「大坂なおみを白くした」日清CMの超時代錯誤
責任者が知るべき「黒人たちの奮闘の歴史」
今週の「アカデミー賞」候補作の発表で最も大きな話題の1つは、マーベル映画『ブラックパンサー』(2018年)が作品部門に入ったことだ。スーパーヒーロー映画がアカデミー賞に認められるのは、史上初めてのこと。だが、意義はそれだけにとどまらない。今作の主役は黒人たち。アフリカの架空の国・ワカンダの国民である彼らの活躍ぶりに、黒人だけでなくあらゆる人種の人々が、「かっこいい」とあこがれの気持ちをもったのである。
一方で、候補入りしたもう1つの作品『ブラック・クランズマン』(2018年)は、スパイク・リー監督による実話もの。この映画のはじめには、黒人リーダーの演説シーンがある。「自分たちの鼻は大きい、唇は分厚い、肌は黒い、それは美しいのだ」と、彼は会場に集まった黒人の若者たちに訴えかける。
『ブラック・クランズマン』の舞台は1970年代。それから50年近く経って、ついに世の中は黒人のスーパーヒーロー映画を傑作と受け入れるようになった。そのことにちょっと感慨を覚えていたら、海の向こう側で、時代に逆行するような出来事が起きてしまった。プロテニスプレーヤー・大坂なおみの「日清アニメCM問題」である。
「問題のアニメCM」の何がいけないか?
今は削除されたそのアニメCMで、大坂とされるキャラクターの肌の色は、本人のそれよりずっと白い。報道によると、日清食品HDは「意図的に白くした事実はない」と述べているとのことだ。
正直、意図的でなかったというのは信じがたい。あの色にするというのは、誰かが決めたはずだからだ。正しくは、「意図的だったが悪意はなかった」というところなのではないだろうか。「色の白いは七難隠す」という言葉もあるとおり、日本では昔から「色白」が美しさの指標の1つとされてきた。日本市場に出回る美白化粧品を見るだけでも、その価値観がいまだに非常に根強いことは明白だ。
しかし、それはまさに黒人たちが払拭しようと長年奮闘してきた、奴隷時代に白人の決めた古い価値観である。その価値観があまりに強く植えつけられているため、黒人の間でも、色が濃いか薄いかでコンプレックスがあったりする。1970年代に“ソウルの女王”のアレサ・フランクリンがリリースした「Young, Gifted and Black」 (若く才能豊か、そして黒人)という歌は、正しい価値観を若者たちに訴えかける歌だった。