●トインビー対談を提案・要請したのは誰か [2]
前稿を書いた後で調べて分かったのだが、「あなたの著作や講演集を拝見しました」という改竄フレーズは新・人革(第16巻は2006年)が初出ではなかった。
2005年の幹部特別研修会での池田スピーチにもあるし、確認できた最古のものでは池田全集第三巻(対談集)の編集後記(1991年)まで遡れる。この後記は全集刊行委員会の筆になるものだが、当然池田氏(当時63歳)の意向を反映したものだ。
さて、博士が「著作を読むつもりです」と意思未来形で書いたものを、池田氏はどうして「拝見しました」と過去形に改竄したのか。
それを説明する前に、読者に一つの視点を提供するため、本稿の結論の一端を先に出しておく。その方が改竄問題を理解しやすいと思う。
論拠や詳細は後述するが、私の得た結論はこうだ。
(1)トインビー対談を提案したのは博士ではなく、また池田氏でもなく、別の日本人学者であった。両氏を引き合わせ、対談を要請したのもその学者である。
(2)池田氏に初めて届いた博士からの手紙は、対談を提案・要請したという性質のものではなく、日本人学者から紹介された者同士の連絡書簡にすぎなかった。
上記の視点に立って、以下を読んでいただきたい。
博士からの初手紙は創価学会が吹聴しているような対談要請の書簡ではなかったが、池田氏はどうしてもそれを要請書簡に仕立てあげたかった。「博士の方から強い申し入れがあった」という構図にすることで、自分を博士と同位あるいはより高位に位置づけ(つまり自分を偉く見せ)、「世界の知性は自分を求めている」と喧伝したかったからだ。
そこで、池田氏は新・人革の「対話」の章で、博士の手紙から都合のいい部分をピックアップし、「博士が対談を提案し、要請した」と見えるように翻訳加工した。
例えば、新・人革の「これは提案ですが~~対談を希望します」という訳文がそうだ。原文の当該センテンスには「提案」「希望」に相当する(あるいはそれに近い)単語や熟語はないが、強引にその2語を訳文にねじ込む、といった具合だ。
さて、このように我田引水の翻訳加工に腐心した池田氏であったが、一つだけ処理に困った箇所があった。原文の「著作やスピーチ集を読むつもりです」の一文だ。博士は手紙を書いた時点では池田本を読んでいなかった。しかし、手紙を対談要請だと言い張るには、「読んだ」ことにしないと、以下の理由で具合が悪いのだ。
世界超一流の学者が、相手の著作すら読んだことがなく、その思想も学識の深浅も判らぬまま、知己でもない人間に対し、対談を申し入れる、というのは余りにも不自然すぎる。
さらに、そのような未知の相手への初手紙で、何の説明もなく唐突に「人類の直面する基本的な諸問題について」といった難解な大テーマを提示しているのも不自然だ。
そこで池田氏は、そうした不自然さを解消するため、エイヤッと「著作やスピーチ集を拝見しました」と改竄し、博士が以前から池田本を読んでいたことにしてしまったのだ。
また、そうすることで、「博士が自分の著作を読んで感銘を受け、対談を申し入れてきた」という自分本位の感動ストーリーも出来上がる。一石二鳥だ。
さらに、そうした改竄によって別の効果も生まれる。学会員読者が「池田センセイの著作は、ノーベル賞級の知性が進んで読むほど素晴らしいのだ」と錯覚することだ。それも一つの狙いだったかも知れない。
少し横道にそれるが、こうした虚偽による情報操作がもたらす悪影響の一例を紹介しよう。
下記の学会員のホームページではトインビー対談について特集しているが、博士の書簡を説明したページにこう書かれている。(・・・はUUDによる省略)
「(博士の手紙には)・・・創価学会と池田会長について、多くの人から話を聞き、関心を持つようになり、研究を続けてきたこと、・・・が記されていました。」
(http://ssn.cside.to/ikeda/toynbee/toynbee1.htm)
新・人革の「拝見しました」が、いつしか伝言ゲーム型変異を経て、「研究を続けてきた」にまで進化してしまっているのだ。
こうした、虚偽情報の進化現象はトインビー対談以外にもあり、例えば「池田コスイギン対談が中ソ戦争を食い止めた」など良い例だが、それはまた別の機会に言及したい。
さて、ここからは、新・人革から離れ、外部資料をもとに対談の真実の経緯について検証してみたい。
対談をセッティングした日本人学者とは一体誰なのか。
(トインビー対談を提案・要請したのは誰か [3]に続く)