【ドラニュース】【龍の背に乗って】25年前“伝説の開幕戦”当事者がそろう奇縁2019年2月3日 紙面から
打った人、打たれた人、守っていた人はそろっていたが、そこに「降板した人」まで来た以上、これを書かずにはいられない。1994年4月9日。西武との開幕戦(西武球場)の先発マウンドに上がったのが近鉄の野茂だった。絶対エースは宿敵を8回まで12奪三振、無安打に封じた。 3点差の9回。清原に右越え二塁打を打たれ、史上初の開幕戦ノーヒッターの夢は破れた。四球と失策で1死満塁。ここで近鉄ベンチは継投に動いた。記者席も近鉄ファンもどよめいた。なぜなら鈴木監督は前日、「開幕戦は野茂と心中や」と言い切っていたからだ。 2番手はクローザーの赤堀投手コーチ、打席には伊東ヘッドコーチ。浮いたスライダーが左翼ポール際に吸い込まれていくのを、中堅の位置から見送ったのが村上打撃コーチだった。逆転サヨナラ満塁本塁打。史上初の快挙は、1球で史上初の屈辱にすり替わっていた。 「僕にとって野茂さんが先発する日は(完投するので)休みと同じでした。ましてやああいう(心中)発言もありましたから」。悲劇の1球を赤堀コーチは振り返りつつ、こうも言った。「それでも抑えなきゃいけなかったんです」。この年までの3年連続を含む、計5度も最優秀救援投手に輝いた名クローザーは、多くのことを学んだ。 準備が後手に回ることの怖さ。リリーバーにとっては結果こそが全てだという事実。そして、指導者の言葉がぶれたときの結末…。今は第2の赤堀を育成することが仕事である。 「僕はメンタルが強かったとは思いません。でも、やっていくうちに自信がついたんです。中日には能力が高い投手はたくさんいます。何とか自信をつけさせてあげたいですね」 伝説の開幕戦の当事者が、25年もたって中日のキャンプ地に集まるとは。人生の縁は不思議なものだ。 (渋谷真)
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