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嘘八百のこの世界

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大日本帝国と大日本帝国憲法は日本と全く関係ないものであり、キッチュ(偽物、擬物、模造)そのものなのです。

「西郷隆盛とイルミナティの秘密戦争~「日本殺しの真犯人を見つけた!」太田龍


2018年の太田龍の書である。
どーゆーことかと言うと、本書は著者が晩年執筆していた『西郷南洲精神の復活』の完成手書き原稿を、2017年秋、「太田龍記念会」の有志が、時宜を得た今こそ出版すべきと、入力・編集作業をしたものということです。以下、一部引用する。



*西郷隆盛は、
西洋は東洋と根本的に異質である。東洋の道は天地に普遍する公理であるが、その東洋の道は、西洋には通じない。西洋の本質は邪悪であり、破壊者である」という真理を、直感的には理解した。
だからこそ西郷は、西洋にかぶれた大久保利通と断絶したのである。

*ロスチャイルド=サッスーンと、三井家との秘密の同盟。
西郷隆盛が、明治初年、長州閥の一味(木戸、伊藤、井上馨、山縣)を、「三井の番頭さん」、と呼んだことはよく知られている。
しかし、今の日本人には、その真相が全く知らされておらず、そこのところが首尾一貫、計画的に隠蔽されてきた。
W.G.カーは、20世紀初頭、世界各国のイルミナティのインサイダー、世界金融寡頭権力(オリガルキー)を列挙しているが、日本からは、「三井家」が指名されている。

*それでは、明治6年の時点での、西郷と、大久保、長州岩倉一派の対立の眼目は何であったのか。それは、

① 西郷は、日本=アジア=東洋が一致団結して、西洋帝国主義の侵略をはねのけるべきことを主張し、
② 岩倉、大久保、長州一派は、西洋帝国主義の尻馬に乗って、西洋とともに全人類奴隷化の帝国主義侵略戦争に突入すべし、とする。天皇を、この路線推進のために利用すべし、とも。


昭和天皇が昭和前期、敗戦までの時代に、もっとも深く信頼した「重臣」は、牧野伸顕(大久保利通の息子、吉田茂の義父)であるが、『神々の軍隊』によれば、牧野は、
「ウィルソン米大統領の側近であるエドワード・ハウス大佐と親交を持っていた・・・」(前掲書361頁)、とある。

ジョン・コールマン博士は、ハウス大佐を「300人委員会」の正式会員、とする。従って、牧野を通じて、昭和天皇は、昭和初期からずっと、イルミナティ・サタニスト世界権力の奥の院と直結していた、と見ることが出来る。

*日本が道を最終的に決定的に誤って、一路亡国に向けて転落し始めたのは、明治6年(1873年)である。「経天愛人」(財団法人西郷南洲顕彰会機関誌、第12号、平成6年9月24日、9~51頁)、鮫島志芽太「西郷朝鮮使節の中止と日本の運命」。この論文の要点を以下に列記する。
・・・・・(中略)・・・・・
③ 明治6年8月17日、筆頭参議、陸軍大将、西郷隆盛を、国交回復のために朝鮮に派遣することが閣議で決定された。
④ このあと、薩摩出身の黒田清綱に対して、西郷は次のように語っている。
黒田どん、世間じゃおいどんが朝鮮に死にに行くちゅうて、あれこれ言っておるようだが、おいどんは死にに行くのじゃごあはん。一兵も動かさず、立派に“隣交”をやり遂げて来申す。・・・・・」
・・・・・(中略)・・・・・
⓺米欧使節団の中心メンバー、岩倉、大久保、木戸、伊藤らが謀議して西郷の朝鮮行き中止を奏上して明治天皇はこれを裁可した。
⑦同明治6年10月24、5日、西郷、板垣、後藤象二郎、副島種臣、江藤新平の5参議が辞職、下野した。
⑧日本は明治6年10月のこの政変を分岐点として、西洋帝国の奴隷となり、その手下となってアジアを掠奪する強盗国家と化していく。
・・・・・(中略)・・・・・

この明治6年政変の本質を内外に対して隠蔽するために、孝明天皇父子弑逆の主犯、岩倉・長州逆賊の一味は、これを「征韓論政変」と詐称した。つまり、征韓論派対内治派の対立、と偽造するのである。
西郷=武力韓国征伐という無謀な軍事的冒険主義を主張した。

岩倉、大久保、木戸、伊藤らは、まず内治を固めるべし、と正論を主張した。
西郷派が勝利したあと、この国賊一味は、権力恐怖政治によってこの歴史の偽造作戦を強行し、そのために今では日本人はこのペテンを鵜呑みにして、それが歴史の真実であると錯覚させられているのである。





(管理人)
著者の「征韓論」に関する論述は、以前ブログ内で紹介した著者の他の書に書かれていたので理解していたが、本書を読むことで、さらに深く理解することができた。
西郷隆盛は、決して朝鮮を武力制圧することを意図していたという危険思想の持ち主ではなかった。
西郷は、朝鮮や清と手を結び、「東洋の敵」である西洋イルミナティ悪魔勢力と戦うことを目的として、朝鮮や清と話し合いに行こうとしたのである。
私は、この真実を偽り、「西郷が外国を武力制圧しようとしていたトンデモ論者だ」というようなデタラメを世に広めた岩倉、大久保、木戸、伊藤ら西洋イルミナティ悪魔勢力の手先・売国奴を許すことが出来ない。
この歴史偽造に騙されているのは、日本人だけではない。
韓国・中国を含めた外国人も、いまだにまんまと騙されているのである。
これでは西郷も浮かばれない。

「死んでも死にきれない」とは、このことである。

NHKが大河ドラマ「西郷どん」を放送している今、本書が刊行された意義は大きい。
「西郷どん」はまだ序章に過ぎないが、
NHKがこの「征韓論の真実」を放送しないことは明らかである。

本書で著者は、「大日本帝国の真実はキッチュ(偽物、擬物、模造)である」と述べている。
さらには、「大日本帝国が生まれた時に、その枠組みをセットしたのは、日本ではなく、日本を占領しかけた西洋イルミナティの勢力だった」とも述べている。

全く持ってその通りである。

大日本帝国なんてものは、イルミナティ悪魔勢力が、自分たちが日本を支配することを目的として、自分たちの傀儡である売国奴どもに作らせた“インチキ国家体制”であり、大日本帝国憲法なんてものは、この“インチキ国家体制”を確立し、日本国民を奴隷支配することを目的として、自分たちの傀儡である売国奴どもに作らせた“インチキ憲法”なのです。

イルミナティ悪魔勢力に命じられて、孝明天皇と本当の明治天皇を弑逆し、偽物天皇を据え置いた売国奴どもが、イルミナティ悪魔勢力による日本国民奴隷支配をやりやすくさせるために生み出したものが大日本帝国と大日本帝国憲法なのです。

大日本帝国と大日本帝国憲法は日本と全く関係ないものであり、
キッチュ(偽物、擬物、模造)そのものなのです。

この偽りの大日本帝国や大日本帝国憲法を作り出した、憎むべき“悪魔の僕”である売国奴が、岩倉、大久保、木戸、伊藤らなのです。
“悪魔の僕”である売国奴に「NO」を叩きつけ、「日本やアジアをイルミナティ悪魔勢力に渡さないぞ」との想いを理由に、“悪魔の僕”と戦って殺されたのが、西郷隆盛なのです。

この真実を理解すれば、大日本帝国と大日本帝国憲法を復活させようとしている日本会議が、日本とは全く関係ない売国奴集団であることが見えてくるでしょう。
安倍をはじめとした日本会議のメンバーが、日本国憲法を破壊して、この国を再び八百長戦争に向かわせようとしている本当の理由を理解できるでしょう。
“悪魔の僕”である売国奴の系譜が今も脈々と続いていることが理解できるでしょう。
“悪魔の僕”である売国奴が誰の指示命令下で行動しているかが理解できるでしょう。

私には太田龍氏の熱い想いが痛いほど分かります。

「何故に日本国民は明治維新や西郷隆盛の真実に気づかないのか!」
という想いが。

西郷隆盛の熱い想いも痛いほど分かります。

「おいどんが命懸けで“悪魔の僕”と戦った本当の理由を理解しないで、何が征韓論だ!」
という想いが。

本日5月19日は、太田龍氏の命日です。
太田龍の魂に触れることのできる大切な日です。
新聞・テレビは、“悪魔の僕”を「歴史上の偉大な人物」であるかのような偽装報道はしても、
この日本が誇る“偉大なるジャーナリスト”“本当の侍”であった太田氏の「お」の字も触れません。
西郷隆盛の歴史ドラマは放送しても、加工されたものに過ぎず、真実は隠蔽されたままです。

本書を多くの人に、特に若い人に読んでもらいたいです。
一人でも多くの人が「太田龍の熱い想い」「西郷隆盛の熱い想い」「明治維新の真実」に気づいてくれることを願います。
一人でも多くの人に「太田龍と西郷隆盛という“本当の侍”が日本に存在していた」ことを理解してもらいたいです。
そして、この国から悪魔勢力を排除し、この国を正しい道に導いていってもらいたいです。


評点:100点






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飢饉発生の本当の理由は?

「日本原住民史序説」太田竜


1981年の書である。
本書執筆時の著者は、まだ「陰謀論」的世界に目覚めておらず、
太田龍ではなく太田竜と名乗っていた。
しかし、当時から確固たる信念を持ち、圧倒的な存在感を有していたことは、
文体を見れば理解できる。
以下、一部引用する。




*ここに云う「原住民」とは何か。それは、国家権力形成以前の本来の、本源的、根源的な、土着の人間を意味する。
「日本列島原住民」とは何か。それは、国家権力形成以前から日本列島に土着していた人々を意味する。
私にとって「日本列島原住民史」とは何か。それは、約二千二、三百年前、日本に国家権力が登場してから、圧迫され、次第に表舞台から姿を消して行った日本原住民の魂を今日によみがえらせる実践とたたかいを意味する。
それではその日本原住民の魂とは何か。それはどこに見ることができるのか。それをよみがえらせるために、私たちはまず第一に、なにをなすべきなのか。
私は1971年に、このようにみずからに問うた。
そして私は、「まず、アイヌモシリ人民志願者として、アイヌモシリ建国、独立のたたかいに参加すること。これが第一に着手すべき任務である。」という風に自分自身に対して答えた。
・・・・・(中略)・・・・・
私たちは、アイヌ同胞と共に、日本国の一億奴隷集団に対して、アイヌをふみつけにし、アイヌを虐待し、アイヌをはずかしめながら、なに食わぬ顔をしてきれいごとを並べ立てる一人一人の日本人に対して憤怒の激情に駆られている。
・・・・・(中略)・・・・・
そもそも、現在の日本人とはどういうしろものなのか。我々は日本原住民の子孫であるが、天皇と征夷大将軍によって奴隷とされた日本原住民の子孫である。そして昔奴隷となることを拒否した日本原住民のもっとも勇気ある人々、我々の先祖の中でもっともすぐれた人々は、アテルイのように、天皇と征夷大将軍によって首を打ち取られ、その血筋は根絶やしにされたのである。我々は、天皇制権力に降伏して奴隷とされた日本原住民の子孫なのである。
・・・・・(中略)・・・・・
だからこそ、明治以降、「天皇を長とする単一民族としての日本民族」という体制を完成させるために、日本帝国主義権力は、アイヌと沖縄のこの社会秩序を解体粉砕することを、重要な政治目標として追及して来たのだし、学者、アカデミズムが動員されたわけである。
このような、日本帝国主義による、アイヌ、沖縄(及び奄美)滅亡解体の攻撃は、いま現在、時々刻々に、実行されている。それゆえ、いま、この攻撃に対抗し、対決する具体的な行動に立ち上がろうとしないすべての日本人奴隷集団たちは、日本帝国主義によるアイヌ、沖縄滅亡作戦のまぎれもない共犯者、加担者、加害者の役割を果しているわけである。
自分自身の足もとのこのような根本問題を無視黙殺し、或いは見えないふりをし、タナ上げし、あとまわしにして、きれいごとの美辞麗句を並べ立てる人々に対して、私たちは憎しみと軽蔑の気持ちをおさえることができない。


*藤井平司は、「水田稲作は、進歩の名において、権力者がやらせた『コメつくり』である。その性格は『反自然的農業』であった」(『共存の諸相』125頁)と叙べている。この権力的農業、反自然的農業こそ、天皇制の歴史的出発点である。

*古代に於て農民生活の不安と言えば、飢饉であった。飢饉の文献が残っているのは、千四,五百年以降のことである。それ以前には、恐らく飢饉というものを知らなかったであろう。なぜなら、凶作に対する準備が、平常から十分に整っていたからである。
古代は部落に氏神を置き、氏神の森の中に米蔵があり、部落が共同にこれを管理していた。その共同管理の代表者が、即ち神主であったのである。
聖徳太子の時に百済仏教が伝来して日本は仏教国となった。百済仏教では各村落の公団が僧侶によって巻き上げられ、これが為に上古以来の慣例で会った公団の共同管理が一挙にして僧侶の特権管理に移った。この方式が聖徳太子の手によって日本にも適用された。
これが為に氏神を擁して公団の作物を備荒貯蓄として共同に管理していた古代風俗は、根本から破壊され、その当然の結果として、飢饉というものが起こり出した。
既に推古朝に於ける聖徳太子摂政の時に非常に大きな飢饉があったのである。
天武帝の仏教政治は富豪と仏教の結合搾取であり、富豪と仏教が表裏から百姓を搾り、・・・・・この間にも、天武帝より持統帝に引き続き大飢饉が起っている。

*朝鮮半島経由の天皇一族=日本列島の外からの武力侵略者集団は、天ノ朝を滅ぼし、その稲作農耕のシステムという財産を乗っ取る形で武力征服王朝をつくり上げようとしたのであるから、彼らは、しばらくの間は、みちのくを化外の地として放置したわけである。
縄文人の伝統を色濃く受けついで来たみちのくの世界と、日本の中央政府の激突、全面対決は『古事記』『日本書紀』以降に来た。ある種の日本人にとっては、記紀は日本民族の原点と信じられているが、みちのくの蝦夷にとっては、記紀は唐帝国の占領軍の指揮のもとに、唐帝国の文字、ことばで書かれた。日本列島全体を唐の属国として組み込もうとする外来武力征服者たちの歴史偽造の宣言でしかない。

*鈴木治『白村江』(学生社刊)は、大要、次のごとく論旨を展開している。
・・・・・(中略)・・・・・
(5)唐羅連合国の放った間諜は、天智10(671)年、天智天皇を暗殺した。これは天智天皇が唐に挑戦したことに対する、唐側の報復である。
(6)壬申の乱は、かいらい政権をつくるための唐占領軍によるクーデターである。すなわち、唐は抵抗した天智を殺し、その子大友皇子が即位して弘文天皇となるや、天智の弟大海人皇子、及び大多数の宮廷貴族を買収して、弘文天皇を殺し、大海人を天武天皇として立てた。
(7)天武朝は唐羅連合国の謀略によって生まれ、その後は執拗な唐羅の影響下におかれた。
(8)天武朝には大臣がいない。郭務悰のひきいる二千人の「CIA」が権力を行使したのである。
・・・・・(中略)・・・・・
(16)大和における唐のCIAの政治的拠点として、純唐系の薬師寺がつくられた。
(17)大宝律令は、唐占領軍による押付け憲法である。
(18)唐は平和無抵抗主義の仏教をひろめて日本の対唐抵抗の気力をなくし、国力消耗策として、遷都、国分寺の建設を強要した。この結果、苛酷な納税と徴用となる。
・・・・・(中略)・・・・・
(21)唐本国の衰退(755~63年、安禄山、史思明の乱を転機とする)と、日本に対する唐の権力の弱体化に乗じて、奈良朝末期、唐に亡ぼされた百済系の貴族が、桓武(781年即位)―藤原のコンビで日本の国政を支配下におき、彼ら自身が日本化しはじめ、ここに日本文化が定着する。

大宝律令の編集者とは、19人の名が、公式史に記されている。この中に薩弘恪という、れっきとした唐人が入っている。その半数近くは、唐系の姓名を名乗っている。
編集の内容とは、唐帝国の当時の律令の丸写しである。「メイド・イン・ジャパン」という、見えすいたカッコだけつけているものの、これは余りにも明白な唐側出先権力による律令の押し付けである。唐帝国の従属国としての格付け確認である。





(管理人)
アイヌ問題に関する著者の記述には、鬼気迫るものを感じた。
著者は樺太生まれであることもあって、
アイヌ、蝦夷、沖縄の人々に対する思い入れが人一倍強いのだろう。
確かにアテルイの想いを推察すると、「天皇と征夷大将軍によって首を打ち取られ、その血筋は根絶やしにされた」ことに対する怨恨は、想像を絶するものであったことは間違いない。
アテルイの想いは、外国勢力によって根絶やしにされた、我々の先祖である日本原住民を代表する想いであるだろう。
我々は、明治以降の学者、アカデミズムが、このような日本原住民の正当な歴史を抹殺することを目的とした外国勢力の手先として存在していることを忘れてはいけない。

飢饉に関する記述は、目から鱗だった。
部落が共同管理していた米蔵を、仏教伝来によって僧侶の特権管理に移った結果もたらされたものが飢饉であったとは・・・
イエズス会勢力を中心としたキリスト教によって神社仏閣が破壊されたわけであり、
キリスト教の偽善には大抵辟易している。
しかし、仏教によってこのような破壊行為が行われ、飢饉の原因となっていたのであれば、
日本に仏教が浸透したということも、外国支配者層による「洗脳工作の一環」となるだろう。まぁ結論から言えば、宗教なんてものは支配者層の国民支配ツールの一環として広められたものであり、基本的には信じるべきではないのである。

『古事記』『日本書紀』が古代史の正典とされ、他の歴史書が隅に追いやられている理由は、いまだに外国勢力が日本の古代史を支配している証拠である。
日本原住民の立場からすると、記紀は外国勢力による歴史偽造書であり、外国人支配者によって都合よく改竄された「ものがたり」に過ぎないのである。
明治以降にこの国の支配者勢力は入れ替わったわけであるが、なぜか日本原住民の正当な歴史を覆い隠すという隠蔽工作は、そのまま新たな支配者に継承されているようである。

鈴木治の『白村江』に関する記述も、興味深いものだった。
私が以前記した当時の古代史に関する推察と相通じるものがあった。
郭務悰に率いられた唐の軍隊が天智天皇を暗殺したこと、藤原氏が唐の傀儡であることは、
疑いのない事実であるだろう。

大宝律令に関する記述も、注目すべき内容であった。
編集者の半数近くが唐系の姓名を名乗っているという事実を、
我々は見すごしてはならない。
ウィキには「唐の律令を参考にしたと考えられている」と記されているが、
参考どころか「丸写し」であったというのが、真実なのだろう。
このような歴史的事実から、以下の史実が立証されたことになる。

当時のこの国の支配者層は、唐(藤原氏)と百済・新羅(天皇)の外国政権であった。

明治維新の真相はもちろんのことだが、
この古代史の真相にもいい加減に国民は気づくべきである。
日本が遣隋使・遣唐使を命懸けで派遣した本当の理由に気づくべきである。


評点:70点






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共謀して日本民族滅亡を推進している勢力が誰の支配下にあるのか

「太田龍日本義塾 平成19年4月29日 鹿島史学勉強会②」


前回に続く。今回が最終回となる。
少しポイントを記しておく。

・明治政府は家畜を維持するために狼を滅亡させた。

・神田明神は江戸全体の総鎮守だった。「祭神であった平将門を祭神から離せ」と明治政府は命じた。平将門は天皇に反逆したというのは京都勢力がでっち上げた話である。平将門は武家政治の最初の先駆者である。

・明治政府は日本の神々を抹殺した。孝明天皇父子弑逆によって天皇霊を殺した。

・明治政府はすべての仏教と神社を支配下に置いた。

・修験道の行者も巫女も、明治政府は邪教であるとして禁止した。

・官僚は西洋イルミナティ悪魔勢力の手先である。

・加治将一はフリーメーソンの会員であることを自称している。フリーメーソンの上部からの指示がなければ自分がフリーメーソンであることを自称するわけがない。

・日本が絶望的な食料自給率であるのは、イルミナティ世界権力の政策であるからである。

・松岡洋右が四王天延孝氏に「「共産主義も資本主義もユダヤの二本立て作戦だ」というあなたが語ったことは全くその通りだと今になって分かった」と語った。



私は、全面的に太田氏の発言を支持しているわけではない。正直に言って、疑問に感じる箇所もあった。しかし、基本的に、太田氏の発言内容が現代の日本人にとって非常に重要なものであることは間違いないだろう。このような音声や動画を聴くだけでなく、すべての日本人が太田氏の残した貴重な書物を熟読することが必要である、と感じる。
歴史を正しく認識し、明治以来この国を支配し続けている悪魔勢力の正体を正しく理解しない限り、「何故にこの国の政治家・官僚・学者・マスゴミ等(=チーム・イルミナティ)が一体となって日本民族滅亡に向けて行動しているのか」ということが、いつまでたっても理解できないだろう。「本当に共謀罪を適用されなければならないのは誰なのか」「共謀して日本民族滅亡を推進している勢力が誰の支配下にあるのか」ということが、いつまでたっても理解できないだろう。






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「人間が人間を奴隷とすることで存在した歴史学」を根底から覆すことが必要である

「太田龍日本義塾 平成19年4月29日 鹿島史学勉強会①」


本日5月19日は、太田龍氏の命日です。
「太田龍日本義塾 平成19年4月29日 鹿島史学勉強会」の音声を紹介する。
計4回に分かれた音声だが、本日は、第一回を紹介する。
鹿島史学勉強会ということもあり、鹿島昇氏との共通点及び太田氏独自の考えを中心に言及している。長いが、是非、真剣に耳を傾けてほしい。
少しポイントを記しておく。


・太田氏と鹿島昇氏との共通点は「奴隷制度にはっきりと異を唱えた」ことである。

・西洋(イルミナティ悪魔勢力)の歴史は奴隷制度を基盤とした社会である。

・共産国家は奴隷制度を作った。

・太平洋戦争後の教授は共産主義者が大半であり、マルクス主義的な思想を学生に植えつけ、奴隷制を隠した。これは学者ではなく嘘つきである。

・日本の奈良時代・平安時代は中国の制度を模倣したものであり、奴隷が存在していた。
そのことを指摘した教授は右翼に脅された。

・「人間が人間を奴隷とすることで存在した歴史学」を根底から覆すことが必要である。

・日本の歴史を日本の中で完結させないで、世界の枠組みの中でやり直さなければならない。

・大学教授の大半は、歴史を飯の種にしているだけの学問奴隷である。

・歴史学会は日本史・東洋史・西洋史に分けられ、大学教授は自分の専門の歴史以外は手を付けようとしない。

・多くの学者が「家畜制度は人類の歴史の進歩である」と主張するが、太田氏は「家畜制度を成立させたことは人類の犯罪である」と主張する。

・縄文文明が日本文明の型を作った。縄文人は生命創造のエネルギーをもっぱら使ったが、生命破壊のエネルギーは極力使わないように努めた。





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ヴァチカンが信奉している神はルシファーである

「長州の天皇征伐」~日本の<悲劇>はすべてここから始まった~③(最終回) 太田龍


前回に続く。以下、一部引用する。


*デス・グリフィン著『奴隷制への転落?』、「第12章 日本版『都市再生』はきわめて重要なのでその記述を以下に要約引用、解説する。
・・・・・(中略)・・・・・
アヘン戦争(1839年―1842年)に惨敗した中国(清朝)は、英国王室(ザ・クラウン)の要求を受け入れざるを得ず、1843年以降の中国(清朝)は、皇帝が支配者ではない。皇帝とその一族は名目だけの首領として据えられているだけで、実権は宗家の手に渡った。宗家は、婚姻を通じてロスチャイルド家と結びついているサッスーン家の代理人であった。
1843年から1927年までの間に、中国では、英国の支配に抗して十数回に及ぶ蜂起や反乱が起きた。
1900年(明治33年)初頭、英国王室(ザ・クラウン)は、アジアにおける自らの地位をさらに強化する措置を取った。英国は小国、日本に狙いをつけたが、日本には戦争遂行の能力が十分でなかったので、自国の大兵器製造会社、ヴィッカース社を使って日本を軍事大国に仕立て上げた。ヴィッカース社はロスチャイルド商会の資金提供を受けていた。
1902年(明治35年)1月30日に署名された(日英)同盟の下、日本は英国王室(ザ・クラウン)の太平洋地域における「警察官」となることに同意し、日本陸海軍は近代的装備で武装され、急速に強化された。

1903年(明治35年)7月、英国王室(ザ・クラウン)は、コワントン半島(遼東半島南端)での権益放棄をロシアに対して要求した。ロシアは、そでにこの地における社会基盤整備のため3億ドル(3年前に中国から購入)を使っており、戦争覚悟でこの要求をはねつけた。
英国の手先となった日本がロシアと戦い、日本人は英国王室(ザ・クラウン)のため血を流した。日本は、この英国王室(ザ・クラウン)のための戦争によって、ヨーロッパの金権寡頭権力に対し、とてつもない負債を負った。

*超古代からの秘密言語の主たるものの一つは、オベリスク(Obelisk 方尖塔)であると言う。ラルフ・エッパーソンの『ザ・ニュー・ワールド・オーダー』、第14章「オベリスク」には、次のように述べられている。

現在、全世界で、最も重要なオベリスクは、三塔ある。一つは、ローマ・バチカン、法王庁の聖パウロ広場に建てられてあるもの。そして二つ目は、1881年、ニューヨークの中央公園に、エジプト・アレクサンドリアから運ばれて建立されたもの。三つ目は、米国の首都ワシントンDCに建てられた、ワシントン米国初代大統領記念オベリスクである。
第三のワシントン記念塔には、多くのフリーメーソンの象徴が隠されてある。
フリーメーソン陣営の説明によれば、オベリスクは、超古代から秘密裡に崇拝の対象とされている神、すなわち、ルシファーの象徴である。





(管理人)
「1843年以降の中国(清朝)は、皇帝が支配者ではない。皇帝とその一族は名目だけの首領として据えられているだけで、実権は宗家の手に渡った。宗家は、婚姻を通じてロスチャイルド家と結びついているサッスーン家の代理人であった。」

このデス・グリフィンの著書からの引用文章は、中国近代史の真実を暴露している。
私も以前から、宗三姉妹の物語については怪しさを感じていた。
三姉妹それぞれが孔子の子孫や中国近代史を代表する人物に嫁ぐというのは、
誰の目に見ても異常である。
宗家とは、一体何者であったのか?
宗家についての記述を、下記サイトより一部引用する。


http://taweb.aichi-u.ac.jp/leesemi/ronsyu2/ogawa.htm
一人は金を愛し、一人は権力を愛し、一人は中国を愛した。
「金を愛した」と言われる長女靄齢は,孔子の子孫を称し、金融で巨富をなした山西省の富豪の息子、孔祥熙の妻となった。靄齢は金銭的な抜け目のなさで悪名高い。しかし多くの人々は、彼女が宋一族の運命の操縦者でもあったことを知らない。「もし彼女が男に生まれていたら、きっと中国を支配しただろう」とまでいわれたことがある。
「中国を愛した」とされる次女慶齢は、辛亥革命の指導者で、国父と称される孫文の伴侶となった。慶齢は、夫・孫文の理想に忠実に生き抜いた。彼女は、後に、毛沢東の人民共和国の副主席となった。
「権力を愛した」と言われる三女美齢は、革命指導者として頭角を現し権力を握った蒋介石と結婚した。美齢は歴史上最も有名で最も権力を握った女性の一人となった。彼女が中華民国の元首を背後で操る権力者であったことは公知の事実である。

宋王朝のはじまり
 三姉妹の父親、宋嘉樹は、"チャールズ・ジョーンズ・スン"として知られている。通称、"チャーリー"と呼ばれている。
彼は、海南島の貧農韓家に生まれたが、少年時代に、ボストンで茶や絹を商っていた移民の親類の養子となり、渡米した。この時から宋姓を名乗った少年は商人以外の道を志して家出、潜入した船の船長の厚意により、教会と実業家の援助を受け、神学を修め、牧師となって帰国した。上海で偶然ボストン時代の知人に再会したチャーリーは、彼の義妹に当たる名門の娘倪桂珍と結婚した。倪家は、明代の高官で西欧科学の紹介者であり、また中国で最初にキリスト教信仰を受容したとも言われる徐光啓の子孫であった。宋家の始まりである。
家庭をもったチャーリーは、聖書の出版を手始めに実業家に転身した。宋家には、三姉妹を含め、6人の子供が生まれた。
・・・・・(中略)・・・・・
三姉妹アメリカへ
1904年、靄齢が15歳のとき、中国初の女子留学生として渡米し、ジョージア州のウェストレアン・カレッジに入学した。靄齢は米国で数奇な運命を冒険的に切り開き、リンカーンを尊敬し、祖国の近代化を渇望して、孫文の革命運動を援助する父親の教育を直接受け、意志が強く、行動力もあった。渡米途中の事、同伴者の米国人牧師が出航後まもなく、動向の妻の死去にあい前途靄齢に付き添えないという事になった。彼女は祖国に戻る事を承知せず一人で渡航することを選んだ。そのため、サンフランシスコでの入国の際許可が下りず、拘留された。真相は、中国人移民制限法によるものであったが、入国管理官の態度は靄齢にとって屈辱的で彼女を傷つけた。留学生活も2年を経た頃、靄齢は清国教育視察団を率いて米国に来た伯父に連れられホワイトハウスを訪問した。この時、彼女は、T・ルーズベルト大統領から米国の印象を尋ねられた。彼女は臆することなく入国時の人種差別など不快な体験を述べ、自由と民主を誇る米国でこのような事があって良いものかと詰問したと伝えられている。
靄齢は、2年後、慶齢、美齢の留学と入れ替わりに帰国し、1912年の中華民国成立式典には臨時大総統孫文の英文秘書として、父親と共に列席していた。
 1911年 辛亥革命により最後の王朝が滅び中華民国が成立した事を慶齢が父親からの便りで知った時、彼女は自室の壁から清朝の旗を引きはがし、中華民国の旗を貼り付け、祖国が共和国になったことを狂喜した。彼女はカレッジを卒業すると、母親代わりに面倒をみていた4歳年下の美齢をハーバード大学在学中の弟、宋子文に託し祖国に向かった。


以上、引用終了。


三姉妹の父親、宋嘉樹は、渡米し、牧師となって帰国した、とのことである。
さらには孫文の革命運動を援助した、とのことである。
三姉妹それぞれが渡米留学した、とのことである。

宗家の背後にアメリカがいたことは、明らかである。
この記述に疑問を感じる人も、いるかもしれない。
中国(清国)がアヘン戦争で敗れたのはイギリスではなかったのか、と。
宗家を傀儡として「育てる」目的ならばイギリスに渡航させているのではないのか、と。

お答えします。

イギリスもアメリカも同じなのです。
宗家を操っていたのは、国家ではないのです。
国家を支配している「彼ら」フリーメーソン・イルミナティ勢力なのです。
これは黒船襲来で日本に開国を迫ったペリーがアメリカ人で坂本龍馬や長州勢力を操っていたグラバーがイギリス人であったことと、同じことなのです。
私が「日本を支配しているのはアメリカではなく「彼ら」である」と指摘しているのは、
このことなのです。
日本や中国の「似非革命」や「似非近代化」を操っていたのは、
国家ではなく「彼ら」なのです。
「彼ら」は日本や中国を直接支配することを避け、間接支配を選択したのです。
「彼ら」の代理人として国家をメチャクチャに「改革」する任務を遂行したのが、
日本では伊藤博文を始めとした長州勢力であり、中国では宗家だったのです。
このことが理解できたら、宗家に操られていた孫文や蒋介石の正体が見えてくるでしょう。
辛亥革命の真実が見えてくるでしょう。
「日本や中国の「似非革命」や「似非近代化」が国家・国民のためのものではなく
「彼ら」のためのものであった」という近代史の真実が、見えてくるでしょう。
さらに言えば、「明治以降に始まった日本のアジア侵略や日清・日露戦争の実体」が、
見えてくるでしょう。
バカなネトウヨは、日本のアジア侵略を正当化することに血眼になるだけで、
「侵略資金・戦争資金・軍事兵器がどこから調達されたのか」ということを一切考えない。
いや、考える力がない。救いようのない“空っぽ頭”である。

バカなネトサヨにも言っておきます。
日本のアジア侵略や戦争反対を叫ぶだけで、物事の本質が理解できていない。
明治以降の日本が何故にアジア侵略や日清・日露戦争に向かったのかが分かっていない。
政治家や軍人だけを非難してもダメなんですよ!
政治家や軍人が誰に支配されていたかを理解しないとダメなんですよ!
それを理解できずに単にバカの一つ覚えのように戦争反対を唱えているだけでは
ダメなんですよ!

バカなネトウヨとネトサヨに教えといてやる。

明治以降に始まった日本のアジア侵略や日清・日露戦争の実体は、
日本の意思によるものではないんですよ!

日本は「彼ら」に命じられて太平洋地域における「警察官」とさせられ、
「彼ら」のためにアジア侵略や日清・日露戦争に邁進したんですよ!

戦争に勝ったところで日本は何の利益を得ることも出来ずに、
「彼ら」に融資された戦争資金の借金漬けにさせられたんですよ!

はっきり言って、何も知らない国民は、国家のためだと騙されて犬死させられたんですよ!

太平洋戦争も同様に、
何も知らない国民は、国家のためだと騙されて犬死させられたんですよ!

戦争なんてもんは、
勝っても負けても国家・国民にとっては「百害あって一利なし」なんですよ!


当ブログでは耳にタコができるほど書いてきましたが、
全ては明治維新という名の極悪国家転覆クーデターから始まっているのです。
だから、「明治維新の真実」を、完璧に理解しなければいけないのです。
「八百長戦争の真実」を、完璧に理解しなければいけないのです。

最後に本書では、「オベリスクの正体」が紹介されていました。

「オベリスクは、超古代から秘密裡に崇拝の対象とされている神、
すなわち、ルシファーの象徴である」と。

「彼ら」が日本や中国を始めとした他国を支配するためのツールとして
キリスト教が用いられてきました。

キリスト教徒は、自分たちの信じる宗教が誰によって支配されているのかということに、
気づかなければいけません。

キリスト教・カトリックの総本山であるヴァチカンにオベリスクが建てられている理由に、
気づかなければいけません。

ヴァチカンが信奉している神はルシファーである」という真実に、
気づかなければいけません。

「彼ら」がルシファーを信奉しているキリスト教をツールとして国民を騙し、
八百長戦争・八百長侵略を遂行してきた
」という真実に、気づかなければいけません。



評点:80点




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