『人生がときめく片づけの魔法』レビュー
「こんまり」こと、近藤麻理恵の『人生がときめく片づけの魔法』をいまさらながら、読了。
ちなみに、2010年出版の本だそうである。
先日、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたというニュースを聞き、キンドル版をすぐに買って読んでみた次第。
つまりは、ミーちゃんハーちゃん的行動である。
筆者が勧める方法のキモは、「ときめくもの以外は捨てる」ということなのらしい。
確かに、ときめきがないものは持っていても使わないというのは、経験的に言って非常に正しい。
また、そういうイマイチなものは、周囲に置いておくと気分を下げる原因、いわゆるダウナーになるのも間違いない。
本書からは、全体を通して、筆者が「長く格闘してきた」ということが伝わってくる。
通常、片付けの本を書く人は、片付け上手な人と相場が決っている。
けれども、そういう類の本を読む側は、当然、片付けが下手な人である。
そして、片付けが上手な人というのは、片付けが下手な人の気持ちが分からない。
拙著『勉強の方法
』で書いた、その分野の勉強が得意な人が教師になることの弊害と同じ構造である。
筆者もぞっとするというようなことを書いていたと思うが、片付け上手な人は、使う頻度ごとに6種類に分けるなどという世にも面倒な空恐ろしいことを、「提唱」したりなどする。
片付け下手は、何とか頑張って彼らに付いていこうとするが、そんな几帳面なことができるのであれば、片付けの本など初めから必要ないのだ。
そういう意味で、いわゆる片付け本は、役に立たないものが多い。
しかし筆者は、そんな類の他の片付け本作者とは、まるで違っている。
きちんと片付けをしたいと願いながら、なかなか思うようにいかなかったという戦いの日々があって、その結果として編み出された方法が、本書には散りばめられている。
中でも、先の「ときめくものだけを身の回りに置くこと」に加え、「定位置を決めること」、「気を掛けること」の3点がポイントと言えるだろう。
つまりは、「大事なものを大事に扱う」ということなのだと思う。
本書は、日本でも100万部以上売れたし、世界でも30カ国以上で翻訳されているそうだ。
他にも、実際に片付けをするときには、どういう順番でやったら良いのか、どうやってときめくかどうかを判断するかなどが書かれている。
また、掃除をすることが、自分という問題を解決することにも繋がっているといった内容も書かれている。
特別、大げさな泣かせるエピソードが書かれていたりなどする訳ではないが、筆者のひたむきさが伝わってきて静かな感動を味わうことができた。
おすすめの一冊だ。


人生がときめく片づけの魔法

プロ棋士はすでにコンピュータにかなわない
ニコ生で『将棋電王戦FINAL』を見たので、感想を少し。
『将棋電王戦FINAL』というのは、5人のプロ棋士と5種類のコンピュータ将棋プログラムによって行われた将棋棋戦である。
以前から見ては来たが、「熱心に」というより「軽く」という具合で、あまりレギュレーションに注意を払っていなかったという状況なのだが、記者会見を見て考えたことを書く。
それは「今更ながら」なのだが、記事の題名のとおりの内容だ。
つまり、プロの棋士はすでにコンピュータにはかなわない状態になっているということである。
第二回の電王戦では、三浦八段がクラスタ構成の将棋プログラムGPSに完敗している。
クラスタというのは、平たく言えば、たくさんのコンピュータを繋げてパワーアップを図ったものということだ。
どの手を選ぶかによって枝分かれしていく局面の評価を、並列的に処理するというのが主な機能だろう。
第三回からは、クラスタが禁止となっているが、それでも棋士たちは、かなりの苦戦を強いられている。
第二回には明記されていなかったソフトの貸出も第三回から行われており、そこのところは今回のファイナルでも物議を醸した。
ソフトを貸し出すということは、ソフトを相手に何度も試し打ちができるということだ。
第二回までは、開発者の判断に任されていた部分である。
つまり、ソフトをプロに貸し出すか否かについては、自由だった。
また、貸し出されたプログラムについての改良までもが、開発者には禁止されている。
だから、今回のプログラムAWAKEのような事態が生じてしまった訳だ。
ちなみに、知らない方のために書くと、最終局である第五局でAWAKEと対戦した阿久津八段は、プログラムの癖を利用して失敗させるようにして打ち、開発者から投了を引き出している。
元奨励会所属で、プロ棋士を目指したが挫折、その後、コンピュータ将棋を始めたAWAKE開発者である巨瀬氏は、この点に苦言を呈している。
「人間とコンピュータが切磋琢磨するのでなければ意味がない」というようなことなのだろう。
気持ちは分からないでもないが、貸出あり、改良なしのルールに同意したのは自分だろうから、この事態になって文句を言うのは違うように思われる。
いずれにしても、こうして見てみると、クラスタ禁止・貸出あり・改良禁止と、棋士の側に有利なレギュレーションに変わってきていることは明らかだ。
なぜそういう配慮が必要かと言えば、身も蓋もないのだが、そうしないと勝負にならないからである。
単なる一視聴者の立場からすると、最強の棋士がコンピュータに負かされるところを見たいと考えてしまう。
けれども、実際に、何度か棋士が対戦してみたところ、すでにどうしようもなくコンピュータの方が強いということが明らかになってしまったということだろう。
将棋連盟としては、業界の盛り上がりのために電王戦をやりたいとは思っても、さすがに全員が完敗してしまったのではメンツも何もあったものではない。
そこで、レギュレーションで対応している訳なのだ。
かわんごことドワンゴの川上会長は、貸出不可などの開発者が望んでいるルールは見せかけの公平さによるものであって、そもそもコンピュータと人間が戦うこと自体に無理がある、というようなことを言っていたように思う。
しかし観客が望むのは、「人間もコンピュータもすべてのスペックをフル活用した場合にどちらが勝つのかをはっきりさせて欲しい」ということだろう。
ただし、状況から推察するに、すでに勝負は決しているようだ。
ソフト貸出のルールは運営側であるドワンゴからの提案とのことだそうでで、少なくとも川上会長には、その時点でもう、このルールの必要性が明らかだったのである。
おそらく、最強と謳われる棋士が登場したとしても、クラスタあり、貸出なしのソフトには勝ち越せないに違いない。
ずっと見てきた方からすれば、「ナニヲイマサラ!」な話なのだろうが、一般的に認知されているとは言えないと思われたので、書いてみた次第。
