Vの時代 ボランティアが築く未来
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【暮らし】<虐待サバイバーと家族> (上)止めたい暴力の連鎖
家庭は暴力の温床。地獄だった。 「虐待サバイバー」として、講演やブログなどの活動をする東京都の橋本隆生さん(40)=活動名=が母と別れ、父と二つ年下の弟と暮らし始めたのは四歳のとき。両親が別れるとき、父は、母を蹴り倒した。以来、母の消息はずっと分からなかった。 物心が付いたころから、父に毎日のように殴られた。そして五歳の時、悲劇は起きた。夕飯のコンビニ弁当を残し、ゴミ箱に捨てた弟に父が激高。顔を何発も殴り続けた。「ごめんなさい」。泣き叫んでいた弟がぐったりすると、父は風呂場に連れて行き、「ここで反省してろ!」と閉じ込めた。部屋に戻って来た父は、橋本さんに弟の様子を見に行くように言った。風呂場に行くと、弟はお湯を張った浴槽にうつぶせで浮いていた。父は警察に事情を聴かれたが、事故死として扱われた。 その後、父は再婚。小学四年生の時に、義母が弟を産んだ。橋本さんが弟に触ろうとすると「汚い手で触らないで」「バイキン」などと義母に言われた。次第に父と義母の仲は悪化。義母は怒りの矛先をますます、橋本さんに向けるようになった。「アンタさ、本当、腹立つ顔してる。前のお母さんに似てるのかな。死ねよ」。足に熱いアイロンを押し付けられたり、正座した膝を足で踏み付けられたりした。 小学校で友達はほとんどできなかった。言うことを聞いてくれないと、橋本さんは同級生をたたいたり、蹴ったりした。付いたあだ名は「暴力人間」。「家で虐待されていることは、誰にも言えなかった。やり場のない怒りや寂しさ、ストレスを他の子をたたくことで解消していた」。母が恋しかった。 中学に入ると、橋本さんは不良グループと付き合い始めた。交友関係をとがめる父に、包丁を突きつけられて家出。コインランドリーで寝泊まりした。警察に補導され家に戻され、父に殴られてはまた家出した。警察官に「家に戻るなら、人を殺して鑑別所に行きたい」と訴えた。児童相談所の一時保護所を経て、児童養護施設に入所。約一年、施設から中学校に通った。 中学校の掲示板で、働きながら勉強できる全寮制の高校があると知り、入試を受けて合格。車の部品の組み立ての仕事をしながら、高校で学んだ。お金をためて、早く自立したかった。高校卒業後は、コンビニ店員やトラック運転手などの仕事を転々としながら、バンド活動に夢中になった。 二十八歳の時、バンドが縁で妻(32)と出会った。妻は複雑な家庭で育った自分を、何の偏見もなく受け入れてくれた。人から傷つけられないように強がり、弱みを見せないように生きてきた橋本さんが、初めて得た安らぎだった。 幼い頃から憎む対象でしかなかった家庭。それを自分が持つことは考えたこともなかったが、三十歳で結婚した。今、橋本さんと妻には、小学一年生の長男(6つ)と、保育園児の長女(2つ)、二人の子どもがいる。 「あんなにひどい虐待をされて恐れ、憎みながら、それでも子どものころ僕はどこかで親に褒めてほしい、大切にされたいと切望していた。僕を頼ってくれる妻と子どもたちが、僕を変えてくれた」 ◇ 会社員として働く傍ら、ブログや講演会を通じて、虐待防止を訴えている橋本さん。「虐待されている子どもに、生き抜いてほしい」。その思いに加え、「暴力の連鎖を止めたい」との願いもある。橋本さんと家族の思いを追う。 (細川暁子)
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