JR東海が“らしくない”きっぷを販売していると話題だ。それは、2016年7月から販売されている「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」(以下「乗り鉄たびきっぷ」)。JR東海の在来線全線と、隣接する16の私鉄・第3セクター路線が土休日限定で2日間乗り放題になるきっぷだ。東海道新幹線も、熱海~米原間の「ひかり」「こだま」に限り、別途特急券を購入すれば4回まで乗車できる。
大人8,480円、こども3,990円で、熱海~米原間を往復すれば元が取れる。2日間にわたって、東海・中部地方のJRとほとんどのローカル私鉄が乗り放題となるおトクさに加え、「乗り鉄」という鉄道ファン向けを思わせるネーミングがそそる。従来、東海道新幹線を中心とした大量高速輸送に特化してきたイメージのあるJR東海としては、かなり異例の商品といえるだろう。
なぜ今、JR東海からこのような商品が生まれたのか。JR東海営業本部販売促進グループの内田重光副長は「部内に、今までと違う商品に取り組もうという機運がありました」と語る。「家族三世代向けに、鉄道の旅を提供できたら面白いという発想から企画がスタートしました。そこから、地域のローカル線と組み、鉄道旅の魅力を多世代に伝えて新しい顧客を呼び込むというアイディアが生まれたのです」と話す。
内田氏ら企画チームは、自社線に接続している17の私鉄・第3セクター鉄道に企画を提案。そのうち16社が応じ「従来の当社のイメージとは異なる新しい商品」(大城慶吾販売促進グループ副長)が実現した。「乗り鉄たびきっぷ」というネーミングは女性社員のアイディアがもとになっているという。
商品化にあたって苦労したのは、価格設定だ。運賃単価や平均利用額は鉄道会社ごとに異なる。あまり安く設定すると、普段から通常のきっぷで利用している乗客まで利用してしまい、かえって減収となる。逆にあまり高めに設定すると、手軽さが失われる。利用者がおトク感を得られ、各鉄道会社はメリットを享受できる価格として、大人8,480円、こども3,990円という値段が導き出された。こども料金を大人用の半額以下の3,000円台に設定したところに「親子連れ向け」というコンセプトがみえる。東海道新幹線の利用回数を4回までに制限していることや、東京駅や新大阪駅などで販売されていないのは、新幹線を頻繁に利用する層にとってトクになりすぎることを防ぐためだろう。
私鉄がこの企画に賛同したのはJRの広報力に期待するため
では、JRから企画提案を受けた鉄道会社各社は、このきっぷをどのように受け止めたのだろうか。各社が口を揃えるのは、JR東海の広報力への期待だ。
「従来は、エリア外へのお客様へのアピールがしにくいという問題がありました。鉄道会社同士の、横のつながりができてより多くのお客様に路線の魅力を知ってもらえるというのはとてもありがたいことです。今まではこうした事例はありませんでした」(豊橋鉄道・梅村仁朗鉄道部長)
「JR東海さんのポスターやパンフレットで、地域外の方々に広く明知鉄道を知っていただく効果は大きいです」(明知鉄道・伊藤温子総務課長補佐)
「JRさんの広報力で、これまで当社を知らなかった観光のお客様が遠方から来てくださるようになりました」(天竜浜名湖鉄道・澤井孝光営業部長)
また、乗り放題のきっぷ自体にも広報力がある。運賃が一定なら、少しでも元を取りたくなるもの。鉄道ファンならずとも、足を少し延ばして、今まで訪れたことのない路線に乗ってみようという気になる。
「今回のようなお安いきっぷを利用して、まずは乗っていただければ、沿線に魅力的なみどころがあることを知っていただけます。『それなら、次にまた来てみよう』というリピートにつながります」(天竜浜名湖鉄道・澤井氏)
乗車人員統計の実績にもなる
もちろん、運賃収入面のメリットもある。売上の分配については非公開だが、原則として販売枚数に応じて各社に振り分けられる。1枚あたりの収入は少なくても、実際に乗車した区間にかかわらず分配されるため、トータルでみればそれなりの収入になる。
それ以上に大きいのが、乗車人員統計への加算だ。行き止まりの路線の場合、1枚売れるごとに往復乗車したとカウントされ、乗車人員が2人加算される。仮に1万枚販売し乗客が往復すれば、2万人が乗車したことになり、利用者数を少しでも増やしたい地方鉄道にとっては、大きな実績となる。
「特に冬場は観光のお客様が減るため、とても助かっています」と明知鉄道・伊藤氏は話す。なお、JR東海が声をかけた17社のうち、唯一参加しなかったのが、機関車トーマス号などSL列車で有名な大井川鐵道だ。これには、大井川鐵道特有の事情が絡んでいる。大井川鐵道は、元々観光輸送に特化した路線であり、日常の足として利用している人の割合は他社と比較して少ない。金谷~千頭間の運賃は1,810円、1日乗車券は3,440円であり、観光客が「乗り鉄たびきっぷ」を利用すれば、かなりの減収は免れない。「乗り鉄たびきっぷ」はSLのような観光列車には乗車できないが、片道は普通列車を利用する人も多いからだ。大井川鐵道が参加を見送ったのは、やむを得ないだろう。
ポイントラリーで各路線の魅力をアピール
「乗り鉄たびきっぷ」では、スマートフォンアプリを使ったポイントラリーも実施している。これは、無料の「鉄たびアプリ」をインストールし、使用するきっぷの情報を入力したうえで各鉄道会社に3カ所設定された「鉄☆たびポイント」を訪れるとポイントが獲得でき、トータルの獲得ポイントによってプレゼントに応募できるというもの。「鉄☆たびポイント」には「鉄道に関連するみどころ」「歴史的なスポット」「写真映えするスポット」といったテーマがあり、各社の担当者が考案している。
例えば豊橋鉄道なら、1931年(昭和6年)に竣工したロマネスク様式の重厚な建物が美しい「豊橋市公会堂」、昔ながらの石畳の坂を路面電車が昇る「石畳を駆け上がる路面電車」がある。天竜浜名湖鉄道なら、前述したように木造駅舎をリノベーションし、「マリメッコ」に包まれたカフェとなった「都田駅」、国登録有形文化財の転車台や扇形車庫などが保存された「天竜二俣駅」といった具合だ。遠州鉄道のちょっとおしゃれな変電所である「小林変電所」のように、一般にはあまり知られていないスポットもあり、単なる観光地巡りとはひと味違った旅を楽しめる。獲得できるプレゼントが、現地で使える割引クーポンといった実利的なものになれば、もっと盛り上がるだろう。
少子高齢化時代を見据えた戦略か?
自社管内のローカル鉄道を結びつけ、家族三代での鉄道旅に結びつけようとする、JR東海の「乗り鉄たびきっぷ」。JR東海が、多世代旅行に注目する背景には、リニア中央新幹線と少子高齢化があると思われる。JR東海は、現在2037年度の大阪開業を目指してリニア中央新幹線を建設中だが、開業する頃には少子高齢化と労働人口の減少が一層進んでいるのは明らか。
そのような状況下で、東海道新幹線とリニア中央新幹線という2つのインフラを維持するには、交通機関として鉄道を選択してもらう必要がある。しかし、現在の東海道新幹線はビジネス層の利用が中心で、それほど急がない若者やシニア層には安価なLCCや高速バスが浸透しつつある。幼い頃から家族でバラエティ豊かな鉄道旅に親しんでもらい、当たり前のように鉄道を移動手段として選択してもらえる環境を整えていくことが重要だ。
JRは、多彩な鉄道会社と共同で鉄道旅の魅力をアピールし、将来にわたって鉄道を選択してくれる「ファン層」を育成。私鉄・第3セクターは、JRの広報力を利用して幅広い層の誘客につなげる……。一見、鉄道ファン向けにみえる「乗り鉄たびきっぷ」には、鉄道会社のさまざまな戦略が隠されている。「乗り鉄たびきっぷ」を利用して旅をしたこどもたちが、将来、また鉄道に魅力を感じてもらうための布石ともいえるのだ。