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2015年 宇宙人への旅立ち EP4 ヘッセンの復讐

さてさて謎解きも佳境に入ってきましたが、今までの内容は単なる前フリに過ぎない。今回、ルカさんからの重大なヒントのコメを得て(m○m)、ここから「洞察眼」をフルスロットルで駆使した怒涛の洞察が始まる。

さて、今回は最後の4)の箇所の解読です。

「ロマノフ王朝を実質支えていたタタル系貴族が
ブーチン系ロシア政権を後援していたとしたらどう思われるだろうか?」


ここが今回、ユッキーが妻子を捨て(?)、ラスプーチンに憧れたニコライ二世の4公女のように乙女チックにプーチンの元へ行ってしまったことに対し、実はプーチンにはこんなバックがいるんだぞ~というものであり、プーチンの正体を知るポイントでもある。

宇宙人ユッキー
(本当に目覚めるべきはポッポの方かもしれない)

この「タタル」とは古テュルク語で「他の人々」の意ですが、これにギリシャ語の「タルタロス」(地獄)の意味を掛け、ルーシを征服した東方遊牧民を「タタール(韃靼)」と呼ぶようになった。味付け生ミンチ肉の「タルタルステーキ」や「タルタルソース」のタルタルも同じく「タタール」から来ています。

タルタル
(タルタルステーキ、タルタルソース)

この謎解きには、ロシアの歴史の中で「タタールのくびれ」と云われる事象をまず知っておかねばなりません。

い、いや、、「タタールのくびき」でした(汗)。

これは今も尚、ロシア人の精神に重大な影響を与え、ロシア人が屈折した精神構造を持つようになった原因の一つだと解されている。屈折した精神の表れとしては、ロシア人の熊に対する愛とか、アディダスに対する群を抜いた愛とか、恨み節の演歌のような歌が好きだとか...色々ありますが、多分、「タルタルステーキ」「タルタルソース」と同じく、精神が細かく切り刻まれネチャネチャした状態になっているのだろう。

クマ03


「タタールのくびき」を一言でいうと、、、、

「饅頭 怖~い」

い、いや、、「モンゴル人(アジア人) 怖~い」でした(汗)。

これはチンギスハンの長男が15万の大軍を引き連れて遠征して建国したキプチャック汗国との臣従関係のことを指す言葉で、ロシアがモンゴル支配下に置かれた200年あまりの期間のことを「タタールのくびき」と呼びます。

当時、欧州では十字軍がイスラムと戦っている頃で、ルーシもその経緯を見守りつつ、カトリックのデンマーク王、スウェーデン王、リヴォニア帯剣騎士団、ドイツ騎士団からなる「北方十字軍」が異教徒排除の為の遠征軍が侵攻している状況下でした。

ここに東の方から怒涛の大群が押し寄せてきたのです。最初は「プレスター・ジョンの伝説」通りにキリスト教徒をイスラム教徒から助ける為に来たと考えられたのですが、実際に行われたのは殺戮と破壊。古キエフの人口5万人が2千人まで減少。ルーシの首都で宮殿や貴族の館のあった山の手の古キエフは荒地となり捨てられた。このバトゥの西征から「タタールのくびき」は始まるのです。
※プレスター・ジョン伝説・・・ネストリウス派キリスト教の司祭(プレスター)が東方に王国を建国し、イスラーム教徒に勝利を収めたことが述べられている伝説。

このことを充分理解するには、予備知識としてルーシ(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人が居住する東欧広域の名称)と云われる地の国名の変遷を知っておく必要があります。「ルーシ」とはロシアの語源でもあるのですが、元々は現ウクライナ首都キエフの地を指す言葉。ここはウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人が住んでいた祖先の地なのです。


【国名の変遷】
■キエフ大公国(正式国名:ルーシ 882年-1240年)
■ウラジーミル・スーズダリ大公国(東北辺境ルーシ 1157年-1263年)
   1223年・・・カルカ河畔の戦い
   1236年・・・バトゥの西征
■モスクワ大公国(1263年-1547年)
   1940年・・・納貢廃止

■ロシア・ツァーリ国(1547年-1721年)
■ロシア帝国(通称:帝政ロシア 1721年-1917年)
■ソビエト連邦(1922年-1991年)
■ロシア連邦(1991年-現在)

(赤字が「タタールのくびき」期間)


今から約800年前、モンゴルにチンギス・カン(成吉思汗)が登場し、中国~中央アジア~ロシアに至るまでの広大範囲を征服してモンゴル帝国を作った。ロシア方面(キプチャック草原)に関しては1236年のチンギス・カン長男の第一子バトゥの西征でロシア人の王朝(キエフ大公国)が滅ぼされ、その後、建てられたロシア大公国が1940年の納貢を廃止するまでの200年以上の間、ロシアの地は「キプチャク汗国(ジョチ・ウルス)」としてモンゴル人に支配された。

これにより、ロシアは欧州との文化的繋がりを断たれ、文明後進国になってしまったという認識を持っているのです。これがロシア人の屈折した精神構造の1つ。

キプチャク・ハン国は平坦地であるルーシは間接統治で臨み、決まった税金をサライに納めることや戦時に従軍することを義務づけたのみで宗教も自由であった。逆に通商ルートに対しては直接統治を行っていた。このことから通商を非常に重視していたことが伺える。

侵略地では混血化が進み、ロシア人はクリミア半島(クリミア・タタール)やヴォルガ川流域(ヴォルガ・タタール)、シベリアなど広範囲に広がったが、これらテュルク=モンゴル系の人々を「タタール」と呼んだ。

タタール人
(タタール人 彼らは刺繍好き)

つまり、タタールとはモンゴルの別称でもある。

タタール出自のロシア人の姓は、アクサーコフ、アラクチェーエフ、アルセーニエフ、ブルガーコフ、ゴーゴリ、ゴルチャコーフ、ゴドゥノフ、ジャルジャーヴィン、カラムジン、コルサコフ、ストロガーノフ、タチシチェフ、トレチャコフ、トゥルゲーネフ、ウルーソフ、チャダーエフ、シュレメーチェフ、ユスーポフ、バフメテフなど多数におよんでおり、いずれも代表的なロシア人の姓となっている。

月のアヌンナキ監視団のイギギ(エノク書ではグリゴリ)が人間の女を強奪して住んだ場所・「ヒマラヤ杉の場所」がウクライナ。つまりアヌンナキとのハーフである故か、肌が白く金髪碧眼のウクライナ人は、スラブ人自体、何かしらモンゴルの血が入っていると蔑んでいる。

タタール美人といえば、沢山い過ぎて困る程ですが、一人だけ挙げるとすれば、世界一美しい完璧ボディの持ち主であるイリーナ・シェイクですね。ロナウドの元恋人のロシア人モデルと云った方が分かり易いかもしれません。

イリーナ・シェイク
(イリーナ・シェイク)

う~む、モンゴルの血が入っているとは思えない程の美貌。同じモンゴルの血が入った鮮人にようにエラや頬骨は発達していないし、モンゴル女性のように厳つい躯体になっていないのは不思議だ。

で、この完璧ボディのくびれが、「タタールのくびれ」(爆)

うっ、話が反れてしまいました(超汗)。

くびき(モンゴル圧制)の最中、モスクワ大公国(1263年-1547年)が興ったのですが、ここに仕官する者のなかにキリスト教に改宗したタタール人が多くいた。多くはクリミア・ハン国がイスラム教を国教化したのを嫌ってクリミア・タタールからの移動であり、ここからロシア貴族となったタタール家系はかなり多く、17世紀には貴族層の17~30%を占めていたと云われる。タタール出自はドイツ系やポーランド・リトアニア系と並び、誇りとすべき名誉ある家系とされていたのです。

後世、「ボヤール」(ボヤールストボ)といわれたロシアの大貴族階級は、祖先をモンゴル人やタタール人にさかのぼる家系も多く、家名にモンゴル=タタールの名残が確認される。

そして、クリミア半島ではチンギス・カン後裔の王族・ハージー1世ギレイによってクリミア・ハン国(1441~1783年)が建国された。クリミア・ハン国の主要構成はスンニ派ムスリムのクリミア・タタール人ですが、1613年、ロマノフ家のミハイル・ロマノフをツァーリに選び、ロマノフ朝が始まっている。これらタタール貴族がロマノフ王朝を実質的に支えていたのです。

バトゥの西征で対峙したアレクサンドル・ネフスキーはノヴゴロド公国(モスクワの北方、フィンランドの近く)の公を経てウラジーミル大公となっているが、この大出世は自分の叔父や弟を追い落とし、モンゴルの力で大公の位を認められたから。さらにルーシ諸公の徴税や貢納をとりまとめてモンゴル側に送って自らすすんで「モンゴルの代理人」となっている。

バトゥの西征自体、実は大したものではなく、神聖ローマ帝国のハプスブルグ家の弱体化を図る為にオスマントルコを誘導した聖ヨハネ騎士団のように、実はこのアレクサンドルが自らの野望を実現する為に進んでモンゴルを誘導、あるいは裏取引していたという見方も出来るのです。

さてさて、ここで大きな疑問がある。

それは、何故、チンギス・カンは、突如、西へ東へと大規模な遠征を始めたのかという点です。彼を世界征服に駆り立てた動機が見えないのです。

これらの疑問を解く鍵が、実はルーシという言葉にあった。

「ルーシ」はロシアの語源でもあり、現ウクライナ首都キエフの地を指す言葉とは先にも書きましたが、ここに「キエフ大公国」(882年-1240年)があったわけです。

キエフ

このキエフ大公国が東方正教会主教座のあった地だったのです。つまり東ローマ帝国内のキエフ・ルーシ方面の統治者任命が可能な主教座がキエフ大公国の教会だったのですが、「タタールのくびき」の最中、キエフ大公国が廃され、アレクサンドル・ネフスキーがウラジーミル大公となった。その時、キエフ大公の権力がそのままこのウラジーミル大公が継承したのです。当然、主教座もウラジーミルに移動する。

更に、その孫のイヴァン1世(イヴァン・カリター)がウラジーミル大公からモスクワ大公となっていることから、東方正教会主教座はさらにモスクワに移動した。

キエフ(ウクライナ) → ウラジミール → モスクワ

へと北方に徐々に移動したのです。

これがモスクワがルーシ(ロシア)と名乗ることが出来る理由であり、モスクワを擁するロシア連邦こそが「キエフ・ルーシ継承権」を持っているというもの。これがプーチンが元ルーシーであるクリミア、ウクライナを絶対譲れない理由でもあるが、ここがロシア・ウクライナ問題の根源でもあるのです。

正教会記章
(「双頭の鷲」を引き継ぐロシア正教会の紋章)

キリル1世
(ロシア正教会の長たる総主教がモスクワ総主教=キリル1世)

かつての偉大な古代ローマ帝国(前27年-395年)が東西に分裂して西ローマ帝国(395年-480年)が滅び、神聖ローマ帝国(962年-1806年)として再興されたとされています。更にこの神聖ローマ帝国の継承がナチス・ドイツの「第三帝国」だとヒトラーはプロパガンダしていましたが、実際には、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国が相次ぐ戦費拠出による財政難で倒れた後、欧州各地域の継承権がヘッセン、サヴォイ、ナッサウらの諸侯らの剥奪戦になった過去があります。その最大の勝者がヘッセン=ナッサウ家といった感じです。
※ヒトラーの「第三帝国」は、第1の神聖ローマ帝国、第2のドイツ帝国の正統性を受け継ぐものとされている。

神聖ローマ帝国
(神聖ローマ帝国の国章)

では、もう一方の雄である東ローマ帝国の継承権はどうなったのでしょうか? 一応、東ローマ帝国はオスマントルコに敗れるまでの395年~1453年の1000年以上に渡って存続していましたが、その後、再興されたという話はありません。

サヴォイ一族がイタリア王位継承権で未だ揉めているように、また、ハプスブルク=ロートリンゲン家のカール1世の子孫はスペイン、ベルギー、ルクセンブルクの君主位継承権を保持しており、いつ君主として登場するかもしれないように、この広範囲に跨った「東ローマ帝国帝位継承権」が未だ生きており、誰かが保有(血の継承)しているのではないだろうか?

実は、東ローマ帝国→ロシア・ツァーリ国(1547年)→帝政ロシア(1721年)として帝位は継承されているようにも見えます。

東ローマ帝国
(東ローマ帝国の国章  2つの鷲は西洋と東洋を表す)

しかし、帝政ロシアもロシア革命(1917年)で継承は消滅したかに見える。

何故かロシア連邦の国章には「双頭の鷲」が描かれていますが、不思議なことに帝位継承者を立てていません。実は、ロマノフ朝が途絶えたといっても、それは最後の皇帝ニコライ2世一家に限ってのことで、実際には米国在住等で「継承」可能な血筋がゴロゴロいる。君主制を望む声も大きいとのことで、ロシア連邦はもう既に「隠し玉」を匿っているかもしれませんね。

ロシア連邦
(ロシア連邦の国章)

この場合、タタル貴族正教がプーチンを後押ししているのが気に掛かりますね。新世界秩序時において、一旦、破壊された「皇帝-貴族-平民」という身分制社会の復活を目指しているかもしれません。

もう1つ、継承の可能性があるのがタタール、つまりモンゴルです(ニタリ)。

ソ連邦時代、今度は逆にモンゴルが「ロシアのくびき」に置かれ主従関係となりましたが、この時、チンギス・カン一族の子孫であると自慢していた貴族たちは「人民の敵」として処刑され、最初の20年間で貴族や仏教の僧侶など約10万人(国民の約1割)が殺されたり、シベリアに流刑されて死んでいる。

過去の「タタールのくびき」がよほど堪えたのでしょうか?

確かに、モンゴルの圧制下では多くのロシア貴族が亡くなったと云われ、モンゴル人は厚い板を用意し、囚人を下に寝かして並べて上に厚板を置き、その上で宴会をするという冷酷な処刑を楽しんでいたという。

この「タタールのくびき」がロシア人の潜在意識の奥深くにトラウマとなって刻み込まれ、過剰過ぎる程の強さを求める気質や死刑よりも同性愛を我慢できないという独特な精神構造を形成しています。 ロシアの大統領ウラジーミル・プーチンが同性愛者の権利を剥奪し同性愛は違法であるという法律に署名し成立したのもこれが理由ですね。

しかし、モンゴルの統治は、既存首長による自治を認める間接統治であり、宗教にも寛容で、また西洋と東洋を結ぶ隊商ルートが安全に確保・整備された為に東西貿易は盛んになり、実はルーシは前よりも裕福になっている。しかも納貢の税率は収入の1/10とかなり安い部類。このことから「タタールのくびき」など本当は無かったと言い出す研究者さえいるのです。

ソ連時代のモンゴルに対する対処は異常であり、これは「ソ連共産党=ヘッセン選帝侯国の傀儡」であり、「ヘッセン選帝侯国=ハプスブルグ家を廃した神聖ローマ帝国(西ローマ帝国)継承者の1つ」と看做すことで解けてくる。この異常さの根底には必死になってロマノフ王朝以降の「東ローマ帝国帝位継承者」を抹殺しようとしているのでは?

モスクワ大公国には「キエフ・ルーシ継承権」があり、当地の王を任命できる権限があったわけですが、ロマノフ王朝滅亡後、任命を受ける側である継承権(血胤)は自動的にモンゴル本国に渡ったのではないかとオイラは睨んでいる。だからこそ、ソ連邦時代に後々のことを考えたヘッセン選帝侯の手先であるソ連共産党は、継承者が誰であるか分からない為にチンギス・カン末裔の貴族を全て抹殺に掛かったのではなかろうか?

早くにロシアに征服されたジョチ・ウルスの西部でも長らくチンギス・カン一族の権威が生き続け、チンギス・カンの血を引くモンゴル貴族が正教に改宗してロシア貴族に加わった場合には、ロシア在来の王家であるリューリク家の人々と同様に、皇子(ツァーレヴィチ)、公(クニャージ)として処遇された。・・・・(中略)・・・・また、西部でもクリミア・ハン国のみはオスマン帝国の保護下に入り、18世紀の末までロシアからの独立を保ったが、この国でもチンギス・カンの血を引く王族のギレイ家の構成員のみがハーンに即位したり、スルタンの称号を帯びたりする権利を独占した。ギレイ家は、チンギス・カンの血を引く名門としてオスマン帝国、ロシア帝国の双方からも一定の敬意を払われていたことが知られている。
(Wikipediaより抜粋)


モンゴル貴族(タタル貴族)とルーシ王家が同格!!!
まぁ、征服支配されていたので、当然といえば当然なのですが、、、、

ただ、この扱いは間違いなくキエフ・ルーシの継承権はモンゴルにいる「大カーン」に移っていたことの表れ。

その後のツァーリ国、帝政ロシアにしても「キエフ・ルーシ継承権」という一地方の継承権の取り戻しでしかなく、実際、取り戻したのかどうかも不明。血縁的には取り戻せていないとみている。また別の広大な地域の継承権はモンゴルに存在したままだと思われる。当然、これを与えられる主教座はロシア、アルメニア限定の東方教会(正教会)主教座などではなく、もっと別物の上位の主教座である筈。

この教会が持つ権威が権力者を任命して統治継承権を付与するという方法は、ユダヤ式のダビデに油を掛ける大祭司レビ族に起因する。実はこの方法は「権威」と「権力」が分けられた日本と同じであり、アジアでは珍しく日本文明が欧州型文明と同じカテゴリーに分類される理由でもある。逆にいえば、これは日本は古くから宗教に支配された国であったことの証左であり、これ故に、織田信長が木下藤吉郎と呼ばれた頃のイエズス会の侵攻でも日本はキリスト教国化しなかった理由でもある。

これに関してはモンゴルでのキリスト教の布教程度を考えねばならない。なぜなら、キリスト教帰依者でしか継承認定されない仕組みだからです。
※神が教会対し、神に代わって地を治める権威を与えたという神学に基づく

中国大陸に伝わったキリスト教は景教だと言われているが、、、、

景教とは古代キリスト教ネストリウス派のことであり、コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれた。325年のキリスト教会最初の公会議ニカイア公会議で三位一体説が正統とされたため、それに異を唱えるネストリウス派は431年のエフェソス公会議において異端認定され排斥された。これにより、ネストリウス派はペルシャ帝国へ移動し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わったという。モンゴル帝国を後に構成することになるいくつかの北方遊牧民にも布教され、チンギス・カン家の一部家系や、これらと姻戚関係にありモンゴル帝国の政治的中枢を構成する一族にもこれを熱心に信仰する遊牧集団が多かった。そのため、元の時代に一時中国本土でも復活することになったという。
(Wikipediaより抜粋)


やはり、チンギス・カン末裔に継承権(血胤)は移っている。これが「大ハーン」の称号なのだろう。しかも、任命権者はコンスタンティノポリス総主教というロシア総主教よりも上位のもの。

つまり、古代キリスト教ネストリウス派(景教)でそれであった。そして、これが最初に書いた東方で教化に成功した『プレスター・ジョンの伝説』に繋がってくるのです。

これで、何故、テムジン(チンギス・カン)が急に大陸全土を侵略し始めたのかの謎も解けてくる。

つまり、、、「大ハーン=東ローマ帝国皇帝」だったのだ。
※トルコのコンスタンティノープルの東ローマ帝国(ビザンティン帝国)は、あくまでも「アレクサンドリア総主教庁派=ロシア正教・ギリシャ正教」が建てた帝位であり、本来の「コンスタンディヌーポリ総主教庁」の主流派はネストリウス派であった。エフェソス公会議というクーデターでエジプト追放され、派閥はペルシャを経てインド・中国に移っていった。そして、かの地で教化していった。この初期の頃の枝分かれが、モンゴル・満州・朝鮮半島を経て日本に来ているが、これがカド族系秦氏であり、卍党に繋がっているとオイラは睨んでいる。

ただ、この場合、チンギス・カンがキリスト教徒である証明をしなくてはならない。

立証することは不可能ではあるが傍証ならばある。1つはチンギス・カン末裔が景教信者であったことと、元が建国された際に景教が再び隆盛したこと。更に彼の孫であるバトゥが建設した町にキリスト教の教会が作られていたということです。

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ロシアのボルガ川堤防沿いに、モンゴルの征服者チンギス・ハンの子孫たちによって建てられた都市跡で、2つのキリスト教寺院が発見された。寺院が発見されたのは、約750年前に建てられウケクと呼ばれた都市。寺院はタイル屋根で、彫刻や壁画で装飾されており、ローマやエジプト、イランからもたらされた皿や瓶といった輸入品の遺物が中から見つかった。ウケクのキリスト教地域は、サラトフ地方民間伝承博物館の考古学者たちによって発見された。多文化の都市で、そこではイスラム教やキリスト教、そしてシャーマニズムなど、さまざまな宗教が実践されていたという。最初のキリスト教寺院が14世紀はじめに破壊された後、2つ目の寺院が1330年に建てられ、1350年頃まで使われ続けた。今回、その土台の一部が発掘された。

■チンギス・ハンの子孫が建てた都市で古代キリスト教寺院発見
ttp://www.christiantoday.co.jp/articles/14430/20141030/ancient-christian-temples.htm
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以上から、チンギス・カン(テムジン)がキリスト教徒(景教徒)であった確率は非常に高いとみている。

では、この大ハーン(東ローマ帝国帝位)の継承権は、モンゴル帝国崩壊後、どうなったのでしょうか?

モンゴル高原では、元朝崩壊後もチンギス・カンの子孫でない者がハーン(カアン)の位に就くことはタブー視され、チンギス・カンの子孫ではない遊牧君主はたとえ実力でモンゴルを制覇したとしてもハーンとはなれない慣行が生まれた(「チンギス統原理」)。東アジアでは、17世紀初頭に女真のヌルハチが満州(女真)のハンに即位して後金を建てていたが、後金はヌルハチの子ホンタイジのときモンゴルのチンギス裔のハーンを服属させ、満州だけではなくモンゴルに対してもハーンとして君臨することとなった。こうしてモンゴルのハーンとなった満州のハーンは、自らを元の大ハーン政権の後継王朝と位置付け、国号を清と改めている。
(Wikipediaより抜粋)


ここからは女真族に更に継承権は移ったと読める。
※満州=モンゴルでもある。つまり、遊牧が蒙古、定住が女真という違いがあり、両者はかなり交流していた。事実、満州文字はモンゴル文字を改良して作られたもの。この両者の結託を怖れた中国は互いを反目させるような施策をしていたが、清朝始祖・愛新覚羅ヌルハチは蒙古族の協力を得て清朝を打ち立てた。

時代は下り、モンゴルはに組み込まれたが、辛亥革命(孫文が起こした革命で共和制国家・中華民国が樹立)の時に清から独立化。

清からの独立を宣言(Mongolian Revolution of 1911)。モンゴルにおけるチベット仏教界で最高権威かつ民族全体のシンボルとして君臨していた化身ラマ(活仏)のジェプツンダンバ・ホトクト8世(ボグド・ハーン)をモンゴル国の君主(ハーン)として推戴し、ボグド・ハーン政権を樹立した。1913年には、チベットとの間で相互承認条約を締結した。
(Wikipediaより抜粋)


モンゴルとチベットを結ぶラインが相互認証だった。

ナチスがチベットと同様、モンゴルを重視していた理由でもあるが、それを吹き込んだのは緑龍会(緑のカラス)の客家(ペリシテ人)勢力。

緑カラス傘下の地祇系の大本・出口王仁三郎は、第1次大本教事件により仮出獄中の身でありながら、密かに蒙古へと入り有力な馬賊と友好関係を結び、満蒙の人々を教化しながら約5ヶ月に渡り満蒙の地を白いロバで駆け回ったといいますが、これはイエスの「エルサレム入り」を模倣した行動ですね。

エルサレム入り

つまり、満蒙の地に新エルサレムを作ろうとしていたのだろう。救世主思想(弥勒思想)を持つ卍党に連なる大本ですが、この卍党の根底には景教あるいは原始キリスト教(エルサレム教会)が存在すると思われる。もし景教ならば卍党本部が東ローマ帝国帝位を任命するもう1つの主教座なのかもしれませんね。

妄想ついでに述べておくと、、、

これがネオ満州国の建国に絡んでくるのでは? つまり満州国とは「東ローマ帝国」の再建。地祇系が何度も満蒙地区に国を樹立したがる真の理由はこれではないだろうか?

では卍党(大本=世界紅卍字会=道院)が、何故、満州・蒙古を目指しているのか? 1つはモンゴルとチベットの相互認証にあると睨んでいますが、それ以外にも地政学的理由がある。

海洋国家イギリスの地理学者マッキンダーは、「世界は閉鎖された空間となった。人類の歴史はランドパワーとシーパワーの闘争の歴史である。これからはランドパワーの時代である。東欧を制するものはハートランド(ユーラシア大陸の中心部分)を制し、ハートランドを制するものは世界島(ユーラシア+アフリカ).を制し、世界島を制するものは世界を制す。」との有名な仮説を発表。

この言葉を受けて、ナチスの地政学者ハウスホーファー「地球の心臓地区とはモンゴルである。モンゴルを制す者は世界を制覇するだろう。」と自分の刊行する雑誌「地政学評論」で発言している。このハウスホーファーの言葉がナチスの行動原理になっているが、これは卍党も同じ。多分、緑龍会(客家)の思考・思想から来ていると睨む。

ここに建てられるのは皇帝=大ハーンは初期に枝分かれした女真族の血を引く北朝(地祇系)なのか? それとも順当に愛新覚羅家の血を引く者なのだろうか? あるいはチベット仏教関係者なのだろうか?

一応、今でも愛新覚羅家の血を引くものは日本にいるにはいる。
※、愛新覚羅(福永)嫮生、姉の愛新覚羅慧生は1957年に天城山心中しているが、遺体が離れており心中らしくなく、非常に怪しい事件。

だが、中国にもたくさんいる。

新進女優の愛新覚羅啓星

愛新覚羅啓星01
(曽祖父が溥儀の従兄弟)

また話が反れてしまった、、、(汗)

かつての満州国建国時には、関東軍主導で満州国皇弟・愛新覚羅溥傑と侯爵嵯峨家の浩(ひろ)との婚姻が進められていた。本来は皇族と結婚させたかったみたいだが、制度上認められず、昭和天皇と近い血筋の華族から選ばれたという。兄・溥儀から弟・溥傑に強制譲位され、最終的には関東軍=帝国陸軍の権威である北朝系裏天皇の血を入れて完成という段取りになっていたのではないだろうか?

ネオ満州国もきっと似たようなシナリオで動くだろう。

しかし、ロシア人の脳裏には「満州(蒙古) 怖~い」が強烈に焼き付いているので、ネオ満州国に関しては「河豚計画」同様に潰されるとだろうとオイラは睨んでいる。っていうか、西ローマ帝国(ヘッセン=ナッサウ)陣営が「そうはイカンザキ!」と潰しに掛かってくる筈です。

ただ、アレクサンドル・ネフスキーがしたように「怖い怖い」といいながら饅頭をどんどん持ってこさせ、全て食べてしまうような展開(オチ)は用意されているだろうが、、、(爆)。

さてさて話は現代に戻るが、タタール人の反駁を恐れ、クリミア・タタール人の復権をプーチンは速やかに行った為、タタール人はプーチンを後援していると述べましたが、これはかつてのモスクワ大公国とタタール人、帝政ロシア(ロマノフ王朝)とタタール人の関係と同じですね。ロシアでは1つおきにタタール人が後援する国家になっています。

これはイラクにおけるクルド人、戦後日本における在日と同様、少数民族であるタタール人が政権の裏側を担っていたからでしょう。だから政権転覆で一旦は地に落ちる。

この法則から云えることは、現ロシア連邦もタタール人支援国家だということ。実際、プーチンの行動を見ても逸早くクリミアにおけるタタール人の復権を図っているので、全くその通りですね。

ロマノフ王朝に対してロシア革命を仕掛け、完全殲滅を企てたのがヘッセン選帝侯国でしたが、ロマノフ王朝を実質的に支えたタタル貴族がソ連邦時代には辛酸を舐めさせられたのは容易に想像が付く話ですね。

ここに「タタールvs.ヘッセン選帝侯」 という図式が透けて見えてくるのです。ウクライナのクリミア紛争も同じ対立構図です。

ウクライナ

このヘッセン選帝侯側に侵食したのがオラニエ=ナッサウの新教(プロテスタント)勢力で、ここがヘッセン=ナッサウへと進化し、現在のオランダ王室になっていく。ここが英国メーソンの奥の院で「千年王国」のマスターマインド。メーソンの英国を通じて米国とバチカンをコントロールしているとも云われる。

この繋がりから上の図式は「タタール→蒙古・満州→地祇系(北朝)→イエズス会」へ、一方、「ヘッセン選帝侯国→ヘッセン=ナッサウ→オランダ→メーソン」と繋がって、、、

「イエズス会 vs.メーソン」 の対立構造と読み替えることが可能。

つまり、クリミア紛争も正反合のヘッセン=ナッサウ勢力の両刀を使った罠であるということです。

名無し先生の情報では、30年戦争の後、ヴェスト・ファリア条約が締結(1648年)されましたが、この条約によって欧州は30年間続いた旧教と新教による宗教戦争は終止符が打たれ、相互領土の尊重、内政干渉抑制を旨とした欧州の新秩序が形成されるに至ったが、ここではヘッセン側に有利な領地配分になったものの、その後のウィーン会議(1814−1815年)で不利な結果となった。

この不利な裁定を行ったのがロマノフ王朝のニコライ2世。これがロシア革命勃発の原因であり、ヘッセンが革命でニコライ2世のロマノフ王朝消滅を図った本当の理由でもある。

同時にロマノフ王朝の財宝をも簒奪したのですが、この財宝はローマ帝国→東ローマ帝国→オスマン帝国―ロシア帝国へと流れたもの。それと各植民地から得たアセットを加え、ロマノフ家没落後にインドンシアのオランダ総領事館の地下室50Mに金塊を積み上げ貯蔵していたという。これがベルファシ(旧コミュニスト)側の簿外資金の元資。

しかし、ナッサウ=オラニエ側の欧州諸王室、中国王室がここに集まっていた時を狙い、日本の陸軍中野学校のある特殊部隊が全てを押さえ、これを元資に善用の簿外資金とし、国際平和維持の為に使う事を決め、各王室に国際協定に署名させ命と交換した。金塊はアジア各国の軍関係国際秩序維持派に監理依頼をし、各地に移動、決して動かさぬ事が約束された。

このことが戦後日本が敗戦国でありながら日英米の三極で回す金融センターと為り得た経緯。そして現在、日本が産業の更新が進まず停滞しているのも、バブル期の善用の資金を簒奪して流用したヘッセンと懇意なベルファシ勢力がヤンゴトナキ家系周辺にいる為、20年間、簿外資金が全く注入されておらず、これ故に産業が更新させず中国...等に資金が回されてしまっている。

話がだいぶ横道に反れてしまったが、この「ヘッセンvsロマノフ」の対立構図は「ヘッセン・ナッサウvsタタル(モンゴル・満州)」へと引き継がれ、「メーソンvsイエズス会」という形をとっていますが、本当の正体は「西ローマ帝位継承者vs.東ローマ帝位継承者」という対立構図になっていると睨んでいる。

この東西陣営には各々南北陣営(南ユダ族、北イスラエル族)が付いているが、この西ローマ帝国、東ローマ帝国の帝位を同時継承できた時が「合」の時であり、「千年王国」の始まりの時だと奥の院は捉えているではないでしょうか。

(つづく)
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コメント

非公開コメント

EUというものは明らかに西ローマ帝国を意識してると思うんですが、そもそも作ったきっかけはドイツとフランスの不仲です。ドイツは神聖ローマの中心なのです。そしてナポレオンで有名なコルシカ島とサヴォイのサルディーニャ島は隣です。 当時のフランス王家はなぜ潰されたのでしょう?当時のフランス王家はなぜテンプル騎士団(十字軍)を潰したのでしょう? そして関ヶ原で西軍にも東軍にも真田がいたように、寄生虫のような貴族は両方にいるでしょう。それがロス茶だと思っています。だって男爵位ですから。

このような状況であれば西洋人も関ヶ原の時の武士とまったく同じことを考えると思います。特に中堅から下位の貴族は簡単に移り変わるでしょうし、両方にいてもそれほど問題にされません。上位貴族ほどそういうことはできないでしょう。

シリアの元宗主国はフランスです。シリアにはシリア正教会があります。モロッコの元宗主国もフランスです。フランスは東ローマ圏に影響を持つ国です。そしてサハラ以北のアフリカの対岸にジブラルタルがあります。当時のフランス王家はカトリックと不仲です。ロシアと繋がりやすい国です。

ちなみにロス茶の五本の矢はハンガリー、イギリス、ドイツ、フランス、統一前のイタリアに降り立ってますが、イタリア統一とローマ教皇領土縮小は同じ意味になります。イタリア統一するのはサヴォイですね。この動きはなんだか日本に例えたらあらゆる大名に派遣されてた忍者かなにかみたいに見えます。男爵位ですから

金融のはじまり。十字軍を軍隊の総称だとすると戦争が強い部隊がドイツ騎士団。物質輸送隊がテンプル騎士団と役割分担されてたのは日本の戦国時代と同じで戦争は輸送が一番困難ですが強い者は輸送をしません。ある時、両方の拠点に物質をあらかじめ蓄えて置いてフランスで預けた金塊をバルカン半島で渡す。そうすると運んだことになり輸送費を受け取りリスクは少ないことに気づきます。その途中に流通してる預けた証明書はのちに紙幣となります。つまり物資輸送から始まった金融ですがこの輸送隊は異端に対しては山賊、イスラム教に対する海賊でもあります。拠点は地中海の島にもあります。海賊は軍物資輸送隊でもあり海運でもあります。この金融=海運=海賊が未分化なグループがテンプル騎士団でやはり異端に対して一つの村を滅ぼしたとしても改宗をせまり何人かは吸収していたりするのでそれらから成り上がった改宗貴族の一人がロス茶だと思います。十字軍は略奪目的で異端だったと事後報告しながら無害なカトリック(ローマ教皇傘下)以外のキリスト教を滅ぼしたりもしてます。つまりこれらの系譜なら東ローマ側のキリスト教がかなりいるはずです。バルカン半島から旧ハザールくらいの場所は東ローマ圏でもあります。十字軍は略奪したくて教皇に報告して教皇は報告のまま異端と記録するだけです。そのくらい当時はいい加減です。教皇も自分の傘下でなければどうでも良かっただけです。

そしてフランスはなぜテンプル騎士団を潰したのか、テンプル騎士団がカトリックに所属しない東方教会=正教会から略奪したからです。つまり東ローマ側となります。十字軍は一応ビザンツ帝国が潰されたから始まったような大義名分ですがやってることは東ローマの残党がりやら吸収です。

実際には運んでない物資を拠点に蓄えるにはあるかなりの原資が必要です。十字軍はあらゆる方面へ進行して撤退もするので二度儲かります。そして株式会社が出来たのも船の共同出資によるオーナーの分配比率で保険のルーツもやはり積み荷保険です。つまり銀行=海運のグループにオーナーがいたことを意味してますね。軍需物資というのは勿論金塊だけではなく保存のきく穀物も取り扱うわけですからそれは金融の現物市場へと発想がつながって行きます。このテンプル騎士団は少年騎士団をイスラムの国へ奴隷として売ったことでも有名です。イスラムは取引相手でもあるわけです。

ある本では紙幣は金の預り証から始まったと言いますが目的がなければ預けないのです。そんなにお金があれば要塞でも作って蓄えれば良いです。これらの本では動機がかなり不鮮明な説明をしてます。なぜ預けるかというと運ぶという意味があったからです。

いろいろ書きたいこと書いて感想遅れましたが、ロシアの中で東ローマとモンゴルは融合してるので内容は賛同しています。日本が満州にこだわった意味もそうだと思います。日本が敵視された意味も同じだと思います。【東ローマ皇帝位が邪魔なわけです】同じようにビザンツのあった場所にはオスマントルコがありましたがやはり融合に近かったのだと思います。イスラムから東ローマ皇帝位でても嫌でしょうね。

ヨーロッパの人自体が○○伯爵兼○○国王みたいになってるわけですから、まあイギリスですけど、同じように○○ハーン兼○○皇帝も可能です。ハプスブルグ当主の称号なんてどんどんくっついて非常に長いです。○○公爵で○○伯爵で○○王でみたいにすべて支配地を意味するからです。

フランスのカペー=ブルボンの支流がスペインとルクセンブルクの王室です。両方ともブルボンですが両方とも違う側についてるように思います。スペインの下にジブラルタルがあります。スペインでは311のあとに地震がありましたね。

まあ一番重要なのは現代の状況ですがイスラム国はなんのためにあるのか?ですね。彼らは言ってることとやってる事が違うのでイスラム教を敵にしているようで(正教会の影響がないイスラム国家は敵視していない)わけですし同じキリスト教を滅ぼすにはイスラム国なんでしょうかね?

ユダヤ教というカテゴリーがあるような錯覚におちいってしまいがちですが、いろいろな聖書信仰があり、キリスト教(主にカトリック)とイスラム教に含まれなければユダヤ教のように見られますが他に表現の仕方があるのでしょうか? ハザールも東ローマの残党をさしてる気がします。当時はカトリックに従わなければ消去法でユダヤ教という表現しかできない気がします。

紙幣のはじまり、唐時代からあった仕組みを宋が継承してモンゴルが採用しますが、モンゴルでの使われ方は、羊を五匹借りると称して平和的に略奪してかわりに証書を置いていきます。政府に証書を持っていけば返して貰えるんですが組み立て式テントが首都なために政府(国の中央)はどんどん移動します。 交換が困難な為に交換されなかった証書が価値を持って流通していきます。それがモンゴル式紙幣ですね。これは旧日本軍の軍票に近いでしょうね。その後モンゴルは一部中国化農耕租税定住しますが、元以外の周辺国家はそのままです。もちろんヨーロッパと隣接してます。

唐→宋→モンゴル→元と中国は銀貨幣の国ですので、金兌換紙幣に限定するとはじまりはテンプル騎士団に吸収されたロス茶であってるかもしれません。これら紙幣の発想、銀行の発想をたどると文化交流の場所はやはりヨーロッパとアジアが平和に融合していた東ローマあたりになります。古代文化の成熟度でいえば中国の方が古いです。古代ローマは野蛮なだけです。

ユダヤ教に関しては、時代により全然意味が違うわけですが、中世のユダヤ教はカトリックが主張する異端とあまり大差がない意味で【キリスト教のグループから外れてイスラム教ではない聖書信仰からの略奪を正当化したいために異端と呼んだ】→【異端とユダヤ教を同一視】異端であれユダヤ教であれただの別称ですからね。現代のユダヤ教の意味は【キリスト教グループに組み込まれていない少数派の聖書信仰を下層軍隊に取り込む為、人口を増やすために人工国家が主張したユダヤ教】で政治的な目的ですね。

ユダヤ教の教義についていろいろいいますが、日本人が仏教行事しながら神棚があるのと同じです。庶民の視点でいえば個人個人が聖書信仰しながら古来の信仰もしてるだけです。まして【キリスト教とイスラム教以外のそのた聖書信仰】などは統率された組織ではありません。

中世にはそのような複数の宗教を信仰する個人を異端と呼んだり、キリスト教グループに入らない聖書信仰を異端とよんだりして略奪していただけですがいつからかユダヤ教と言う言い方とほとんど意味が変わらなくなります。別称の表現が変わっただけですから。つまり西ローマが敵視する聖書信仰もユダヤ教になったのでしょう。

同じ言葉で違うグループを表現してるので中世のユダヤ教の意味は【西ローマ側カトリックの敵視する聖書信仰】で現代のユダヤ教は【西ローマ側の建国した人工国家の国教】ですから混乱しますね。

選民思想は悪魔教への落とし穴

投稿されたコメントで少し気になる点があったので、この点について(私的見解を)記しておきますと
>ユダヤ教というカテゴリーがあるような錯覚に陥ってしまいがちですが・・・・・ハザールも東ローマの残党を指している気がします。
の件、一般的にユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いは何かと言えば

1)、ユダヤ教は旧約聖書(特にモーセ5書)とタルムードのみを信仰する人達で、イエスは救世主などではなく、彼らの神に対する反逆者(=偽救世主)との位置づけで、聖書よりもタルムードが第一の様です。
2)、キリスト教は旧約聖書(全体)と新約聖書を信じる人達で、かつイエス・キリストを自らの救い主として信じる事によって救われると信じる人達(但し、パウロがイエスの真の教えを捻じ曲げたもの)の様です。
3)、イスラム教は旧約聖書(全体)と新約聖書(4福音書)とコーランを信じ、イエス・キリストは神が遣わした預言者の一人として信じるが、その最大の預言者はモハメッドでありコーランの教えが第一の様です。

そして、ハザールとは、パリサイ人が改宗させた改宗ユダヤ人で東ローマの残党というよりも、(白人系の)「偽ユダヤ人」であり、聖書の黙示録預言では「サタンの会堂に属する者」と記される輩達です。但しこれは、
「支配者の偽ユダヤ人(=悪魔教徒)」で、白人系ユダヤ人全体(=一般人)を指すのではないの私の考え。
・(マタイ23.15)偽善な律法学者パリサイ人達よ、あなた方は災いである。あなた方は一人の改宗者を作るために陸と海を巡り歩く。そして作ったなら、彼を自分よりも倍もひどい地獄の子にする。
・(黙示録3.9)(ヒラデルヒヤの教会に送られた書簡で)見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実、ユダヤ人ではなくて偽る者達に、こうしよう。・・・・・

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、後継者に悪魔が入り込み、真の教えに毒が混入されている様です。
これをしたのはネガティブET達で、特に彼らが混入させたユダヤ教のタルムード思想は猛毒ですね。
カトリック(旧教)もプロテスタント(新教)も、「外在神」(=キリスト)への信仰で救われる教義では同じですが)実はイエス・キリストの真の教えは、自分の救い主は自分自身の中に存在する「内在神」であり、イエスはその事を知らせる為、また、来るべき世での人類に次元上昇の見本を見せる為に来たのですが・・・・・

ユダヤ教のタルムードに注入された悪魔の毒は、簡単に言うと、「ユダヤ人だけが人間で他民族はゴイム」(豚=獣人間)であるとする教えで、ユダヤ人はゴイム(他民族)を騙し、ゴイムの財産を奪っても、またゴイムを殺害しても何ら罪に問われない。逆に、ユダ人がゴイム(異邦人)の財産を全てまきあげて「世界支配」を完成する時、彼らの言う「メシア(=666)」が到来して、「ネガティブ宇宙人&戦争屋の傀儡の(666)による全世界支配が永遠に続く(?)」事になると信じている狂信者達のようです。

タルムードについては、(宇野正美氏の著書「古代ユダヤの刻印」P.136-138によれば)
「自分達は人間、他民族は獣」--ゆがんだタルムード的発想
ここで、今から2600年前の紀元前586年に時代を戻さなければならない。その時南王朝ではバビロン帝国の攻撃をを受けていた。神殿は破壊され、多くのユダヤ人達が殺された。そして生き残った者達はバビロンのネブカデネザル王によって、バビロンに連れてゆかれたのである。
そこで彼らは絶望の中で数十年を過ごさなければならなかった。その時に、特にユダヤの指導者達がバビロン宗教の影響を受けてしまったのである。解りやすく言えばバビロン宗教という眼鏡で『旧約聖書』を読むようになった。これがタルムード的発想である。自分達は人間、他民族はゴイムすなわち獣であるという発想が基本となっている。
以降、ペルシャの時代に彼らは元の国に返された。しかし、指導者(後のサンヘドリン)達は、バビロン宗教による『旧約聖書』の解釈をやめなかったのである。
そして、イエスが登場する。イエスは純粋に旧約聖書発想においてのみ『旧約聖書』を伝えた。イエスは容赦なくサンヘドリンの誤りを指摘した。そして両者の激突が繰り返されたのである。
イエスの十字架刑は紀元後30年。なお、その後40年経った紀元70年、ローマ帝国はこのユダヤ国家を破壊したのであった。なかでも、エルサレム攻防戦は激烈を極め、多くの死者を出した。その攻防戦の最中、ユダヤの指導者達、すなわちサンヘドリンのグループは地下に潜ったのであった。・・・・・(中略)
そして、紀元500年頃、サンヘドリンはバビロンにあったのである。ここで、バビロン宗教から影響を受けた『旧約聖書』解釈、すなわちタルムードがまとめられ、書物に編纂されたのであった。

と述べられており、またハザール(カザール=改宗ユダヤ)人についても宇野氏の同書P.131-133に
彼らは元々カザール(ハザール)人と言われた。カザール人は中央アジア、もっと正確には1000年以上前にカスピ海北方にいた民族である。その当時、そこにカザール王国なるものがあった。
そのカザール王国がイスラム世界とビザンチン・キリスト教国から圧迫を受けた。間に挟まれたカザール王国、そしてその指導者達は困窮した。そこで彼らは、自分達のアイデンティティを守るために、第三の道を選んだのである。すなわちイスラムでもなく、キリスト教でもない。第三の道とはユダヤ教だったのである。
こうして、カザール王国では指導者から奴隷にいたるまで、ユダヤ教に改宗した。そこで不思議な事が起きた。いや世界の皮肉とでも言える事が起きたのである。すなわち彼らがユダヤ教に改宗した時、「ユダヤ教徒カザール人」と言えばいいのに、彼らはユダヤ人と称したのである。やがて、チンギス・ハーン率いる元軍がこの中央アジアに現れた。カザール人達はその難を逃れるために、その王国を捨て、北方へ移動していったのである。
そして、カザール人達が定着したのが、今日のロシア、ポーランド、ドイツなどだった。彼らはそのまま自分達は「ユダヤ人」であると言い続けたのだ。後に、そのロシアで迫害が起き、アシュケナジー・ユダヤ人達の一部は西ヨーロッパやアメリカに渡っていく。さらに、ドイツで迫害が起きて、彼らの多くはアメリカなどに移っていったのである。

(と書かれている。「タルムードの内容を暴露」する宇野氏の講演会資料(SK-9,10)を長い間探してやっと探し出したので紹介しようと思ったがエラーで何度も投稿できなかった為に、約26行の記述はやむなく削除した)
・・・・・・
・・・・・・

上記の様なタルムード発想に対して、聖書に書かれたイエスの言葉は、
(ヨハネ8.44)あなた方は、自分の父、すなわち悪魔から出て来た者であって、その父の欲望通りを行おうと思っている。彼は初めから人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。
彼が偽りを言う時、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。

というものです。我々の隣の家に、タルムード発想(上記の)、1)~5)や、A),B)の様な考えの人がいたとしたら、その人が反省し、態度をを改めない限り、まともな関係を築くのは無理ではないでしょうか。
こうした、タルムード発想の元になっている思想とは、(我々は神から選ばれたとする)『選民思想』で、我々は、選民ではない異邦人に対して(何をしても許されるとする)『人種差別』の思想ですかね。

日本の支配階級も、自分達は(天孫降臨の)神々の子孫だが、日本国民は(自分達より劣る)民草であるとの「神国思想」をベースとした『選民思想』『人種差別』的思想』に染まってしまった(?)と思われます。
(但し、彼らの先祖は、平和志向の天孫族の子孫を、好戦的な種族が武力征服して、その神々を乗っ取った存在ですが、先祖の系図をスリカエて、その上で我々の先祖は、太古に平和に世界を治めた種族の子孫だ、だから我々が世界征服するのが正当だと言っている様です)
しかし、今回の次元上昇では、その様な『選民思想や人種差別主義』は、逆に次元上昇の妨げとなると申しておきます。指導者も一般人も、全ての人が『多神の神々』という存在となっていくのですから・・・・・

地球大異変と遺伝子の進化

実は前3回の投稿は、1週間以上前(4/13頃)には原稿は作成済で、投稿するだけだったのですが・・・・
(EP5の内容)ラジャ・サンが出現して太陽系が「連星系」となり、水星も金星も地球も現在の軌道から変わり、月は地球から離れて逃げ去り、地球は小惑星の軌道上に移動して、彗星(=小惑星帯破片)がひっきりなしに落ちてくる地球上で、生身の人間の誰が生き残れるだろう(?)・・・と考えた事とも関係しますが・・・・。遺伝子(DNA)シフトし、「次元超越した人類」か「UFO搭乗者」以外は、ほぼ助からない(!!)が私の結論。
問題は、人類のカルマ解消の為に地球大異変が起こり、カルマ解消しないと「次元上昇できない」事です。ならば、この「地球大異変」を少しでも小難とする様、人類の集合意識が「どう未来を書き換えるか」です。

上記の(EP5の地球大異変と遺伝子の変化の内容)ですが、まさかそんな事がと考えられるかも知れませんが、宇宙人達の警告にもあるし、聖書の預言にもある、日月神示の予言にもあるのです。
「クラリオン星人は全てを知っていた」(マオリッツオ・カバーロ著)のP.347-350より
著者のカヴァーロ氏は、同氏の別の著書でクラリオン星人のスエル氏とコンタクトしたのは1986年の春頃と書いているので、人類の遺伝子配列/太陽系の惑星配列の変更は2016年~2021年頃と思われます。

彼(スエル)は、遥か遠い銀河に住む種族たちの様々な文化、しきたり、習慣などについて話してくれました。そしてとりわけ、未来について詳しく話をしてくれました。地球の人類が遭遇する事となる出来事の全て、今後(※=注1:1986年の時点より)30年から35年の間に起こりうる事件についてです。

遺伝子が変わる!惑星配列が再調整される!
間もなくすると太陽では磁場の乱れが起こり、その結果、太陽系は長期的に不安定な状態に陥るとの事でした。これは全て、周期的な成長プロセスの一端、つまり、物質の周波数上昇を促す変化だというのです。
現行の周期が終わる頃、太陽系において、地球の力場に打撃を与える未曾有の磁気嵐が発生するのだとスエルは明言しました。すると、地球は燃える地殻の影響をまともに受け、徐々に悪化する気候変動に苦しむようになり、最後には、磁場に突如異変が起こるというのです。
これはすなわち、磁場逆転という最終局面を迎え、それに伴い、ポールシフトが生じるという事に他なりません。このような事態になれば、地球全体が暴風雨と陸地を飲み込む津波に曝されるのです。また、黙示録的な地震や火山噴火が次々と起こり、海底の一部が姿を見せる事になるのです。

かつて、シベリアや英国など、あの緯度に位置する広大な地域は、森と沼地が広がる熱帯性気候であったとスエルが明かしてくれました。同様に、昔、北米の広い地域は、熱帯雨林に覆われていて、南部アフリカとオーストラリア西部は厚い氷に閉ざされていたという事です。このような現象は、宇宙ではあたりまえの事で、数百万年というスパンで、幾度となく繰り返されてきているのだと、彼は付け加えました。
ですが、今回は普遍的周期(ユニバーサル・サイクル)が終了を迎える時期と重なっています。よって銀河の中心から届く量子エネルギーの強烈な波が私達の住む太陽系を襲うので、新しい周波数場に則って遺伝子配列/惑星配列が再調整されることとなるのです。

多分、その時初めて、なぜ彼らが絶えず私達の世界に出入りするのか、その理由の一つをはっきりと把握できたのでした。神々、太古の創造主達は、地球に戻ってきたのでした。周波数が、人間には知覚不可能な宇宙的値にチューニングされるのです。それに伴い変身しようとしている人類を助けようとしているのです。生命は再構築され、人類は、今まで望むばかりであった姿になれるか、あるいは、本来の姿に戻れるかもしれないのです。

同様の事が「プレアデス覚醒への道」(アモラ・クァン・イン著)書かれており、そのP.68-70によれば
あなた方は太陽とプレアデスのひとサイクルである26000年の終わりにいるだけでなく、太陽系を含めたプレアデス星系が銀河の中心を一周する2億3000万年の軌道の最終地点にいます。そのうえさらに銀河系全体が「大いなるセントラル・サン」をまわる無限とも思われる果てしない軌道を一つ完了させようとしているのです。・・・・・・・(中略)
銀河系全体が新しい進化の螺旋にそなえて、過去のカルマ的パターンの浄化期間に突入したのです。そして、この浄化期間は2012年の終わりに完了します。(→浄化期間は創造主の配慮で暫く延長?)
このカルマの浄化は、主要なサイクルの終わりに必ずもたらされます。今までの進化の螺旋から未解決のまま取り残されたものが表面に浮上し、変容と超越という目的のもとに最終的な解決を迫られるのです。
・・・・・・(中略)
2013年(暫く延長)、宇宙の巨大な螺旋における銀河系の次なる円環と、地球の新たな26000年のサイクルが同時に始まります。その時、次の様な変化が起こるでしょう。
①地球の極移動による、地球と太陽の位置関係の変化。(→今の小惑星の軌道が地球の軌道へ?)
②太陽の極移動による、太陽(=プレアデス星系8番目)とプレアデス(=1~7番目)の位置関係の変化。
③プレアデスが螺旋の一巡りを終えた事による、プレアデス星系とオリオンとの位置関係の変化。
④オリオンにおける大変革と霊的浄化の完了。・・・・・(詳細内容は省略)
⑤・・・・シリウスは太陽系の任務を終え、銀河系全体の霊的神秘学校へと進化する。
⑥・・・・プレアデス星系全体が現在の軌道(=アルシオネ周回)からシリウスを周回の軌道に入る。

2013年の初め(暫く延長)には、これらの準備が全て完了し、プレアデス星系全体(太陽はその8番目の星にあたります)が、より高度な学びの体系と「光のシティ」の拠点となるのです。「光のシティ」とは、そこに住む全ての人々があらゆるものの進化とその聖なる本質を理解しているところです。・・・・・(中略)
プレアデス星系の中では、地球を含むあなた方の太陽系が、一番最後にシフトを体験する事になります。それ以外の7つの太陽系すなわちプレアデスの7人姉妹達は、現在すでに神秘学校と光のシテイの拠点として活動しています。そして2013年(暫く延長)に「光の時代」という新しいダンスが始まる時、その7つの太陽系はより進化した役割へと押し上げられるのです。・・・・・(以下省略)

上記のクラリオン星人や①~⑥の様な内容を、示す言葉が聖書にも書かれています。
(イザヤ13.9-13)見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒らし、その中から罪人を絶ち滅ぼすために来る。天の星と星座はその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。
わたしは、その悪の為に世を罰し、その不義の為に悪い者を罰し、高ぶる者の誇りをとどめ、あらぶる者の高慢を低くする。わたしは人を精金よりも、オフルの黄金よりも少なくする。それゆえ、万軍の主の憤りにより、その激しい怒りの日に、天は震い、地は揺り動いて、そのところを離れる。・・・・

(マタイ24.29-31)しかし、その時起こる艱難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つ事をやめ、星は天から落ち、天体は揺り動かされるであろう。その時人の子のしるしが天に現われるであろう。またその時、地の全ての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光を持って人の子が天の雲(=UFO?)に乗って来るのを、人々はみるであろう。また、彼は大いなるラッパの音とともに御使い達を遣わして、天の果てから果てに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
(マタイ24.35)天地は滅びるであろう。しかし、わたし(=キリスト)の言葉は滅びる事がない。
(黙示録6.12-14)子羊が第6の封印を解いた時、私が見ていると大地震が起こって、太陽は毛織りの荒布のように黒くなり、月は全面、血の様になり、天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落される様に、地に落ちた。天は巻物が巻かれる様に消えてゆき、全ての山と島はその場所から移されてしまった。

一方の遺伝子配列の変更は、聖書は次の様に述べています。イエスは弟子達に光の身体への変身の見本を見せてもいました。
・(使徒3.20)このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して、昔から預言しておられた『万物更新の時』まで、天(=UFO内or霊界?)にとどめておかれねばならなかった。・・・・
・(1コリント15.44と50-53)肉のからだでまかれ、霊のからだに蘇るのである。・・・・・・(中略)兄弟達よ、私はこの事を言っておく。肉と血(王統や血統等)とは神の国を受け継ぐ事はできないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
ここであなた方に奥義を告げよう。私達全ては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きと共に、瞬く間に、一瞬にして(※注2参照)にして変えられる。というのはラッパが響いて、死人は朽ちないものに甦らされ、私達は変えられるのである。・・・・(以下略)

・(※注2)、(2ペテロ3.4-8)「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖達が眠りについてから、全てのものは天地創造の始めからそのままであって、変わってはいない」と言うであろう。・・・・(中略)・・・愛する者達よ、この一事を忘れてはならない。主にあって一日は千年のようであり、千年は一日のようである。(つまり、人間の光の身体への変身期間が5年~10年かかったとして、神には「一瞬の間」の出来事)

・(マタイ17.1-3、マルコ9.2-4、ルカ9.28-32)6日の後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は日の様に輝き、その衣は光の様に白くなった。すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現われてイエスと語り合っていた。・・・・

実は、日月神示にも上記と同様の内容があります。
・(五葉の巻16帖)マコトでもって洗濯すれば霊化される。半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。今のやり方ではどうにもならなくなるぞ・・・・
・(下つ巻28帖)またたきの間に天地ひっくり返る様な大騒動ができるから、くどう気つけているのざ・・・・
・(上つ巻3帖)海が陸になり、陸が海になる・・・・
・(至恩の巻14帖)八方的地上から十方的地上となるのであるから、物質も念も全てが変わるのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ。・・・・今迄の岩戸開きと同様でない、末代に一度の大岩戸開きじゃ。
・(至恩の巻12帖)白黒まだらな(善と悪が混在)時は長く続かん。最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ。死んでから又蘇られる様に死んで下されよ。マコトを心に刻み付けておりて下されよ・・・・
・(五葉の巻15帖)今の肉体、今の想念、今の科学のままでは岩戸は開けんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ。一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民と
して甦らす仕組み心得なされよ。神様でさえ、この事判らん御方あるぞ。大地も転位、天も転位するぞ。