▼故意を植えるもの▼#rumblin'figure08

今、ニッポン最大の文化が危うい。

近ごろになって、映像技術、とりわけCGの発達が著しい。
まあ、それは今改めて言うほどのことではなく、ハリウッド映画に関して言えばもう何十年も前から目を見張る映像が作られてきた。
最近はその手段がCGに移行してきたと言うだけの話だ。

だから、問題はそこじゃない。

ぼくはハリウッドのアクションはいつまで経ってもアメリカ的センスで作られていくものだ、と何の根拠もないジャパニメーション神話を信じてきた。
安心で、リアルで、まるでアメリカンドリームように退屈なストーリーが、彼らのセンスで綴られていくものだと。

実写とアニメーションの最大の違いは何か?
ぼくはその根底にある思想、ものづくりに対するスタンスだと思っている。

無限の『自然』からレンズによって切り取られたもの、それこそが実写で、『無』に故意を植え付けるものがアニメ。
故意でない情報が多ければ多いほど、人はそれをリアルだと感じる。
だから、近年に見られる『リアル』と言われるジャパニメーションは、これでもかと言わんばかりに情報を詰め込んだ。
そのセンスと、誇張と、リアルが表現を世界に名だたるものにさせた。

逆に実写はなるべく情報を少なくすることに労力を費やす。
あってはならないものは撤去、または排除された。

しかし、最近はどうだろう?

CGによって新たに故意を埋め込む作業はアニメーションとまったく変わらない。

しかもそこへ、ぼくらアジアの血が注ぎ込まれた。
もはや、アニメーション的技法はぼくらのものだけではない。

だからこそ、ガムバレニッポン。

JUN@Nov 2002