提督だと思った?残念、深海棲艦でした(仮) 作:台座の上の菱餅
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これより約二ヶ月弱は受験勉強により失踪します、ご了承ください。
夜間、月光さえ無ければフードのみで己の存在を隠すことができる。それは、明かりを放つ大陸から離れた海上の真ん中の居るのなら勿論のこと、黒を基調とした服を纏う乃黒が景色に溶け込むことは非常に容易である。故に、彼が海上で行動をすることは頻繁であり、逆に言えば彼は夜間に海上での活動を行うのだ。
今日も今日とてその例に漏れず、乃黒はフードの影に隠れた目で水平線を見つめる。他とは違う、類に見ない程の視力を持つ彼だからこそ何かが見えるのだろう。厳密には何も見えてはいないのだが。
「……」
煙草の煙を吐き出すと、今度は反対の方向へ体を向ける。そして同じ様にじっと真正面を向いて只管見つめ続ける。何の意味があるのか、この場に第三者が居たとしたら理解に苦しむことだろう。
乃黒は今、所謂"哨戒"に回っていた。
本来駆逐棲姫の仕事だったのだが、敵襲を受けたときの事を考えて駆逐棲姫よりも、視野の広い乃黒ならば敵襲を受ける前に敵を逸早く発見することが可能だろう、と言うモモの意見により彼が出ているのだ。
因みに、そんな彼女達は今頃ソファーの上で寝ていることだろう。
「(早く帰りたいな)」
真剣な顔付きとは裏腹に、考えていることは何とも呑気なものである。艦娘の中に、暗い海を照らす艤装を使う者達が居ることは乃黒自身承知している。しかし、それでも視野の広さ云々はまた別の話だろう。乃黒にとってそんな艤装を使われようと大した事はなく、自身の視野の方が広いと自負しているからこそ呑気に楽な身構えで居られるのだった。
ふと、空を見上げる。
満天の星空なんて見える筈もなく、雲に隠れた月が薄っすらと見えるだけで、大凡見映えのない無機質な光景である。しかし、そこに魅力を感じるような気がした。コンクリートの様で、けれども一つの芸術品のような。触れることは出来ない虚空だからこそ、遠い星よりも不確かな感覚を。
「……アホくさ」
だからどうした、と煙を見詰める。此方の方が自分の性に合っている、この煙の方が自分らしい。そう言い切ることが出来ると自慢するように、乃黒は苦笑した。
──刹那、矢を引く。
その矢先には一つの人影。暗闇故にその姿を輪郭程度にしか視認することは出来ないが、身長は乃黒よりも小さく、艤装らしき物を装着していることは理解できた。故に、この対応である。普通の感性を持っている艦娘ならば、確実に砲口を向けてくる筈だ。先制する程の敵対心は無いものの、警戒しておくに越したことは無いだろう。
目を細め正面を睨み付ける。乃黒の本心としては言葉の代わりに、その目で動いたら射貫くと伝えているつもりだった。
しかし、それとは裏腹に目の前の人影はゆらりと接近を始めた。
大体二十メートル弱と言ったところか。撃ち合うには近すぎる距離ではあったが、触れ合うには遠すぎる距離だ。どうするか思考を練り、乃黒は牽制することを選択。尾の艤装を人影に向け、煙草を吐き捨てた。
「いや、おかしいなこれは。普通止まると思うんだけど」
夾叉弾を放ち、その身ギリギリ掠めるか掠めないか辺りの位置に矢を放ったにも関わらず、目の前の人影が速度を落とす様子はない。寧ろ、少しずつ上がっている様にも感じられた。
しかし、迎撃してこないことが不可解である。何を思って接近してくるのか、非常に疑問である乃黒は一先ず様子を見ることにした。
残り五メートル。そこまで来たところで、突然目の前の人影は歩を止める。矢を引いたまま首を傾げる乃黒。凝視しようと暗闇の所為でその顔を窺うことは出来ない。
──何なのだ、とこの茶番に呆れの様な苛立ちを感じる乃黒。実のところ、彼がこのまま撃ち抜いてしまおうか、射貫いてしまおうかと考える程には時間が経っていた。何とも言えぬ緊張感が漂う故に、彼等がそれを理解する由はない。
そもそも何故この夜間に、それも一隻で海上を彷徨っているのか。そんな疑問が乃黒の脳裏に過る。しかしそんな疑念も、漸く姿を表した月に照らされた人影の姿に掻き消された。
「……何で君が此処に?」
桃色の髪に、常に睨み付けているかのような鋭い目付き。制服に身を包んだ彼女の名を、確か──不知火だったか。少しだけ警戒心を解く乃黒とは違い、彼女は一向に何か行動を起こそうとはしない。
──しかし、何と言うべきなのか。
目の前の彼女は、自分の知っている彼女ではない。乃黒自身、率直にそう感じていた。
確かに、以前鎮守府で空母二隻と共に砲口を向けていた時は髪を後ろで結んでいたが、今は結んではおらず髪は下ろされている。
けれども乃黒が感じていたのはそうではなく、もっと抽象的な相違だった。有り体に言えば雰囲気が違う、か。服装、容姿共に殆ど変わらないことは視認できていても、そうではない違和感が彼の疑問をノックする。
「返答は無し? 確かに饒舌ではないだろうと思ったけど、他人との会話位成立させようぜお嬢さん」
「……」
それでも彼女が口を開く気配はない。どうしたものか、と最小限の警戒はしつつも武器を下ろす。別段、襲われようと対処できるからこその行動である。
しかし、此処で乃黒は二つの"間違い"をしていた。
一つ目は、目の前の少女が喋ろうとしない、と思っていること。
二つ目は、目の前の彼女が先日出会った不知火と"同一人物だと認識"していること。
「……っ!!」
不知火は唐突に走り出す。遂に動いたか、と矢を手に持つ乃黒だったが、次の瞬間飛び付いてきた彼女に反応することは出来なかった。
それは、
目尻に涙を溜め、長らく顔を会わすことの出来なかった父に出会ったような、安堵や歓喜の籠った儚い表情。
気づけばその涙は頬を伝っていて。嗚咽を漏らすが声はでない様で、静かに無く彼女を見て乃黒は呆然と呟いた。
「なにコレ
二度目の再会。圧倒的バリエーションの少なさである。
***
「うん、いやぁ、ねぇ? 俺だって混乱してるんだよね、はは。確かに同じ容姿を持った艦娘、と言うより同じ艦種ならそりゃ同じ容姿だろうよ。うん。でもね、こんな奇想天外な展開は流石に吃驚って言うかなんと言うか……。別に嫌じゃないよ? 嫌じゃないけどさ、反応を返しにくいんだよ。分かるかな俺の気持ちが。既視感とか一度で良いから、二度目はいいから。これ二度あることは三度ある、とか言ってもう一回発生するやつだよコレ。なんて反応すれば模範解答? 『やったー、我ハーレム突撃也!!』 とか? 巫山戯ろ、そんなこと誰がやるかっての」
「司令官、途中からなんか変ですっ」
「いや、最早前半からおかしいですよ、はるさめさ……駆逐棲姫さんっ!」
大きな執務机の前に設置されたソファの周りで独特なやり取りを繰り広げるのは、最早日常の光景である。しかし、この日その光景には少々異なる部分があった。
それは、乃黒の胴体に腕を回し、もう二度と離さないと言わんばかりにしがみ付く不知火の姿だった。
「……それにしても。此方の不知火さんが来るとは思いもしませんでした」
少しだけ困ったように眉をハの字にしつつも微笑む駆逐棲姫。その視線は不知火へと注がれており、何処か喜んでいるようにも感じられた。そんな彼女の言葉を受け取ってか、ショートしていた乃黒は溜め息を吐き、眉間にシワを寄せつつ口を開いた。
「俺としては、今までわざと聞かないでおいた"人間だった頃の俺の話"を、それも無理矢理聞かされて何も言えないんだよね。司令官知ってる、知らない方が良いことがあって、それを今さっき聞いてしまったってことを……!!」
しがみついて離れない不知火をどうにか引き剥がそうとした乃黒は、駆逐棲姫の所へ突貫した。叩き起こされた駆逐棲姫がまず見た光景はセミのような格好で乃黒へしがみ付く不知火と、何とも言えない壮絶な表情を浮かべる乃黒だったそうだ。
何となく状況を理解した後、目の前の不知火が嘗て自分と同じ『兵士』だった不知火だと容易に察知した駆逐棲姫は、これは良い機会だ、とそのまま勢いで乃黒を座らせ話したのだ。
──彼の過去を全て。
その一貫として、以前砲口を向けてきた不知火と、今乃黒にしがみ付く不知火が異なる人物であり、彼女達は以前乃黒の勤める鎮守府に"二人とも"所属していたと言うことも知らされたのである。
「いやまあ、うん。……ね?」
「露骨に視線を合わせないようにするのは止めましょう司令」
彼がこの姿になった要因でもあり、駆逐棲姫達が、彼の部下達が彼の下を去らねばならない理由となった原因が主となって、乃黒は気まずそうに視線を反らす。誰にも知られず、乃黒自身しか知らない事ではあるが、なまじ記憶を取り戻しつつある彼にとって今更ながら非常に気まずいのである。
「聞いて良かったとは思う。責任はあるし、義務もある。これから三十一隻の部下達に謝りに行く義務も、な」
「……本心は?」
「ほんとにごめんなさい」
呆れたように溜め息を吐く駆逐棲姫。乃黒が自分達の事を思ってしたことだと理解しているからこそ、怒るに怒ることはできない。
「そんなことよりも」
そう言って駆逐棲姫は不知火へと目を向ける。誰も触れることは無かったが、中々離れない彼女は他の不知火とは違って行動の様子がかなり幼児傾向にある。それには確りとした理由があり、それはこの場にいる全員が理解していた。
「中々に聡明な方だと見えましたけど、こんな風になるもんなんですね」
「一応、彼女は"欠陥品"の烙印を押されていますから」
モモの言葉に、頭に浮かぶ忌々しい記憶を振り払うような苦い表情で答える駆逐棲姫。その様子を見て、彼女は本当に仲間思いなのだと、少し嬉しく思う乃黒。そんな彼とは裏腹に、駆逐棲姫は淡々と話し出した。
「無理矢理改二を実装しようとして、言語能力共に判断能力の欠落。剰えそれが分かれば腫れ物扱い、司令官に押し付けて……。今でも思えば反吐が出ます」
そう、この不知火は艦娘の改二実装に関する研究により生まれた、所謂廃棄物なのである。
言語能力、判断能力、その他多数の能力が欠落しており、しかし何故か戦闘能力が向上してしまったため手が付けられず、当時同じ様に腫れ物扱いされていた乃黒の元へ送られたのだと。実感の沸かない他人事のような感覚に、乃黒は取り敢えず不知火の頭を撫でることしか出来ない。すると、返ってくるのは不知火の嬉しそうな笑顔だった。
「……癒される」
喋る事が出来ないからか、身ぶり手振りで何かを表そうとする彼女の姿はどうにも庇護欲を掻き立てるものであり、同時に疲れていた彼の精神を癒すのだった。
暫くして、まあ、と乃黒が口を開く。
「今となっては過去の話さ。『俺は生きてる』。不知火も笑っている。姫だって此処に居るし、もーまんたいだ」
自身を春雨、とは呼ばず、姫と呼ぶ乃黒に愛称を付けられた喜びを感じる駆逐棲姫。はっ、とだらしなくにやけていた顔を戻すと、咳混じりに仕切り直した。
「私達を大切にしてくれることは有り難いですが……。もう二度と、あんな事はしないでくださいね?」
「善処はするよ」
寝息を立てる不知火に、乃黒は複雑な笑みを浮かべるのだった。
不知火可愛い