大みそかの夜だというのに、横浜アリーナの(普段は倉庫のような)巨大な空間や渋谷のサテライト会場には、NTTグループのエンジニアやスタッフらが数百人も集まっていた。まずその人数の多さに驚いた。一夜限りのイベントとは思えない規模の大集団だ。

 NTTグループのメンバーの大半は、通信のベテランらしき男性たちで占められていた。まるでデータセンターのように配線だらけの通信装置や数多くのモニターに囲まれながら、カウントダウンの何時間も前から生本番に向けて、黙々と準備を進める姿が印象的だった。そのすぐ隣には、ノキア(Nokia)製の5G通信装置が置かれていた。扉の向こうの華やかなステージの裏で、こうした地味な作業に取り組むスタッフがNTTグループだけで何百人もいたのだ。

 これほどの構えをしたのは、これから始まるカウントダウンイベントは誰も経験したことがない前人未到の領域だからだ。横浜にいる1万2000人のファンと、日本を象徴する場所である渋谷のスクランブル交差点を封鎖して集めるという約2000人の観客をつなぐイベントは、本番で何が起きてもおかしくない。特に通信が途切れれば、横浜と渋谷はそれぞれ孤立する。共有がテーマのイベントでは致命的だ。だから考えつくだけのバックアッププランと対応要員を確保しておかなければならなかった。

横浜アリーナの一室に設けられた通信ルーム。ノキア製の5G通信装置などが並ぶ
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一夜限りのイベントとは思えない配線だらけの通信ルーム。NTTグループの社員が数百人、大みそかに集結した
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 5Gの実験とはいえ、この日はPerfumeファンにとって、2018年を締めくくる一大イベントだ。失敗は許されない。果たして、光の共有はうまくいくのか。2020年の実用化を念頭に置いた5Gのテストは、ドコモの威信に懸けてもミスできない。

生本番が3つも続いた、一発勝負の半日ライブ

 NTTグループや電通の社員が慌ただしく準備に追われる中、ライブの主役であるPerfumeやデジタル演出を担当するライゾマの担当者らは、カウントダウンとは別のイベントを同時に、それこそ分刻みのスケジュールでこなしていた。

 この日、Perfumeはカウントダウンライブを開催するだけでなく、大みそか恒例のNHK紅白歌合戦にも出場する。例年なら、紅白の会場であるNHKホールにいるはずのPerfumeが、2018年末は横浜アリーナからの生中継による出演になった。ドコモによるカウントダウン中継よりも先に、Perfumeやライブのスタッフはまず、紅白の生放送を無事に乗り切らなければならない。紅白は国民的イベントなだけに、現場は緊張感が漂う。

 Perfumeが紅白で歌う出番の直前、一瞬だけ横浜アリーナとNHKホールが生中継でつながり、Perfumeと紅白司会者のやりとりがテレビに映った。このとき、Perfumeのメンバーの1人であるのっちが「ディープラーニングという新しい技術を使ったリアルタイムの映像演出で紅白を盛り上げます」と発言。これには全国のファンやIT関係者らが即座に食いついた。「いったいどんなパフォーマンスになるのか」と、早くもネット上ではちょっとした騒ぎになり始めた。紅白の影響力は大きい。

 筆者も紅白の放送を見ていたが、まさかPerfumeが紅白の舞台で、AI(人工知能)ならまだしも、より専門性が高い「ディープラーニング」という単語を発するとは思ってもみなかった(のっちも言い慣れない単語に、ちょっとかみ気味だった)。IT業界における2018年の最大のキーワードはAIだったわけだが、Perfumeがさらに一歩踏み込んだディープラーニングにたった一言とはいえ、全国放送で言及したのを見て、筆者は今夜「横浜アリーナに来られて本当に良かった」と思った。紅白のライブ演出にディープラーニングが使われる時代が到来したのだ。

 午後9時20分ごろ、横浜アリーナから紅白の生中継が始まり、Perfumeは2曲歌って無事に役目を終えた。この瞬間からネット上では「どこがディープラーニングだったのか?」「ここが機械学習だろ!」といった書き込みが相次いだ。ライゾマは以前から、ライブやステージの演出に機械学習を用いてきた実績がある。その一部は、先述した筆者の過去の記者の眼でも触れている。ライゾマの真鍋大度氏によれば、「今回は世界でまだ誰もやっていない高度な技術を使っている」とのことだ。

会場とテレビで見たものは別世界

 筆者は少し後になって気付いたのだが、Perfumeが紅白向けの曲を歌っている姿を横浜アリーナにいるファンが目の前で見ていたものと、テレビの視聴者が見たPerfumeの生中継映像は、全く別物といえる内容だったということだ。テレビで流れる紅白の映像は、ステージで歌うPerfumeのリアルタイム画像に、デジタル処理をかぶせた摩訶(まか)不思議な世界になっている。その構成要素の1つに、ディープラーニングも使われている。

 テレビの視聴者には、どれが本物のPerfumeなのか区別がつかないくらいシームレスに、「リアルとバーチャルのPerfumeが混在している映像を見せている。それを楽しんでもらえればいい」(真鍋氏)。こうした映像演出を総称して、「シームレスMR(複合現実)」と呼ぶこともある。

 真鍋氏はディープラーニングの種明かしこそしなかった。ただ筆者の感触では、のっちが発したディープラーニングという言葉に引っ張られ過ぎると、全体の仕組みを知りたい人はいつまでたっても答えにたどり着けないように思える。「テレビ映像はPerfumeの身体性やカメラテクニックなど複数の要素の組み合わせで成り立っている」(真鍋氏)からだ。ディープラーニングは演出手段の1つにすぎない。

 ちなみに横浜アリーナでも、Perfumeの背後にある巨大スクリーンには演出映像が流れているが、Perfume本人は目の前でいつも通り歌っている。今更ながら、テレビ映像は生放送であっても、リアルタイムのデジタル演出が施されている可能性があることを再認識させられた。

 ただし、こうしたデジタル演出は誰にでもできるわけではない。ライブや生放送の場数を踏み、ハプニングも経験しながら度胸をつけたPerfumeとライゾマだからできるのだ。Perfumeの3人は映像の完成形をイメージしながら、決められた動作を生放送中に歌い踊りながら正確にこなしている。だからリアルタイムの映像演出が可能になる。一朝一夕にできる芸当ではない。まさにプロのなせる業だ。

 紅白の生中継が終わった後、横浜アリーナではPerfumeの3人が観客に「テレビではこんなふうに見えていた」と語りかけ、ファンと一緒に紅白の録画映像を見返す時間まで用意されていた。粋なファンサービスだ。すると確かに、会場で肉眼で見ていたものとは違う、デジタル演出満載の映像がテレビでは流れていたことを観客も確認できた。会場とテレビの録画映像の両方でライブを見られた横浜アリーナの観客は、2種類の体験ができたといえる。それはある意味で、今後の理想的なライブ体験の姿なのかもしれない。

 余談だが、振り付けと演出を手掛けるMIKIKO氏もこの日は横浜アリーナで、教え子であるPerfumeの3人をずっと見守っていた。Perfumeの今回のライブで特徴的なのは、バックバンドもオーケストラもダンサーもコーラスも、ステージには誰もいないことだ。いるのはPerfumeの3人だけ。だからステージ構成は至ってシンプル。ただし、映し出される画像や映像は(映す対象物を含めて)凝りに凝っている。

 MIKIKO氏によれば、「Perfumeの3人のチカラだけで1万人を熱狂させることに注力している」とのこと。デジタル演出はその技術支援にはなるが、最後はパフォーマーである3人の力量や勝負強さを信じて任せるしかない。

 筆者は以前にも同じことを書いたが、パフォーマーである人の能力が高くなければ、難易度が高いデジタル演出は実現できない。テクノロジーが持つポテンシャルも最大限引き出せない。しかもこの日は紅白の生放送に、ライブツアー、カウントダウンイベントのトリプルヘッダー。いつものツアーとは違うことをたくさんこなさなければならない。その間、Perfumeはずっと観客に見られている。3人にのしかかる重圧は相当なものだったはず。だがそうしたそぶりを全く見せないところに、強いプロ意識を感じた。