その考えだと薩英戦争が理解おかしくなる。 薩英戦争は生麦事件の報復行動ではなくて、殺人犯の逮捕と処罰と賠償をイギリスが求めた事を「殺人に関して薩摩藩には責任はない」と断った事、これに対して 英「ならば武力行使する」 薩「どうぞ」 英「では戦闘開始」 捜査も裁判も断ったから起きたやつ。
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一応補足すると、島津家は最初から戦争も辞さない的にイキり立ってたワケではなくて「書簡でのやりとりではなく、とりまイギリス側の偉い人とウチの城内で話し合いしたい」旨を申し入れてはいる。 まさか軍艦が薩摩まで来るとは思ってなくて準備不足で時間稼ぎしたかったのかも知れないけど(´・ω・`)
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イギリス側からすれば「いや今更この段階で話し合い申し入れはないだろ。こっちの要求は最初っから殺人犯の逮捕とか処罰だって言ってたし、考える時間は充分あったよね」って感じか 城内での会談は断り、早急に殺人犯の逮捕処罰賠償に関して回答するよう再要求…強気に出るのも当然な状況ではある…
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薩摩藩からすれば「幕府の方で否を認めて幕府の金で賠償金も払ったんだからもういいだろ」と済ませたかった状況で、イギリス側が薩摩に軍艦差し向けて「いや犯人の裁きがまだだ。賠償金も足りてない」と来たので「幕府が責任を果たしたんだし、これ以上の要求は不当」感を薩摩藩が抱いても無理はないか
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まぁ、裁き・処分の判断についての見解割れが薩英戦争の原因であって、生麦事件の報復というのは方向が違ってるんであり… 短絡的には報復に見えるし、結果的に報復行為になってるのも戦争だから仕方ないんだけど(´・ω・`)
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