韓国史を動かす「愚民」たち
民衆を愚民視し、外部勢力に取り入るエリートたちが国をダメにする
徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長
国をダメにしたエリートたち
しかし、ときとして、愚かな民衆の力は結集され、蜂起につながる。
朝鮮末期に「東学」として革命的な動乱を起こした事件はそのひとつである。王や貴族たちに防ぐことができなかった外敵の脅威に対して、憤然として戦い、国を守った。朝鮮後期には、カトリック信仰が民衆の間に伝播し、信徒たちは朝鮮の既存秩序に命をかけて抵抗した。そしてその一方では、新しい民衆宗教である「東学」が民衆革命を主導した。
結局、国をだめにしてしまったのは、すべてを握っていたエリートたちであった。
彼らの中の一部には責任を痛感した者もいるが、やはり多数はいつものように外部勢力に取り入った。日本の帝国主義者たちは、朝鮮の民衆は蒙昧で、野蛮人であるから、文明化した日本の統治を受けて当然だという考えであった。朝鮮の「親日派」たちも同じ理論に立った。再び朝鮮の民衆は愚民にされてしまったのである。
そして、このような絶体絶命の危機状況の中で、国を助けるため血を流し、命までかけた者はやはり大部分が民衆であった。
民衆の意気が歴史を動かしたとでもいうべきか。世界が注目した日本統治期の3.1独立運動も、一握りのエリートたちの手柄では決してない。その担い手はやはり蒙昧だと蔑まれた朝鮮の民衆たちであった。3.1独立運動を主導したのは、当時まだ新興のマイノリティーであったキリスト教徒と天道(東学)教徒であったことを忘れてはならないだろう。
経済開発、ソウル五輪…民の歓心を買う軍事独裁者たち
やがて朝鮮半島は苦難の末に解放のときを迎える。
外部勢力は、韓国人にはまだ独立国家を営む能力がないから、先進国の「信託統治」を受けるべきだとした。これもやはり、韓国の民衆の力がはね返した。信託統治反対闘争である。
惨憺たる歴史はそれからも続く。分断と朝鮮戦争の中で、韓国の民衆はイデオロギーの罠を掛けられた。左派の有力者は、韓国民衆を「右の反動」であるとして、多数を殺した。また右派の有力者は、韓国民衆は「左の加担者」であるといながら、また多数を殺した。いつも韓国の民衆は蒙昧であるとしてきたにもかかわらず、ただ命を守るために敵の側について生きているだけの民衆を、危険なイデオロギーの持ち主であるという名分のもとに殺してしまったのである。そのような愚かなイデオロギー対立はそれ以降も続けられた。
解放後最初の政権では、最高の指導者にして国父である李承晩(イスンマン)が終身大統領として「愚かな民」を指導し統治するしかないという考えが、彼ら権力者の間に澎湃としておこった。5.16以降の軍事独裁者たちは、韓国の民衆は先進的民主主義を実行するレベルにはないというレトリックで、「三選改憲」や「10月維新」を強制的に敢行した。「韓国的民主主義」というおどろくべき言葉も用いられた。
もちろん彼らは民の歓心を買うことにもぬかりなかった。経済開発である。キャッチフレーズは「豊かに生きてみよう」であった。もはや洗脳である。民主主義と経済成長を対置させ、交換するようなことを教え込んだ。その「教育」の力は絶大で、現在でも一部の韓国人は、5.16勢力こそ長く続いた貧困から民を救った英雄であると認識している。
しかし、真に理解力がある者なら、民主主義の発展は経済成長と比例するという原理をわかっているはずである。
朴正熙の死後の一時期、韓国の民衆はいわゆる「ソウルの春」を夢みた。しかしこれもあっという間に霧散した。全斗煥らの12.12粛軍クーデターである。彼らは5.16勢力と「コード」は同じだが、そのレベルはもっとひどかった。情けをしらないという点で他の追随を許さなかった。
もちろん彼らも民の歓心を買うことに腐心した。すなわち「先進国のビジョン」であり、「ソウルオリンピック」であった。これほど韓国が栄華を極めた時代があるかと彼らは自賛した。朴正熙の時代のキャッチフレーズ「豊かに生きてみよう」が、全斗煥の「あぁ、大韓民国!」にすり替わった瞬間であった。