殻を破れないエンジニアの雑記

エンジニアの卵。ずっと卵。

5つ目の現場の話

こんばんは。くろのです。

日曜も終わり、今日から週明けですが皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、本格的にネタが尽きてきました。

世の中のブロガーの皆さまの引き出しの多さには脱帽です。

と言うわけで最後の現場ネタを書き綴っていこうと思います。

これは直近までお世話になっていた現場のお話になります。


はじめに


This is INDEX :)

  • 現場情報
  • 使用製品
  • 仕事内容
  • 退場のきっかけ
  • その他

現場情報


業種:とある大手の飲料系
期間:2018年5月~2019月1月まで(8ヶ月)。
役割:VMWareを使った基盤の業務全般
ポジション:仮想基盤チームメンバー
チーム:10名

ちょっと複雑ですが、原則メンバーとして立ち振る舞っていました。

場合により構築メンバー全員の管理をするリーダーにもなったりして、PMやPLとのカウンターパートになったりもしてました。

自社内での立場は3名プロジェクトのプロジェクトリーダー。

使用製品


  • OS:RHEL7.4 , Windows Server2016 , VMWare vsphere6.5
  • DB:DB2 v8 , Oracle 11g , MSSQLServer2k16
  • 他M/W:Service Guard for Linux 12 ,
  • 言語:なし
  • グループウェア:なし
  • その他:HPE Proriant DL380 Gen10 , HPE StoreServ 3Par 8000シリーズ , SN6600B

仕事内容


商流は、ユーザー会社→大手SIer→自社 の2次請け。単金は初めての3桁大台。

プロジェクト参画時はベンダーに依頼する設計書の作成からセグメントの設計から通信要件の設計、データセンター内のラックの構成図からケーブル結線図まで幅広くやらせて頂きました。

ラッキング完了後は仮想基盤構築という事で、ESXiのインストールから、各種試験まで全て対応しました。

めちゃくちゃ楽しかったです。

プロジェクト参画時の顔合わせの際は、若手と職人の間を繋ぐブリッジエンジニアとしての動きを期待してます。

との事でしたが、この年の新人4名からは師事されていたし、2年目メンバーも内輪の送別会には無理やり参加してくれたので本当にいい現場でした。

ある程度働きが認められると、老朽化対応のデータ移行方針を詰めるためのPoC環境構築プロジェクトのリーダーをやらせてもらいました。

実機もベンダーさんから貸してもらい、メンバーとスケジュール引いて役割分担して何とかこなせました。

自分のスキル不足が響いて進捗に遅れが出そうになったのは、仕方ないので残業でカバーしました。。。

ただ、結局の処H/WもM/Wもベンダーさん製品で統一していたものの、期待していた機能をサポートしていないという事がわかり頓挫。

事前QAでサポートについては確認したものの、後出しされてちょっと残念な結果でした。

案件の終盤は後回しにしていた基本設計書の作成です。

素案と目次は出来ていたので、これをPMRvを通し、完成させプロジェクトを離れることになりました。

あまりこれまでかかわってこなかった、ネットワークTmとの細かい調整や、ストレージTmとのファブリックやゾーニングの知見も得られて8ヶ月間で経験値は飛躍的に伸びたと思います。

退場のきっかけ


元請けからの撤退要請により。

厳密に言えば、大型案件のための人集めをしていたところ、1年以上後ろ倒しになってしまった関係でお財布が厳しくなったとの事。

その為、各社別案件にドナドナされるか、撤退要請を受けるかの2択を迫られました。

くろのの会社はお客様的にあまり好まれていない様で、営業同席での年末のご挨拶で秒殺されました。

打ち合わせの時間も本当に5分未満だった気が…。

その後、大企業ならではの裏工作を持ち掛けられたのですがそれはまた退職エントリで触れたいと思います。

こうして、メンバーの引継ぎもコントロールしつつ、どうせ見もしないけど工程管理表も提出して無事退場しました。

その他


ここでもありがたい事に元請けのPMさんからは是非とも次の会社でも、将来でもパスさえあれば一緒に仕事がしたいと仰って頂けました。

僕自身特別な事をしているつもりはないのですが、本当にありがたい事です。

ここでも名刺を頂いてしまいました。

とても良い現場で、年上は全ての年下メンバーのメンター的な役割を担っています。

また、なるべく疑問を持たせ、考えさせることで設計力も含めた技術を身に着けることができます。

そういった押し付けの無い自然とした教育環境から若手は先輩メンバーの手を煩わせてはいけない!という気持ちが働き、率先して雑務をやってくれます。

いずれも強制力はないし、進んでやっています。

僕はここに一つのプロジェクトの完成形を見た気がします。

因みに元請けさん配下には10社程のメンバーが参画していましたが、会社間のわだかまりもなく、皆平和でした。

くろの属する仮想基盤Tmは皆それ以上に和気藹々としており、試験の合間単純作業で飽きると皆でソフトクリームを巻きに行ったり、もぐもぐタイムなんてものも導入してました。

ただ、僕や、基盤TmのPL(僕より1か月早い)が参画する前まではとてもギスギスしていたんだとか。

信じられない…。

高水準の成果は求められるものの、何はともあれとても楽しい現場でした。


読了ありがとうございます。

本当にこんな現場が!と、自分でもびっくりするようなプロジェクトでした。

手を上げれば何でもできるし、若手に教えることで自分も成長できる素敵な現場です。

送別会では1年目の子に泣かれました…。

そんな現場ですが、肌に合わない人は1,2ヶ月で居なくなります。

僕と一緒に参画した自社の人間は5月に参画し、6月に居なくなりました。

それぐらい向き不向きはありました。

とは言えどの現場もお金が絡む以上はプロの仕事をしないといけないですね。

では、また次のエントリでお会いしましょう。

4度目の転職

こんばんは。くろのです。

急に暖かくなりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今日は嫁さんの実家に法事に行ってまいりました。

お坊さんの読経の精度が低くて大丈夫かな?とも思いましたが、諸々終わった後の説法が面白かったです。

一番関心を引いたのが、いかだの話です。

川を渡るのにイカダがある状態で渡り、渡り終えたらイカダを捨てて先に進むようになると思います。

しかしまた同じ川が現れたとき、手元にはイカダがありません。

その時に過去の経験を活かし前進するのか、またもと来た道を戻りイカダを取りに行くのか、それともただ無理だと嘆くのか。

ここの解釈に仏教の妙味があると言っていました。

非常に興味深い話です。

一度助けてもらうのはいいと思います。

次に同じような困難が現れた時の事を常に考えるべきだという警鐘だと思っています。

ITで言うところの障害管理、課題管理、インシデント管理等のナレッジに相当するものと思いました。

仏教を紐解いて業務遂行の考えを得るのもまた一興かもしれません。

釈迦に説法よりは、釈迦から説法を受けたいものです。

では、4回目の転職の話に触れたいと思います。

この次の5回目がつい最近まで行っていた転職の話ですので、今回を含め残り2回となりました。


はじめに


毎度おなじみ~。

  • 所属会社情報
  • 転職に至った背景
  • 転職活動
  • 転職後の会社情報

所属会社情報


会社名:神奈川県内の中堅IT企業(伏せます)
雇用形態:正社員
給与:

  • 基本給:30万円(+1万円)
  • 手当:0万円(技術手当)
  • 残業代: 基本給÷160*1.25で算出
  • 交通費:全額支給
  • 賞与:年間平均2.5ヶ月
  • 年収:430万+残業代

その他:

  • 兎に角体育会系。新人教育の総仕上げに海に向かって抱負を叫ばせてると聞いてドン引き。
  • 他にもイベントで新人に出し物を強制している。内容もちょっとエグい。
  • 元々R&D等で成り上がった会社でITは新興。ただし、社内でスクールを持つなど教育には精力的。

転職に至った背景


  1. 上述の体育会系な部分が肌に合わなかった。
  2. 給与テーブルが単価ベースとなったので計算してみると59万円となっていた。しかし、方々確認すると70万だったそうな。この時点で信用が出来なくなった。
  3. 新入社員用の教育基盤として、提案、費用見積もり、プロジェクト立ち上げ、教育、設計、構築まで業務外でやってみたが一切評価されなかったこと。それどころかやって当たり前と言われたこと。評価のためにしていたわけでもないのですが、当たり前という発想が嫌いです。
  4. 次世代リーダー研修なるものに抜擢されたものの、内容は本来技術統括部門が行うべき教育をこの研修タスクフォースのメンバーに行わせるというものだったこと。
  5. 現場が合ってないと感じた為。詳しくはここ
  6. 行った先の現場で良い条件にてヘッドハンティングしてもらえたため。

転職活動


  • 入社後は僕の上司になる人とひょんなことから秋葉原の某スクエニカフェに遊びに行った際、ヘッドハントの話を頂く。
  • その頃会社にも現場にもちょっと嫌気がさしていたので二つ返事でokする。
  • 何やらもう採用課への根回しが終わっていたようでその次の日に面接に行く。
  • 事前に上司になる予定の人から何が出来て何が得意という話を聞いていた為か、単純な顔合わせでその場で内定もらう。
  • 翌日、オファーメールをもらい、直ぐ内定承諾の返事をする。

最初の部分から内定承諾まで実に3日間。

この上司になる人がやり手だったんですね。

入社してからかなりこってりシゴかれましたが、おかげでかなり成長できたと思います。

オファー条件もとても良かった為2つ返事でok。ようやく500万の大台に乗りました。

ただgoogleとか検索したりするとあまりいい噂を聞かなかったので、ちょっとだけ不安でした。

しかしそれはそれ、これはこれ。

何かあってもその上司になる人から事前に仕入れていた情報通りであれば自分の身は自分で守り切れるし、好きなように動けることが分かっていました。

ここまでの転職に対して求めるものはとにかくお金でした。

どれだけ自分に報酬を出せるのか。また、自分のスキルをどれだけ外に高い価値つけて売り込めるかというのを物凄く重視してました。

この辺は先日お話しした自分の半生に寄るところが大きいですね。

転職後の会社情報


会社名:都内大手派遣会社(伏せます)
入社方法:リファラル採用
雇用形態:正社員
給与:

  • 基本給:43.5万円
  • 手当:1.5万円(家族手当)
  • 残業代: 基本給÷160*1.25で算出
  • 交通費:全額支給
  • 賞与:0
  • 年収:540万+残業代 (110万up!!!!)

目標としていた大台に乗ったため、お金に対しての執着は薄れたと思います。

後はいかにこの金額に見合うように成長するか。

技術面は最高の現場に。管理、コミュニケーション面は上司に。

内容だけを見れば最高の環境でした。

自社のクソさを除けば。

その辺りは最後の転職話で触れることにしたいと思います。


さて、あと1回で転職話も幕引きです。

正直アウトプットできるネタが少なく、過去ハマっていたネットゲームのオフ会に参加したやべー話でも書こうか悩むくらいです。

とは言え、無から有にする訓練だと思ってない頭を捻ってアウトプットのネタを探していきたいと思います。

今日も読了ありがとうございました。

それではまたっ!

4つ目の現場の話

こんばんは。くろのです。

インフルエンザが猛威を振るう今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

昨日で現場も終わり、有給消化期間に入りました。

裏ルートから次の会社の入社時期を聞いてみたところ、どうやら3/1になりそうです。

感覚を鈍らせないよう、これまでやりたかった事をやっていきたいと思います。

英語も始めないとですし。

本当は今回の現場の話をするべきなのでしょうが、1つ前の現場の話をしたいと思います。

順序良くいかないと何となく気がすまない性質なので。


はじめに


This is INDEX :)

  • 現場情報
  • 使用製品
  • 仕事内容
  • 退場のきっかけ
  • その他

現場情報


業種:とある大手通信系
期間:2017年10月~2018月4月まで(半年)。
役割:NASRHELの詳細設計
ポジション:設計チームサブリーダー
チーム:5名

これまで経験した現場と一風変わり、本番環境に触れるために数多くの儀式を経る必要がありました。

様々な要因を考慮しても仕方ないとは思うものの、なるべくならもう二度と行きたくないなと思いました。

使用製品


  • OS:RHEL7.2 , VMWare vsphere6.0
  • DB:なし
  • 他M/W:なし
  • 言語:なし
  • グループウェア:なし
  • その他:DEL EMC Unity400F

仕事内容


商流は、ユーザー会社→ユーザー系IT会社→大手SIer→自社 の3次請け。単金は70そこそこ。

2次請けの大手SIerさんのチームに参画する格好でした。

始めはNASの基本設計~詳細設計までの落とし込み。

昔いた現場で基本設計や詳細設計をやったことはありましたが、ここはまたちょっと環境が特殊だった為苦戦しました。

何より現場の文化、お作法に引きずられることも多く、思うように進まない事が多かったです。

また、自Tmのリーダーがちょっとアレな感じの人。

設計するための目的や背景を聞こうものなら、「それ設計要素でしょ?何で俺に聞くの?」とか言っちゃう人で辛かった…。

元請けさんもこのリーダーと会話すると前に進まないから、僕に相談に来ることが多かった気がします。

NASが落ち着いたころ、RHELの設計を他会社から引き継ぎを受けたのですが、こちらもすごかった。

詳細設計なんて個人の技量によるものだし引き継ぐものないですよね?

は、印象的。某N社・・・。

リーダーもそれで納得しちゃうから残ったメンバーは地獄を見ました。

ネットワーク一つとっても○○LANと○○LANと○○LANがあって・・・とかそれぞれ用途は何だと聞いても鼻で笑われる始末。

この現場3ヶ月以内で辞める人が5割程度でした。

愚痴ばかりになりましたが、この頃の主な役割は基本設計書と詳細設計書を作って、それをベースにベンダーさんへの作業指示書を作ってました。

リーダーからの指示を何となく読み取って、メンバーにこういう事やるんだよって噛砕いたりもしてました。

リーダーいらねえ・・・

退場のきっかけ


単純に仕事内容が合ってないなと感じた事と、リーダーについていけなかった事。

リーダーに関して言えば、ややパワハラな気質がありました。

休暇取得を願い出ると必ず嫌な顔しますし、前日の夕方まで基本許可が下りません。

また、トイレに行ってるときに電話がかかってきて折り返すと怒鳴られました。

その他には、現場の他の会社さん(現職)から引き抜きを受けたからです。

その辺の詳細は4回目の転職のエントリで触れてみたいと思います。

転職理由に関しては完全に会社に対しての不信感以外にありませんでした。

この辺りになると、案件ありきで会社に属していたような気分になってました。

その他


正直な話、2次請けより1次請けのほうがウケが良く、退場するときに課長さんの名刺を頂いたりしました。

何でもスケ管の甘い、偏った技術をもった課長代理の補佐をして欲しいとかなんとか。

2次は2次で自分が居なくなることでリーダーの依頼を適切に割り振れる人間が居なくなる事を恐れ、直接契約しないかと持ち掛けてきた位です。

ありがたい話ですが、正直そこで仕事し続けるには2次が邪魔すぎた為、全てお断りしました。

と言うか、そこまで思うならもっと好条件にして欲しかった。

余談ですが、そのTmはほぼ毎月のように人員の交代があるようです。

早めに逃げれて良かった。


くろの4つ目の現場のお話をお届けしました。

なかなか個性的なメンバーに囲まれましたが、リーダーを除けば楽しく仕事させてもらえていたと思います。

2次請けさんは妙にプライドが高く、1次請けや僕ら下請けをものすごーく見下している態度が見て取れました。

1次請けは5大Sierで優秀な人間ばかりそろっていたにも関わらず見下す意味が本当にわからなかった。

1部上場企業でも大きな違いがあるなと感じました。

それではまたっ!

くろの

くろのです。こんばんは。

決戦の水曜日、無事に終わりました。

そしてありがたい事にその場で採用を決めて頂けました。

あれから12時間近くたちますが、いまだに信じられません。

僕が今回オファー頂いた会社はかなり有名で、大きな会社です。

それこそ逆立ちしても入社する事は叶わなかった会社だと思っています。

不可能を可能にできた要因は、間違いなく僕の周りの皆さんのおかげだと思っています。

詳しい話は退職エントリにて触れることとして、今日は僕の半生を語らせてください。

結構ダークな内容ですので、見たくない方はブラウザバックをお願いします。


改めまして。まずは僕の生い立ちを赤裸々に語りたいと思います。

スペック

  • 年齢
    • 36
  • 生い立ち
    • 埼玉県某所にて誕生
  • 学歴
    • 大学中退

小学校時代

小学校6年の冬、下校したくろの少年が見たのは見知らぬ大人数名と、気を失った父親でした。

見知らぬ大人はどうやら父親の知己だったらしく、すぐに病院に救急搬送されました。

また、それと同時に家に一人になってしまうため、僕は一時保護所に送られました。

中学~高校

一時保護所で母親を選ぶか叔父夫婦を選ぶかの選択を強いられましたが、僕は後者を選ぶことになります。

今思えばどちらを選んでも地獄だったのでしょう。

さてこの叔父夫婦、どうも父親に並々ならぬ恨みがあるらしく、くろの少年は格好の復讐対象に選ばれてしまいました。

この頃された仕打ちと言えば、

  • 食事1ヶ月抜き(給食でしのぎましたが土日はいなくなった隙に冷蔵庫から強奪)
  • 空手有段者の従兄弟による殴る蹴るの暴行(顔以外は痣だらけでした)
  • 休日の外出禁止令
  • 毎日のように両親への呪詛
  • 雨が降っている日は家から閉め出すことが何度か

と、言う事を中1の3学期頃まで行われていました。

完全に児童虐待…。

ちょっと死にたくなったのを思い出しました。

父が喉頭ガンで亡くなったと同時に、僕を虐めるのにも飽きたのか、そこから本格的に養護施設に送られることになります。

中2からはこの叔父夫婦から離れ、学業もスポーツもそれなりこなす様になることが出来ました。

俗に言う施設っ子でした。

ただ、普段できない経験や、もっと酷い生い立ちの子供たちを見て、自分はまだ恵まれてる方だと気づくことになります。

下を見てもキリが無いのですが、その頃の僕よりもっと不幸な子供たちの笑顔に今でも救われていると思います。

余談ですが、施設時代に論文を書いてサンフランシスコに無償で行かせてもらったりもしました。

これは施設に入っている高校生限定のイベントでした。

そして歳の離れた兄が息を引き取ったのもこの頃でした。

大学入学から中退まで

父親の残してくれた遺族年金と、養護施設にいる青少年限定の奨学金(返還義務なし)のおかげで大学に通うことが出来ました。

しかしこの遺族年金の管理は叔父夫婦が行っていました。

大学4年間の学費+家賃位は余裕であったはずが、2年目の授業料支払いの時に何故かくろのの名前で借金をすると言いました。

今でこそ色々見えてきますが、当時は僕たち一家の遺族年金を事業費用に充てたようで、一銭も残っていないようでした。

3年目の学費支払いになった時にそんな金は無いとボロを出します。

それと同時に借金の督促が21になったばかりのくろの青年を襲い掛かります。

いや~ほんと借金取りって怖い。

アルバイト~派遣時代

上述の理由により大学を諦め、正社員を諦め、結婚も、普通の生活も、何もかも諦めました。

その理由は、当時は今ほど雇用も無く、アルバイトですら中々なかなかつけない時代でした。

ましてや大学中退は下手をすれば高校卒業よりも印象が悪く、正規雇用なんて夢のまた夢でした。

正規雇用でなければ結婚もできないし、常に不安定な人生を余儀なくされると思っていました。

アルバイト時代は有給休暇と言うものに憧れました。

派遣社員時代はボーナスと言うものに憧れました。

ああ、後、打ち合わせと言うものにも酷く憧れた覚えがあります。

何でだろう・・・。

とにかく当時は生きることに精一杯でした。

子供のころから普通の家庭を切望してたのも思いだしました。

大学を辞めてすぐ、住んでるアパートを引き払って後見人の家に転がり込み、家賃を節約しつつ返済に充てました。

その頃の生活も物凄く地獄でした。

仕事中、僕の荷物を毎回叔母が漁るのです。

そして謎の中傷じみた書置きを残していく毎日。

それでも諦めずハローワークに通いながら、正社員の応募をしつつ返済に努めました。

5年間で200社程受けましたが、面接にすら進めず…。

その後ブラックではあったものの、最初の正規雇用を獲得することに成功しました。

借金完済及び正社員への道が開けたタイミングでこの家と本格的に縁を切ることになります。

その後

正社員になったと同時に叔父夫婦の家を着の身着のまま出てきてしまった為、最初は電灯もテレビも冷蔵庫も洗濯機もカーテンもない、万年床のみの六畳一間のアパートからのスタートでした。

それからの生活も順風満帆ではありませんでしたが、基本的に当時周りにいて助けてくれた人が居た事、絶対諦めなかったことが今に繋がっているように思えます。

あれから10年経ちますが、今では空腹で泣くことも無いですし、寂しさを感じることもありません。

自分より幸せな人を見ても疎ましく思うこともありません。

これが人並みの幸せというやつなのでしょう。

謝辞

昔隣にいてくれた人たち、今でも一緒にいてくれる人たち、力を貸して下さる人たち本当に感謝です。

上述の会社にもここまで細かくは伝えてませんが大学を辞め、アルバイト時代が長かった事は素直に伝えてます。

それでもオファーを頂けたことにも感謝です。自分で言うのも何ですが、そんな大手の会社が本当にいいの?と言う感じです

また、この全てを知って尚、僕を受け入れてくれ、第二の人生をくれた妻には言葉もないほど感謝をしてます。

人生悪い事ばかりではないし、良い事がその分あるかと言えば絶対ではないと思います。

しかし教訓として、諦めずコツコツやっていけばすこーしずつでも上向くという事を証明できたかと思います。

何となく苦境に立たされている若い人たちの励みとなるよう、敢えて赤裸々に書き綴ってみました。

フィクションっぽく物語見たいと思うかもしれません。

そう思われたなら仕方ないと思います。

ここまで読了頂いた読者の皆様にも感謝を。

余談

上述の叔父夫婦ですが、叔父が亡くなった後、どうやら他にも借金をしていたようで、家屋敷を取られ悲惨な生活をしていると聞いています。

因果応報ってやつですね。

その事実を知ったので報復しようという気もありません。

また、縁を切った事で自分の運勢が上向いた事を実感しています。

妻の姓になる事で完全に縁は切れたと思っています。

縁を結ばない事が最大の復讐です。

完全に独白というか、チラ裏の内容ですね…。

明日からは改めて通常営業(?)に戻りたいと思います。

ではまたっ!

決戦は水曜日

こんばんは。くろのです。

まだ火曜日が終わって週の真ん中に差し掛かろうとしている昨今ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

昨日のエントリで話に上がった仕事を大事にしない方ですが、残念ながら響きませんでした。

くろのと自分の考え方は異なり、自分なりに会社貢献していくとのことです。

具体的にどうするのか問いかけても何もでてこないようでした。

これが限界かと少し残念になりました。

さて、もうあと10時間もすると一次志望の企業での最終面接が始まります。

いい加減こちらに集中しようと思います。

ある程度事前にアドバイスも頂いているので、自分なりに筋を決め、ズレがないようにしたいと考えています。

前回の反省はずばり緊張しすぎた事です。

無理もありません。

以前では望むべくもないレベルの企業でした。

今でも背伸びしても届かないレベルであることは承知しています。

何だかんだと10年、この業界で出来るだけの事をしてきました。

人によっては努力が足りないというかもしれません。

人によってはいい経験をしたという方もいらっしゃるかもしれませんね。

いい出会いもありました。

同じ位悪い出会いもありました。

人生ってとても上手くできていると思います。

良いことも悪いことも半々な気がしています。

絶望して全て諦めた時もありました。

暗く狭い部屋で人生を呪った日もありました。

当時周りにいた方々に助けられ、途中で出会った方々にも助けられ、そして今尚周囲の方々に助けられています。

この助けが今の自分を形作っています。

いずれは与えられるだけでなく与えるように。

少しずつシフトする人生に切り替えて行きたいですね。

大げさかな?

泣いても笑ってもあと少し。

自分らしく行こう。

ではまた!

仕事を大切にしない人

こんばんは。くろのです。

早くも4日も開いてしまいました。。。

と言うのも性質の悪い風邪にかかってしまい、殆ど床に伏しておりました。

読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

週明けの出勤で3名がインフルエンザで出勤停止と相成ったわけですが、なんとその3名先週末にカラオケに行ったメンバーでした。

自分ももしや・・・と思いましたが幸い陰性でした。

今週水曜日に最終面接なのでちょっとホッとしました。


今日は仕事を大事にしない人について触れてみようと思います。

ご自身で仕事を取ってこれる方を除き、基本的に仕事は与えられる方が多いと思います。

僕もどちらかと言うと後者寄りにいます。

だからこそ与えられた職務は全うしたいし、付加価値を出して次につながるように努力をしています。

ただ、残念ながらそうでない方もいらっしゃいます。

特にこの業界、会社や営業が仕事を探すのが当たり前だと思っている方が一定数いらっしゃいます。

業態の仕組みとして、技術者は自社に席も無く、会社とは給与や書類のやり取りのみの関係なので仕方ないのですが、派遣先ではそんなことは関係ありません。

会社がその案件を取る為にどれだけの労力をかけているでしょうか。

スタートアップの会社であれば片っ端からSIerというSIerに連絡を取るような営業をする方もいるでしょう。

または中途の営業さんが持っていたコネクションを使っての開拓をするような営業もあるでしょう。

しかしながらこれらはコストをかけてます。

この場合のコストはお金だったり、時間だったり、その他の資産(コネとかネームバリューだったり)を消費したうえで得られるものだったりします。

とはいえ派遣技術者はこの辺りを全く考える暇もなく現場に売りに出される事が多いです。

恥ずかしながら、僕も今の会社でしがない中間管理職じみた業務を行い、はっと気づきました。

少し愚痴っぽくなってしまったので本筋に戻します。

本日現場最後の自社ミーティングを行いました。

参加者は僕と2名のメンバーでした。

残念ながら、お客様の資金の都合上僕ともう1名は今月一杯で現場の退場が決まっておりました。

しかしもう1名は違います。

幸い商流が違った為、別の財布となり生き残ることができました。

そしてその商流に関しては今後もまだまだ拡大の余地があります。

残るメンバーをYさんとします。

このYさんは表向きではまじめに業務をこなしてくれます。

裏で僕には会社が何もフォローしてくれないと言ってみたり、現場のメンバーが不親切であると言ってみたりします。

Tmミーティングの中ではあるものの、案件として人が足りず困っているお客さんに対し、別にそこまで協力する必要もない…と、言ってしまいました。

次の案件はどうせ会社や営業が探してくるのだろうという思いがあるのでしょう。

皆さんが営業だった場合、こういうマインドを持った人間に仕事を任せたいと思うでしょうか。

私なら任せたくありません。

自分は会社の為に現場業務しかやらないけど、あなたは普通の仕事以外に私に尽くせと言っているようなものです。

私への愚痴や要求は当たり前のように行われていましたし…。大体可能な要求は1,2時間以内で片づけていました。

とは言え会社が雇ってしまったので放置するのも同罪だと思います。

最後の会議の後にこのようにメールしました。


まずは日常業務への従事、ありがとうございます。

最後の小言になりますが生かすも殺すもご自由になさってください。

いきなりですが、私にはYさんが会社や現場に対して愚痴をされているイメージしかありません。

それを踏まえてその会社に対して貢献していることは何でしょうか。

お客様先で業務を行っている事だけが業務でしょうか。

Yさんご自身もその「会社」からされている事と同じことをしていると思いませんか?

営業や会社は最低限でも社内イントラに社員が困らない情報を載せており、給与の遅配なく対応していると思います。

Yさんも営業や会社が困らないよう日常業務を遂行されています。

この辺りで収支はイーブンだとは思わないでしょうか。

先ほどの会議でのYさんの発言、私は少し悲しく思いました。

どうでもいいと思うかもしれませんが、Yさんの従事されている案件を獲得する為に様々な人間が多くの時間を費やしました。

折角手にしたお仕事です。できればもっと営業や会社と協力して結果もっと楽な方へと進むことを願います。

また、その結果、お客様もかけるべき本来のコストに業務を割くことができるようになり、現場としてはより楽になるでしょう。

今後我々が居なくなった後の体制についての相談は喜んで受けたいと思います。

形になってなくてもいいです。

そういうご意思があれば残り3日。お声がけをお待ちしております。

目先の利益ではなく、是非とも前向きに捉えて頂ければと思います。

よろしくお願いいたします。


長いメールです。

自分より一回り以上上の人間なので、きっと変わらないし、変えられないと思います。

自己満足と聞かれるとそうなのかもしれません。

ただ、僕としてはYさんやYさんを取り巻く環境が少しでも良くなればいいなと思います。

何より僕に要員いませんか?と声をかけて下さったお客様の為でもあります。

・・・最終日のご挨拶のタイミングでは窓口は営業一本になるようお客様には伝えるつもりです。

明日が楽しみです。

それでは!

事件は会議室で起きているんじゃない!お前の頭の中で起きているんだ!

○インボーブリッジ封鎖できません!

おはようございます。くろのです。

くろのですと言う部分に苗字を書いてしまいそうになるのは完全に職業病な気がする今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

早いもので今年ももう1/12が終わろうとしています。

1/12にして僕の転職活動は、佳境に入り始めています。

最終面接が来週になったので、なんとしてでもスタートダッシュをして今年をもっと良いものにしていきたいところです。


さて、今日もまた現場の話です。

弊社のネットワークチームは本日研修で全員不在だったところ、とある40代後半のメンバーが慌てた顔をしてこちらにやってきました。

「サーバーに端末から通信できない!ファイアウォールは穴が開いているのになんで!?」

少しだけ秘密保持契約に抵触しない範囲で環境の説明をしたいと思います。

サーバー側はVxLANと呼ばれる特別なネットワークセグメントにいます。

これはL3ネットワーク上に論理的にL2ネットワークを構築するプロトコルです。

これにより、拠点間の異なるセグメントでも同一のL2として取り扱う事が可能になり、L3を超えてマシン(この場合はVM)の移動が可能になります。

ただし、導入には当然制約もあります。

VxLAN対応のスイッチを使わなければならなかったり、スイッチにつなぐサーバー側のMTUをスイッチ側のMTU-50未満にするなどなどです。

ネットワークチームはいないのですが、私が対応することにしました。

おおよその検討はついていましたので・・・。

すると・・・

VM基盤側でファイアウォールの設定ってないの?」

と聞いてきます。

至極最もな話ではあるのですが、該当ネットワークの別サーバーには普通にアクセスできているので問題はノード単位と推測できます。

とはいえ、引き下がりそうになかったので、VM基盤側で管理しているファイアウォールの設定をやりたくなかったけど確認しつつ、かねてから言いたかったことを伝えました。

「サーバー側のMTUの値を調べてもらってもいいですか?」

上でも少し触れたMTUの設定です。

MTUとは(イーサ)ネットワークにおいて1度に転送できる最大のデータサイズになります。

これが大体サーバー側では1500となっています。

ネットワーク機器もジャンボフレームを扱わない設計になっているので、1500としています。

それじゃーいけるじゃないか!?

と、思われるかもなのですが、実はこのVxLANというやつが曲者なのです。

サーバー側では1500バイトでNICからデータが送出されますが、対向物理スイッチに至るまでにある、仮想スイッチ側でVxLAN用のタグ50バイト分をこの1500バイトの塊につけるという挙動をします。

それにより、対向スイッチに至るまでにこの塊は1550バイトとなってしまいます。

つまりどういう事だってばよ!

高さ1500のトンネルに車高1550のダンプは通れねえってことだよ!

雑ですみません。。。

結果として、MTUを下げてもらうことで通信ができるようになりました。

さて、ここからがちょっとした問題。

この環境でサーバーを立てるのに注意事項と設計懸念点をこの方にメールと口頭両方でお伝えさせて頂きました。

しかも数人から・・・。

それにも関わらず抜けてしまうのは、間違いなく別の問題があると感じています。

構築する際にはあらかじめ詳細設計まで落とし込んでから行うものだと思っています。

しかしそれが出来ていない事がわかります。

過去の経験上、設計せず構築して場当たり的な対処でパラメータを変えていくのはシステムトラブルの元になります。

ある程度設計を行った上での気付きなら良いと思います。

そこには軸になる設計がありますので、パラメータ変更についても影響範囲が何となくつかめます。

多分導入ベンダーに構築した後に設計書作らせるんだろうな・・・

残り5営業日、それとなく方向修正しようと思いますが受け入れてくれるかどうか。


初めてこのブログで技術的な話をした気がします…。

きっと読者の方々は僕の事を転職芸人か何かだと思っていらっしゃる方がいそう。

その辺りの誤解も今後は解けたらいいなと…おもい…ません!

では今日はこの辺で!