(cache)「たけし・タモリ・さんま」の時代~結局、彼ら以上のタレントは出なかった(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

「たけし・タモリ・さんま」の時代~結局、彼ら以上のタレントは出なかった

3人の共演をもう一度見てみたい

芸風も個性もまったく違う3人が、いつのまにか「BIG3」と呼ばれ、日本のテレビ界に30年以上も君臨している。願わくば3人の共演をもう一度見たい。高田文夫、三宅恵介、近藤正高が語り合う「たけし・タモリ・さんま」の時代――。

'85年にテレビを制圧

三宅 タモリさん、たけしさん、さんまさんが、「BIG3」と呼ばれるきっかけとなったのは、'87年に生放送されたフジテレビの『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』でした。日本テレビの『24時間テレビ』のパロディをやろうと、亡くなられた横澤彪プロデューサーのもと、全社一丸となって作った番組です。

近藤 司会を務めたのが、タモリさんと明石家さんまさんでしたね。

三宅 そして、前年12月にフライデー襲撃事件を起こして謹慎中のビートたけしさんも、この番組でTV復帰を果たします。

高田 深夜の時間帯にいきなりたけちゃんが登場。二人の間に入って、3人でしゃべり出したんだよ。

三宅 午前1時頃だったのですが、十数%という視聴率をとっています。

近藤 深夜でその数字はスゴい!

三宅 3人が本格的にテレビ番組で絡んだのはそれが初めてだったと思います。スタジオにグリーンを作り、3人でゴルフをやりました。

高田 当時、たけちゃんは謹慎中に伊豆・湯ヶ島にある(ガダルカナル)タカの実家の旅館に泊まって、ゴルフばかりやっていたからね。それで、すげぇ上手くなった(笑)。

三宅 実はその年の正月にたけしさんとさんまさんで、ゴルフ番組をやろうという話があったんです。それがたけしさんの事件でポシャっちゃった。その流れで生まれたのが、翌年の正月番組『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』というわけです。

 

近藤 この番組で初めて公に「BIG3」と呼ばれるようになったと。これはひょっとして、ゴルフの世界でジャック・ニクラウス、アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤーを「BIG3」と呼んだことにひっかけたのではないですか?

三宅 いや、そうじゃないんですよ。3人の芸に共通点はまったくありませんから。

高田 昔から芸能の世界は、「3」で括るのが好きなの。美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみで「三人娘」、三波春夫、三橋美智也、村田英雄で「御三家」とかね。BIG3以前の'70年代は萩本欽一さんと三波伸介さんがお笑いの両巨頭だったね。

近藤 '80年ぐらいから漫才ブームが始まり、ツービートが売れ始めます。'81年に『オレたちひょうきん族』、'82年に『笑っていいとも!』が始まり、萩本欽一さんがレギュラー番組を全部やめて、いったん休業したのが'85年です。ドリフターズの『8時だョ!全員集合』の終了も'85年。そこからいっきにBIG3の時代になります。気づいたら3人がテレビの中に君臨していた印象です。

歴史に残る爆笑シーン

高田 この30年、この3人を超える芸人は出てこなかった。今のテレビ番組の形では超えることは無理でしょう。圧巻だったのは、'91年の27時間テレビの生放送でやった「車の車庫入れ」。たけちゃんがさんまちゃんの新車を奪って運転し、ブロック塀にガンガンぶつけちゃう。あれを生で見せちゃったから、「この人たちには勝てない」と、コメディアン全員が悟った。

三宅 その年、さんまさんが運転免許を取ったんです。それで、たけしさんに相談したら、「ぶつけたら面白いんじゃないか」って。タモリさんに聞いても同じことをおっしゃった。さんまさんには「車で笑いが取れたら面白いですよね」とだけ伝え、台本には何も書かれていませんでした。

高田 その瞬間にどうしたら面白いのかということを3人ともわかっている。あれから25年も経ったけれど、あれを超えるテレビの爆笑シーンはいまだにないと思う。

近藤 一方で僕は、BIG3が生まれた背景には知的な笑いを求める時代の流れがあったように思うのですが。

高田 どういうこと?

近藤 たとえば、タモリさんの初期の寺山修司など文化人のモノマネはある程度知識がないと笑えないし、たけしさんのツービート時代の「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というギャグは社会風刺とも深読みできる。彼らが支持されたのは、やはり大学進学率も上がり、受け手の知的レベルが高くなったこともあると思うんです。

三宅 ただ、さんまさんは知性を表には出しません。タモリさんとたけしさんは、『ブラタモリ』や『平成教育委員会』といった番組のなかでそれを垣間見せますが、さんまさんは逆にそれを否定するところからはじめる。

高田 それでちょうどバランスがとれているんだよ。戦前から戦後に、「エノケン・ロッパ・金語楼」という言い方をしたけれど、「たけし・タモリ・さんま」は、それと構図が同じ。榎本健一とたけちゃんは二人とも浅草の出で体を張ってコントをやるタイプ。

一方、学究肌で話術に長けていた古川ロッパはタモさんと似ている。ロッパは声色と呼んでいた芸を声帯模写と言い換えた人だけど、それも後のタモさんの芸にもつながっている。

近藤 ロッパには早稲田大学出身という共通点もあります。

高田 柳家金語楼は噺家上がりのスターという点で、さんまちゃんと同じ。たけちゃんが東京、さんまちゃんが大阪、タモさんが福岡で、地域的なバランスもとれている。

三宅 確かに本人たちにはお互いライバル視するようなところはないような気がします。

近藤 師匠についた最後の世代でもありますね。

高田 たけちゃんもさんまちゃんも、修業をちゃんとやってきた。だから、昔の芸の世界が体に染みついている。ダウンタウンがNSC(吉本総合芸能学院)の1期生だから、それ以降の世代とは意識が異なるかもしれない。

三宅 テレビでも、「これをやったら師匠に怒られる」という想いをどこかに持っています。

高田 たけちゃんなら深見千三郎師匠、さんまちゃんなら笑福亭松之助師匠に、「ようやった」と言ってもらいたいためにやっているところがあった。

三宅 タモリさんだって師匠こそいませんが、赤塚不二夫さんらがいたから、自分のなかで守っている一線はあったと思う。

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