『勉強の方法 〜勉強する理由と試験の受かり方〜』立ち読み
Amazonで販売中の電子書籍『勉強の方法 〜勉強する理由と試験の受かり方〜』の冒頭部分を公開します。
はじめに
「勉強をしなさい」と言う人はたくさんいますが、その具体的な方法を説明する人はほとんどいません。
言ったとしても、せいぜい「予習復習しなさい」という程度の話でしょう。
教師・教員たちは、自らが受け持つ個別の教科については説明をし、解き方を教えます。
けれども、すべてを貫くこと、つまり勉強そのものについては、どのようにすべきかを説明をしようとはしませんし、そんなことは考えてもいないようです。
なぜ予習復習が大事なのかも、それが本当に正しいことなのかも語られません。
そうであるにも関わらず、いまだに学歴は重視され、十分な学歴がないと自動的に門前払いとする会社などは、いくらでもあります。
また、特定の資格がなければ就くことさえできない仕事も少なくないのが実情です。
一方で、学ぶ側の多くは「なぜ勉強をするのか」「何の役に立つのか」という根本的な疑問を抱え続けています。
そして、その解答がなされないことで確かなモチベーションを得られないままに、
「何かしら大事なもの」として、他人や自らによって勉強は「すべきもの」とされています。
つまり、勉強については、重要視されているがやり方も目的も利点も説明されていないのが現実なのです。
これは、完全に異常な事態です。
本書は、これらの問題に対応するために、主なテーマを、
・なぜ勉強するのか。
・どのような手順で勉強をするのか。
・何によって「理解した」と確認するのか。
・どうやって試験対策をするのか。
として書かれており、これらに答えていくことを目的としています。
なお、本書で想定している試験は、主に学科試験となっています。
しかし、実習や実験のある勉強についても、基本的な学びの方式は応用可能と考えます。
現在では、実習などのいわゆる「実地」というような学習内容についてもマニュアルや映像教材は豊富にある場合が多いでしょう。
それらを使いつつ、本書の方法に則って学習を行えば、大方の内容は習得できるものと思われます。
学校へは行かない
勉強をしようとするとき、多くの人が犯す間違いがあります。
それはつまり、学校に通おうとすることです。
「学校へ行き、授業を受けて、家に帰って復習、次の予習をしてまた学校へ行く」というパターンで学ぼうとする訳です。
もちろん、これはかなり真面目な人の場合です。
ほとんどのケースでは、「学校へ行き、授業を受ける」ということだけで、「どうにかなったらいいな」と考えます。
いずれにしても、学校へ通っているだけで、自分が学んでいるつもりになっている人は少なくありません。
しかし、実際には、まったく身が入っていない場合でも、それなりのことをやっている風に考えて、貴重な時間を失っていくのが現実です。
そうした考え方は「人任せ」という意味で、持っているマインドとしても問題があります。
そのうえ、授業というのは、それ自体かなりロスが大きい学習法です。
簡単にいえば、「時間のムダ」なのです。
時間のムダだというだけでなく、労力とお金のムダです。
また、あなたの中にある「自信のなさ」を強めるという恐ろしい働きさえ持っています。
それにも関わらず、あまりにも多くの人が、「とにかく学校へ通おう」と考える「就学マインド」に侵されているようです。
まずは、学校へ通おうと考える人が持つ心構え、マインドの問題について書いてみます。
就学マインド
学校を利用することの中には、そもそものマインドとして、大きな問題があります。
そこには、学校へ行っていれば何とかなるという考えがあるからです。
「通ってさえいれば、学校が何とかしてくれる。」
そういう依頼心の強い、“あなた任せ”な考え方は、非常に高い確率で、失敗を引き連れてきます。
なぜそうなるかと言えば、「何も考えていない」からです。
たとえば、大学に合格しようとしたり、資格を取ろうと考えるようなとき、ほとんど人が他の人がどうやっているかを見てみます。
そうして、多くの人がやっている、「学校や塾、予備校に通う」ということに、そのまま従います。
ただ、「大多数がやっているから、それに従っておけば安心だろう」というだけの理由で、です。
けれども、大事なことはもちろん、「それで本当に合格できるのか?」という点です。
そのことに対する答えは、「一生懸命やれば、たぶん受かるんだろう……」という曖昧なものでしかありません。
では、なぜ、曖昧な答えしか出せないのでしょうか。
それには、「どうやれば試験に受かるは、自分には分からない」という前提があるからです。
確かに、「試験に受かる方法とは?」という問いに対する完全な答えは、誰も持っていないかもしれません。
けれども、そのことを考えないで、ただ学校に通うというのでは、あまりにも無策です。
なぜ、そのような無策に陥ってしまうのでしょうか。
理由はおそらく、「自分で責任を取りたくないから」でしょう。
つまり、無意識的な判断が働いてしまっている訳です。
自分で決めたとき、結果として合格できなかった場合には、その責任は自分にあることになります。