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2019-02-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・幽霊の標本

 旅先の馴染みのない環境のなかにいると、
 正体不明の怪しい動くものやら、不気味な物音やらに、
 ドキッとさせられることがある。
 怖がらずに落ち着いてよく見れば、まずは何でもない。
 しかし、心をこわばらせてそれ以上見ないようにしたり、
 逃げ出したりしたら怪しげな何かは、
 もっと大きな脅威に成長してしまうだろう。

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということばは、
 教科書に載せて全国民に伝えたいほどの名言である。
 ほとんどの怪しいものは、目で見ている向こう側でなく、
 こちら側のこころの中に棲んでいる。
 落ち着いてよく見るであるとか、よく調べてみたら、
 幽霊に見えなくもない枯れ尾花なのである。
 真偽はともかくとして河童のミイラと称する
 何やらそんな風にも見える動物の死骸はあるが、
 どこに行っても「幽霊の標本」なんてありゃしない。
 そういうものは、ないことにして生きるにかぎる。

 人を動けなくしたり、いうことを聞かせるには、
 恐怖を感じさせるにかぎる。
 恐怖であるとか呪いだとか、逃げ出しようのない強い力、
 そういうものをありそうに見せて、しばりつける。
 逆に言えば、その「こっち側の幽霊」だけでも消せれば、
 人はいまよりずっとのびのび生きられると、ぼくは思う。

 人間じゃないというくらい強い格闘王でも、
 ダンプカーに衝突されたらいのちはないだろう。
 アインシュタインだろうが、孔子だろうが空海だろうが、
 老いて死んでいくのはわかりきっていることだ。
 地の果てまで追いかけてくるゾンビも、鬼も、悪魔も、
 巨大な爬虫類も、兇悪な宇宙生物もいない。
 おたのしみとしての恐怖で遊ぶのはいいけれど、
 何やら恐ろしいものに見せようとする枯れ尾花のことは、
 「それ以上のもの」に見てやってはいけないのだと思う。
 考えようによっては、世のあらゆるものが枯れ尾花だ。
 怖くないというだけで、それはおもしろくも思えてくる。
 幽霊の標本はないが、枯れ尾花のオブジェはある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにかと狐や狸のせいにするのも、昔の人の智恵だよね。


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