そのステージに立ったときのことを、B&Bの島田洋七が振り返る。

 「電飾がパパーッと点いて、もう、歌番組みたいでしたもん。いや、むっちゃ嬉しかったですね。だって『B&Bさんどうぞ』とか『ツービートさんどうぞ』で、(客席が)ウワーッと言いますもん。つかみが要らないんですよ。それだけセットしてあったら、『出てくる人はスターなんだ』と向こうが迎えてくれるのね」

『THE MANZAI 5』の舞台となった博品館劇場に36年ぶりに訪れた島田洋七。最初は何一つ覚えていないと語っていたが、ステージに立つことで当時の思い出が徐々にこみ上げていく

その時、野心の化学反応が

 『THE MANZAI』は瞬く間に人気番組となり、それと同時に若手漫才師は、今を逃したらもうチャンスはないと言わんばかりに、嵐のようなブームのなか、寝る間も惜しみ、スターへの階段を全速力で駆け上がる。

 12月30日に生放送された第5回は『THE MANZAI』とそれによって火がついたMANZAIブームのピークとなった。

 10組の漫才師が出演していたが、主役は明らかにツービート(ビートたけし=北野武とビートきよし)だった。佐藤も、自社の漫才師につきそって現場にいた吉本興業の木村政雄も、当時中学3年生で番組を視聴していた爆笑問題の太田光も、そう強く感じている。この日の視聴率は、関東で32.6%、関西で45.6%を記録した。

 浅草をあてなく彷徨っていた佐藤は背水の賭けに勝ち、本拠地の大阪から一人上京して奮闘していた木村は「ヨシモト」の名を東京に轟かせ、ストリップ劇場でひたすら毒を吐いていたビートたけしは「たけしの時代」をつかみ、太田は漫才師になることを決めた。

 「その時代のその時に、すべてが重なった。それぞれ徒手空拳でもがいていた人たちの野心が、ここが勝負との強い決意とともに結集して、ものすごい化学反応を起こした。その強烈でまばゆい輝きが、当時の私を含め、若い人たちの心をつかんだのでしょう」(河瀬)

MANZAIブームをブラウン管越しに見ており、多大な影響を受けたという爆笑問題・太田光。自身が芸人になるきっかけとなった憧れの漫才師について語る