はじめに
僕は今、あるベンチャー企業に勤めています。待遇は全く満足していませんが、そうなってしまったのは自分にすべて原因があると考えています。そこで、その原因を本文にてまとめ、今後の反省にしたいと思います。
原因① 交渉力の欠如
これが最も大きな原因だと思います。僕は適切なタイミングで、適切な交渉をしませんでした。交渉しなければ、相手が自己に有利な条件を設定するのは当然です。
例えばこんなことがありました。CEOが所有する別会社の BtoC 事業が炎上し、訴訟リスクを抱えている。なんとかしなくてはならないが、CEOは及び腰。僕は「う〜ん別の会社だし、契約もしてないしめんどいからやりたくないなあ。というかあなたCEOなんだし、これ大した話じゃないしそれぐらい自分でケツ拭きなよ」と正直思いましたが、CEOがかなり憔悴していたので「本社の事業がそれで潰れたら元も子もないし、自分はこの件収められるし、細かいことは気にせずにやるか」と考え直して引き受けることにしました。
この判断自体は悪くないものですが、この際に適切な交渉をしなかったのは失敗でした。当時の事情を鑑みるに、この件で訴訟が頻発したら、その対応で資金調達は最短でも半年は遅れていただろうし、最悪の場合本社自体が潰れていたでしょう。僕はその時に成功報酬で本社の株式付与か地位向上の交渉をして置くべきでした。しかし僕は「弱みに付け込むのは悪いかも」と、つまらない感情にとらわれてそれを怠りました。CEOはこのとき(冗談交じりとはいえ)「自由さんが社長やったらどうですか」と4回発言しており、経営者としての責任に絶えられないという弱みを露呈させていました。僕は「いくら優秀でも、危機のときに責任を負えないのはCEOとは言えない」と言いたくなりましたが、それを今指摘するとこの人はだめになってしまうと思い、本人には言わずに他の役員に伝えるにとどめました。その際、「本人の成長の為に今は経験と思って見守りましょう」という趣旨のことを言いました。
馬鹿の極みです。ここで「役員になって僕も側で支えます」と言えば良かったのです。事実僕はこの件を完全に収めており、危機対応の能力があることを完全に証明しています。僕は自分から「都合よく使えるいい人」を演じてしまうという愚行を犯しました。CEOは技術力は相当のものであり、僕を含め多くの人から尊敬を受けています。しかし調整能力や危機対応など人間が絡む部分においてまだ未熟です。これは今も変わってないので、僕はそこを補ういいパートナーになれたと確信しています。それを僕はしませんでした。
原因② 自己の適性に関しての無理解
僕は10代後半から12年の間、相当人生について悩んでいました。自分が何をしたいのかがわからない、という若者によくあるものです。僕は知ることが好きだったので、色々なことを学び、色々なところを訪ねました。もともと自然科学系でしたが、社会科学はどういう学問なのか興味が湧いたので、法律、歴史、経済、宗教、哲学などの基礎を勉強しました。他の国はどういう国なのか興味が湧いたので40カ国ぐらいの国を旅行してみたりしました。自分探しで交通機関を使わなかったらどうなるだろうと興味が湧いたので、東京から北海道まで歩いて(※青森〜北海道だけはフェリー利用)旅行しました(このとき25kg痩せて、死ぬかと思いました)。
若いときの時間をこのように過ごしてきたので、僕は広範な知識や経験があります。それと同時に、世界は広く、多くの場所で多くの積み重ねがあり、自分は世の中のことを何も知らないという謙虚さも体得できました。ただこれは悪いように言うと専門的に特化したものが何も無いとも言えます。僕は社会人一年目からPGやSEをやってきた人に適いません。技術が大好きでずっと勉強やコーディングをしてきた大学生にも適いません。弁護士にだって法律知識は及ばない。これは当たり前で、天才でない限り基本的に時間を投資した人に勝る能力を体得することは基本的には無理です。
しかしベンチャーはとにかく人手不足です。優秀な専門家でも、幅広く色んなことがある程度できる人も、仕事をこなしてくれるのであれば重宝されます。僕はPGとしてのキャリアが一番長かったので、専門職としての自分をアピールしましたが、それは最初だけにしておくべきでした。その背景として「やればなんとかなるだろ」と甘く見ていたことがあり、つまり自分の適性に真摯に向き合っていなかったわけです。このため、現在会社は僕のリソースを有効活用できていません。僕が自分の能力に見合った仕事を適切なタイミングで要求しなかったからです。
原因③ 見返りを期待する傲慢さ
会社の役員の一人が、「創業者になることが大事なんだ」と笑顔で言っていました。単純な表現ですが深い指摘です。資本主義経済における株式会社においいては、大株主が残余コントロール権を持ち、資金調達前までは基本的これは創業者です。そして創業者はほとんどのケースで役員も兼ねるので、コントロール権のほとんどは創業株主にあると言えます。これになることが一番大事という指摘と僕は理解しています。事実、ベンチャーにおいては、特をするのはほとんど創業株主で、その他のメンバーは単なる従業員として扱われます。資金や人材が安定しないことが多いベンチャーにおいては、従業員であることはミドルリスク・ローリターン(経営責任はないのでハイリスクとは言えない)であり、これがベンチャーに従業員が集まりにくい原因でしょう。会社が不安定でありリスクがある、成功しても分け前は無しかほんの少し、という働き方をしたい人は少ないため、ベンチャーに行くのは変わり者や、考えが甘い人が多いです。
僕は後者でした。僕は「自分が相手に対して親切にしていたら、相手もこちらに対して親切にしてくれる」という間違った考えをなかなか改められていません。裁判の判例をたくさん読み、歴史上の裏切りを何度も学んでも、以前のベンチャーで失敗しても、心のどこかでそう思ってしまうので、これは性格的なものだと思っています。上記の命題は間違っています。なぜなら「親切」の定義は人によって違うし、そして人はメリットが自分にないことは基本的にしないからです。
僕は初期において会社に相当に親切にしましたが、自分は会社に親切にされていません。それは僕の親切と会社の親切の定義が違うからであり、そして会社にそんなことをする義務はないからです。僕がした親切は「会社が成長軌道に乗れるように、リスクや障害を取り除く」「辛い境遇にあった会社から逃げずに、一緒に危機を乗り越える手助けをする」というものです。僕が受けたかった親切は「創業者に準ずる待遇をしてもらう」というものです。しかし上述の通り、コントロール権は創業株主にあるので、創業株主はそうしなくても合法です。だとしたら自分の利益を減らしてまでそんなことをする人はいません。狩猟採集民ならまだしも、民主主義・資本主義・自由主義社会において期待されているのはルールに従った合理的行動であり、善意を勝手に相手に押し付けて見返りを期待する行為は傲慢そのものです。
僕は見返りを期待した親切があまり好きではありません。傲慢でありたくないからです。できれば無償で困った人を助けられる自分でいたい。しかし心は未熟なもので、待遇に不平等を感じると途端に辛くなってしまう。無償奉仕は、アメリカのセレブのようにお金持ちになってからした方が良さそうです(彼らが見返りを求めてないかは微妙なところですが)。まあそれ以前に、そもそも営利団体で働く時点で行動に対する見返りをきちんと交渉しないのは馬鹿のやることです。これは①に書いたとおりです。
おわりに
以前の世界一周旅行の終わりにインドを訪ね、Vipassanaという瞑想の修行を10日行いました。そのときに聞いた法話の「自分の苦しみはすべて自分が原因」という言葉が心に残っています。「それをしたのは他人かもしれないが、それを苦しみに変えてしまっているのは自分の心である」からです。(非決定論が前提となりますが)とても納得が行く指摘でした。
うまくいかないとき「自分はこんなに頑張ってるのになぜ」と考え、転じて周囲に責任を転嫁する考えに至ってしまうのは人間にありがちなことです。しかしよくよく考えてみれば、自分にもかなりの原因があるもので、それらに着目し改めようと努める方がよっぽど前向きで合理的です。本文をまとめる過程で、自分の課題がはっきりし、心の澱がある程度除去された気がしました。
本職に着く前は、僕はそれほど多忙ではない仕事で1300万円以上の年収があり、待遇にも仕事内容にも満足していました。しかし本職についてからこれは半分以下に減り、待遇にも不満足な現状です。「安定より挑戦を」と考えブロックチェーン業界に飛び込んだのですが、完全に失敗でした。その原因はこれまで述べたとおりすべて自分自身にあります。
今回の経験を活かし、ストックオプションが付与された後に完全に独立しようと考えています。自分のプロジェクトを、自分の好きなメンバーと一緒にやるのが僕の夢です。その夢に向かって、今回の反省を活かし、真摯に頑張っていきたいと思っています。