- 作者: 木村一八
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2018/02/24
- メディア: 単行本
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内容紹介
横山やすしがラジオ「漫才教室」に初出演したのが、1958年1月。ちょうど60年がたちました。
このタイミングで、父についてまったく語ってこなかった息子の木村一八が、父について初めて本を書きます。
彼が知っている父・横山やすしは、人々が知っている横山やすしとはまったくの別人。
家で子どもに手を上げたことはたった一度だけ。家では非常にやさしい男だったのです。
さらに、一八だけが知っているエピソードも満載。一八が聞いたやすしの最後の言葉は「愛人の面倒をよろしく」だった。
さらに愛人と本妻との直接対決の場面でとった横山やすしの驚くべき行動とは。
誰も知らないその矛盾に満ちた横山やすしの生涯が初めて明らかになります。
横山やすしさんが亡くなられたのは、1996年1月21日ですから、もう22年も経つんですね。
漫才ブームが起こった1980年、横山やすしさんは36歳、相方の西川きよしさんは34歳。当時、ツービートとして活躍していたビートたけしさんは34歳、タモリさんは35歳だったのです。
そうか、やすしさんは、たけしさんやタモリさんとほぼ同世代なのだから、存命だったら、まだまだ活躍していたかもしれないんだな……
とはいえ、横山やすしという人が、70歳を過ぎて、好々爺になっている姿も想像しがたいものがあるのです。
僕の世代にとっては、尾崎豊が生きていて、「あの人は今」に出演して、懐かしそうに『卒業』を歌う姿が「ありえない」のと同じように。
息子の木村一八さんからみた「横山やすし」の中には、みんながイメージする、ボートと女性と芸に狂った男と、そういう「破天荒な芸人・横山やすし」を演じている男が共存しているようにみえます。
こんなお父さんだったら、グレるだろ……と思った直後に、木村一八さんの「自称・武勇伝」の数々を読み、結局のところ、子どもの「生きざま」というか「価値観」みたいなものは親の影響を受けやすいものだし、一八さんは、一八さんの「正しさ」を貫いて生きてきたのだな、と感じました。
この親子の「正しさ」というのは、僕の価値観とは相容れないものではあるのです。
でも、一八さんが、とくに美化することも、露悪的にでもなく、「自分が見てきた、横山やすし」を語っておられるのは伝わってきます。
こんな風に言うと、やっぱり親父は破天荒な人物だと思われてしまうが、実際はぜんぜん違う。確かに、親父は芸人だったから、一般の人とは違う。しかし、僕から見れば、親父は根暗だったし、酒だって弱かったし、暴力だってほとんど振るったことがない。お母さんの啓子さんのほうが、手が早かったくらいだ。
だから、親父が外で見せる姿と家族に見せる姿はまったく違っていた。このことは、この本で一番言っておきたいことだ。もちろん、親父は一般人の常識から、かけ離れた世界で生きていたから、子どもにとっても驚くようなこともいっぱいあった。もちろん、そのような驚くエピソードも言い残しておこうと思う。それも親父・横山やすしだからだ。
この本を読んでいると、横山やすしという人は、常識にとらわれない人だったのか、感情や愛情の表現があまりにも不器用だったから、結果的に「破天荒な私生活」だと思われていたのか、よくわからなくなってくるのです。
寂しがりやの親父はとんでもない”心配しい”でもあった。実際、序章で語った光(やすしさんと啓子さんの娘で一八さんとは腹違いの妹)の朝礼のときもそうだし、トイレの戸を閉めさせないのも、子どもの姿が見えなくなるのが心配だったというのもある。
親父は、僕が小学生のとき、修学旅行先に来たことがある。それも広島県の宮島だ。
「よっ! 一八、元気か。ちょっと通りかかったんで来たったわ」
そんなことあるかよ。宮島だ。確かに競艇場はあるけど、わざわざ来たに決まっている。普通の親は修学旅行先なんかに来ない。僕が心配で見に来たんだ。
ちなみに、このとき、親父は、僕に白いスーツを着て修学旅行に行くように言った。真っ白いスーツだよ。いくらなんでも派手すぎる。でも親父の指示は絶対服従。修学旅行中、僕は白いスーツに身を包み、どこに行っても、目立って目立って仕方がなかった。
妹の雅美は、学校の行事用にチャイナドレスを買ってもらったという。そのとき、親父に服を買ってもらった雅美はうれしくて学校に喜んで着ていった。しかし、友達の目が点になっている。そりゃそうだ。赤のチャイナドレスだもん。雅美は二度とその服を着ていない。愛人へのプレゼントじゃないんだから、子どもにチャイナドレスはないでしょ。
しかし、親父は、僕や雅美に、もちろん光にも服を買ってあげられるのがうれしかった。着てもらえれば、大ハッピーだ。そんな親父だった。
こんな話を読んでいると、白いスーツやチャイナドレスっていうのはありえないよな、という感じなのだけれど、やすしさんと同じくらいの世代で、同じように家族への愛情表現が下手くそだった僕の父親のことも思い出すのです。
なんでもお金で済まそうと思って!なんて僕も反発していたのですが、自分が大人になってみると、家族が生活に困らないように稼ぎ続けるというだけでも、けっこう大変なことなのだよね。
そして、僕の親世代(いま70代くらい)は、その父親から、マイホームパパ的な愛情を受けたこともなくて、自分がどうすれば良いのかわからず、ずっと戸惑っていたような気がします。
子供にとって、親が子どもに接する姿勢って、常に「時代遅れ」なんだよなあ。
横山やすしさんを「一般論の枠」に含めてしまうべきではないのかもしれないけれど。