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zoom RSS 「白村江の戦い」はなかった?!

<<   作成日時 : 2009/02/18 08:33   >>

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画像  「白村江の戦い」(663年)に、昔から関心があった。古代に戦われた日中韓3国戦争である。日本・百済の連合軍が、唐・新羅の連合軍に敗退した戦いだ。30年ほど前、初めて、百済の都・扶余(プヨ)を訪ねた。高校生のころ日本史の授業で習った白村江(現在は「錦江」と呼ぶ)。この場所だったのか、と溜め息をつきながら、おだやかな川面を眺めた。
 わずか数年前の話。東京にいたころ、駐日韓国大使館の幹部と話をしていて、彼が「白村江の戦い」を知らないのに気づいた。エッ?! 心底、驚いた。この幹部は、40歳代後半のベテラン官僚。日韓関係史に関する知識はアマチュアだったが、「白村江の戦い」といえば、歴史的事件である。外交官として長いキャリアがある人物が、「そんなことがあったのですか」と首をかしげるのを見て、仰天するしかなかった。
 韓国で「白村江の戦い」はどう教えられているのか? 3年前、錦江河口にある群山市に出かけたのを機会に、その実像が分かってきた。

画像 「広辞苑」(第5版)には、こう書いてある。
 <白村江(はくそんこう)の戦> 663年、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍の間で行われた海戦。日本は百済王子豊璋を救援するため軍を進めたが、唐の水軍に敗れ百済は滅亡した。
 群山市の公式ホームページ(日本語)には、こう書いてあった。
 「二回目の闘いは663年、倒れた国の再興をかけた百済の復興軍と羅唐連合軍との伎伐浦海戰、又は白村江海戰と呼ばれる闘いが、この地域である錦江河口で繰り広げられた。この闘いで百済の復興軍の敗北により百済は完全に滅亡することとなる」
 ここには「倭(日本)」は、登場しない。地元の歴史記述に、「日本はない」のである。どうしたことだろうか?
 答えは、簡単に見つかった。ソウルの大型書店にならんでいた単行本「歴史を歪曲する韓国人」(バンディ出版社、2006年5月20日初版)に、その理由が明確に書いてあったからだ。
 この本の副題は「オントリ教科書を批判する」。オントリというのは、「でたらめ」「いんちき」「うそ」と言った意味の韓国語だ。著者のキム・ビョンフン氏は、1959年生まれの元新聞記者であるという。その28、29ページ。翻訳してみると、
 「(高校)教科書の<百済と高句麗の滅亡>(54ページ)には、『この時、倭の水軍が百済復興軍を支援するために、百江入り口まで来たが、敗れて追い出された』とだけ書いてある。『韓国史新論』には出てきもしない。(中略)。おかげで韓国人たちの大部分は、百済復興のために日本の大軍が海を越えてきたという事実すら知らない」
 つまり、教科書(国定高校国史教科書)には、1行ほどしか「倭の支援」について記述がない。韓国の代表的通史である「韓国史新論」(李基白著)には、あきれたことに、まったく記述がないということなのだ。
 群山市のホームページも、韓国では例外的なことではないことが分かる。どうしてなのか? 群山市の歴史研究家2人に問いただした。2人はその理由について、沈黙するばかりだった。別の大学教授(薬学専攻)は、「日本は常に侵略者という韓国側の固定概念からすると、説明しにくい事実だからじゃないんですかね」と語った。まあ、そういうことだろうか。
 その後、いろいろ調べた。この件は1982年、考古学者の森浩一氏(当時・同志社大学教授)が座談会「日韓理解への道」(中公文庫に収録)で、韓国側に問題提起しているのがわかった。
 「韓国の中学校で使っている国史教科書を拝見したんです。(中略)百済滅亡のとき、日本が百済を応援して出兵したことは『唐書』にも出ていて、歴史的事実なのです。そして白村江で日本水軍が大敗した。そのことが新羅の統一につながるわけですが、韓国の教科書には、日本が関係した事実を全く書いてないんです」(中公文庫85ページ)
 作家の金達寿氏が答えている。「百済滅亡時の日本からの救援軍のことや、それ以前からの大量渡来にしても、別に都合の悪い事実ではないのですから、韓国の教科書にも、当然書かれていいと思います」(同86ページ)。当たり前だ。
 その後、韓国の高校国史教科書には、わずかながらも記述されるようになった。その背景には、こんな経緯があったようだ。いつごろから、「倭の水軍」「百済支援」といった記述が、韓国教科書に登場するようになったか。はっきりしない。冒頭に紹介した韓国大使館幹部は、教科書で「習わなかった世代」に相当するのだろう。
 念のために、手元にある教科書を読む。
 「三国のなかで、倭と最も緊密な関係を維持したのは百済であった。(中略)百済は(中略)倭軍を韓半島に引き入れ、三国の抗争に利用しようとした」(国定韓国高校歴史教科書1995年発行、明石書店日本語版53ページ)。白村江の戦いについての具体的記述は見当たらない。
 「中大兄皇子は662年、百済に大軍と援助物資を船で送った。唐・新羅の連合軍との決戦は663年、半島南西の白村江(はくすきのえ)で行われ、2日間の壮烈な戦いののち、日本軍の大敗北に終わった(白村江の戦い)。日本の軍船400隻は燃え上がり、天と海を炎でまっ赤に焼いた。こうして百済は滅亡した」(新しい歴史教科書。2001年版51ページ、扶桑社刊)
 扶桑社版は「唐書」の記述を援用するなど、やたらと詳しい。他の日本の教科書は、どういう記述になっているのだろうか。

画像 「歴史を歪曲する韓国人」の著者、キム・ビョンフン氏を探し出した。
 光化門の喫茶店で面談した。予想した通り、淡々とした話し振りの中年男性だった。「書評を載せてくれたのは、ハンギョレとオーマイニュースだけでしたよ」。苦笑いしながら語る。彼が勤めていた「日刊スポーツ」の親会社である韓国日報は、「数行の紹介記事だけだった」。
 友人からは「タイトルが悪い」と言われた。「歴史を歪曲しているのは、どの韓国人なんだよ? 韓国人もいろいろいる、と突っ込まれました」。もっともな指摘である。「歴史を歪曲する韓国教科書」と書いたほうが、良かったですね。これがきっかけになって、僕はその後、群山方面に頻繁にでかけるようになった。その話は、また別の機会にしたい。キム・ビョンフンさん、今頃、どうしているのかなあ?


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