早速大迫町にある唯一の宿泊施設「ホテルステイヒル」に予約を入れようとした。しかし、小さなホテルの客室はすでに満杯であった。だが、たいした意図なしに「せっかくワイン祭りに気兼ねなく参加するつもりだったのに」と言うと、客室用ではないのか、コテージを提供してくれた。
さて、この「新世紀ワイン祭り」であるが、これは「ぶどうが丘フェスティバル」の一環であり、オープニングイベントである。
この「フェスティバル」の「イベントスケジュール」はこうである。
①期日/9月11日~9月24日、イベント/ワイングラスとテーブルウエア展、会場/森のくに、②期日/9月14・15・16日、イベント/第23回ぶどう品評会、会場/カントリープラザ、③期日/9月15日、イベント/ミニワインまつり・夜のワインまつり、会場/エーデルワイン工場・大迫町商店街周辺、時間/9:30~16:00・19:00~21:00、④期日/9月16日、イベント/新世紀ワインまつり、会場/ぶどうの丘地区、時間/11:00~15:00、⑤期日/10月6日、イベント/小さな森のコンサート、会場/町民会館、⑥期日/10月7日・8日、イベント/ワインづくり体験、会場/エーデルワイン工場、⑦期日/10月13日・14日、イベント/大迫町産業まつり・JAまつり、会場/ぶどうの丘地区
9月11日から10月13日までのイベントであるから、それなりの大イベントで盛況であった。しかし、なんとこの「フェスティバル」の始まりは実は今年からなのであった。これまでは、ワインまつりも含めた各産業まつりはそれぞれ単独で行っていた。しかし、これらを観光資源としてより有効に活用しようということで、今回の「フェスティバル」になったのである。今回、私も魅惑されてやってきたワインまつりの第1回目は昭和52年にまでさかのぼる。とりわけ初期の頃は、春・秋と2回開催したこともあって、今年でワインまつりは32回目を数えることになった。以下で述べるが、この昭和52年というのは、株式会社エーデルワインが軌道に乗り始め、地元商工会、JA、早池峰観光(第3セクター)、そして株式会社エーデルワインなどが集まって、実行委員会が開かれ、第1回のワインまつりが開催されたのである。
当初のワインまつりの目的は、地元農家の皆さんの慰安であった。それ故、ワインまつりも地元の客が多かった。現在も地元客も多いのであるが、とりわけ今年は大型の「フェスティバル」として開催したので町外からの観光客の数も増えた(実数は地元観光課でもまだ把握していない)。その為に開催されたのが、私が参加しそこなった、土曜の企画である前夜祭であった。当然、農家の場合、土日とはいえ、昼に安穏と遊んでいるわけにはいかない。そこで、夜の部が考案されたのである。この前夜祭の参加者が約500人、そして、日曜のワインまつりの推定参加者数は6,000人であった。
そもそも、この地でブドウが栽培されるようになったのは昭和25、6年頃からである。きっかけは県の奨励であった(因みに、県によるぶどう栽培の奨励は、この大迫町が第1号である)。大迫町は傾斜地が多い。その為、大迫町では葉煙草の栽培が盛んであった。しかし、アイオン台風とカザリン台風の影響で、葉煙草栽培の限界を県はいち早く察知し、こうして大迫町のぶどう栽培が始まったのである。
しかし、農作物の宿命である市場価格の変動による収入の不安定さ、また、見た目を重視する日本人の消費行動の為、いわゆる「はじき」と言われる出荷不能のぶどうが大量に存在した。また、当然、小ぶりで甘みに欠けるもの、明らかな出来損ないも出てくる。そうして、町の奨励で昭和37年に大迫町でワインの生産が始まった。しかし、当初は「エーデルワイン」ブランドなどはなく、大手ワインメーカーのブレンド用ワインとして出荷していた。
だが、転機が訪れるのは比較的早かった。昭和40年に、早池峰固有の高山植物である薄雪草とドイツのベルンドルフ(ウイーンからスイス側に40キロほど行ったところ)のエーデルワイスとの関係から、ふたつの町が「姉妹都市」になったのである。そして、これをきっかけに「エーデルワイン」の生産が始まった。しかし、この頃はまだブレンド用ワインとして大手ワインメーカーに製品を卸していた。大迫町とJA、そして岩手県経済連の出資で工場が新設され株式会社エーデルワインが生まれるのは昭和49年になってからのことである。現在では、銘柄や瓶の大小も含めると30種類のワインを取り揃えている。年間の生産数は約40万本、生産額は約4億円である。しかし、生食用のぶどうの出荷額に比べれば、これはまだまだ僅かな数字だそうである。
さて、話を「フェスティバル」に戻そう。この「フェスティバル」中、「催し」、「おもしろイベント」、「即売・味コーナー」が設けられていたのだが、その中で私が今回目にしたり体験したりしたのは、「エーデルワインとぶどうジュース早飲み大会」、「ギャルソンレース」、町産和牛焼き肉販売コーナー」、「町産まいたけ入りそば・うどん販売コーナー」、「川魚塩焼き(アユ・ヤマメ・イワナ)コーナー」であった。
会場の「ぶどうの丘地区」というのは、図1のような構成になっている。
私の行動エリアはほぼ「カントリープラザ」(仮設体育館のようなもの)に限られていた。「カントリープラザ」前にはぶどうや軽食・飲料の即売所があり、かなりの混みようであった。また、バーベキュー・コーナーも盛況であった。
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図1
「カントリープラザ」内は下の写真1の通りである。相当な広さがあり、入り口の正面にステージが設けられている。このステージでぶどうジュース早飲み競争(子供対象)やワイン早飲み競争が行われた。その様子は下の写真の通りであるが、当然、男性の部門のワイン早飲み競争の写真はない。私本人が出場していたからである。写真2が女性のワイン早飲み競争の様子である。
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写真1
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写真2
ラ・フランス温泉館で行われたビール早飲み競争で不覚をとっていた私は、前回の教訓を活かし、呼吸を整えて早飲みに臨んだのであるが、やはり成績は振るわなかった。写真にある女性の部を見れば一見しておわかりのように、やはり体格差には勝てないのではないかというのが暫定的な結論であるが(ハラスメントか?!)、次の機会にまたチャレンジである。
さて、ホテルまで予約してこのワインまつりに臨んだ私であるが、実は、「ワインチケット」を購求した時には少々がっかりした。グラスが小さいのである。これで8杯では、十分に酔いを醒まして車で帰れるではないかと思った。しかし、この早飲みが効いた。イベントが15:00などと中途半端な時間に終了することも理解できた。「ワインチケット」は4枚でボトル1本分とまとめて交換することができる。「カントリープラザ」のシートの上を陣取っている人達(とりわけ大人数のグループ)はボトルを何本も並べ、即売所の焼き魚などを大量にほおばっている。私は、「ワインチケット」8枚を消化するまでもなく早飲み競争でイッてしまった。あれでは、15:00終了にしなくては急性アルコール中毒がでるかもしれない。私も、終了と同時にコテージに戻り、4時間ほど寝込んでしまった。お笑いである。
ところで、写真3をご覧いただきましょう。写真に写っているたすきから見てとれるように、「ワイン娘」のお三方である。
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写真3
写真中央に写っているのが、盛岡市から来た小田桐洋子さん(24歳、家事手伝い)である。小田桐さんが今回「ワイン娘」に応募したのは、そもそもは大迫町のホーム・ページを見ていて、「ワイン祭り」と「ワイン娘」について知ったことが始まりであった。小田桐さんの目的は、大迫町の懸賞への応募であった。そして、その際に、備考欄に「ワイン娘」をやりたいのですがどういうればいいのですか、といった旨のことを書いたのである。これに対して大迫町から、特に規定はありません、という答えが返ってきた為、早速、友人3人で応募したのうだそうである。実際、大迫町の「ワイン娘」の応募規定というものはない。かつては、「ミスワイン娘コンテスト」のようなものもやっていたらしいのだが、どういう経過か、それは消えてしまった。現在役場にいる関係者もそこの経緯を知る人はいないようである。
小田桐さんは――私としては意外なことに――ドイツの高原風の衣装に憧れての参加ではなくて、ぶどう踏みがしたかったのだそうである。「いい経験ができました」と嬉しそうに語っていた。また、私も含めてであるが、「写真を撮る人が多くて驚きました」とも感想を語っていた。写真の掲載は撮った人の自由とするという申し合わせにしてあったのも、大迫町が十分にこうした現象を承知していたからなのであろう。「特にマスコミ関係の人が多くて驚きました」と嬉しそうであった。この手のものには逆風が吹いているのが昨今の状況ではあるが、こうした活動がイベントを盛り上げるには効果が大きいということを改めて確認した。
さて、私個人の趣味から言うと、私は「観光」というものに何ら教養的な要素も求めず、心身の「リクリエーション」がもっぱらの目的である。また、観光産業論という立場から言うと、今回の大迫町の「イベント」のように、それぞれは小さな観光資源であっても、「イベント」として結集することによって新しい展開ができることも分かった。勿論、ワインというものが、強力な観光資源であり、これを中心点として各産業祭を円形に構成していっくというやり方は、どこでも真似のできるものではない。大迫町の特色であり、強みである。ただし、このやり方も良し悪しではあると思われる(役場でも集計が出ていない状態なので推測であるが)。年間の「観光客」の総動員数、総売上額、こういったものを見なければ、観光産業論としては意味をなさないからである。むしろ、一見細々としているように見えても、分散している時の方が産業としては活況を呈しているかもしれないのである。この点については、今後の各団体での集計のまとまりを待って、また論じる機会を持ちたいと思う。
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(2001年11月14日作成)