個人的に演出家の技術分布として ①人に伝わる演出を丁寧にする(丁寧演出) ②人の理解力を逆手に取ってより複雑かつ緻密に情報を見せる(設計演出) ③そもそもあれこれ考えずとも人の「面白い」を作れる(天然天才演出) ④視聴者をけん引出来る演出の域に達していない(ダメ演出) の4種類がある
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たつき監督が②ではないのは明白だと分析しているが、だとすれば③か否かが問題になる。 ③ではない気がしてる(そもそもけもフレ時点でそう思ってる)
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ちなみに自分が③と分類している監督は幾原監督、湯浅監督、大地監督辺り。 この辺りは言語を超越した域(作ってる本人の感性でしか方程式を用いる事が出来ない)に達していて①や②の言語化可能な演出を逸脱しているので完全に③だなと。
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自分はまずは①、続いて②へと演出技術の向上目指すと決めているのだけれど、特定のシーンにおいて1カットにどれだけの情報を詰め込みそれをきちんと伝えられるかという作法をある程度知識として持っていれば少なくとも①と②の演出手法における演出家の技量は図る事が出来る。
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自分の中に無い演出知識や技術が用いられた場合、自身の学びとなると同時にメラしか使えない人が目の前でメラミを目撃した様な感動と「この人すげー」という実感を覚える。 なので①と②は自分の演出経験がたまっていくとある程度相手の技量を図る事が出来るのだが、問題は③である。
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先ほども言ったが、③は言語化不可能な文脈が解読出来ない演出の世界になっていくので「凄いは凄いがどう凄いのかが分からない」という理解しか出来ない。 もしそれを他の人が再現しようとすれば数学の答えを丸写しする様な「全体のトレス」をする他無い。
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しかしトレスはトレス、あくまでオリジナルの模倣、劣化コピーにしかならない。 この辺り幾原監督リスペクトのクリエイターが表れてもその表現領域において決してオリジナルの幾原監督を超えられないのが正にその構造を表している。
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宮崎駿監督や高畑勲監督は①と②の世界の化け物なので、彼らが作った2時間の映画をれば演出を細かくひも解き10時間以上語る事が出来る。 その逆で、湯浅監督の映画は2時間見ても演出を細かく言語化して解読出来ないので15分位しか語る事が出来ない。
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