その新しい笑いの舞台がテレビへ移る予兆は1980年1月にあった。

 『花王名人劇場・激突!漫才新幹線』。すでに西の王者として君臨していた横山やすし・西川きよし、東のエース星セント・ルイスに並んで、背水の陣で大阪から上京し好機を狙っていた若手のB&Bが出演したのだ。

 若手には失うものは何もない。B&Bは、両巨頭を霞ませるようなパフォーマンスを見せた。ものすごいスピードで、何かに挑むように。

『もみじまんじゅう!』などのギャグで一世を風靡したB&B。すべてを賭け、上京した二人はMANZAIブームを先導するコンビになった

やり過ぎじゃなきゃダメなんだ

 番組は、関係者の予想以上の視聴率を獲得。その結果、佐藤に「新しい漫才番組をつくれ」というミッションが下る。

 視聴ターゲットは若手に絞った。中心的な出演者はもちろん、B&Bなど、知名度は今ひとつだけれど小さな舞台を務めながら爆発の時を待ち続けている若手漫才師。番組タイトルは「『漫才大会』ではあまりにダサすぎる」と考えて『THE マンザイ』とした。
 美術スタッフに番組のセットを「ディスコのように」してほしいと依頼すると、できあがった電飾に彩られた看板には『THE MANZAI』の文字があしらわれていた。 

 『THE MANZAI』はやり過ぎだ――社内からは変更を求める声が聞こえてきた。2016年の今となっては特に問題のあるタイトルとは思えないが、当時の基準は『漫才新幹線』のようなものだから、反発も大きかった。

 しかし、佐藤は譲らない。ここで諦めたら、“新しい”漫才番組ではなくなってしまう。ひとつ譲れば、それは自分が本当に作りたい番組ではなくなってしまう。

 かくして、1980年4月1日に第1回が放送された『THE MANZAI』は、タイトルのほかも、とにかく派手だった。きらびやかに輝くステージへ、小林克也の呼び出しとフランク・シナトラの出囃子に促されて登場するのは、マシンガントークが冴える若い漫才師たち。その姿を何台ものカメラがダイナミックに捉える。客席にいるのは大きな声で笑う若者ばかりで、寄席から落語を中継するオーソドックスな演芸番組とは、何もかもが違った。