韓国史を動かす「愚民」たち
民衆を愚民視し、外部勢力に取り入るエリートたちが国をダメにする
徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長
高位官吏は権力闘争に明け暮れた
これらの制度は、結局のところ朝鮮の政治が儒教の価値観を実際の政治に反映させようとしたあらわれであり、肯定的に解釈すれば、理想的な権力配分と相互牽制の政治システムを構築して「理想国家」を実現しようとしていたものとして、現代の政治も学ぶべき点がある(徐正敏著『韓国カトリック史概論』、かんよう出版、2015、43-44頁)。

朝鮮王朝時代の王の椅子、景福宮内=韓国観光公社HP このように朝鮮の政治制度は、絶対君主に対する牽制を構造化した質の高いものであったにもかかわらず、現実的には多くの部分で機能せず、失敗した。大きく制限された王権の下で高位官吏たちが権力闘争や派閥抗争に血眼になったからである。
その結果、「民のための政治」という理想は地に落ちた。朝鮮時代の儒教は、古い伝統をもつ仏教や民間信仰に慣れ親しんでいた多数の民衆に対し、少数の王族、貴族(ヤンバン)の価値を押しつけ、強要した宗教、哲学であった。このようなことも政治と民意が離れた要因の一つであるといってよいだろう。
儒教を強要された「愚民」たち
韓国の民衆は、現代史の初期にあたる1960年に4.19革命を引き起こした。流血を代価とした若い学生たちの喊声と民衆の絶叫は、韓国民主主義革命の最初の成果を収めた。
これが定着するには一定の時間が必要であったし、試行錯誤のなかで困難を克服して熟成させることが必要だった。
しかし、暴力的な力を持つ者たちはそのプロセスを待つことをしなかった。彼らは自分と自分が所属する集団の私益だけを追求する者たちであった。もちろん彼らにもそれなりの憂国の情はあったかもしれないが、いずれにせよ5.16軍事クーデターによって、韓国の民主主義は30年後に希望を託すしかないところにまで後退した。
すでにみたように、朝鮮王朝最高の王と評価されている世宗をしても、民を愚かだとみなしていた。好意的にとれば、それは民を慈しむ聖君の心情であるともいえるが、ともあれ民衆には欠けるところがあり、王はその不足を補ってやらなければならない存在だったのである。
これは聖君にも暴君にも共通する考え方であった。民心が天心であり、民が天であるということばには、正反対のアイロニーが含意されていたといえるだろう。
朝鮮王朝時代の王、貴族(ヤンバン)たちは、儒教をもって民衆を教導し、民衆をその価値観の中に押し込めようとした。宗教的には、「民衆化した仏教」や伝統的な信仰、自然宗教に深く馴染んでいる民衆に、儒教のややこしい礼儀作法や高尚な倫理徳目を背負って生きることを強要したのである。
儒教が目指す倫理、その深い哲学的な価値はいうまでもなくすばらしい。しかし「愚かな民」はその倫理や哲学に形式的に従うだけであった。その規矩に従わぬ者は人間以下の扱いを受けた。飢えに苦しみながらも祖先に対する祭祀は人並みにおこなわねばならず、三綱五倫を実行するためにときとして命をささげることもあった。「愚かな民」たちは、そのようにして訓育されたのである。そこから外れる者は、バカで、野蛮で、無知蒙昧な者として斥けられた。