オウエンとデザミにおける唯物論の同一性

――『聖家族』「フランス唯物論にたいする批判的闘争」

における記述をめぐっての一考察――

 

長山雅幸

 

 はじめに――マルクスとオウエン――

 

 本稿は、初期マルクスにおける社会主義・共産主義思想の把握の理解の一助として、『聖家族』「第6章 絶対的な批判、あるいはブルーノ氏としての批判」「3 絶対的批判の第三次征伐」「d フランス唯物論にたいする批判的闘争」の、後に述べるある一節における、マルクスによるデザミとオウエンとの対比の含意を明らかにしようとする考察の第一歩である。

 しかし、その前に、本稿の目的を包含する「マルクスとオウエン」という問題を踏まえておくことが理解の一助になるものと思われる。

 「マルクスとオウエン」、この問題はかなり厄介な問題だと思われる。マルクスとエンゲルスがオウエンに与えた有名な評価はよく知られてはいる。言うまでもなく、『共産党宣言』と『反デューリング論』(『空想から科学へ』)における評価である。この点について、まず、いわば「三代空想的社会主義者」の側から解説した『世界の名著 42 オウエン サン・シモン フーリエ』収録の簡潔な「ユートピア社会主義の思想家たち」に依りながら、簡略化できるところはさらに簡略化し、補足すべきところは補足して、簡単に見てみよう。

 

 (1) 『共産党宣言』におけるオウエン論

 

 『共産党宣言』は、言うまでもなく、労働者階級に彼ら自身の歴史的使命を自覚させ、「万国のプロレタリア団結せよ!」のスローガンの下に世界の労働運動にひとつの指針を与えたものである。この書以前にもマルクスは社会主義・共産主義に触れているが、ここでのオーエンらの評価がひとつの注目に値するのは、『共産党宣言』が史的唯物論に基づいて評されているというところにある。そこにおいては、近代ブルジョワ社会の崩壊と共産主義社会成立の歴史的必然性を論証するとともに、当時のイギリス、フランス、ドイツにおける社会主義・共産主義諸思想に対する批判を総括することによって、彼ら自身の共産主義の立場を明らかにしたものであった。

 『共産党宣言』では、その第三章「社会主義的および共産主義的分権」において、反動的社会主義、保守的社会主義に続いて、「批判的=ユートピア的社会主義および共産主義」を取り上げ、その中でサン・シモン、フーリエ、そしてオウエンの名を挙げている。それでは、彼らの思想の積極的意義は何か。こうである。

 

  「〔……〕これらの社会主義的及び共産主義的著作は、また批判的な要素をも含んでいる。それらは、現存社会のいっさいの基礎を攻撃している。だから、それらは、労働者を啓蒙するためのきわめて貴重な材料を提供した。未来の社会についてそれらの著作が提出している積極的な命題、たとえば、都市と農村の対立や家族や私的営利や賃労働を廃止することとか、社会的調和の宣言とか、国家をたんなる生産管理機関に転化するとか――それらの著作のこうした命題はみな、階級対立の消滅を言いあらわしたものにほかならない。」

 

 要して言えばこうである。彼らの積極的な意義は、その諸命題が「階級対立の消滅を言いあらわしている」というところにある。彼らに対する批判もまた、プロレタリアートの階級的視点から成されている。

 第一に、彼らはプロレタリアートの独自の歴史的役割を認めることができなかった。というのは、「プロレタリアートの側には、歴史的な自主活動や、プロレタリアート独特の政治活動は、なにも認められなかった」からである。

 第二に、「空想的社会主義者」たちは、その没階級的性格によって、支配者階級の善意に期待し、革命行動を非難する、と批判する。すなわち、「彼らは、労働者のあらゆる政治的行動を非難する」。

 第三に、彼らの理論は、資本主義の発展とともに破産するにもかかわらず、歴史に逆行して社会的ユートピアを建設しようとする。従って、「階級闘争が発展して、はっきりした形をとるにつれて、このように空想のうえで階級闘争を超越し、空想のうえで階級闘争を克服することには、どんな実践的価値も、どんな理論上の正当性もないようになる」。

 このように『共産党宣言』におけるオウエンらに対する批判はすべて階級的視点からなされており、彼らの空想性はプロレタリア階級の未発達によるものだと『共産党宣言』は指摘するのである。

 

 (2) 『反デューリング論』におけるオウエン論

 

 『反デューリング論』は、当時一世を風靡しようとしていた盲目の哲学者オイゲン・デューリングに対する論駁の書『オイゲン・デューリング氏の科学的変革』の通称『反デューリング論』である。さらに、ここから社会主義に関する部分を抜粋して作成されたのが『空想から科学へ』である。そこでは、マルクス主義の「前史」をなすイギリス、フランス、ドイツの諸思想を批判的に概観した後に、生産力の発展に伴う資本主義的生産様式における諸矛盾の発生とその崩壊の必然性、従ってまた、科学的社会主義成立の必然性が論証されている。そこでは、オーエンをはじめとする「三大空想的社会主義」に関する評価は、本書の初めの部分でまず述べられている。これら三人の思想的特徴と歴史的役割の共通性について、『反デューリング論』では次のように論評されている。

 

 「この三人の全部に共通な点は、彼らが、そのころまでに歴史的に生まれていたプロレタリアートの利益の代表者として登場したのではないということである。啓蒙思想家たちと同じように、彼らは、ある特定の階級を解放するのではなく、人類を解放しようとする。啓蒙思想家たちと同じように、彼らは、理性と永遠の正義との国をもたらそうとする。しかし、彼らの国と啓蒙思想家たちの国のあいだには、天と地ほどのへだたりがある。」

 

 「しかし、このころには、資本主義的生産様式も、それにともなってまたブルジョアジーとプロレタリアートの対立も、まだ極めて未発展であった。大工業は、イギリスではやっと生まれたばかりであり、フランスではまだ知られていなかった。」

 

 「こういう歴史的状態は、社会主義の創始者たちをも支配した。資本主義的生産の未熟な状態、未熟な階級対立に対応して、理論も未熟であった。社会的課題の解決は、未発達な経済関係のなかにまだ隠されていたので、それを頭のなかからつくりださなければならなかった。社会は弊害を示すばかりで、これらの弊害をとりのぞくのは思考する理性の任務であった。必要なことは、新しい、もっと完全な社会制度の一体系を考え出し、これを宣伝によって、できれば模範的な実験の実例によって、外から社会にさずけ押しつけることであった。これらの新しい社会大系は、はじめからユートピアになる運命にあった。細部にわたって詳しく仕上げられれば仕上げられるほど、それらは、ますますまったくの空想におちこむほかはなかった。」

 

 要点を整理しておこう。エンゲルスはここで、三人ともプロレタリアートの真の代弁者ではないこと、資本主義的発展の未成熟さに対応して彼らの理論も未成熟であり、そのための新しい社会の成立を歴史的発展の必然的結果としてではなく、頭の中で作り上げる必要があったこと、それゆえ彼らの未来社会の構想は初めからユートピアになる運命にあった、以上である。

 これに続いてエンゲルスは、「三大空想的社会主義者」のそれぞれの思想的特性と歴史的意義について、鋭い洞察を示している。簡単に記述の順番に従って、サン・シモン、フーリエ、そしてオウエンについて見てゆこう。

 まず、エンゲルスのサン・シモン評価には絶大なものがある。例えば、エンゲルスはこう書いている。

 

 「〔……〕フランス革命を、貴族と市民階級と無産者とのあいだの階級闘争と解したことは、1802年としては、きわめて天才的な発見であった。」

 

あるいは、サン・シモンに対する総括的な評価として、こうも述べている。

 

 「サン-シモンには天才的な視野の広さが見いだされ、そのおかげで彼の著作には、厳密な意味での経済思想を除いて、後代の社会主義者たちのほとんどあらゆる思想が萌芽としてふくまれている」。

 

 このように、エンゲルスのサン・シモン評価は、「天才的」という形容を二度も使うほどに高い。更には、エンゲルスは「ヘーゲルは、サン・シモンとならんで――彼の時代の最も普遍的な頭脳の持ち主であった」とも書いている。

 次に、フーリエであるが、フーリエについての記述は三人の中で最も簡略である。しかし、その評価のポイントはまったくもって多様であり、「フーリエは、彼の同時代人のヘーゲルに劣らないみごとな手腕で、弁証法を駆使している」とも書いている。

 さて、最後にオウエンであるが、彼については、最も多くのスペースを割かれているにもかかわらず、内容は意外と貧弱に見える。オウエンの本質を記述したものとしては、せいぜい、次の二つの文章を挙げることができるのみである。

 

 「オーエンの共産主義は、こうした純実務的な仕方で、いわば商人的計算の果実として、生まれた。」

 

 「イギリスで労働者の利益のためにおこなわれた社会運動や、ほんとうの進歩はすべて、オーエンの名前と結びついている。」

 

 以上に過ぎないなのである。

 

 マルクス、エンゲルスによってなされたオウエンを初めとする「三大空想的社会主義者」についての評価がどこまで妥当性を持つかについては、以下でのオウエンの特質――産業組織論という限定された視点においてではあるが――を理解した上で、改めて検討されなければならない問題である。しかし、差し当たり、次のことは指摘できる。「三大空想的社会主義者」とマルクスと言った場合、周知のレーニンの「マルクス主義の3つの源泉と3つの構成部分」において、オウエンはどのように位置づけられているのか、ということである。すなわち、レーニンは、マルクス主義の思想的源泉として「ドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義」の三つを挙げている。この点をめぐって、第1に、最初の2つがヘーゲルに代表されるドイツ古典哲学とスミスやリカードに代表されるイギリス古典哲学であることには、まず異論がない。しかし、第3の「フランスの社会主義」とは何であるのか、そして、そこにおいてイギリス社会主義のオウエンがどのように位置づけられるのかは、まだまだ十分に検討されているとは言い難いように思われる。

 

 

 1.問題の所在

 

 (1) マルクス主義の「源泉」論とのかかわりで

 

 当然、「マルクスとオウエン」と言った場合に最大の問題となるのはレーニンの定式「マルクス主義の3つの源泉と3つの構成部分」にオウエンは入るのかという問題である。なにもレーニンの言葉を金科玉条として頂く必要はないが、マルクス主義には「3つの源泉」があり、そしてそれがまた「3つの構成部分」をなしているという考え方には検討し参照するに値するものがあると思われるし、この「源泉」と「構成部分」の問題を何らかの形で明確化することは、何らかの形でマルクス主義とは何かという問いに答えることにもなるであろう。更に言えば、「21世紀型社会主義」の展望へといたる道でもあると言えるのではなかろうか。

 レーニンによれば、「マルクス主義の3つの源泉」とはこういうことである。

 

 「それ(マルクス主義の学説――引用者)は、人類が19世紀にドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義という形でつくりだした最良のものの正当の継承者である。」

 

これに対してユニークな見解を表明したのが水田洋氏である。水田氏の主張はこうである。

 

 「マルクス主義の思想的源泉としてあげられるのは、けっしてレーニンの『三つの源泉』だけではない。すくなくとも、エンゲルスが『空想から科学への社会主義の発展』であげている空想的社会主義者(オーエン、フーリエ、サン・シモン)とマルクスがワイデマイヤーへの手紙(1852年3月5日)であげている王政復古期の歴史家(とくにティエリ)を、無視するわけにはいかないであろう。もちろん、そのほかにも、青年ドイツ派、青年ヘーゲル派、チャーチズム(およびオーエニズム)、シュレージェン暴動、パリ・コンミューンなど、さらにはラサールとバクーニンのような論敵でさえ、マルクスとエンゲルスの思想形成の過程で、それぞれの役割を演じていることは否定できない。」

 

 水田氏の主張がよりユニークになるのは、同じくレーニンの『カール・マルクス』の次の部分の独自の解釈による。

 

 「マルクスは、人類の三つのもっとも先進的な国にぞくする19世紀の主要な三つの思想的潮流の継承者であり、天才的な完成者であった。この潮流とは、ドイツの古典哲学、イギリスの古典経済学、および一般にフランスの革命的諸学説とむすびついたフランス社会主義である。」

 

 水田氏はこの文言の「一般にフランスの革命的諸学説とむすびついた」という部分に注目するのである。この点に留意すれば、まず「フランスの」というところでオウエンは除外される。その上でさらに「どうみても、このふたつ(フランスの空想的社会主義とフランス唯物論――引用者)が『フランスの革命的諸学説とむすびついた』ものとはいえない」と断言している。なぜか。それは、「空想的社会主義者は、変革の主体をとらえることができなかった(したがって革命的ではなかった)からこそ、空想的とよばれた」からである。

 このように見てくると、オウエンは二重の意味でマルスク主義の「源泉」の少なくとも本流ではないということになる。すなわち、第一に、イギリスのものであるということで。第二に――すでに上で見たように「三大空想的社会主義者」に共通のものなのであるが――変革の主体をとらえることができなかったがゆえに革命的ではないということによって、である。

 以上の水田氏の見解には、大いに疑問がある。それは、第二の点についてである。はたして、レーニンの「一般にフランスの革命的諸学説とむすびついた」という表現が、変革の主体をとらえられなかったがゆえにフランスの「空想的社会主義者」が革命的ではない、そしてさらにそれゆえ、ここでレーニンが述べている「フランス社会主義」から除外できると言えるであろうか。「一般にフランスの革命的諸学説とむすびついた」という文言を、そのように限定して解釈することは、はたして可能であろうか。

 こうした諸問題の検討は、マルクス主義、とりわけ、その「源泉」問題を考える時に避けて通れない問題であると言えよう。そして、その中でもとりわけオウエンの問題は厄介な問題であるように思われるのである。

 

 (2) 『聖家族』におけるオウエンとデザミの唯物論

 

 しかし、こうした大問題はここではひとまず置くととしよう。本稿の目的は、上に見てきたようないわゆる「源泉問題」をも含んだ大問題にアプローチするための一助に過ぎないのである。本稿では、大問題の問題の所在が確認されればよい。

 ここで問題にしようとするのは冒頭で触れた『聖家族』中にある次の文言である。

 

 「フーリエは直接にフランス唯物論者の学説から出発している。バブーフ主義者は粗野で未開な唯物論者であったが、しかし発展した共産主義も直接にフランス唯物論からはじまった。後者〔フランス唯物論〕は、エルヴェシウスがこの唯物論にきせた着物をきて、その母国であるイギリスにさまよい帰ってきた。ベンサムはエルヴェシウスの道義の説にもとづいて、彼の十分に理解された利害の体系を建設した。おなじようにオーエンはベンサムの体系から出発して、イギリス共産主義を基礎づけた。フランス人カベーは、イギリスに追放され、その地の共産主義思想に刺激され、それからフランスに帰って、ここで共産主義の、もっとも浅薄ではあるが、もっともポピュラーな代表者になった。これよりももっと科学的なフランスの共産主義者、デザミ、ゲーなどは、オーエンのように、唯物論の教説を、現実的人間主義の教説として、また共産主義の論理的基礎として発展させている。」

 

 言うまでもなく『聖家族』は、「別名 批判的批判の批判。ブルーノ・バウアーとその伴侶を駁す」というサブタイトルをもっており、「聖家族」とは、ブルーノ、エドガー両兄弟と、『アルゲマイネ・リテラトゥール-ツアイトゥンク』誌に集った彼らの信奉者につけた皮肉である。ここ『聖家族』では、バウアーとその他の青年ヘーゲル派を批判するとともに、更に進んでヘーゲルの観念論哲学そのものも批判の俎上に乗せている。全9章のうち、マルクスが単独で執筆しているのは4つの章であり、エンゲルスとの混合で執筆している章が2つある。重複にもなるが、上に引用した部分は、マルクスが単独で執筆した「第6章 絶対的な批判的批判、あるいはブルーノ氏としての批判」の「3 絶対的批判の第3次征伐」の「d フランス唯物論にたいする批判的闘争」の一部分である。

 これまでデザミの研究をしてきた者としては、注目するのはまず第一に「これよりももっと科学的なフランスの共産主義者、デザミ、ゲーなどは、オーエンのように、唯物論の教説を、現実的人間主義の教説として、また共産主義の論理的基礎として発展させている」という部分である。そうすると「オーエンのように」という部分に注目せざるをえない。それゆえ第二に「おなじようにオーエンはベンサムの体系から出発して、イギリス共産主義を基礎づけた」という部分に注意が向くことになるであろう。

 この第二の点は、これのみで一つの大きな研究となりうるテーマである。ここでは差し当たり、最新の研究と言えるものとして土方直史氏の『協同思想の形成』を参照しよう。そこで土方氏は、まず、J...ハリスンの研究を要約して、こう述べている。

 

 「J...ハリスンは、オウエンの思想的系譜に言及して、つぎのように説明している。これまでの彼の伝記のなかで、彼がルソー、ベンサム、そしてゴドウィンの思想から『借用』しているとか、マンチェスターの同時代人から影響されたとか、結論のでにくい議論がなされてきたが、『オウエニズムを一八世紀後半と一九世紀初頭の複雑な諸思想の全体の一部と考えた方が、おそらくもっとも生産的である。……かくて、オウエニズムは一つの知的領域全体のなかにまとまっている数個の源泉から引き出されたクラスターとなっている』と。」

 

 このように述べた土方氏は、「クラスター」という比喩表現の危険性を指摘しつつも、それが「ある特定の源泉との関係を強調してオウエニズムの基本性格を理解することは不可能であるとの主張を示すものである」として積極的な評価を下している。土方氏のハリスンに対する評価が積極的であるのは、別のハリスンの言葉に対するところからさらにはっきりとする。すなわち、こう述べるのである。

 

 「ハリスンは開会冒頭の講演をおこない、オウエニズムがさまざまな思想と多面的な実践活動によって形成された一種の貯水池でありクラスターであるので、今日なお人びとがそこからいろいろな思想やインスピレーションを引出すことができると示唆した。歴史の状況が、たえず新しいオウエン像を創造していく。彼は歴史と行動の多面性のゆえにそれに耐え、かつそれを可能にしていく思想家なのかも知れない。」

 

 つまり、ハリスンと土方氏によれば、第二の問題は解決・確定不可能な問題であるということになる。しかし、第二の点の確定がなくては、第一の点の解明も難しい。そこで、次に『聖家族』の当該箇所を丹念に検討することによって第一の点の解明のヒントが得られないかどうか試みてみようと思う。

 

 (3) 『聖家族』におけるマルクスの唯物論に関する見解

 

 この「d フランス唯物論にたいする批判的闘争」で、マルクスは、まず18世紀のスピノザ主義についての「批判なるもの」の叙述を引用した上で、「われわれはフランス唯物論の批判的歴史に、それの世俗的・大衆的歴史を要約して対置してみよう」としてフランス唯物論の歴史を述べている。

 まず、「18世紀のフランス啓蒙思想、とくにフランス唯物論は、現存の宗教と神学にたいする闘争であっただけでなく、おなじく、17世紀の形而上学とすべての形而上学にたいする、ことにデカルト、マルブランシュ、スピノザ、およびライプニッツの形而上学にたいする公然たる明白な闘争でもあった」。これは、マルクスにとって、極めてアップ・トゥ・デートな問題である。すなわち、これはヘーゲルに対するフォイエルバッハの「闘争」の問題なのである。つまり、こうである。

 

 「フォイエルバッハがはじめて決然としてヘーゲルに反対して登場したとき、酔った思弁にしらふの哲学を対立させたように、人々は哲学を形而上学に対立させた。18世紀のフランス啓蒙思想、ことにフランス唯物論のためにうちまかされた17世紀の形而上学は、ドイツ哲学、ことに19世紀のドイツ思弁哲学として、かちほこった、実質的な復興を体験した。ヘーゲルがそれを、天才的なしかたで、それ以降のあらゆる形而上学およびドイツ観念論と結合して、一つの形而上学的世界王国を建設してからは、ふたたび18世紀のときのように、神学にたいする攻撃に応じて、思弁的形而上学およびあらゆる形而上学にたいする攻撃がおこった。形而上学は、いまや思弁そのもののはたらきによって完成され、人間主義と一致する唯物論に永久に、屈服するであろう。だが、フォイエルバッハが理論の領域で、人間主義と一致する唯物論を代表したように、フランスとイギリスの社会主義と共産主義は実践の領域でこの唯物論を代表した。」

 

 ここでの一つの結論は、フォイエルバッハが「理論の領域で、人間主義と一致する唯物論を代表」し、フランスとイギリスの社会主義と共産主義が「実践の領域」で「人間主義と一致する唯物論を代表」した、ということである。これは、先の『聖家族』からの引用の中で、デザミが「オーエンのように、唯物論の教説を、現実的人間主義の教説として」「発展させている」としているマルクスの記述を理解するための手掛かりとなろう。

 次に、「フランス唯物論には二つの方向があって、そのうちの一つはデカルトにその源泉を発し、他のものはロックにその源泉を発している」。ここでは、デカルトに始まる前者は重要ではない。重要なのはイギリス人ロックに始まるフランス唯物論であり、それは「とくにフランス的教養の一要素であり、直接に社会主義にそそいでいる」。

 フランスでロックを受け入れる下地を完成させたのはピエール・ベールであった。ピエール・ベールは、「とりわけスピノザとライプニッツを論破し」、「形而上学を懐疑によって解消することにより、唯物論と健全な人間悟性の哲学が、フランスでうけいれられるように準備した」。かくして、「17世紀の神学と形而上学の、消極的な論破のほかに、積極的・反形而上学的な一体系が必要とされた。当時の生活実践を一つの体系にまとめ、これを理論的に基礎づけた本が必要とされた。ロックの著書『人間悟性論』が海峡のかなたから、ちょうどいいところにやってきた。本書はまちこがれた客のように熱狂的に歓迎された」。すなわち「ロックはボン・サンス〔良識〕の哲学を、すなわち健全な人間悟性の哲学を基礎づけたのであったが、それはとりもなおさず、健全な人間の感覚およびこれにもとづく悟性よりほかに、これと異なる哲学などというものはありえないということを、遠まわしにいったものにほかならな」かった。

 更に、ロックのフランスへの受容は、4人の思想家という形をとってなされた。第1に「ロックの直接の弟子で、そのフランス語への通訳者であるコンディヤック」である。彼は「ロックの感覚論を、ただちに17世紀の形而上学攻撃にむけ」、「フランス人が形而上学を、想像力と神学的偏見のたんなるつくりごととして、当然とうの昔にすて去るべきであったことを示した」。「彼の著書『人知の起源にかんする試論』のなかで、彼はロックの思想をしあげた。そして、精神ばかりでなく感覚も、観念をつくる術ばかりでなく、感覚的知覚の術も、すべて経験と習慣のすることであるということを証明した。だから人間のすべての発展は、その教育と外部事情とに依存している」。

 第2に、「おなじくロックから出発するエルヴェシウスにおいて、唯物論はほんとうにフランス的な性格をうけとっている」。すなわち「彼は、唯物論をいきなり社会生活と関係させて理解する(エルヴェシウス著『人間について』)」。

 

 「感覚的諸性質と自愛、快楽と十分に理解された私利があらゆる道徳の基礎である。人間の知能が生まれつき同等であること、理性の進歩と産業の進歩とが一致していること、人間の本性の善良であること、教育が全能であること、以上が彼の体系のおもな要素である。」

 

 第3に、「デカルトの唯物論とイギリスの唯物論との、ある結合が、ラメトリの諸著にみとめられる」。第4に、「オルバックの『自然の体系』においては、あの道義の部が本質的にエルヴェシウスの道徳観にもとづいているように、おなじようにその物理学の部は、フランス唯物論とイギリス唯物論との結合からなっている」。

 「デカルト派唯物論が本来の自然科学に流れこんでいるように、フランスの唯物論の他の方向」、すなわちロックにその源泉をもつ唯物論は「直接に社会主義と共産主義とにそそいでいる」。こう述べた後、マルクスは「この唯物論が必然的に共産主義や社会主義につながる」(強調は引用者)ことを説明し、そのパラグラフが終わると、上に見た、デザミとオウエンに言及したパラグラフへと連なっている。このパラグラフへと続く部分は、一連の文章というよりもアフォリズムのようになっている。すなわち、こうである。

 (1)「人間はもともと善良であり、その天賦の知能は同等であり、経験と習慣と教育が全能であり、人間には外部の事情が影響をおよぼすものであり、産業に高度の重要性がおかれ、快楽は是認される、等々といった唯物論の教説からして、この唯物論が必然的に共産主義や社会主義につながるということを見ぬくには、何もたいした洞察力を必要としない」。

 (2)「もし人間がそのすべての知識や知覚やその他を、感性界から、ないしは感性界における経験からつくりだすものだとすると、人間がそのなかで真に人間的なものを経験するように、また自己を人間として経験する習慣をもつように、そのように経験の世界をしつらえることが大切なことになる」。

 (3)「十分に理解された利害というものが、すべての道徳の原理であるとすれば、人間の私利と人類の利害との一致することがたいせつなことになる」。

 (4)「もし人間が唯物論的な意味で自由でないならば、いいかえれば、人間があれこれのことを避ける消極的な力によってはなく、彼の真の個性を発揮する積極的な力によって、自由になるとすれば、ひとは個々人の犯罪を罰するべきではなく、むしろ犯罪のおこる反社会的な発生場所をうちこわして、各人にたいしてその本質的な生命の発現できる、社会的な余地を与えてやらねばならない」。

 (5)「もし人間がその環境によってつくられるものであるとすれば、ひとはその環境を人間的なものにつくっていかなければならない」。

 (6)「もし人間がその本性上社会的なものであるとすれば、人間はその真の本性をその社会においてはじめて展開するものであり、人間の本性のもつ力は、個人ひとりびとりの力によってではなく、社会の力によってはかられなければならないのである」。

 こうして、上に引用した例のデザミとオウエンに関するパラグラフへと連なるのである。

 

 

 Ⅱ デザミの共産主義思想――主著『共有制の法典』に基づいて――

 

 アレクサンドル・テオドール・デザミ(18081850年)は、フランス七月王政期に活躍した共産主義思想家であり、革命家である。文献の中で現れるほとんどの場合は、マルクスとの関連でである。それは、上に引用した『聖家族』におけるマルクスの評価によるところが大きいものと思われる。また、他の思想家との関連では、フーリエ(Ch. Fourier)との関連が、ローレンツ・シュタイン(Lorenz Stein)の『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』(Der Socialismus und Communismus des heutigen Frankreich)の第2版(1848年)以来指摘されている。デザミの思想的系譜は、彼の文章を子細に検討せずとも、主著のタイトルを見れば一見して明らかである。それは『共有制の法典』(Code de la communaute)と題されており、モレリ(Morelly)の『自然の法典』の影響下に書かれたことは明らかである。また、巻末に付けられた将来のコミュニティーの地図がフーリエのファランステールを下敷きにしていることも明らかである。

 この『共有制の法典』は、毎週日曜日に1折り(=1印刷用紙)=1 feuille ずつ配本されるという形をとって出版された。その理由は必ずしも明らかではないのだが、そういう配本形式をとったために、(デザミにとっては不本意だったと思われるが)興味深い現象が起きてしまった。それは、第一章「本書のプラン」で提示されたプランと、実際に出来上がった19折りの『共有制の法典』の目次=完成形との食い違いの発生である。おそらく我々は、この「プラン」があるおかげで、デザミの真意に近いところを理解できるものと思われる。その「プラン」は、次のようになっている。

 

 「基本法――分配法、コミューンの計画と組織、共同食事と共同労働――工業法と農業法――教育と教授に関する法――科学会議――衛生法――公安法――統一労働によって生じる驚異――産業軍――風土の回復。 政治法、共同集会――地方――国――人道会議。 過渡的体制――社会的・政治的移行――富の直接的共有制――ほとんどすべての人々を無私無欲にする方法――国境の外に300ないし400,000人の兵士を派遣させることを余儀なくされることなく反共産主義的政府のすべてを弱体化させ、打倒し、粉砕する確実な手段――闘争後少なくとも10年後の人民の漸進的・一般的解放――完全で人間主義的な共有制。」

 この「プラン」から、『共有制の法典』には3つの柱があり、第一に基本法、第二に政治論、そして第三に過渡期論、こうではなかったのかと推測されるのである。とりわけ、最後の過渡期論は、この「プラン」ではかなり詳細に説明されているにもかかわらず、実際の『共有制の法典』の過渡期論は10頁しかないのである。そして、全19章のうち、基本法論に属すると思われるものが第2章の「基本法」から第16章の「ルソーの誤りの真の原因」まで続くのである。量的に言っても質的に言っても、デザミの思想の基本性格は、基本法論を見て行けば明らかになるであろう。しかし、本稿はデザミの思想を検討するのが目的ではないから、「衛生法」や「公安法」といったより具体的な問題は扱わなくともよいであろう。

 

 (1) 人間科学

 

 デザミによれば、これまで、モラリストや哲学者たちは、社会、すなわち「不平等と独占、隷属と圧制という運命の円環」の中でどうどうめぐりをするだけで「政治的諸形態」にまでしか到達できなかった。しかしながら、社会の害悪をその根本原因において批判した人物が二人いる。デザミによれば、モレリとエルヴェシウスがその二人である。 それでは、モレリが批判したという社会の害悪の根本原因とは何か。それは所有権である。モレリは「この世における唯一の悪徳」として「貪欲」、「所有欲」を認める。しかしこの「唯一の悪徳」すら所有権の存在しないところには存在しえない。 デザミの根本思想は、第19章「若干の本源的真理」の中の11項目の諸命題から見ると、18世紀的な唯物論の系譜に属するものと思われる。その中で重要なのは、自然と人間(個別的存在者)との関係を次のように定式化している点であろう。 「すべての生きている存在は有機体である。自然は絶対的な有機体である。すべての  個別的存在者の生命は、自然の一般的有機体の発現であり、個別的存在者は、この有機体の中でしか存在しえないが故に、部分的な有機体、換言すれば、不完全な有機体である。」 このように人間を自然の一部とすれば、人間は、自然の法則、すなわち、「自然法(loi de la nature)」に支配されるものなのである。しかし、現存社会ではこの法則が撹乱され、破られている。それ故、取り戻すべき自然法を「探し、見付け、その後にそれらを公布すること」が「立法者」及びデザミの「任務」なのである。 その際にデザミが「確信の基準」とするのが「人間の科学」、すなわち「人間の欲求、能力、情念」の分析なのである。そして、ここから「社会組織の基礎」である幸福、自由、平等、友愛、統一、共有制が導き出されることになる。

 この「人間の科学」の基本的概念装置について、デザミは次のように述べている。 「人間は生まれてくるときには才能(talents)も悪徳も、そしてまた美徳も担ってはいないが、能力と欲求は持って生まれてくる。彼らの外界との関係は、彼らの欲求を活動の動機に変える。自己愛(l'amour de soi)は我々の全動機のアンサンブルである。これは情念の木の幹であり、情念はいわばその小枝にすぎない。そしてまた、その木は感覚の中に必要な根を持っている。」 ここでは、まず、人間に本来的あるいは内在的な質といったものはないとされ、情念についての当時の一般的な理解=モラリストたちによる理解が否定されている。人間には欲求、すなわち、自己保存のための「全動機のアンサンブル」としての「自己愛」とその実現のための「能力」が備わっているだけである。

 また、当然人間は外界に働きかけることによってしか、自分の欲求を満たすことはできないであろう。それゆえ、漠然とした「アンサンブル」にすぎない「自己愛」は具体的な「活動の動機」に転化されなければならない。そして、この動機こそがデザミの体系における「情念」なのである。なぜならば、「情念は活動の動機である」からである。 しかし、このようなメカニズムを通じて成立するのはエゴイズムであり、個々人を結び付け社会を調和させるどころか、社会を個々人へと分解させるのではなかろうか。しかし、デザミは次のように考える。  「人間たちは自分たちを必要とし、互いに絶対的に必要としている。そのようにして、自然は我々の自尊心(amour-propre)を明白な犠牲や相互の好意にたいして準備したのである。」 デザミによれば、社会が共有制へと向かう力はそれだけではない。それでは何が人間たちを互いに必要とさせあうのか。それはまず第一に、「同じ種類の動物を互いにむすびつける共感の情(sentiment sympathique)」である。そして第二に、「我々の欲求は、常に、何らかの理由で、我々の個人的力の限界を越えているということを我々に教える」ということである。「この個人的力の限界から、愛と計算によって、人間は人間と同一化しながら、各人は、すべてのものに対する意識を形成するために、自己の記憶をなくしたように見え、自分の個人的な幸福にいたるために、常に、公益をめざすという結果が生じるのである」。 このようなデザミの「人間科学」とそこから導き出される自然状態論は、モレリの影響を直接受けていると言えるであろう。すなわち、自然状態において、人間は欲求と能力は持っているものの、個人の能力は自分の全欲求を満たすには及ばず、理性に補完されつつ、諸個人は調和するものと考えられているのである。  欲求と能力、そして個人の能力の限界=他者への依存というメカニズムから導出された社会性は《自己と他者》(《Soi et Autrui》)と表現される。この《自己と他者》という定式が意味するものは、献身とエゴイズムという両極端へのの批判である。

 

 (2) 社会の基本法――平等――

 

 前項で見たように、デザミにおいて、社会はそれ自体として調和的に成立しうるものなのである。しかし、これだけでは不十分である。モレリが提起した「人間がもはや退廃することも哀れな状態になることもない状態を探しだす」という問題は平等が実現されることによって満たされるのである。平等の実現は可能なことである。なぜならば。平等は「最大の宇宙から最小の虫にいたるまで、すべてのものを支配する調和であり、均衡である」からであり、現存社会はこの本来の調和と均衡が破られた状態であるからである。この平等こそが、デザミの共産主義体系の中で最も重要な意味をもつ基本法であると言ってもよいかもしれない。

 そして、この平等論について、とりわけデザミはモレリから直接的な大きい影響を受けている。デザミはモレリから次のように引用している。

  

 「宇宙の法則は――とモレリは言う――人間には何ら連帯的に見えるものではない。耕地はそれを耕す人のものではなく、木はそれから果実を摘む人のものではない。彼は自分の職業に関してさえ、自分が使用する部分しか使用しない。残りは人類のものである。」

 「世界は――と彼は言い加える――会食者たちのために十分に用意された食卓のように考えられるべきである。その料理は、ある時は皆が空腹である故に皆のものであり、ある時はある人々が満腹であるが故に他の人々のものである。」

 

 このように言いうる根拠は何か。それは「あらゆる生産は労働に根拠を置いている」ということであり、「それ故、社会的な諸生産物を使用する人々は労働に参加するべきである」ということになる。

 この共有の状態を取り戻すために人間は「自然法に従い、アソシアシオンの原則をすべて実現するために、我々が述べるように、まず、土地とあらゆる生産物を大きなそして唯一の社会領域にしなければならない」。

 平等論は、マルクスの『ゴータ綱領批判』にも現れているように、ひとつの究極が分配の平等である。デザミによれば、分配の方法には次の四つ、私有財産制、サン・シモン主義の分配原理、絶対的平等、比例的平等があるという。第一の私有財産制の分配方法については改めて論じる必要はない。第二のサン・シモン主義の分配原理というのは《各人にはその能力に応じて、各能力にはその仕事に応じて》という標語で広く知られているものであり、能力に応じて仕事を分配し、その仕事量に応じて(消費財の)分配量が決定されるというものである。要するに、これは能力と仕事量を基準とする平等である。デザミはこれを「ほとんど私有財産制と同じ結果に帰着する能力の貴族制を主義としている」と批判している。

 これらに対して、第三の絶対的平等というのは、当時一般に「共産主義」と言った場合にイメージされたものであり、デザミによれば、「兵士や病院の貧民、囚人に食糧を一定量給与するような仕方で、市民に食糧を一定量供給しようとするおろかでみすぼらしい平等」と批判されるべきものである。

 それでは第四の比例的平等とはどのようなものであろうか。この分配方法こそデザミが主張するものであり、いわば真の共産主義的平等である。ここでもやはりデザミはモレリの文章を引用する。

 

 「自分の力、知性、欲求、特殊な才能に応じて共同労働に参加しなさい、そして全欲求の総計に応じて共同の富と共同の享楽を受け取りなさい。」

ここで殊更に「全欲求の総計に応じて」とされていることの意味に詮索の余地があるのかどうか、筆者にも判断がつきかねているところではある。しかし、「空腹の程度に応じて食べ、渇きに応じて飲む」という明確な欲求による平等の「原理」が示されていることからすると、モレリ=デザミ流の平等は、各人の様々な欲求が、それぞれの水準で満たされるというところにあると見て間違いないのではなかろうか。

しかし、このよな分配論は、「絶対的平等」と同様に、あるいはそれ以上にサン・シモン主義者から批判されるであろう。その上デザミはモレリからの上の引用文に対して次のように批判するのである。

 

  「しかしながら、ここには力、能力、そして素質にかかわる自然的不平等に関しての、また、反共産主義者に言わせれば、常に労働を苦しい疲労、堪えられない束縛とみなす人間の情念や内的悪徳に関しての低級な詭弁、永遠のそして圧倒的な美辞麗句があらわされている。」

 

 デザミの共有制においても「各人が自分の力に応じて〔……〕労働する」ことに変わりはない。しかし、唯物論的観点からすれば能力や才能の不平等は、社会的不平等の結果でこそあってその原因ではない。また能力、才能の不平等は必ずしもそれ自体「不平等」ではなく、「分け前」の不平等にも結び付かない。つまりそれは「不平等」ではなくむしろ「多様性」である。

 更に上の引用からすると、共有制が実現すれば、もはや労働は「苦しい疲労、堪えられない束縛」であることをやめる、とデザミは考えていると見るべきである。ここで直接その名が出ていないにせよ、フーリエの影響であるということはありうることである。それ故、いかなる形であれ「労働に参加しなさい」という命令は必要ないのである。

かくして、「比例的平等」の実現の可否は、労働と分配との間の量的関係を完全に断ち切れる否かにかかっているということになるであろう。

 

 

 Ⅲ オーエンとデザミ――唯物論的教育論――

 

 以上がデザミの共産主義思想の根本的な概念装置である。それを見た上で、さらにここで『聖家族』を振り返ってみよう。

 マルクスは言う、「ホッブズはベーコンを体系化したが、しかし知識と観念の起源が感性的世界にあるというベーコンの根本原理を、それ以上くわしく基礎づけることをしなかった」。

 ロックに先立って、「イギリスの唯物論と近代の実験科学全体の先祖はベーコンである」。そして、その「根本原理」は「知識と観念の起源が感性的世界にある」ということなのである。そうしてみると、デザミの「彼らの外界との関係は、彼らの欲求を活動の動機に変える」、そして「全動機のアンサンブル」、「情念」の「木は感覚の中に必要な根を持っている」という基本的概念装置は、正統にイギリス唯物論の系譜を引いていると言ってよいであろう。

 さらに、マルクスによれば、「ロックの直接の弟子で、そのフランス語への通訳者であるコンディヤック」は「彼の著書『人知の起源にかんする試論』のなかで、彼はロックの思想をしあげた」。すなわち、「精神ばかりではなく感覚も、観念をつくる術ばかりでなく、感覚的知覚の術も、すべて経験と習慣のすることであるということを証明した。だから人間のすべての発展は、その教育と外部事情とに依存している」。この「経験と習慣」という点では、デザミはコンディヤックの唯物論に及ばないと見てよいのではなかろうか。

 他方、ここで、おそらく誰もの目を引くのは「教育」という点であろう。ここで我々は明確にオウエンへと導かれることになる。実際、エンゲルスは『反デューリング論』の中で、「ロバート・オーエンは、人間の性格は一方では生まれつきの体質の産物であるが、他方ではその一生のあいだ、ことに発育期にこの人間をとりまく環境の産物である、という唯物論的啓蒙思想家の学説を身につけていた」とも述べている(強調は引用者)。

 言うまでもなく、オウエンの思想の根本概念は教育=性格形成論である。オウエンの根本命題=性格形成原理は次のようなものであり、それは生涯を通じて基本的には変わらなかったものと思われる。

 

 「どのような一般的性格でも――最善の性格から最悪の性格まで、最も無知な性格から最も啓蒙された性格まで――どんな社会にも、世界全体にさえも、適切な手段を用いることによって与えることができる。そしてこの手段は、そのほとんどが、世事に影響力をもっている人たちの支配、統制下にある。」

 

 この後半のセンテンスが、オウエンをユートピアンならしめるものではあるが、前半部分は、明らかに、広く環境決定論と呼ばれるものであることは確かであろう。マルクスは、「オーエンはベンサムの体系から出発し」たと述べているが、我々は、さらにさかのぼって、オウエンがロックの「 」の正統なる継承者であると見てよいであろう。これもまた、デザミの場合と同様、上に見たマルクスの論述するところのロック(あるいはベーコン)に始まる唯物論の系譜に、オウエンもまた間違いなく属するということを示すものであろう。

 それでは、マルクスが『聖家族』の中で「デザミ、ゲーなどは、オーエンのように、唯物論の教説を、現実的人間主義の教説として、また共産主義の論理的基礎として発展させている」(下線の強調は引用者によるもの)と述べているものは教育なのであろうか。

 残念ながら、現在の筆者には、その答えはさらなる考察の後にならなければ見いだせない。しかし、確かに、デザミの『共有制の法典』の第10章は「教育」である。また第8章の「哲学」は、要して言えば、万人が哲学すべきであり、また、万人が哲学しうる。そうすることによって、どの個人も統治を担いうる存在になり、真の民主制が実現するという脈絡にある。第15章「科学と芸術」ではその意義が述べられ、続く第16章では学問と芸術を否定したルソーを「弁護」し、「ルソーの誤りの真の原因」と題されている。確かに、デザミの共産主義思想体系の中で教育は大きな意義を持つものであることは確実そうである。しかし、やはり、別個の考察が必要である。

 さらに、デザミの場合、教育が果たす働きはオーソドックスに啓蒙であり、理性の光を曇りなきものにするというところに主眼があったように見える。オウエンのような性格形成論であったであろうか。しかし、他方、あまりに類似していて目を疑うような記述もある。例えば、次の箇所である。

 

 「かれら(子供たち――引用者)は、同じ食卓で食事をし、同じ衣服を着け、同じ娯楽を楽しみ、同じ教育を受け、あらゆる点で度をはずさない親切な取り扱いを受けるであろう。――かれらの若い精神に反社会的思想をいささかもかき立て、また、各人の幸福は全体の幸福のうちにはないという考えに、おそらくかれらを導くことになるような環境は、かれらの周囲には存在しないであろう。」

 

 これに対して、デザミは『共有制の法典』第4章「共同食事」(Repas communs)で次のように述べている。

 

「私は公共の生活のすべての細部に立ち入りはしない。単独の食事を叙述することで、人々が食事の共有制の思想を持ち、その巨大な利益を賞賛するには十分であるように思われる。

 共同食事の原則的な目的は、平等な人々の中で、友愛の感情を発達させ、保持することにあるので、私は、できるなら広く、単一で美しい食堂しか存在しないよう主張する。この部屋は、全体が小さな区画の翼のひとつを占めており、取り外しができ、溝の付いた美しい仕切によって互いに分離されたいくつかのコンパートメントに分割することができるであろう。普通の日には、これらの仕切は倒されたままであるが、祝日には我が一万市民が同時に人類の幸福と共同の祖国の永続に乾杯できるように、この祝祭がまるで劇場でおこなわれるように、すべての仕切は魔法のように消えてしまう!!! 可能であれば他の人々がもっとまばゆく盛大な祝祭を考え出す。私としては、いかなる光景も平等な市民、かくして再生の時代を確立した同胞の様子以上に快く荘厳に見えるものはないことを認める。しかし、私は、追って、公共の祝祭について述べるであろうから、普通の食事に話を戻そう。

 

 共同の晩餐は、私がすでに述べた、ひじょうに優美に飾り付けられ、完全に換気され、必要に応じて照明され暖房される十のひじょうに美しい部屋に分けられるすべてのコンパートメントで同じ時間に行われる。千人の会食者たちはこれらの部屋の各所で毎日の宴会に参加する。人々は共同の食卓の豊富さの中に最も衛生的でおいしい料理を見るが、共和国に対して極端な豊富や再生した市民にふさわしくないシバリス人風の生活として批判されることはない。

 食事の間、上品で心地よい音楽が時折耳を魅了し、心を高揚させる。そして、ほかにも、私が数え上げないだけで、楽しみはたくさんある! 共同体は優しい母のごとく、愛すべき子供たちにかなえてやるべき願いをなんら残しておかないように、他の所と同様に、ここでもあらゆる手段を尽くしたと言えば十分であろう。」

 

 デザミは「すべての食事が共同で行われるということを本質的な準則とみなしている」のである。そして、その「原則的な目的」は「平等な人々の間で」さらに「友愛の感情を発達させ、保持することにある」。当然、その目的は子供たちに対しても同様なのである。

 この「共同食事」の思想は、オウエンやデザミに固有のものではなく、古くはプラトン、そしてカンパネッラ、トマス・モア、フーリエにも見られるものである。《共同食事の思想史》もまたひとつの大仕事であるが、ひとまず、プラトンが私的利害の排除、カンパネッラとトマス・モアが秩序あるいは教育を柱とし、フーリエが節約を全面に出すのを受けて、デザミはこれらの集大成と位置づけることはできそうである。オウエンの場合は明らかであろう。教育である。それでは、カンパネッラやトマス・モアとの違いは? 唯物論的な方法の違いだけであろうか?

 

 むすびにかえて

 

 マルクスが『聖家族』においてデザミを「オーエンのように」と述べたところから始まった考察は、ひとまずここまでとする。得られた暫定的結論は、二人を結ぶ環は教育、しかも唯物論的教育思想であるかもしれないということであった。筆者にとってオウエンそのものをさらに読み込むことが第一の課題ではあるが、そのほかにも、いくつもの課題が取り出され、そして残された。『聖家族』中のマルクスの唯物論史を後づける作業もまだ残されている。本題に引き戻せば、「オーエンはベンサムの体系から出発し」と言えるのかどうか。そして、マルクス自身の強調にそくして読んだ場合、「デザミ、ゲーなどは、オーエンのように、唯物論の教説を、現実的人間主義の教説として、また共産主義の論理的基礎として発展させている」という叙述の意味するところは一体何であるのか。そして、デザミの体系における教育論は、子細には如何なるものなのか。いずれにせよ、本稿での《オウエン=デザミ=唯物論的教育思想》というのは、あくまでもささやかな考察の末のひとつの暫定的な結論にすぎない。今後も丹念に取り組んでゆかなければならない問題である。

 

2002年1月22日脱稿)

2002617日改稿)