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こころの雑記帖 ~ わからないまま、生きてゆく
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吉田拓郎 「ライブ73」実現へ

来年73歳 コンサートやる自信、体力、精神力 持っている


「スポーツ報知」(10月12月刊) 記事からの引用 その1
 後編です。前編も過去記事にアップしています。


シンガー・ソングライターの吉田拓郎(72)のインタビュー第二弾。

今回はエレックレコードからCBSソニーへの移籍を始め、

小室等、泉谷しげる、井上陽水らと設立したフォーライフの

2代目社長に就任した当時の様子、

レコード大賞を受賞した「襟裳岬」(74年)の思い出など

半世紀に及ぶ活動をしみじみと振り返った。

さらに「近いうちに発表できる」と、

来年、3年ぶりのツアーを行う計画が進んでいることも明かした。



【CBSソニー移籍 極貧生活から脱出】

72年にエレックレコードから大手のCBSソニーへ移籍すると、

あまりの待遇の違いに驚いたという。


「移籍はすんなりじゃなかった。

エレックには金銭含め、いろいろ引き留め作戦を立てられてね。

社長始め家にも日参してきて『やめろ』と止められて、

すったもんだしました。

ソニーに移って初めての印税ね。

僕、若造だったけど額を見てめちゃくちゃ驚きましたよ。

すぐ外車買いましたもん。

中古ですけどXJ6というブルーのジャガーを。

中古屋の前を通った時に何百万円で出ていて

『これちょうだい』って言えました。

しっかり覚えてますもん。

自分ちのガレージに入るかも考えずに買いました」


ーーー やはりエレックと金銭的には違いがあった。

「ありましたね。

エレックでは最初に上智大生と共同生活のところに放り込まれて、

曲作りもできないから『一人暮らししたい』と会社に言うと、

最初に連れて行かれたのはガード下のアパート、高速道路の・・・。

『ちゃんとした所に住みたいですよ』って言って、

やっと新高円寺のアパートになったんだけど、

部屋代が給料の3万5000円より高くて

借金がたまっていくシステムになっていたワケよ。

いつだったか(エレックが)ボーナス10万円をくれたんですよ。

1万円札を部屋のカーテンレールに洗濯ばさみで10枚挟んで、

寝る時に『あと8枚』とか言いながら暮らしていて、

残り1枚か2枚になった時に『こりゃまずい』と思って

新宿の都民銀行に預金しに行ったのを覚えています。

それぐらい金銭的にはつらかった。

すさまじい青春でした」 (続)


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