第19話「幸福の条件、未来の資格」
広瀬涼の新たな機体、「ノーチェ・ブナエ」のデビューは華々しく飾られた。
それから数日後、涼は久方ぶりに、世話になった孤児院ポインセチアを訪れる。しかし……。
戦禍の中にアタシは居た。
目の前には、子供を抱えた女性が一人。
「どうか、どうかこの子だけは……!」
女性は叫ぶ。女性にとって、この子供は大切なものだったのだろう。
どうして? この女性にとって、子供はどういう関係なのだろう?
関係ない。
アタシはただ、決められた相手を襲い、殺せばいい。それが全て。
でなければ、アタシは死ぬ。
「ママ、ママぁ……!」
必死に泣く子供。
この子供がどう思っているか、理解することができない。
ただ、この光景を見ていることが、とても不愉快でならなかった。
Flamberge逆転凱歌 第19話 「幸福の条件、未来の資格」
「―――でさ、泣き出しちゃった子の世話って大変なのな。とりあえず教わったコトは試してみたけど、上手く収められる気がしなくて」
「あるある。一度泣き出しちゃうと大変よね」
広瀬涼のBMMドライバーデビューから数日後。やっと纏まった時間が作れた涼は、休日の前夜、久々にポインセチアを訪れていた。
軽食や酒をつまみに、彼女が様子を見たかったひなたと、二人きりで。
思えば働き詰めの涼は、ひなたとレイフォンの預かりが決定し、スマイルマーケットの一件で協力して以来、滅多に会えなかった。
「そういえば、さ。レイフォンの奴、働きぶりどうだった? お前関係の仕事してたって言って」
「ちゃんと働いてたよ。『ノーチェ・ブエナ』の輸送からセッティングまで、研修で由希子にみっちり仕込まれた甲斐あったって」
「……そう、なんだ」
笑顔を見せるひなた。それを見て、涼の表情は真剣なものに変わる。
思えば、話し始めてから酒に手を付ける様子がない。
成年で問題なく、飲む習慣のないひなたでも飲める軽い飲料を買ってきたのだが、ずっと落ち着かないように飲料の缶を両手で抱えたまま。
「何か、気になる?」
「え……」
涼の言葉に、返答に詰まり、視線が泳ぐひなた。
「……」
「答えたくないなら、それでもいい」
問い詰めることはしない。涼は優しい瞳をひなたに向ける。それだけ。
「……なんで、アタシにそんな目とかできンだよ」
ぽつり、と呟く言葉。
うつむき、表情を見せないようにしながら、ひなたが漸く絞り出した言葉。
「アタシは二回も、お前の前に立って、危害を加えた」
「そうだな」
「……何も言わないのな」
「理由並べて否定して、それで納得するようなものじゃないんだろう?」
その言葉に、またも少しの沈黙。
「わかってるんだ。アタシが前に進んでるって、頭では。
だけど、こうやって平和……っていうのかな。そう過ごしてると、時々思うんだ。
アタシがここにいていいのか、こんなことをして、何事もなく溶け込んでいいのかって」
理屈ではない。新しい世界を知って、それが自分に許されるのか。ここにいていいのか。
思い浮かぶ、モノのように売買され。機械の片腕と同様に、己すら機械として、武器として、消耗品として扱われる。
「思い出せないくらいの人を殺した。それ以上の人を害した。
比べるのもアレだけど、アタシが害されもした」
「―――正直、怖い。『アタシがここで生きていていいのか』って。
時々の馬鹿騒ぎで忘れることもあるけど、どうしてもふいに過っちまうんだ」
どうして優しくされる。皆大なり小なり不幸にあって、それでも優しさに触れてきたから。
どうして強くいられる。皆それでも前を向いて、目の前の人生に向き合っているから。
どうして愛してくれる。皆が己の存在を認めてくれるから。
理屈では分かる。それでも、拭えない不安、湧かない実感。
人間としての生を根底から否定され、物品と扱われたが故に、染みついたもの。
常にパイロットスーツの機能を持った戦闘服を着て戦った過去。
今は一般人と比べても浮かない、短めのチェックのスカートにYシャツ。
駒として扱われていた過去からは抜けている。それは、今の服装を着こなしていることでも、ひなた自身が自覚しているということはわかる。
だけど。それでも。
「自分語りをする気はないケド」
ふいに、涼が口を開いた。
「同じ『R1』が、こうして生きてるんだ。今すぐじゃなくても、その不安を超えられる時が来るさ」
「……だからあの時、
「私にとっての敵がいるなら、それは社会の悪意だよ。ひなたはそうじゃない」
その言葉を聞いて、ふう、と大きく息を吐いて、吸って。ぷしゅ、とアルコール飲料の蓋を開けた。
「頑張る」
「頑張んなくていいよ」
「じゃあ、どうすればいい?」
「とりあえず、気楽に行こう」
そこまで言葉を交わし、ようやくぎこちないながら、心からの笑みを出そうとするひなた。
彼女の掲げた飲料の缶に、涼も軽く自分の分の缶を当てて、微笑みと共に乾杯の意を示す。
―――――
―――
――
「……大丈夫だったようね」
その様子を、ドアに耳を当てて伺っていたアルエットは、安心したように表情を緩めた。
「だからってそんな事せんでも」
遠巻きにそれを見ていた総一が呆れたように。何かしでかさないか気が気でなかった。
そもそも涼が来た原因となったのは、この二人からの話が原因だった。
子供たちの世話はできても、ひなたは一向に孤児院の外に出ようとしなかった。
確かにそれは、運営を担うアルエットや、受験シーズンの総一にとって有難いことではあるのだが。
独りになった時、節々ににじみ出ていたひなたの様子が、たびたび二人の目に入っていたのだ。
故に相談の結果、関係の深い涼にアルエットが話を持ちかけ、この機会が生まれた。
「だって気になるじゃない?」
「だとしても不審者ムーブする必要が欠片もねェよ」
呆れかえる総一を他所に、とりあえず事態が落ち着いたということで、作業に戻ろうとするアルエット。
ふいに、そのポケットに走る振動。
入れていた携帯端末をぱっと取り出し、電話だと気づいて。それが由希子からの電話だと画面で気づき、電話を受ける。
「はい、アルエットです」
『アルエット? その、落ち着いて聞いてほしいの』
言う側が明らかに落ち付いていない由希子の声に、ただならないものを感じ、アルエットの表情が引き締まる。
「……どうしたの?」
『レイフォン君が、その―――』
―――――
―――
――
「被告人は身元不明瞭のため、児童養護施設『ポインセチア』に引き取られた際、警察との確認を取った上で家庭裁判所に就籍許可申請を行い、受理をされました。
彼にはエルヴィンの戸籍が存在します。そのため、不法滞在・不法就労には該当しません」
静まり返った場内に響く、はきはきとした涼の言葉。しかし、落ち着いた口調の反面、彼女の纏う雰囲気はいつになくピリピリとしていた。
被告人席にはレイフォン。彼には不法就労の嫌疑がかけられ、こうして裁判という舞台に拘束されていた。
正規の手続きを踏んだにも関わらず、何故このようなことが起きてしまうのか。
それも、ひなたを助けてくれた、陽の当たる道に連れ出してくれたレイフォンが。
あれだけ頑張っているのに。
涼の内心に溜め込んだ感情は、爆発しそうなのを必死に押し留めているような状態だった。
しかし、相対する男は言い放つ。
「それは法的に全く問題がなければの話。ですが、残念ながらそれは通用しません。
何故ならば―――彼は日本人としては有り得ない人種、名前。エルヴィンでは原則、彼らのようなアジア人には定住を一切認めておりません」
「―――ッ!!」
髭を揃え、髪をきっちりオールバックに揃えた中年の男は自らの論理を捲し立てる。
訴訟代理人クジャン=ダイゲン。やや色の抜けた黒髪が特徴的な彼は、ファルコーポで仕事をしていたレイフォンに目をつけ、今回の訴訟の中心としたのであった。
「故に、人種不適切として。レイフォンと言いましたか。彼には『行政訴訟』として就籍許可申請の取り消しを。
そして個人と、さらに雇用先のファルコーポレーションに対して『刑事訴訟』を起こすことの正当性を証明してほしい、ですねぇ……!」
彼の論理は、今回の話を『行政訴訟』という形で決着させることにより、決闘審判で覆しようのない『刑事訴訟』に繋げるということ。
即ち、間接的に決闘審判では取り扱っていない『刑事訴訟』を決闘審判で決着づけるという暴挙である。
「それでは、弁護人」
裁判長の言葉により発言権を得た涼は、一息を入れた後、己の主張を始める。
「異議を申し立てます。被告人は今回、人種と言う一点で今回の訴訟を起こされています。
ですが、人種を理由に戸籍申請が却下されたことは過去一度もなく、また―――」
「それは人種がエルヴィンに認められている人種であるという前提でのお話です!」
が、クジャンの言葉により意見が遮られてしまう。
流石に耐えかねていたものが爆発した涼は、思わず声を荒げる。
「今は弁護中です! 慎んでいただきたいッ!!」
「おお、怖い怖い……ですが、貴女が今そこに居られるのは貴女が白人系だからこそ許されるのですよ?
自身の過去を想起しているのであれば、その程度は認識していただきたい」
「した上での発言です」
クジャンの言葉は間違いではない。
元々、広瀬涼の名前は便宜上つけられたものであり、昔受けた検査の結果、人種的には白人種であることが判明していた。
だがそれが今回の裁判に何の関係があるのだろうか。
平静を取り戻し、それでも自身の意見を通そうとする。
「エルヴィンの所在の関係上、孤児たちがどこから保護されてもおかしくない状態になっています。
彼らを人道的に社会に復帰させるため、就籍許可は20歳未満の子供たちに与えられた権利となっております。
この訴訟は権利を侵害するものとして、認められないものであると私は主張いたします」
「ですが、それを通すことでエルヴィンの権益が侵害されては元も子もない。裁判長、私の話への正当性は?」
クジャンが裁判長に言葉を投げかける。
マナーの悪さは当然ながら、それでも文句の一つも出ない。
クジャンの強さは根回しから調査までを綿密に行い、『確実に』決闘審判に話を持ち込ませること。
別ルートから強引に、刑事訴訟の件を含めさせて決闘審判を行う。
身内が手にかけられたとはいえ、涼もクジャンの手に乗せられるのは初めてであり。
「―――広瀬涼、クジャン=ダイゲン。両者の言葉に正当性ありとし、『決闘審判』制度を実施する。
双方明後日までに、条件を制定し、合意のもと提出すること。以上」
負けることのない広瀬涼が、元々負ける気も勝たせる気もないクジャンの言葉に抗う術はなかった。
―――――
―――
――
「―――クソッ!!」
ズドンッ……! 一人だけの空間、個室に重い音が響く。
広瀬涼は荒れていた。理屈ではわかっているのだが、こうも現実を突きつけられると嫌な気持ちを捨てきれない。
カッとなって公共物に拳をぶつけてしまい、壊れていないか後ではっと気づいて見るくらいには、落ち着きがないことを自覚していた。
しかし、少しでも落ち着かなければ、彼らと対面することはできない。
結局彼女がトイレを出るのに、十数分の時を要した。
「……少しは落ち着いたか?」
「少しは」
女子トイレの前で待っていた俊暁。あれだけの音を立てれば気になりもするし、察しもするだろう。
無言でペットボトルのカフェオレを差し出す俊暁、それを受け取る涼。
そこから控室に向かうまで、人もいない無言の空間が流れた。
「……俊暁」
「何だ?」
お互い、顔も合わせず歩くまま。ふいに沈黙を破ったのは涼だった。
「もし、一緒に居る人間の人種が、嫌いなモノだったりしたら、どうする?」
「それで何か変わるわけでもないだろ」
「知りあう前に人種を知ったら?」
「付き合い方は合わせるだろうが、個人を見るなら別だ」
そして、また暫し、足音だけが響く。
「人間みんな俊暁みたいな感じだったら、こんなことにはならなかったかも」
「そりゃ『かも』だ。自分自身に嫌悪感持って、遠ざける奴もいる」
「そっか」
互いに互いの表情は伺えない。普段通りの表情で前を向く俊暁。視線が落ちる涼の表情は伺えない。
「で、行き過ぎ」
俊暁に肩を引き戻され、漸く控室を通り過ぎかけたことに気づく。
「まあ何だ。どうせお前の事だ、理解はしてても心が追い付かないんだろ。
この流れをブッ壊せるんだから、もちっと胸張れよ」
「……うん」
「なんだ元気ねーな。胸張るの手伝ってやろーか?」
「セクハラ」
「そうやって言えるだけでも十分」
予想通りの言葉が返って、少しは安心したように、ふう、と息をつく俊暁。
息を整え、静かに、それでも落ち着いて控室のドアを開く。
そこに居たレイフォンも、ひなたも、口を開こうとしなかった。できなかった。
「……レイフォン君」
重い空気を破ろうと、涼が言葉を投げかけたことで、レイフォンははっと顔を上げる。
それで視線が合ってしまったことで、後ろめたさを覚えたのか、視線が再び下がる。
「俺、考えたんです。馬鹿だけど、ひなたが危なくて、突っ走ってから。
俺もひなたも、生きるために頑張ろうとして。みんな手伝ってくれて」
その言葉を聞く三人。レイフォンの言葉を遮れず、押し黙っていた。
レイフォンの言葉は、俊暁以外の三人が背負っているものと同義だった。
「でも、それで許されないことがあった。俺ではそれができない、って。
俺がそれをやろうとしても、納得しない人がいる。だから―――」
躊躇しながらも、レイフォンが続けようとした瞬間。
「聞けない」
そのタイミングに割り入ることをイメージしていたかのように。
レイフォンの続きを遮り、涼がはっきりと声を出す。
「生まれが何だ。育ちが何だ。それで縛り付けて、自分たちが幸せになる。犠牲になる他人が受け入れること自体が、間違いなんだ。
私がそれを証明する。だから、やりたいことに他人の目を通すんじゃない」
「でも、それで涼さんは……」
「私がこれをやりたいんだ」
瞼を閉じる。
涼の脳裏に過る、今までのこと。
幼いころから弄ばれ、由希子に優しさを分け与えられるまで、死んだように生きていた己。
別の事情を抱え、それでも立ち直り、社会を懸命に生きてきた由希子とアルエット。これから生きようとする総一。
生きる未来があったにも関わらず、身勝手な大人に命を奪われた朝輝と、大事な兄を失った俊暁。
優しさにやっと触れたばかりで、頑張って受け入れようとしているひなた。
掴もうとした幸せを、今奪われようとしているレイフォン。
『私にとっての敵がいるなら、それは社会の悪意だよ』
自身の言葉。それは確かだった。
己の都合で他人を振り回す。今回はあくまで、その一面が発露したに過ぎない。
だからこそ。真っ向から社会というステージで戦うという道を選んだ。
格差やら差別やらで、人を押し込めるのが許せないから。
幸福を見出すのに条件が必要なのか。
希望を掴むのに資格がなければならないのか。
「私に―――」
だからこそ、自分がそれを『背負いたい』。そう思って、言葉を紡ごうとした瞬間。
「―――アタシにも」
その言葉、不意に響いたそれに、周囲の視線が向いた。
「アタシにも、やらせてほしい……!」
落ち着かない気持ちが表情に出ている。それは彼女自身も分かっている。
だが、それでも。
手を挙げたひなたの瞳には、僅かながら『やりたいこと』の光が灯っていた。
―――――
―――
――
レギュレーションは一機のみの戦い。それ以外は自由。
その一機が破壊されたら終了という単純明快な話。
戦いの場所に選ばれたのは、スタジアムではなく、以前涼とひなたが戦った崩壊区域。
そこに立つ紅の機神・エールフランベルジュ。
しかし、その機神に搭乗しているのは、広瀬涼だけではなかった。
『まさか、本当に話が通るなんて思ってなかった』
「そう?」
あくまで指定が『一機』であるが故に、複数人のパイロットが乗ることは許容されていた。
今回はひなたの希望もあり、ひなたはツヴァイのコクピットに搭乗していた。
ツヴァイとフランベルジュは、合体前の胸部を展開して現れたコネクタで接続されている。
万一の際はコクピット間を移動することができるようになっている。
「撃ちたかったら、好きに撃っていいから」
『わかった。そうする』
コクピットからの操作で、手持ちではない火器を使用することが可能。
涼はひなたにそれを預けるということで、今回の話を受け入れた。
涼が操作しながらひなたの能力で繋ぐことはできなかったが、それでも戦いに関してはひなたを信頼している。
一人より二人。この戦い、絶対に負けられない。
だが。
『なあ、涼』
彼女達の瞳に映るのは。
『エルヴィンの人型ロボ、基本18m級の逸脱は無理って、言ってなかったか……?』
ひなたの言葉は正しい。
巨大なモノを動かすには、どうしても耐久力や自重で物理的な限界が存在する。
その壁を超えられるのは、元となった生体金属ODENを使用したケース程度のものであり、エールフランベルジュがまさにそれの体現者。
大きいものが自在に動くということは、それだけのパワーを秘めているということ。エールフランベルジュが規格外という証拠。
そのはずである。
目の前に現れた威容は、紺色に青のラインが入った、のっぺりとした巨人だった。
40mを超えるフランベルジュが子供に見える程に巨大なそれは、そもそも機動兵器として有り得ない、まるで生物のような五体を持った異形として、立ちふさがっていた。
Flamberge逆転凱歌 第19話 「幸福の条件、未来の資格」
つづく。