2016年06月27日
2016年06月27日
フォロワーの死
2016年4月1日に約3年間付き合いのあったフォロワーが飛び降り自殺をしました。
3年の付き合いといっても実際に会ったことなんて一度もないし、ツイッター上で特にやり取りをしていたわけでもない。ツイートだって全部を精読することなく、読み流す程度だった。
非常に薄い繋がりでしかなかったのだけれど、それでも3年間繋がっていた人が死んでしまったら喪失感とか哀しみといった感情も浮かび上がってくる。
仕事を休職することに決まってから、ふと彼のアカウントを覗こうと思い立った。
ツイート一覧を開くと新たな投稿がなされていて、実はネタだったという展開になっていることを少し期待しながら開いてみたが、やはり彼のアカウントは4月1日の投稿を最後に停止したままだった。
彼は鬱病で休職中だった。今の僕と同じ状況だ。なんで鬱になったのか、原因に言及しているツイートは見つからなかったので、分からないが、彼が日ごろから生きづらさを抱えていて、それが病気という形になって表れてしまったのだろう。
読んでいて最も辛かったのは、母親との関係を言及するツイートだった。
「働いて…母親を一軒家に住ませてやりてえ…ばあちゃんも… ディズニーランドに連れていってやりてえ…頼む…頼む…」
「では」
そして最後に、飛び降りる寸前の動画が投稿される。
「みなさんほんとありがとうございました。いままで。どうも。すいません、ほんと……」
そして彼のアカウントは一切の活動を停止した。
後日、別のフォロワーにより、彼の死んでいた地域で転落死体が発見されたというニュース記事を見せてもらった。
年齢も一致していたので、恐らく、彼のことだと思う。
彼は自ら命を絶つことで人生に決着をつけてしまった。
自殺の引き金を引いてしまったのは、母親の「死ねばいいのに」という言葉だったのだろうか。
母親も、本当に息子の死を願っていたわけではないだろう。
「酔った母親がたまに愛してる、、とか恥ずかしげもなく言ってくるんだよ。」
愛してるからこそ、社会に適合できない息子に対して不安と苛立ちを覚えてしまうのだと思う。
ここらへんは僕の母親も似たような感じだから分かる。
彼は彼で、母親に対する負い目というものは常に感じていたのをツイートから読み取れる。
本心では、一人前になって安心させてやりたいと思っていることも。
そんな彼が、母の言葉がきっかけで自殺を決意してしまったのは悲劇としか言いようがない。
普通になれない、社会に馴染めない、まともに生きることができない。
誰からも軽んじられ、愛し合っているはずの親子の関係がこじれ、ふとした瞬間に自殺を決意してしまう。
僕らのようにまともに生きられない人間にはこういう末路しか待っていないのか。
彼のことはツイッターから読み取れる範囲でしか理解することができないが、僕は実家で暮らしていたのが結果的に彼を追い詰めたのではないかと感じた。
母親にはよく罵られていたようだが、「何もしてなくてもごはん出てくる」「金渡して酒買ってこいと頼んだ」とかツイートしてるのを見ると、やっぱり世話してもらってたらしい。
結局のところ、甘えていたのだろう。保護されることで生きる力を削がれ続けた部分もあると思う。
依存していたのは母親も同じなのかもしれない。罵りながらも結局のところ、世話していたのだから。
もし、彼が疾病手当を受けながら安アパートでも借りて一人で生活をしていたら、鬱屈した生活を送ることにはなれど、家族との関係がここまで拗れることも、自殺するような精神状態にまで追い詰めらることもなかったかもしれない。
3年の付き合いといっても実際に会ったことなんて一度もないし、ツイッター上で特にやり取りをしていたわけでもない。ツイートだって全部を精読することなく、読み流す程度だった。
非常に薄い繋がりでしかなかったのだけれど、それでも3年間繋がっていた人が死んでしまったら喪失感とか哀しみといった感情も浮かび上がってくる。
仕事を休職することに決まってから、ふと彼のアカウントを覗こうと思い立った。
ツイート一覧を開くと新たな投稿がなされていて、実はネタだったという展開になっていることを少し期待しながら開いてみたが、やはり彼のアカウントは4月1日の投稿を最後に停止したままだった。
彼は鬱病で休職中だった。今の僕と同じ状況だ。なんで鬱になったのか、原因に言及しているツイートは見つからなかったので、分からないが、彼が日ごろから生きづらさを抱えていて、それが病気という形になって表れてしまったのだろう。
読んでいて最も辛かったのは、母親との関係を言及するツイートだった。
「働いて…母親を一軒家に住ませてやりてえ…ばあちゃんも… ディズニーランドに連れていってやりてえ…頼む…頼む…」
「いやね、毎日朝っぱらから布団にこもってゲームばかりして、夜は酒飲んで暴れるニートとかね、おれが親なら子供殺して自分も死んでますよ。でもよお、酔った母親がたまに愛してる、、とか恥ずかしげもなく言ってくるんだよ。ごめん、母さん、ほんとにごめんな、でもよ、おれ、仕事、できねえよ…………」
「では」
そして最後に、飛び降りる寸前の動画が投稿される。
「みなさんほんとありがとうございました。いままで。どうも。すいません、ほんと……」
そして彼のアカウントは一切の活動を停止した。
後日、別のフォロワーにより、彼の死んでいた地域で転落死体が発見されたというニュース記事を見せてもらった。
年齢も一致していたので、恐らく、彼のことだと思う。
彼は自ら命を絶つことで人生に決着をつけてしまった。
自殺の引き金を引いてしまったのは、母親の「死ねばいいのに」という言葉だったのだろうか。
母親も、本当に息子の死を願っていたわけではないだろう。
「酔った母親がたまに愛してる、、とか恥ずかしげもなく言ってくるんだよ。」
愛してるからこそ、社会に適合できない息子に対して不安と苛立ちを覚えてしまうのだと思う。
ここらへんは僕の母親も似たような感じだから分かる。
彼は彼で、母親に対する負い目というものは常に感じていたのをツイートから読み取れる。
本心では、一人前になって安心させてやりたいと思っていることも。
そんな彼が、母の言葉がきっかけで自殺を決意してしまったのは悲劇としか言いようがない。
普通になれない、社会に馴染めない、まともに生きることができない。
誰からも軽んじられ、愛し合っているはずの親子の関係がこじれ、ふとした瞬間に自殺を決意してしまう。
僕らのようにまともに生きられない人間にはこういう末路しか待っていないのか。
彼のことはツイッターから読み取れる範囲でしか理解することができないが、僕は実家で暮らしていたのが結果的に彼を追い詰めたのではないかと感じた。
母親にはよく罵られていたようだが、「何もしてなくてもごはん出てくる」「金渡して酒買ってこいと頼んだ」とかツイートしてるのを見ると、やっぱり世話してもらってたらしい。
結局のところ、甘えていたのだろう。保護されることで生きる力を削がれ続けた部分もあると思う。
依存していたのは母親も同じなのかもしれない。罵りながらも結局のところ、世話していたのだから。
もし、彼が疾病手当を受けながら安アパートでも借りて一人で生活をしていたら、鬱屈した生活を送ることにはなれど、家族との関係がここまで拗れることも、自殺するような精神状態にまで追い詰めらることもなかったかもしれない。