第73回 斎藤佑樹が歩んだ早実の3年間 「打たれた経験も、猛勉強した経験も成長には欠かせないものだった」【前編】2018年12月06日
【目次】
[1]早稲田実業入学のきっかけ
[2]入学直後に直面した3つの問題
[3]転機となった2年夏の日大三戦の敗戦
入学直後に直面した3つの問題
斎藤 佑樹
早稲田実業に入学した時、3年生投手の人はプロ注目投手として取り上げられていて、その先輩は最速145キロのストレートを投げていました。先輩を見て、僕の中では「145キロまでいけば、プロ注目投手と呼ばれるまでになるのかな」とぼんやりと浮かんでいました。
しかし早稲田実業の野球部で活動するうえで困難だったことが3つありました。まず通学です。入学当初、僕は群馬の実家から2時間半もかけて通っていました。最初はやる気も満ち溢れていますから、頑張れるだろうと思い込んでいたのですが、練習時間も長くなって夜も遅く、勉強もままなりません。さすがに限界で、入学から2か月後、大学受験を控えていた兄と一緒に学校近くに住むことで解決しました。
次に栄養面です。兄と2人暮らしですけど、コンビニの弁当で済ませたり、疲れのあまり、帰ったらすぐに寝ることもありました。それから(しばらくして)自炊ができるようになり、今では栄養面にかなり気を遣っていますが、あの時もう少し栄養面に気を遣っていければ、さらに体を大きくすることができたのかなと思っています。
3つ目は進級問題です。僕はスポーツ推薦で早稲田実業に入学しましたが、一般生徒の偏差値は75です。僕はその生徒たちと同じクラスで、同じテストを受けるわけです。はっきりいって難しかったです。赤点も多かったです。このままでは留年になるかもしれない。実際、僕の同期にそういう人もいました。留年になれば野球ができず、甲子園、プロどころではない。両立するために勉強への努力は野球以上だったと思います。
そのきっかけを与えてくれたのが当時部長だった佐々木慎一先生でした。佐々木先生から「一緒に勉強しよう」と声を掛けられ、佐々木先生は自宅から学校まで1時間もかかるのに、それでも毎朝付き合っていただきました。佐々木先生の担当は数学ですが、日本史、英語、地理、生物などいろいろな科目を教えていただきました。
先生には苦手なことも頑張れば乗り越えられることを教えてくれました。その後もつらい経験も多くありましたが、それでも乗り越えられたのは、この経験があったからこそだと思います。
- 副編集長 河嶋 宗一
- 出身地:千葉県
- ■ 現場第一主義。球児に届けたい情報とあれば日本だけでなく海外まで飛び回る。
- ■ 副編集長、またドットコムのスカウト部長と呼ばれ、日本全国の隠れた名選手を探索。
- ■ 幅広いアンテナと鋭い観察力でダイヤの原石を見つけだす。
- ■ 編集部の理論派として、今日も球場に足を運ぶ。
コメントを投稿する