朝鮮日報

【コラム】高宗に問うべき三つの罪

【コラム】高宗に問うべき三つの罪

 現在徳寿宮には、1905年9月に朝鮮を訪れた米国の高官級使節団に贈った高宗の写真が展示されている。11月に開幕した国立現代美術館の「大韓帝国の美術」展のため、113年ぶりに韓国へ戻ってきた遺物だ。高宗は黄竜袍(ほう)を着て紫の翼善冠をかぶり、皇帝の服装をしている。大韓帝国の皇室写真家だった金圭鎮(キム・ギュジン)が撮影したこの写真は、米国大統領セオドア・ルーズベルトの末娘アリスと共にやって来た実業家エドワード・ハリマンが米国ニューアーク博物館に寄贈したものを、今回借り受けた。高宗は当時、日露戦争の講和を仲介した米国の支援を期待し、21歳のアリス一行を極めて厚くもてなした。盛大な昼食会を開き、皇室の輿(こし)に乗せて案内した。アリス一行が朝鮮を離れる際には、高級なシナノキの箱に収めた写真を贈った。皇帝が治める独立国・大韓帝国を記憶してほしいという趣旨だった。

 だがアリスは冷静だった。「皇帝らしい存在感はほとんどなく、哀れで、鈍感な様子だった」。アリスの評価は、大韓帝国に向けられた外部の見方を率直に示すものだ。高宗が「米国の姫」にすがったその時、ゲームはすでに終わっていた。俄館播遷(露館播遷〈はせん〉=高宗が1896-97年にロシア公使館へ居を移して執政したこと)後に高宗が展開した親ロ政策は、英国・米国など大西洋勢力の警戒心を呼び起こした。この枠組みに乗った日本は、1902年に日英同盟を結び、日露戦争勝利の布石を打った。アリス訪韓の2週間前、ルーズベルト大統領が仲介したポーツマス条約が締結された。日本の韓半島(朝鮮半島)支配を認める条約だった。ルーズベルト大統領は「日本が大韓帝国を取ることを望む」と手紙にしたためるほど、大韓帝国を信用していなかった。高宗は、そんなことも知らずにルーズベルトの娘のスカートをつかんですがり付くほど国際情勢に疎かった。

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