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モンゴル帝国・金国・西夏・ホラズム
- 1 :イエスゲイ:02/09/14 18:51
- モンゴル帝国について語りましょう。
横山光輝の「モンゴル帝国」読んだ人いる?
- 2 :世界@名無史さん:02/09/14 20:10
- 222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222
- 3 :世界@名無史さん:02/09/14 20:11
- ミミミミミミミミ3
- 4 :世界@名無史さん:02/09/14 21:15
- モンゴル帝国ほどいつ滅んだか曖昧な歴史上の国家も珍しいよな。
- 5 :世界@名無史さん:02/09/14 21:18
- >4
①宗主国たる元朝が北方に逃れたとき
②北元のクビライ家が断絶したとき
③「元朝」の主権が清朝に譲られたとき
④クリミア汗国の滅亡
・・・いつにしようか?
- 6 :世界@名無史さん:02/09/14 21:20
- >5
元朝の主権は清朝に、
ジュチウルスの主権はロシア帝国に引き継がれてるから
20世紀初めまでモンゴル帝国は存続してたとも考えられるな。
- 7 :世界@名無史さん:02/09/14 21:23
- 清朝やロシア帝国がモンゴル帝国の一形態と考えるのは
無理があるのでは?清やロシアの皇族は父系ではチンギス=カンの
血を引いていない。(母系では引いてるけど北方アジアでは母系の血は
神聖視されない)
- 8 :世界@名無史さん:02/09/14 21:26
- >6
清朝の主権は中華民国に、
ロシア帝国の主権はソビエト連邦→ロシア共和国に
引き継がれてるので現在でもモンゴル帝国は存続してます。(藁
- 9 :世界@名無史さん:02/09/14 21:30
- 中央アジアにあったチンギスカンの血を引く小国家はモンゴル帝国って言えるの?
- 10 :世界@名無史さん:02/09/14 21:39
- ヒヴァ汗国やボハラ汗国が20世紀まで存続してるけど
そんなのがモンゴル帝国の汗国と認められるかどうかかな。
- 11 :世界@名無史さん:02/09/14 21:40
- 講談社現代新書
杉山正明著「モンゴル帝国の興亡」(上・下)
を読もう。
- 12 :世界@名無史さん:02/09/14 21:45
- >10
ヒヴァやボハラの君主の血は割合早くチンギス家の血は絶えてて
マンギト家なんかの血筋に移行している。
- 13 :世界@名無史さん:02/09/15 01:02
- チンギス家の君主が君臨した最後の独立国はクリミアになるの?
ブハラのジャーン朝の消滅はいつだっけ?
- 14 :世界@名無史さん:02/09/15 01:04
- ジャーン朝がマンギト朝にとってかわられるのは実質的には1756年
- 15 :世界@名無史さん:02/09/15 01:30
- その理屈で行くとティムール帝国もモンゴル帝国の一部になるなぁ。
子孫だったと自称してるし、かなり純度が高い。
- 16 :13:02/09/15 01:45
- >>14
じゃあ、クリミア・ハン国滅亡(1783年)より先か…。
>>15
チンギス・ハンの子孫じゃあないけどね。
ティムール朝の真正の子孫、ムガル朝をモンゴル帝国に入れれば
19世紀まで続いてたことにはなるか。
- 17 :世界@名無史さん:02/09/23 13:04
- 金朝の始祖説話について、詳しい方いませんか?
研究情報などキボーン。
- 18 :世界@名無史さん:02/09/25 00:53
- 【歴史】元寇船は全長40mの大型船~長崎・神崎港沖から隔壁板
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1032878239/
- 19 :世界@名無史さん:02/09/25 21:18
- そうそう!
フワーリズムって“アフラ・マズダ”が語源だそうだよ。
- 20 :世界@名無史さん:02/09/26 22:31
- クリミア・ハンのハーンはキプチャクハンだから後継としてはかなり近くて長生きだね。
ロシアがキプチャクハンの後継というのはクリミアの併合からきている。
- 21 :世界@名無史さん:02/09/26 22:49
- >>20
ロシア語でビザンツ皇帝とキプチャクのハンを意味していたツァーリの称号を
モスクワ大公が公に名乗るようになったのは
カザン・ハン国の征服から。
- 22 :テムジン:02/09/26 22:54
- イスラム狂に改宗するような者は
もはやモンゴル人ではない!
彼奴らはただのトルコ人である!!
- 23 :世界@名無史さん:02/09/27 00:00
- 岡田英弘の「将に将たる戦略~」って
朝日文庫にはいったヤツと一緒?
- 24 :世界@名無史さん:02/09/27 11:55
- 中世と呼ばれてる時代はモンゴル以前と以降で分けた方がいいよな。
ハン国からティムールと北元になって、オスマンやムガールや清朝まで
中世以降の世界史はモンゴル基準に時代区分できるくらいだ。
- 25 :世界@名無史さん:02/09/27 19:07
- ここは岡田厨と杉山厨とどっちが多いの?
- 26 :世界@名無史さん:02/10/12 10:47
- 最近は金をジュシェン、西夏をタングートというのが流行りなの?
- 27 :弁髪ベンベン:02/10/12 13:54
- トルコ系の諸部族は昔から結髪といいますか辮髪の習俗があったそうです。
7世紀、玄奘三蔵がインドに行く途中パミール越えの道中の援助にを求め、
西突厥の統葉護可汗に会見しています。
その時可汗は長さ十丈、3メートル程の弁髪を背後に垂らしていたそうです。
モンゴル高原を中心に突厥時代からの石人像が遺跡として、北アジア各地に点在していますが、
これらの石像にはかなり長いお下げを幾つも下げた男性像があったりします。
- 28 :世界@名無史さん:02/10/12 13:56
- いや、
金の支配集団がジュシェン系で、
西夏の支配集団がタングート系という意味ではないかと。
- 29 :弁髪ベンベン:02/10/12 13:58
- 一方、西アジアでは11世紀オグズ系テュルク族のセルジューク朝が、イスラム世界の覇権を握りますが、
この時代の写本や陶器の絵画資料に、両方のうなじから腿のあたりまで髪を垂らした人物像が
多く見られます。これが当時のテュルク系の弁髪だったようです。
ちなみに昨年の大河ドラマ「北条時宗」モンゴル皇帝クビライが、首筋からお下げを結って
根本で縛った髪型をしていました。これはイランのモンゴル時代からティムール朝にかけての
歴史書などの絵画資料で、モンゴル族など王朝の支配層の風俗を参考にしたものです。
見た目、真っ黒ででっかい団子が両肩に二つ乗っかっている感じで、日本のみずらを彷彿とさせます(笑
ただほぼ同時代のイスラム側の資料では皆帽子を被っているので、実際には中がどうなっているかは分かりません。
また、契丹では頭頂部を剃ってこめかみから髪を垂らした貴人の画像が残されています。
- 30 :弁髪ベンベン:02/10/12 14:14
- しかし、大河ドラマ「北条時宗」に出ていた、モンゴル皇帝クビライの髪型ですが、あれは史実と違います。
お馬さんを彷彿とさせるかのように前髪をパラリと垂らしていた点や、首筋からお下げを結って・・・
・・・等々は、よしとしたいのですが、頭は「開剃」といって、日本の月代(さかやき)のように
大きく剃りあげていたはずです。
たしかに現存の肖像画等は、帽子を被っているものが多いのでイメージとして掴みづらいのですが、
契丹の、頭頂部を剃ってこめかみから髪を垂らした・・・というそれが近いと思います。
ただし、大きく剃りあげて島型に残した部分の僅かな前髪だけ額にパラリで、
それ以外に剃らずに残った、側頭部~後頭部髪はすべて、何本かの辮髪お下げにして垂らすという、
まったくもって、清朝の辮髪以上に超爆笑ものの髪型だったようです。
当然、役とはいえ、いくら何でもまさかそんな髪型が現代社会の我々にできるわけがありません。
ですから、大河ドラマ「北条時宗」のモンゴル皇帝クビライの、あの髪型は、あの場かぎりの
「苦肉の作(笑)」だったのでしょう。
むしろ、大河ドラマ「北条時宗」のあの髪型は、案外はるか昔の「匈奴」のものに近いのかもしれません。
といっても、根拠のない憶測による想像でしかないのですが・・・。
- 31 :アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/12 14:34
- >>30
大河ドラマの衣装にいちゃもんつけても何をいまさらと言う気がしますが。
なにしろ、江戸城の大奥で夏に紗の単の打ち掛けきてるんだもの。
打ち掛けは夏は着ないとどの記録読んでも書いてあるのにね。
- 32 :27&29:02/10/12 14:50
- >>31
モンゴルの弁髪について詳しく記録したのは、
ローマから派遣されたプラノ・カルピニのジョン修道士や
ルブルックのギョーム修道士と言った西欧の人達だったりしますが、
そこら辺は許容しても良いのかもしれません。あまりよく分かんない書き方してたり、
皇帝クビライの弟、イル汗フレグの肖像も完璧にスキンヘッドだったりしますから(笑
ただ問題はクビライが誕生日の時だかに金製の大きな王冠を付けてた事でしょうか。
あれは当時の画像資料的に依ってますが、あそこまで大きくしなくても良かった気がします。
あと廷臣達の服装がショボかったり、ペルシア語が全然出てこなかったのは
大いに不満です!
ちなみにクビライもフレグも、ペルシア語、アラビア語が出来ます。
- 33 :世界@名無史さん:02/10/20 20:48
- >ちなみにクビライもフレグも、ペルシア語、アラビア語が出来ます。
クビライは漢文はできたの?
- 34 :世界@名無史さん:02/10/22 13:10
- >>33
クビライやフレグが、ペルシア語やアラビア語が出来たと書いたのは、
『ターリヒ・グジーダ』というペルシア語の史書に、彼らの兄、
皇帝モンケ以下、兄弟、従兄弟、同年代のモンゴルの王族諸子が、
イフティハールッディーンという人物から初等教育を受けていたという記述に
基づいたものです。
そこで彼らはペルシア語やアラビア語などの基礎を学んだようです。
この記述からではクビライが漢文(あるいは中国語:ヒターイー)を読み書き
できたかは解りません。
『集史』「クビライ汗紀」を調べればなにかあるかも知れません。
もっとも、モンゴルの王族は支配地域の言語はいくつかマスターしてるのが
普通だったようなので、クビライが漢文の読み書きぐらい出来た可能性は
十分あるとは思います。
- 35 :世界@名無史さん:02/10/22 13:14
- 「クビライ罕紀」の間違いでした。
- 36 :蒙古弁髪の話に笑ったYO:02/10/22 20:17
- >>34
たしかに多彩なフビライのことだから「漢文ぐらいできた可能性はある」との主張も理解はできます。
が、私にはイマイチそうは思えません。モンゴル人は漢文などできないというよりもほとんど無視していたのではないのでしょうか?
つまりは大ハーンにとって漢文などできようができまいが、どうでもいい言語というのが実際の在り様だったようにも思えます。
儒学者は徹底的に貶められ、漢詩漢文など大出世のためにはそれほど役には立つこともなかった時代のはずでしたから。
実際、マルコポーロが現実に使っていたのはウイグル語のような言語がほとんどで、マルコもフビライも中国語がどれほどできたかは
ちょっと怪しいものがあります。「フビライに限らずマルコポーロも漢文・中国語ができなかった」可能性のほうが、むしろ高いのでは?
- 37 :世界@名無史さん:02/10/23 20:15
- ○ハンバリク △大都
○ダヤンハン △大元皇帝
- 38 :世界@名無史さん:02/10/29 23:43
-
- 39 :世界@名無史さん:02/10/30 00:03
- 在日がいろいろ人種工作やってるけど、真相はかなり違う。
大雑把に、
頭示数が、韓国人は短頭~過短頭、日本人は中頭~短頭。
鼻示数が、韓国人は中鼻、日本人は広鼻~中鼻。
二重の出現率が、韓国人は約2割、日本人が約5割。
一般的に韓国人の顔は、ツリ目が多く、鼻は低く目立たず、彫りが浅い。
頭は絶壁傾向が強く、その分頬骨が高い。体毛が薄いのに比例して
眉毛や髭などが薄い。全体的に見て平坦な印象。形態もさる事ながら、
中国人ほどではないが遺伝子の方もかなり違う事から考えれば、
日本人と韓国人は人種的には近いが異人種であると言う事ができる。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
- 40 :世界@名無史さん:02/10/30 02:24
- カラキタイ(西遼)って遊牧国家?中華帝国型?
キタイって中国って意味だけどだとしたら歴史上いちばん西の中国だな。
- 41 :世界@名無史さん:02/10/30 07:41
- 遊牧国家だよ。王宮は季節移動してた。
- 42 :世界@名無史さん:02/10/30 11:55
- キタイはロシア人が契丹(遼・西遼)のことを呼んでた名前です。
- 43 :世界@名無史さん:02/10/30 13:13
- サンカの先祖が契丹って説はマジ?
- 44 :世界@名無史さん:02/10/30 13:55
- >>42
契丹というか華北というか北中国をヒターイー/キタイkhitaayiと呼んだのは
イラン以東のイスラーム教徒たちです。
専門外で詳細は存じませんが、後代にロシア人がキタイと呼んだのはその影響でしょう。
キタンとキタイの言語学上の問題は森本孝夫先生が取り上げてましたな。
- 45 :世界@名無史さん:02/10/31 00:02
- >>43
サンカってなんすか?
カラキタイは難しそうだよね。
使えそうな史料ってペルシア語だっけ。
- 46 :世界@名無史さん:02/10/31 00:13
- ペルシア語史料にもロクに記載はないと思われ。
しかも有名さに比して以外に短命な王朝(三代80年)だったりする。
- 47 :世界@名無史さん:02/10/31 01:21
- >45
この辺でも参考にしてください
ttp://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/988420242/
- 48 :世界@名無史さん:02/10/31 01:41
- 遼とあわせたら300年続いてるな
それにしてもカラキタイの建国の経緯ってムガル帝国のそれとなんか似てますね。
遼滅亡→皇族の一人ヤリツ大石が逃亡→西進して西域のカラハン朝を滅ぼし跡地に建国
ティムール帝国滅亡→皇族の一人バーブルが逃亡→東進してインドのスール朝を滅ぼし跡地に建国
- 49 :世界@名無史さん:02/10/31 10:36
- 東西トルキスタンひとつながりでしかも仏教国ってのは珍しくないか?
- 50 :世界@名無史さん:02/10/31 11:28
- 先行するカラハン朝と後続するチャガタイ・ハン国も東西ひとつながりですよ。
- 51 :世界@名無史さん:02/10/31 21:25
- >>44
× 森本
○ 森安
- 52 :世界@名無史さん:02/11/01 08:12
- カラキタイというのはイスラム教徒が勝手にそう呼んだだけ、
本人たちの自称の正式名称は漢字で「大遼国」。(西遼は通称)
イスラム教徒はなぜか西遼もモンゴルにあった頃の遼も一般の契丹人のことも
全般的にカラキタイと呼んで区別してないので、
なにも西遼だけをカラキタイといったわけではない
- 53 :世界@名無史さん:02/11/01 09:50
- >>52
大契丹国ではない?
- 54 :52:02/11/01 15:03
- モンゴルにあった方の(西遼でない方の)国は
一時的に「大遼国」だった時期もあるけど
どっちかっていうと「大契丹国」の時期の方が長かったね
(西遼は西に遷ってから漢風文化に寛容になったのかな?)
- 55 :世界@名無史さん:02/11/01 15:47
- カラキタイって、黒い中国って意味になるよね。板・スレ違いだけど・・・。
- 56 :世界@名無史さん:02/11/01 16:02
- >>44
ご指摘どうも。よく間違えます、ゴメンナサイ
- 57 :世界@名無史さん:02/11/01 16:19
- 「カラキタイ」という言葉は、カラハン朝下などのテュルク系のイスラム教徒たちが
記録した語彙です。ただ彼らの使っていた契丹文字の解読がまだまだ途上ですので、
彼らが自分たちの政体を母語で何と呼んでいたかは、厳密には不明のようです。
キタイと遼朝の問題ですが、この種のことは良くあることです。
例えば、元来アナトリアの西部を指した“アシア”が東方に順次拡大して現在のアジアに」なりましたし、
ウイグル語文献で北魏をさした“タブガチュ”がそのまま華北一帯から中国全体をさしたりするようにもなったりします。
>>52
モンゴル時代前後でも以降でも、
“カラ・ヒターイー”は王朝名であって、地名としての“ヒターイー”とは
区別されていたはずですが?
- 58 :世界@名無史さん:02/11/04 23:23
- 1)国号(王朝名)2)一般の契丹人 3)地名(北中国)
で三つあるってことではないの?
- 59 :世界@名無史さん:02/11/05 13:44
- 近世のイスラム圏や中国圏の大帝国て国号と民族名と地名がごっちゃになってて
混乱するケースが多々有るね。
このへんも西欧中心の世界史教育?の弊害かもしれん。
- 60 :PURE-GOLD:02/11/05 14:12
- 総合芸術情報サイト
http://www.pure-gold.jp/koten
- 61 :世界@名無史さん:02/11/19 07:53
- age
- 62 :世界@名無史さん:02/11/29 13:52
- カラ期待age
- 63 :世界@名無史さん:02/11/29 13:55
- もともとローマ帝国などの西方では、中国北部のことをセリカ、中国南部
のことをシナエ、と呼んでいたが後世ではシナエが中国全体の呼称となった。
- 64 :世界@名無史さん:02/12/07 13:33
- >>37
すごい遅レスだけど・・・
『集史』には
「ハンバリク」x'n-b'lyG:ハーン・バーリーグも
「大都」d'ydw:ダーイドゥーも
両方、併記されてる。
「ハーン・バーリーグ」は多分テュルク語。
もしかするとウイグル語あたりが起源の「王都」と言う意味の普通名詞である可能性有り。
つまり「王都」=帝都=首都と考えることができる。
この「王都」の名前が「大都」ということらしい。
「カーアーン・バーリーグ」:“(モンゴル)皇帝の都”とはしてないところが重要かも。
- 65 :世界@名無史さん:02/12/07 13:41
- >63
「セリカ」って何が語源なんやろ
- 66 :世界@名無史さん:02/12/07 14:29
- >>65
絹の国、とかそういう意味だったと思うが
- 67 : :02/12/07 16:09
- >>65
ギリシャ語Ση'ρ(Ser)から。意味は>>66の言う通りギリシャ人が
絹を得ていたと言われる古代インドの民族。英語ではSeres。ストラ
ボンに出て来るらしい。
- 68 :世界@名無史さん:02/12/07 16:59
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- 69 :世界@名無史さん:02/12/21 08:33
- age
- 70 :世界@名無史さん:02/12/21 13:14
- セリカ=月氏
- 71 :名無しさん:03/01/04 02:18
- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ | 君さぁ こんなスレッド立てるから |
( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
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/つつ | いないんだからさっさと回線切って首吊れ |
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- 72 :岡田厨:03/01/10 11:49
- 金朝支配下の河北では宋以来の中国人は絶滅しますた
- 73 :山崎渉:03/01/11 12:51
- (^^)
- 74 :世界@名無史さん:03/01/22 10:07
- age
- 75 :世界@名無史さん:03/01/25 21:27
- >>36
本題じゃないんだけど、
フビライタンの漢人ブレーンって儒者じゃないの?
元って実務能力のある奴を雇う方式だと思ってたけど。
詩しかできんようなやつは確かにイランし。
貶められたっていうのは言い過ぎに思えますが。
- 76 :世界@名無史さん:03/01/29 03:14
- 儒者の定義によるんじゃないですか?
儒者であろうがなかろうが中国で知識人であるためには
漢文に熟達してないとそもそも知識階層になれない。
で、その漢文を習うためのテキストは儒教の経典なわけで・・・
かりに儒教の経典に精通してる者を儒者というなら、そりゃ全員儒者なわけで・・・
- 77 :ダヤンハン:03/02/10 22:11
- >>75 漢人のブレーンがいたというのはどうかな?耶立大石のように漢文化に理解のある
非漢人なら、ブレーンとしてはいただろうが、それとても漢文化が優位に立つような政策が
大ハーンによって採られたことは、あの時代においては断じてない。唯一挙げるとすれば、
中国人が、せいぜい稲作農耕民族としてのみ、なんとかその命脈を保てたことぐらいだ。
もしそれすらも無視されていたとしたら、あの大陸全体がまるまる、羊が群れる大草原に
されてしまっていただろうことは想像に難くない。はっきり言おう。
76氏のいうとおり、いわゆる中国の伝統的な知識人とは漢字漢文に熟達した儒学者、
ということに尽きる。そのような文化が顧みられなかった、モンゴル・タタールの支配下
においては現実には、ウイグル語やペルシャ語がリンガフランカとして幅広く通用して
いたのであり、西方的な文化が圧倒的な優位を占めていたのである。
いわゆる伝統的な中華文明が貶められていたというのは、決して言い過ぎではなく
現実の出来事だったのだ。実際に中国人自身が伝統的な姓を捨て、モンゴル風や、
ウイグル風の苗字を名乗ったり、自ら進んで胡服を着用し、頭も蒙古風の開剃辮髪に
したりという者さえ出現していたという記録さえあるというぐらいだ。
結局は、明代になって旧態に復帰したのだが・・・。
- 78 :世界@名無史さん:03/02/13 09:29
- >耶立大石
耶律楚材?
フビライのブレーンの劉秉忠、許衡、姚枢あたりは漢人でんがな。
それに1315年からは科挙も実施されている。
ここまで書いて気付いた。フビライ以降の元朝期はスレ違いなのね。失礼。
- 79 :36:03/02/25 23:20
- >>77 78指摘のとおり、耶律楚材ですね。何か混同していませんか?
>>78 スレ違いとまでは断言しませんが、少なくともフビライの時代まではあくまでもモンゴル人たらんとする
気風・姿勢が圧倒的でした。名前を挙げたブレーンもあくまでも漢人支配のために必要なクッションであって
漢文化尊重という意図からではなく、むしろかれら優遇されたという漢人自体がまた同時に、イスラムに改宗していたり、
ウイグル語やペルシャ語を多少なりとも操れるなど、支配者側の文化に一定の理解があったからという要素も考慮されて
しかるべきでしょう。 そうであることでやっと漢人も色目人らと同等にランクされるようになれたのです。
とはいえ、フビライ死後の中国化となると、また話しは別です。だから冗談ではなく、フビライ以降の元朝期は
そのような意味ではそれ以前と区別して見てみるというのも、ある意味当たっているのではありませんか?
- 80 :世界@名無史さん:03/03/03 21:58
- キプチャク・ハン国を再統一したトクタミシュって馬鹿なの?
ティムール帝国とは関係も良かったのに自滅に走る行為でティムール軍を
招き入れて大敗してんじゃん。
やっぱ馬鹿じゃん。
ティムールの後ろ立てを利用してヨーロッパを攻めれば良かったのに。
- 81 :山崎渉:03/03/13 13:25
- (^^)
- 82 :世界@名無史さん:03/03/18 08:32
- age
- 83 :世界@名無史さん:03/03/29 09:16
- age
- 84 :世界@名無史さん:03/04/10 08:54
- age
- 85 :世界@名無史さん:03/04/10 11:02
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- 86 :山崎渉:03/04/17 09:36
- (^^)
- 87 :山崎渉:03/04/20 04:58
- ∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
- 88 :ぐぐってもダメポですた:03/04/25 01:28
- ホラズム・フワーリズムについて詳しい本ってないですかね?
ちょっと、探してるもんで。
できれば、それに関係するHPなんかがあれば最高なんですが。
- 89 :世界@名無史さん:03/04/25 01:30
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- 90 :世界@名無史さん:03/04/25 22:09
- >>88
それはホラズム全般に関して?
それともホラズム・シャー朝(1077-1231)に関して?
- 91 :88:03/04/26 01:22
- >>90
ホラズム・シャー朝、いわゆるフワーリズムについてのものです。
ムハンマド2世、ジャラール・ウッディンあたりについて詳しく書いていれば
なお助かります。
- 92 :世界@名無史さん:03/05/08 19:57
- >>91
遅レスだが日本語では余り知らないな。
山川の西アジア史の2巻の方に書いてあるの位じゃかと。
英語だったらジュワイニーの「世界征服者の歴史」の
英訳の第2部にホラズム・シャー朝史がある。
もっとも大学の図書館とかじゃないと置いてないだろうが。
後はペルシア語やらロシア語しか知らないな。
バルトリドでも漁ればなんかあるのかもしれないけど。
- 93 :世界@名無史さん:03/05/08 20:15
- モンゴルの血が入った大韓こそが
正当な後継者!
- 94 :世界@名無史さん:03/05/08 20:18
- 清朝と争い滅ぼされたオイラート・モンゴル系の国は
何気にカスカス諸国にあるが・・・・。
カムクィク共和国ガソウ。
ロシア連邦内の仏教国だったりする。
タタールスタントハ別ニアル。
- 95 :世界@名無史さん:03/05/08 20:20
- バルトリド
デグーグル引いて
一番上ヲクリックシタラ、
国会図書館にツナガッテ
アクセス方法不正デスト
言われた。
- 96 :世界@名無史さん:03/05/08 21:33
- >>92
おいおい英語ならまずはEncycropedia Of Islamにあたるべきじゃないのかよ
- 97 :世界@名無史さん:03/05/08 21:48
- >>95
国会図書館のOPACの検索結果じゃん、それ。
どんな本だったか知りたいのなら
キャッシュで見るか、OPACで「バルトリド」を検索すればよろし。
>>96
だな。
- 98 :92:03/05/08 23:14
- >>96
基本的過ぎてうっかり忘れてたスマソ
- 99 :世界@名無史さん:03/05/08 23:37
- チンギス家の直系の子孫は何処にもいないのか?
ロシアに併合されたハーン家は皆殺しというわけでもあるまい。
- 100 :世界@名無史さん:03/05/08 23:50
- >>99
内外モンゴルを探せばつい数十年前までの清朝モンゴル貴族の子孫がいるっしょ。
ロシアだとカザン・アストラハン・シビル等の出自のロシア貴族は多いから
その中にチンギス家の系譜を引く家も少なくなかろう。
カザフやクリミアではチンギス家の血を引くハンの子孫たちは
ロシアに服属後もカザフ・クリミアのエリート階層だった。
クリミアからはトルコに移住した者も多い。
これだけ繁栄した一族がいくら社会主義革命を経たとしても
全く絶えたとはちょっと考えられない。
- 101 :世界@名無史さん:03/05/09 08:08
- >>99
直系って嫡流(本家)って意味でいってるのか?
それとも男系でつながってるって意味?
後者なら内蒙古にも外モンゴルにもたくさんいたと思ったが・・・
ちなみに清朝はチムールと同じで男系ではつながってない。
- 102 :世界@名無史さん:03/05/09 08:29
- >>101
というか清代のモンゴルの旗の長ジャサクは、
ほとんど全員がダヤン・ハーンの子孫。
つまりフビライ系統。
全国に散らばった子孫が残っていないわけがないと思う。
本家のチャハルは断絶したんだっけ?
- 103 :山崎渉:03/05/21 22:37
- ━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
- 104 :山崎渉:03/05/28 15:39
- ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
- 105 :世界@名無史さん:03/06/01 02:33
- びっくりするほどモンゴル帝国!びっくりするほどモンゴル帝国!
- 106 :世界@名無史さん:03/06/01 08:46
- >>104
山崎渉を応援しろとおっしゃるが、
このメルキト族の血を引く者に、なぜ我々が応援しなくてはならぬのか?
- 107 :スイライテー:03/06/01 10:42
- チャハルなんかより、もっと嫡系にちかいのが、チベットにいるよ。
西蔵の「蔵北地区」の東部に分布する「ホル三十九族」の族長。
文宗トクテムルの弟が始祖だって。
いまの当主も、地区人民政府で、なんの実権もない名誉職に就いて、
健在。
- 108 :世界@名無史さん:03/06/01 12:43
- >>107
へぇ~。
で、信頼できるの?
- 109 :世界@名無史さん:03/06/01 12:49
- >>108
ダヤン=ハーンがフビライ裔という主張なみには「信頼」できるね。
- 110 :108:03/06/02 04:29
- >>109
なるほど納得。
- 111 :世界@名無史さん:03/06/02 19:35
-
びっくりするほどモンゴル帝国!
びっくりするほどモンゴル帝国!
,rrr、
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y| |.l ト⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y/つ))) _ _ _
⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
/ 彡/|| , \.|||/ 、 \ ☆ ロ /l
/ ∠ヾ ''∠ヽ / __从, ー、_从__ \ / ||| /__|
| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
| \____/(/ ) `| | | |ノゝ☆ t| | |l \ / /-LLl
| ヽ__ノ / `// `U ' // | //`U' // l /_/ |_|
\____/ / W W∴ | ∵∴ | ロ /l
/ ☆ ____人___ノ /__|
/ /
- 112 :世界@名無史さん:03/06/02 21:09
- びっくりするほどジャガ・ガンボ!
びっくりするほどジャガ・ガンボ!
,rrr、
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⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
/ 彡/|| , \.|||/ 、 \ ☆ ロ /l
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| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
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/ ☆ ____人___ノ /__|
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- 113 :世界@名無史さん:03/06/02 23:18
- びっくりするほどビルゲベキ!
びっくりするほどビルゲベキ!
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⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
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| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
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| ヽ__ノ / `// `U ' // | //`U' // l /_/ |_|
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/ ☆ ____人___ノ /__|
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- 114 :世界@名無史さん:03/06/02 23:19
- びっくりするほどゴリスベチ!
びっくりするほどゴリスベチ!
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⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
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/ ∠ヾ ''∠ヽ / __从, ー、_从__ \ / ||| /__|
| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
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- 115 :世界@名無史さん:03/06/03 17:18
- びっくりするほど耶律阿海!
びっくりするほど耶律楚材!
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⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
/ 彡/|| , \.|||/ 、 \ ☆ ロ /l
/ ∠ヾ ''∠ヽ / __从, ー、_从__ \ / ||| /__|
| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
| \____/(/ ) `| | | |ノゝ☆ t| | |l \ / /-LLl
| ヽ__ノ / `// `U ' // | //`U' // l /_/ |_|
\____/ / W W∴ | ∵∴ | ロ /l
/ ☆ ____人___ノ /__|
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- 116 :世界@名無史さん:03/06/04 00:48
- +~~
|
| >>111-115を殺っちまおう!/
|_@
_∧ .(__)
(_・ |/(゚Д゚ )\
|\Ю ⊂)_√ヽ
(  ̄ ~∪ )^)ノ
||` || ( | ( |
'~ ~ '~ '~
- 117 :世界@名無史さん:03/06/04 16:36
- びっくりするほどワールシュタット!
びっくりするほどワールシュタット!
,rrr、
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y| |.l ト⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y/つ))) _ _ _
⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
/ 彡/|| , \.|||/ 、 \ ☆ ロ /l
/ ∠ヾ ''∠ヽ / __从, ー、_从__ \ / ||| /__|
| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
| \____/(/ ) `| | | |ノゝ☆ t| | |l \ / /-LLl
| ヽ__ノ / `// `U ' // | //`U' // l /_/ |_|
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/ ☆ ____人___ノ /__|
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- 118 :世界@名無史さん:03/06/05 15:16
- びっくりするほど源義経は北海道からモンゴルに渡ってチンギスハンになった!
びっくりするほど源義経は北海道からモンゴルに渡ってチンギスハンになった!
,rrr、
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y| |.l ト⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y/つ))) _ _ _
⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
/ 彡/|| , \.|||/ 、 \ ☆ ロ /l
/ ∠ヾ ''∠ヽ / __从, ー、_从__ \ / ||| /__|
| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
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- 119 :世界@名無史さん:03/06/05 21:51
- びっくりするほどジャラルウッディーン!
びっくりするほどジャラルウッディーン!
,rrr、
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⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
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- 120 :世界@名無史さん:03/06/06 17:49
- びっくりするほどもう飽きた!
びっくりするほどもう飽きた!
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⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
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- 121 :世界@名無史さん:03/06/06 19:43
- フワーリズムのジャラール・ッディーン・マングビルディーの
「マングビルド」って、やっぱテュルク語かねぇ。
- 122 :世界@名無史さん:03/06/06 23:03
- マングビルディーって語の綴りは知らないんだけど、
チュルク語だとしたら Mangu-bir-di(永遠なる者[が]-授け-た)じゃないかなあ。
マムルーク朝の年代記作家にイブン・タグリービルディーという人がいますが、
チュルク系マムルークであった彼の父の名 Taghribirdi は
チュルク語で「神(テングリ)が授けた」という意味。
- 123 :世界@名無史さん:03/06/07 05:42
- ユートピアはもう来ないのだろうか。
- 124 :世界@名無史さん:03/06/07 21:38
- >>122
おお!わざわざレスをありがとう御座います!
こんなに早く反応が来ると思ってませんでした(汗
やはりテュルク語でしたか~
それにしても命名法が中央アジアの伝統に則った感じがあるのが興味深いですね。
例)ミフルダート Mihr-daat(ミフル[神が]-与えた[者])
- 125 :世界@名無史さん:03/06/09 01:56
- +~~
|
| 弟と仲良くね
|_@
_∧ .(__)
(_・ |/(゚Д゚ )\
|\Ю ⊂)_√ヽ
(  ̄ ~∪ )^)ノ
||` || ( | ( |
'~ ~ '~ '~
- 126 :世界@名無史さん:03/06/10 08:55
- びっくりするほどダライスン・ゴデン・ハーン!
びっくりするほどダライスン・ゴデン・ハーン!
,rrr、
⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y| |.l ト⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y/つ))) _ _ _
⊂ ヽ | __ ☆ __ _/ 巛 / /-LLl
ミミ彡彡彡彡 ,`ー \ | |l / \ __つ /_/ |_|
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| ( 。、 / / / | 、 | ヽ |l _ _ _
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| ヽ__ノ / `// `U ' // | //`U' // l /_/ |_|
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/ ☆ ____人___ノ /__|
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- 127 :弱虫あるたんのバートル物語:03/06/13 13:00
- +~~
|
| こんなぼくでも汗(ハーン)になれるかな
|_@
_∧ .(__)
(_・ |/(゚Д゚ )\
|\Ю ⊂)_√ヽ
(  ̄ ~∪ )^)ノ
||` || ( | ( |
'~ ~ '~ '~
- 128 :世界@名無史さん:03/06/30 22:52
- すいません、楚材伝の訳本(楚材の著したものの訳ではなく、楚材伝)
がでてるのですが、どこの検索で出してもでません。
本の題名などしっていたら教えてください。
- 129 :世界@名無史さん:03/06/30 23:46
- >>128
質問の意味がよくわかりません。
「漢籍の耶律楚材の伝記の日本語訳が出ているはずだが
書誌情報がわからない」のですか?
日本人の書いた楚材の伝記であれば心当たりがありますが。
- 130 :学生さんは名前がない:03/07/01 23:17
- えっと、楚材の著したもの(西遊録)とかではなくて、元史楚材伝の訳、だったのですが、
題名がやっとわかったので、大丈夫です。
ありがとうございました!!
- 131 :世界@名無史さん:03/07/01 23:40
- おや、自力で解決しましたか。
でもそんな本出てたんだ…知りませんでした。
- 132 :世界@名無史さん:03/07/02 09:01
-
アリクブガがクビライに勝つ方法はあったのだろうか?
- 133 :世界@名無史さん:03/07/02 17:01
- 結論からいえばいくらでもあったといえよう
- 134 :世界@名無史さん:03/07/03 15:44
- 耶律楚材伝は、小林高四郎が翻訳していますよ。
小林訳『元史』明徳出版社に入っていた筈。
ちなみにこの訳書、ムカリ伝も訳されているし
『元史』の史料価値についてきちんと書いてあるのでまじでお勧め。
- 135 :山崎 渉:03/07/15 12:49
-
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
- 136 :世界@名無史さん:03/07/17 08:34
-
ホセン万奴の東夏国って、詳しい記録が残ってないんでしょうか?
元史にも金史にも少ししか出てこないんですが・・・。
一応高麗を服属させたぐらいだから、それなりの勢力だったと思うんですが・・・。
- 137 :胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/07/18 23:40
- >>80
当時のヨーロッパなど、イスラム文化を受け入れたモンゴル、トルコ系からみれば
偏狭の片田舎みたいなもんでしょう。
あまり征服する旨みもなく、森林地帯は攻めにくい。
チンギス=ハーンの後裔を名乗らんとした彼にはイスラームを征服し、
各ウルスを統一する事の方が優先事項だったのでは?
- 138 :世界@名無史さん:03/09/07 12:54
- 【中国・北京】 完顔阿骨打の墓を発見=金の初代皇帝
http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1062853203/
1 名前:⊆(@゜▽゜@)⊇ ◆N8OIdTdC3c @体脂肪率23%φ ★[] 投稿日:03/09/06 22:00 ID:???
【北京6日時事】6日付の中国各紙によると、北京市文物局は5日、
同市西郊にある金陵(金朝の歴代皇帝の陵墓群)で、初代皇帝・完顔阿骨打
(1068~1123年)の墓を発見したと発表した。
金陵は1985年に調査が始まり、2001年春から全面的な作業が実施され
ているが、これまで内部の状態は全く公表されていなかった。
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=030906203104X330&genre=int
- 139 :世界@名無史さん:03/09/09 01:49
- http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030907-00000119-mai-soci
<石棺>金王朝初代皇帝の陵墓で発見 中国・北京
6日の新華社電によると、北京市南西郊外の九竜山にある金王朝の陵墓で、初代皇帝の完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)(1068~1123年)のものとみられる石棺と装飾物が見つかった。
石棺は深さ約5メートルの大きな穴の中に四つ見つかり、大理石のような白い石の表面に竜や鳳凰の絵が彫られていた。装飾が施された皇帝専用のこうした石棺の発見は中国で初めて。
石棺の中には赤い漆塗りの木棺があり、頭と足の骨のほか、金製の針金でつくった冠や鳳凰をかたどった玉製の飾りも見つかった。800年以上の年月がたっているにもかかわらず、冠は完全な形で残り、きらめくほどの金色だったという。
北京市文物研究所の宋大川所長は発掘成果について「金朝の女真族の政治、経済、文化を研究する上で大きな意義がある」と話している。
九竜山一帯の広大な金陵は1980年代に発見された。今回見つかった石窟の穴は地元の農民が貯水池として使っていたが、1トン以上もある石が200個以上も中に置かれていたため、研究者が不思議に思い2001年から石を取り除いて発掘を進めていた。
金陵は明の十三陵より200年ほど古く、北京の近くでは最も古く規模も最大の陵墓として知られている。(北京・共同)(毎日新聞)
- 140 :世界@名無史さん:03/09/09 01:51
- http://j.peopledaily.com.cn/2003/09/07/jp20030907_32179.html
北京市房山区で金の太祖の陵墓を発見
北京市文物局はこのほど、房山区周口店鎮龍門口村の北方に位置する、九龍山の主峰・下大宝の山頂手前約15メートルの地点で見つかった、大きな石でできた洞穴について考証した結果、金の太祖・完顔阿骨打の睿陵であると発表した。
同局によると、北京にある金代の陵墓は房山区の大房山の麓で初めて発見されてから、発掘・整理作業で2年以上が経過し、遺址の面積は60平方キロメートルに達している。(編集OS)
「人民網日本語版」2003年9月7日
- 141 :世界@名無史さん:03/09/10 22:59
- 【金朝】完顔アクダの墓発見?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1062861975/l50
- 142 :世界@名無史さん:03/09/16 22:05
- 完顔アゲダ
- 143 :ty270410:03/09/17 00:10
- >>102
つい数年前,内モンゴルのオルドスの王家の血を引く人物の
文化革命時代のことを書いた本があった.
ダヤン汗の子孫がこの地方の有力者として残っていたのである.
戦前,満州の東部内蒙古には,チンギス・ハーンの兄の
ジュチハサールの子孫が各地の王侯貴族として残っていた.
満州国になってから,旗に公署をおき,中央から管理が
派遣されて行政の任にあたったが,王侯貴族はモンゴル人の
象徴として存続していた.
多分,その人々の子孫は現存すると思う.
戦時中日本に同調した特王もダヤン汗の子孫.
- 144 :世界@名無史さん:03/10/04 20:43
- いるもんだねえ・・・50へぇ
- 145 :世界@名無史さん:03/10/04 23:00
- ジュチカサルの子孫はジンギスカンの子孫じゃないだろうがよ。特王は「徳王」のまちがいね
- 146 :世界@名無史さん:03/10/13 19:04
- 金国の話題でつが、
ヌルハチが「後金」と号して旗揚げしたくらいだから
愛親覚羅家の起源は金の遺臣や貴族、なんてことはないすかね?
- 147 :世界@名無史さん:03/10/17 03:12
- それだけじゃ無理。
- 148 :世界@名無史さん:03/11/03 17:17
- 清以前の女真族の家系ってのはいまいちよく分からないな~
- 149 :世界@名無史さん:03/11/03 18:48
- age
- 150 :ty270410:03/11/07 22:31
- >>21
モスクワ大公がツアーリを称するのは,
イワン4世が,キプチャク汗の子孫の
シメオン・ベクブラドビッチ(サイン・ベク・ブラード)
から称号を譲渡されてからではないでしょうか?
- 151 :世界@名無史さん:03/11/07 22:43
- >>150
そんなこたぁありません。
- 152 :世界@名無史さん:04/01/06 03:18
- ブクリ=ヨンションの子孫、ドゥドゥ=メンテムの子チュンシャン、チュンシャンの子ドゥドゥ=フマン、ドゥドゥ=フマンの子ギオチャンガ、ギオチャンガの子タクシ、タクシの子ヌルハチ。
- 153 :世界@名無史さん:04/01/07 00:25
- ヌルハチは金室のそのまた始祖函普(実在かどうかは不明)の弟
保活里の子孫を名乗ったそうだが。
まあ只の権威付けの為で実際の血縁関係はないんじゃないの?
- 154 :世界@名無史さん:04/02/19 00:06
- 後金国もありなスレなのか?
- 155 :世界@名無史さん:04/02/22 17:12
- 保守age
- 156 :世界@名無史さん:04/02/22 17:21
- チャガタイって強かったの?
- 157 :世界@名無史さん:04/02/22 20:37
- 強さだけならジュチのほうが強いだろ。
- 158 :世界@名無史さん:04/02/23 22:46
- 戦争最強で若くして過労死したジュチ、規律を重んじるチャガタイ、父の膝下で帝王教育を授けられたトルイ、
兄弟の仲で一番のボンクラなのに、おおらかで、なんとなくみんなに人気があって
大汗に推されたオゴタイが実は最強・・・書くまでもないことかな。
- 159 :世界@名無史さん:04/02/23 23:20
- 西夏って爵位制度はあったのでしょうか?
- 160 :世界@名無史さん:04/02/24 23:03
- バトゥが最強!これマジ。完顔陳和尚もなかなかだけどね。
- 161 :世界@名無史さん:04/02/25 00:22
- だれか、金の世宗のこと、詳しくない?
おせーて!
- 162 :世界@名無史さん:04/03/06 17:40
- だよな やっぱり、青き狼と白き女鹿>
- 163 :世界@名無史さん:04/03/07 14:21
- バトゥを罵倒する露助
- 164 :世界@名無史さん:04/04/14 23:15
- 西夏もやはり中原を狙う領土拡張の野心はあったのでしょうか?
- 165 :世界@名無史さん:04/04/15 01:21
- 俺の子供がほしいと言って、
産んでくれた嫁が愛しくて、
乳首から何もしないのに母乳を漏らす嫁が愛しくて、
勃起を押さえることが出来なくなった。
そのまま嫁を押し倒して
乳を搾りながらガンガン突いた。
対面座位で突き上げながら母乳を啜った。
バックでシーツに母乳を搾り、
飛び散らせながら、えぐりこんだ。
嫁の母乳が自分の体を作る栄養になると思うと、
倒錯的な欲情がこみ上げてくる。
三回の射精では収まらなかった。
今は疲れて寝てる嫁に
明日は朝食を作ってやるか。
俺は変態だな。
- 166 :世界@名無史さん:04/04/15 01:22
- 誤爆スマソ
- 167 :世界@名無史さん:04/04/15 18:36
- 165は乳酒の好きなテムジン
- 168 :世界@名無史さん:04/04/16 00:02
- 相手はボルテかクランか?
- 169 :世界@名無史さん:04/05/01 14:08
- カラ・キタイ/西遼もこのスレでいいのかな?
- 170 :世界@名無史さん:04/05/03 23:47
- 火薬が出てくるまではモンゴルの戦い方は最強
ゴビ砂漠で訓練した兵にかなうものなし
- 171 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/05/04 00:47
- >>170
火薬が出てからの方が余計強いよ。モンゴル軍は震天雷のような火薬兵器を
モヒの戦いなどで積極的に投入している。
- 172 :世界@名無史さん:04/05/09 21:51
- >>169
過去レスに西遼のことがあったから構わないかと。
- 173 :世界@名無史さん:04/05/11 02:29
- 火器は金を征服したときに取り入れたのかな。いやもっとそれ以前から?
- 174 :世界@名無史さん:04/06/05 01:59
- >>169
はやく黒契丹のことを騙れ!
- 175 :白契丹:04/06/07 03:46
- >>174
へい、どうもお待たせしますた。いやだなぁ本物ですよ。別に騙ってませんって!
- 176 :世界@名無史さん:04/06/07 23:43
- はじめまして
テングリについて教えてください
- 177 :世界@名無史さん:04/06/29 11:19
- 天
- 178 :世界@名無史さん:04/07/06 19:26
- 西夏国の人物伝で詳細なものってないでしょうか。ドーソン『モンゴル帝国史』
くらいしかないのでしょうか。
金史とか宋史とか眺めてみても、西夏の様子って良く分かりません。
カイ名令公って何者なんですかね。
- 179 :世界@名無史さん:04/07/24 14:41
- 【英国】チンギス・ハンのご子孫はお食事無料です
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1089203704/
英ロンドンにあるモンゴル料理店「シシ」が3日、来店客に無料でDNA鑑定を施し、
モンゴル帝国の始祖、チンギス・ハン(位1206ー27年)の子孫と判明した客には
食事を無料提供する試みを開始した。
父親から息子に受け継がれるY染色体を検査するため、鑑定を受けられるのは男性に限られる。
鑑定は9日まで実施し、結果は2カ月後に出る予定。
チンギス・ハンは12世紀から13世紀にかけて、アジアを征服し、現在の東ヨーロッパにまで
及ぶ帝国を形成。その際、各地に、多数の子を残したとされる。
AP通信によると、料理店と共同してDNA鑑定を実施するオクスフォード・アンセスターズ社は、
中央アジアなどで計「1700万人」の男性が、チンギス・ハンの遺伝子を受け継いでいる
可能性を指摘している。
「シシ」によると、今回の企画は、モンゴルで再び姓を名乗ることができるようになったことを
たたえるのが目的。
モンゴルでは、過去70年間、国民の団結などを理由に、姓を名乗ることが禁止されていた。
しかし1990年代に政府がこの政策を撤回し、国民に名字の登録を呼び掛けている。
先月末までに国民の半分以上が、チンギス・ハンの家系が名乗っていた名字を登録したという。
2004.07.07 Web posted at: 20:42 JST - CNN/AP
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200407070029.html
- 180 :世界@名無史さん:04/08/31 19:16
- >>178
西夏自身が著した史書などはありましたっけ?
- 181 :世界@名無史さん:04/08/31 19:33
- カラホト文書
- 182 :世界@名無史さん:04/10/08 22:35:21
-
- 183 :世界@名無史さん:04/11/03 04:42:59
- 西遼も独自の元号を使っていたのでしょうか?
イスラム化しちゃったのかな。
- 184 :世界@名無史さん:04/11/03 07:13:29
- 西遼の元号(『遼史』本紀第三十参照)
徳宗(耶律大石)-延慶、康国
感天皇后(塔不煙)-咸清
仁宗(耶律夷列)-紹興
承天太后(普速完)-崇福
直魯古-天禧
でよろしいか。
- 185 :183:04/11/12 23:22:44
- >184様
詳しいご教示ありがとうございました。
- 186 :世界@名無史さん:04/12/09 14:32:01
- ほしゅ
- 187 :世界@名無史さん:04/12/20 11:40:04
- 保守
- 188 :世界@名無史さん:05/01/08 04:39:28
- 我が国を西夏と呼ぶでない。
我が国の名は「夏」。
世界の中心でアイを叫んだけものの国だ。
- 189 :世界@名無史さん:05/01/08 12:06:37
- 「敦煌」では渡部恒彦が「西夏」と言っていたぞ
- 190 :世界@名無史さん:05/01/17 22:15:20 0
-
- 191 :世界@名無史さん:05/01/17 22:21:49 0
- >189
そりゃ、中国の映画で日本の首相に「我が小日本国は…」と
言わせるようなもんだ
- 192 :世界@名無史さん:05/01/17 22:51:36 0
- 西田氏の西夏文字の本にはピョンベーレーとあったな。
- 193 :世界@名無史さん:05/01/18 00:25:44 0
- >>188
「大夏」のはずだよ。まあ、これが、大夏=バクトリアあたりと
混同するから歴史的には「西夏」なんだけど。
- 194 :世界@名無史さん:05/01/22 23:41:27 0
- 可汗って本来どういう意味の言葉だったんだっけ?
なんか水に関係あるらしいんだけど。
余談だが、単于は「天の子の大いなるもの」という意味らしい。
- 195 :世界@名無史さん:05/01/23 17:00:16 0
- >>194
カカンは大人・首長の意味じゃなかったかな。
単于は「大天子」。「當犂孤塗単于」の略。
當犂=天、孤塗=子、當犂孤塗=天子。単于=大
- 196 :世界@名無史さん:05/01/23 19:29:35 0
- 最初の頃は(漢)皇帝≦(匈奴)単于だったけど
最後は王≧単于になったのはなんともかんとも。
- 197 :世界@名無史さん:05/01/25 10:18:10 0
- モンゴリアンちょ~っぷ
- 198 :世界@名無史さん:05/02/10 19:38:11 0
- 高麗は金に朝貢したことはあったの?
- 199 :世界@名無史さん:05/02/11 01:39:41 0
- >>198
そりゃもう何度も。
- 200 :世界@名無史さん:05/02/11 13:01:46 0
- ホラズムって、確かトルコ系康里(カンクリ)人のアヌーシュ・テギンが、
セルジューク朝から太守に任命されて以来から世襲制となったはず。
それで孫のアーチズの代になって、遼の耶律大石に臣属して独立した国でしょ。
まあ、曾孫があのモハメッド国王だが。
- 201 :世界@名無史さん:05/03/06 18:53:52 0
- ロシア・沿海州の金代城壁出土について
http://homepage3.nifty.com/liaojinxixia/5yousi/takahashi.html
- 202 :世界@名無史さん:05/03/06 20:47:02 0
- >>1
なんで遼を含めない? 普通、遼・金・元とひとくくりにするだろうのに。
- 203 :世界@名無史さん:05/03/07 07:18:17 0
- >>202
中華中心で考えたらそうかもしれんが、
ここはモンゴル中心にその周縁を考えていこうというスタンスじゃないか?
たぶん。知らんけど。
- 204 :世界@名無史さん:05/03/08 23:39:54 0
- 皆様、初めまして。歌手の元ち○せさんの苗字はモンゴル、フビライと関係
ありますでしょうか?それともどちらかというと中国系(元寇の元?)?この地方(奄美)では変わった苗字が多いとはおもいますが、およそ
400年前、薩摩から一部の人が苗字を与えられそのときは縁起の良い寿、恵など
が多かったというなかで元という字はどのような意味合いがありますでしょうか?
どなたか推測でもお考えをお聞かせください。
お願いいたします。
- 205 :世界@名無史さん:05/03/09 01:51:40 0
- >>204
あるわけないだろ。
大体元寇を縁起のいいものと考える人間が日本にいたと思う?
- 206 :世界@名無史さん:05/03/09 23:34:48 0
- 205さんありがとうございます。たしかにそうご指摘いただくと納得できます。
では、寿、恵などを使う意図はなんとなくわかりますが、
当時、元という漢字にどのような意味があったのでしょか?
ご存知でしたらお願いいたします。
- 207 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/09 23:56:07 0
- 「元」は最初とか根源とかいうニュアンスのある字ですから、寿や恵などと
同様にめでたい文字と言うことで採用されたに過ぎません。特別に隠された
意味合いが篭められているということはないでしょう。
- 208 :世界@名無史さん:05/03/10 00:03:29 0
- >>206
以前テレビ番組で(「おしゃれカンケイ」だったかなあ?)本人が
苗字の由来を尋ねられて説明してたのを憶えているんですが・・・肝心の由来をきれいに忘れてしまいました。
すんません・・・_| ̄|○∥|
何らかのいわれはあったと思います。
- 209 :世界@名無史さん:05/03/10 22:08:03 0
- 中国だと元という姓を名乗るのは、北魏王室の子孫と言いたい場合なんだよね。
- 210 :世界@名無史さん:05/03/10 22:37:58 0
- 金の官僚兼詩人の元好問がそうだったな。
- 211 :世界@名無史さん:2005/03/30(水) 19:45:57 0
- /;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ || <徐達!不遜極まる北虜を殲滅せい!
r┤ ト::::: \___/ || <明史編纂も急がねば。
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
- 212 :世界@名無史さん:2005/04/11(月) 16:29:56 0
- iii■∧
(,,゚∀゚)<歴史に名を残すのはお前ではない!
- 213 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 01:17:13 0
- 金の文化人ってあまり聞きませんな。
女真族が漢文化を冷遇していたとか?
- 214 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:20:58 0
- 金の文化人には元好門という詩人がいるでしょう。
他には知りませんね。
- 215 :世界@名無史さん:2005/04/15(金) 21:24:48 0
- 伝を見ていけば結構いるでしょう。田村実造の中国制服王朝の研究を参照すれば
たくさん出ているでしょう。
- 216 :世界@名無史さん:2005/04/16(土) 17:41:34 0
- 金帝国下での漢文化は渤海人貴族が担った部分が大きい。
- 217 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 15:43:21 0
- ハゲ?
- 218 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 20:31:49 0
- >>213
女真が漢文化を冷遇してたってのは一方ではそういうこともあったとは思い
ますが、実質てきには尊重し結局からめとられたということでしょう。
結局は中国内部に南遷しつつ消滅した感じの国ですから。
契丹と比べ女真はむしろ漢文化に染まって民族性を失っていったという
方が正しいですね。契丹が最後まで都も北方から動かさず郊祀の祭典を行わず
即ち儒を受け入れなかったのに対し、女真は特に海陵王の時から原住地から
華北に遷都したり漢化が著しかった。皇帝でも十歳まで女真語を知らなかっ
た人が出てくる。
- 219 :世界@名無史さん:2005/05/02(月) 21:19:52 0
- >>215
中国制服王朝~萌えそうだ。
>>217
211の陛下が貴官を「凌遅三千刀、滅九族!」に処するようおっしゃっています。
甘んじてお受けなさい。
- 220 :世界@名無史さん:2005/06/02(木) 02:25:27 0
- >>218
清は先祖たる前者の轍を踏んじゃったのね・・・
- 221 :世界@名無史さん:2005/06/02(木) 04:31:43 0
- >>218
ホンタイジの息子だっけ? 女真の伝統から母と再婚した叔父と不仲だったという。
- 222 :世界@名無史さん:2005/06/06(月) 16:50:23 0
- ホンタイジの息子=フリン=順治帝
ホンタイジの兄弟=ドルゴン=摂政王の事ですな。
井上何がしが著した「摂政王ドルゴン」(小説)に
母の再婚は漢族の風習にそまりつつあった幼い順治帝の
心をひどく傷つけ、ドルゴンへの憎しみを育て、ドルゴンが死ぬと
一族郎党を失脚させて辺境においやったような記述があるけど
この辺の描写って想像で書いたのかな。
巻末にいろいろと参考資料のっているけど。
※図書館で借りたので手元にはありません。
- 223 :世界@名無史さん:2005/06/06(月) 16:55:19 0
- 金朝は支配下の漢民族に清朝と同じく辮髪強制していたというのは
本当ですか?
元好問や哀宗皇帝も辮髪してたのかな。
だったら萎え。
- 224 :世界@名無史さん:2005/06/06(月) 16:57:16 0
- っていうか、何処の資料の記述なんかかいてクレ
大学の講師や教授の講義中の発言なら名前を晒してくれ
- 225 :世界@名無史さん:2005/06/06(月) 17:03:07 0
- http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4271_14877.html
- 226 :世界@名無史さん:2005/06/19(日) 21:03:08 0
- >>223
金の髪型は辮髪だったんでしたっけ?
カッパ剃りは西夏だったっけ。
- 227 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 01:28:43 0
- .
- 228 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 02:19:30 0
- 上海協力機構はモンゴル帝国を継承していますね。
- 229 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 21:27:23 0
- 元帝国の正式名称は、大元大蒙古国だっけ。
長いこと疑問に思ってるんだが、モンゴル語しか分からないはずのフビライは、
どうやって漢語の「元」なんて国号をつけたんだろうか。
漢人の家臣に意味と発音を聞いて、気に入ってつけたんだろうか。
漢字の読み書きができないモンゴル人が、漢語の「元」を自国の国号として、
当時の漢語の発音で、モンゴル語の中で使用していたと考えると、なんか妙な
感じがする。
その辺が釈然としない。
- 230 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 00:24:40 0
- >>188
そこで大白上国ですよ
>>229
モンゴル語しかわからんかったって、ソースは?
- 231 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 04:18:33 0
- >>230
単なる揚げ足取りみたいな書き込みすんな。
- 232 :元九郎判官:2005/07/16(土) 08:21:06 O
- むしゃくしゃして‘元’にした
‘源’と読みがおなじならなんでもよかった
いまは通貨単位として生き残っている☆
- 233 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 09:56:22 0
- >>229
「元」は『易経』に出てくる「大いなるかな乾元」とか
天の徳を意味する「元亨利貞」に由来すると思われ。
フビライが漢語・漢文を解したかどうかは知らないが、
神秘の書『易経』については、モンゴル人の間でも知られていただろう。
- 234 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 20:10:13 0
- >>229
劉秉忠で検索してみな。
- 235 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 20:14:01 0
- あと蒙古人や色目人が漢語を使えなかったってのは偏見だよ。
イスラム教徒の科挙合格者までいるくらいだ。
そいつは合格した喜びを漢詩で書き残している。
- 236 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 09:45:42 0
- 詳しくは陳舜臣著書の『中国の歴史⑤』にあるから、
それを読むといい。
- 237 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 12:41:20 0
- フビライの兄のモンケ・ハーンはユークリッド幾何学の問題を解くのが趣味だったらしい。
- 238 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 01:35:35 0
- >>229
元朝後期ころのペルシア語史料なんかによれば、クビライ、モンケ、
バトゥはじめ孫の世代はムスリムの教師から初等教育を一通り受けた
おかげでウイグル語は勿論ペルシア語も普通に出来たらしい。
あとアラビア語も少しなら読めたそうな。
モンゴル人で漢語というかヒタイ語が出来た人物というと
ペルシア語史料からだとガザン・ハンとかプーラード・チンサンとか
わずかにしか出てこないけど、元朝も中期頃から『飲膳正要』の忽思慧
とかが出てくるので、当然というか東方ではわりと漢籍を嗜む連中は
多かったらしい。
ただ、モンゴルが金朝とか地理的に近かったからという理由でモンゴル人が
ダイレクトに漢学に精通するようになったとする考えは誤りで、
元々ウイグル王国で仏教振興の一環としてウイグル語による漢学の研究蓄積が
相当されていて、モンゴル帝国がウイグル王国との結びつきを深めていく段階で
モンゴルの人士もこのウイグルの漢学を経由して暫時漢学そのものも吸収していったらしい。
確証はないが、クビライも初めは漢籍そのものを読むよりペルシア語やウイグル語文献を
読む方が楽だったろうけど80歳まで生きたわけだからウイグル文字の読み下し文付きで
だったら漢籍も読めたのではと思えるのだが、さて。
モンケはユークリッド幾何学の解法を読みこなすのが趣味だったそうだからアラビア語文を
読むのも堪能だったんだろうなあ・・・
- 239 :世界@名無史さん:2005/07/26(火) 21:35:51 0
- >>229
元より前の中国王朝の名称は全て地名からきていた。漢にせよ、宋にせよ
全て地名である。
元という国号によってはじめて抽象的な概念が国号となった。
易の大いなるかな乾元からとったというが、元以後は明・清というふうに抽象的な
語句が王朝名として採用された。
以上のようなことが何かの本に出ていたと思う。中公の世界の歴史の元の巻だった
かな?
- 240 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 20:37:54 0
- 易は、儒学を中興させた宋学の中心哲学である。易の理・気の二元論によって
儒学は哲学的に刷新された。よって宋を倒した元でも当然易が重要視されたこ
とは予想できる。
- 241 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 06:18:04 0
- 王莽の新も地名から来てんの?
- 242 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 03:08:26 0
- >>241
王莽建国の国号の新は新野から取ってる。
新野侯→安漢公(宰衡)→仮皇帝(摂皇帝)→大新皇帝
後漢末期に劉備が荊州に居住して諸葛亮を配下に加えたのが新野県。
- 243 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:09:16 0
- あの新野か。
- 244 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 07:26:10 0
- >>242
新野侯じゃなくて新野県令。
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