187.新保証人と子狐
(すみません!寝落ちて遅くなりました)
「それでは、どうぞ末永くよろしくお願い致します」
「こちらこそ、末永くよろしくお願い申し上げます」
魔導具店『女神の右目』の応接室、オズヴァルドとダリヤは、白い手袋をつけ、赤枠の羊皮紙を取り交わした。
オズヴァルドの左右には、息子であるラウル、第二夫人のフィオレ、そして、ダリヤの横には、イヴァーノが座っている。
「オズヴァルド先生、急なご相談でしたのに、ありがとうございます。本当に助かります」
「いえ、こちらもありがたいですよ。たいへん有能な商会長が保証人になってくださるのですから」
マルチェラに続き、メッツェナが商会保証人から抜ける為、また新しい保証人を探さなければいけなくなった。
イヴァーノがダリヤに勧めたのは、服飾ギルド長で子爵のフォルトだ。
だが、ダリヤとしては避けたかった。
以前、『私がフォルトゥナート様を信頼しますので、すべてお任せします』そう言ってしまったことがある。
仕事に関する言葉だが、貴族では、未婚女性が言うと『自分の騎士になってほしい』ということだと聞いてあせった。
その上、一昔の歌劇では、女性が男性へ、最初に二人でむかえる夜に言う台詞と聞いて血の気がひいた。
貴族言葉は本当に、面倒なことこの上ない。
すでにフォルトは忘れているだろうが、気恥ずかしさもあり、他に頼みたかった。
その後、同じく商会長であるオズヴァルドに相談したところ、提案されたのが、相互保証人である。
オズヴァルドがロセッティ商会の保証人に、ダリヤがゾーラ商会の保証人になる形だ。
ゾーラ商会の保証人として、駆け出しの自分では到底釣り合わないと思ったが、オズヴァルドから逆に願われた。
ゾーラ商会の保証人はそれなりに人数がいるが、オズヴァルドより高齢の者も多い。
息子が継ぐときに、ダリヤのように近い年齢がいるとありがたい――その言葉に、ありがたく受けることにした。
そして、今日。
お互いを商会保証人とし、契約書類を取り交わしたのが今である。
「ダリヤさん、これからよろしくお願いします」
立ち上がり、テーブルを回ってきたラウルが、自分に整った笑顔を向けた。
銀髪に銀の目。オズヴァルドをそのまま少年に戻したような彼の背は、ダリヤより、
「こちらこそ、よろしくお願いします、ラウルさん」
笑顔を返すと、少年が右手を差し出してきた。どうやら握手の希望らしい。
初等学院の友人と握手を交わしたことを思い出しつつ、ダリヤはそっと手をそえた。
「え?」
ラウルはその場で片膝をつくと、自分の手の甲に唇をよせた。
まだ白手袋を外していなかった為、その上からであり、触れたかどうかもわからぬほどだ。
だが、ダリヤはその場で完全に固まった。
「末永くよろしくお願いします、ダリヤさん」
無邪気に微笑む少年に、ダリヤは必死に再起動する。
オズヴァルドは子爵の出であり、来年には子爵が確定している。
息子に貴族教育を受けさせるのは当然だ。その中に、こういった挨拶があってもおかしくはないだろう。
「こ、こちらこそよろしくお願いします。ラウルさん」
「私は魔導具師の後輩ですので、敬称なしで『ラウル』とお呼びください」
「それは……」
男爵であり、お世話になっているオズヴァルドの息子である。
現在、無爵で生徒である自分が呼び捨てしていい相手ではない。
「かまいませんよ、ダリヤ。二人とも私の生徒なわけですし、近しい後輩と思ってやってください。ラウルは七つ下ですが、いずれ魔導具師として一人前になれば、お互いにいい相談相手になれるかもしれません」
「お気遣いありがとうございます。では、ラウル、同じ生徒として、私のこともダリヤでお願いします」
「……では、『ダリヤ先輩』で」
小さくつぶやいた少年が、うれしげに笑む。
ラウルには幼い弟がいるはずだが、兄や姉はいない。だから、年齢が上の自分が身近になったようでうれしいのかもしれない――ダリヤはそう納得する。
前世も今世も、子供の頃、兄や姉がいればと自分もちょっぴり憧れたものだ。
「さて、ロセッティ商会長。この場をお借りして、お知らせとお願いがあります」
ダリヤではなく、商会長と呼び名を変えられたことに、慌てて背筋を正した。
「ゾーラ商会では、この度、副会長に妻のフィオレをおくことになりました。今後は商会関連の業務の一部を任せていく予定です。どうぞよろしくお願いします」
赤髪と薄緑の目をした女を見れば、以前のやわらかな雰囲気が、一段、華やかなものに変わっていた。
すっきりと結い上げた髪、少しだけ色の強くなった口紅、エンジ色のドレスが、いかにも副会長らしく見える。
「フィオレ・ゾーラです。何かとご迷惑をおかけすることと思いますが、よろしくお願い致します」
赤髪と薄緑の目をしたフィオレが、にこやかに笑う。
笑うと目尻が少し下がり、年上でもかわいいと思えるのは変わらない。
彼女なら、仕事の相談なども気軽にしたくなりそうだ。
だが、そこでふと思い出す。
今までゾーラ商会の副会長とは、名前も聞いたことがなかった。
イヴァーノも同じだったらしい。考え込むような目をオズヴァルドに向ける。
「オズヴァルド先生、失礼ながら、私は副会長様へご挨拶をしたことがなく……」
「ええ、義父に内々に名前をおいてもらっていただけですから。先日、自分は高齢なのだから、もう妻に代えろと叱られまして。私とは、十と少ししか違わぬはずなのですが」
「親は子供の心配をするものですから……」
苦笑するオズヴァルドに、フィオレが優しく笑む。
オズヴァルドもどうやら義父には弱いらしい。
その後の雑談の中、小さな呼びかけが響いた。
「……あの、父上」
大人達が話をするうちに、ラウルはしっかり自分の椅子に戻っていた。
その銀の目が、じっとオズヴァルドを見つめている。
「どうしました、ラウルエーレ?」
「父上は……どこもお悪くないですよね?」
「ええ、健康ですよ。ですが、それは今、お客様の前で聞かなければならないことですか?」
「……申し訳ありません」
ラウルがオズヴァルドを心配するのはわかる。
オズヴァルドがこの場で躾として叱るのも、わからなくはない。
それでも、うなだれた少年がとてもかわいそうだ。
「オズヴァルド先生! あの、子供も、親の心配はします……」
思わず声をかけてしまい、当たり前すぎる発言になった。
だが、オズヴァルドは顎を押さえ、しばし固まる。
「……私のミスですね。人にはきちんと言えと教えながら、体面を取り繕って自分が抜けるとは。これでは伝わらないわけです。少々失礼します、ロセッティ会長、イヴァーノ」
オズヴァルドは立ち上がり、ラウルへまっすぐ向き直った。
少年は同じ銀の目を丸くして、父を見返す。
「商会の仕事と書類仕事も減らし、魔導具師の仕事と、魔導具師を教育する時間を増やしたいのですよ。ラウルエーレ、あなたがきちんと一人前になるように」
父親の手、魔導具師の師匠の手が、少年の頭にそっとおかれた。
少々恥ずかしげな顔をしたラウルだが、その手を止めることはなかった。
「……ありがとうございます、父上。早く、一人前になれるようがんばります!」
「ええ、励みなさい」
親子をそっと見守っていると、少年がいきなり自分を呼んだ。
「ダリヤ先輩! すぐ追い着きますね」
「がんばってください、ラウル。追い着かれないよう、私もがんばりますので」
勢い込んで言う少年だが、魔導具師の先輩としては負けられない。
ダリヤも笑顔で答えつつ、内で気合いを入れた。
生徒同士の会話が楽しいのだろう。目の前のオズヴァルドが目を細め、フィオレと微笑み合っている。
「お二人とも、すぐ腕が上がりそうですね」
「ええ。そろって腕が上がるのを、ぜひ末永く見ていきたいものです」
なごやかな会話の中、イヴァーノはこめかみを指で押し、鈍い頭痛を逃がそうとしていた。
誰にも聞こえぬよう、唇だけでつぶやく。
「……小さくても、