史上最凶最悪の師匠とその弟子 作:RYUZEN
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終わりというのは何時だって誰にだって何にだって等しくやってくる。
病弱な老人だろうと、武術を極めた達人だろうといずれは死ぬ。
永年益寿の秘術を使い老化を止め、健康に常に気を配り、最新医療施設と名医を控えさせながら暮らしたとしても長寿を得ることはできても不死を得ることはできない。
五十億、六十億、七十億と増え続ける人類だっていずれ恐竜のように地上から姿を消す日がやってくるだろうし、そもそもこの地球とて不老不死ではないのだ。何十億年か先には地球消滅の日がやってくる。
だから当然、美雲の家に預けられている日々も終わりが来た。
「カッカッカッ。女宿の、弟子が世話になったわいのう」
「人に礼をする時くらい食べるのを止めたらどうじゃ?」
相変わらず果物――――今日は蜜柑を食べながら、まったく誠意のない礼を言うのはジュナザード。クシャトリアの史上最凶にして最悪の師匠だ。
ジュナザードから今日弟子を連れて帰る、という連絡がきたのがつい一時間前。久しぶりの休みの日だ、と浮かれていたクシャトリアの心を一気に氷点下にまで落としてくれた。
「クシャトリアよ。女宿からしかと教えは受けたであろうな?」
「……はい」
ジュナザードからの指示。櫛灘流の永年益寿の秘伝についても、自分なりに探りは入れてきた。
施されてきた修行の数々や食事に至るまで、美雲にやれと言われた事はしっかりと覚えている。
これだけ覚えていればティダードに戻っても櫛灘流柔術の自主練もある程度は出来るかもしれないし、なによりもジュナザードに怒られないで済む。
「わざわざ弟子に確認せずとも、わしのさせた修行に不備はない。この期間で出来る最大のことをしたと自負しておる」
「カッカッカッ! 女宿ともあろう女にそうまで言わせるかいのう。では精々弟子の仕上がりには期待しておくわいのう。帰るぞ、クシャトリア」
「はい、
頭を切り替える。
ジュナザードから美雲のもとへ預けられて一か月ほどの間。ここでの生活はティダードでの地獄と比べれば天国だった。
連日のように殺し合いを強要されることもなく、勉強の時間すら与えられ、師匠に殺されるかもしれないとビクビクと脅えなくてもいい。
本心を吐露するのならジュナザードの弟子に戻らず、このまま美雲に弟子入りしたいくらいだ。
(だが俺はシルクァッド・ジュナザードの正式な弟子だ)
拳魔邪神と畏怖される男を尊敬しているのでも、好いているわけではない。
かといって同じようにジュナザードに弟子入りしようとした者達を殺したのだから、彼等に報いるためにジュナザードの下で達人にならなければならない、なんていう殊勝な思いもなかった。
ジュナザードの弟子にされてからクシャトリアが思うのは今も昔もたった一つ。
〝生き延びる〟
そのためだけに、あらゆる努力と地獄を耐えてきた。死ぬほどの地獄でも、本当に死んでしまうよりは良いと乗り越えた。
ジュナザードのもとに戻る恐怖はあるが、ジュナザードから逃げることなど出来ないと知っているからこそ、ジュナザードが「戻る」と言えば大人しく従う。
自分の命を守る為に。
「美雲さん、さようなら。またいつか」
「ふっ。そうじゃな、またいつか。お主が死んでいなければ、また会おう」
最後に振り返り美雲に別れを告げた。死んでいなければ――――そう、死ななければ或いはまた会う日もあるだろう。
ジュナザードの後ろをついていき、クシャトリアは行きに乗ったのと同じ黒塗りのリムジンに乗りこんだ。
それからのことは改めて思い返しても短い時間だった。
自動車一時間半。自家用ジェット数時間。更にまた自動車二時間。諸々の時間を合計すれば大凡九時間。これが日本からティダード王国の、ジュナザードの城に戻るのにかかった時間である。
この九時間はこれまでのクシャトリアの生涯で最も短く感じた九時間だった。
城に戻って直ぐクシャトリアはティダードの民族衣装に着替え直し、念のため美雲から貰った手甲を両腕につけてから久しぶりの鍛錬場へと向かった。
「来たかいのう、クシャトリア」
鍛錬場には既にジュナザードが待っていた。
「お待たせして申し訳ありません、師匠」
「良い」
クシャトリアは両掌を合わせジュナザードに挨拶をする。
ジュナザードはクシャトリアの両腕にある手甲に目をやり、暫し注視してから日本で仕入れて来たらしい青山リンゴをかっ喰らった。
「お前を女宿に預ける前に申し付けておったことは覚えておろうな?」
「はい。櫛灘流の永年益寿の秘伝、流石に直接聞きだすことはできませんでしたが、美雲さんに教わった事は全て頭と体に叩き込んであります」
「カッカッカッ。それは上々、では話せ」
「はい」
クシャトリアは一切の省略することもなく、美雲から教わり、やれと命じられたこと全てをありのまま伝えていく。
櫛灘流の教えを受けたクシャトリア自身、なにがどう永年益寿に関わることなのかは分からなかったが、ジュナザードにとってはそうではないらしい。
度々「ほう、そういうことかいのう」やら「興味深い……」などとコメントしつつ頷いている。
しかしクシャトリアが美雲から教わった、制空圏を薄皮一枚まで絞り込む『流水制空圏』のことについて話すとジュナザードの雰囲気が変わった。
「流水制空圏とな。女宿は随分とお前を気に入ったようだわいのう。己の秘技ではないとはいえ、風林寺のじっさまから盗んだ秘技を教えるとは。我としたことが驚いたわいのう」
「え? この秘技って美雲さんの編み出した技じゃなかったんですか!?」
「そうじゃ。無敵超人、風林寺隼人。我の……………まぁ古い知り合いの編み出した108の秘技の一つだいわのう」
無敵超人、まるでキン肉マンに出てくるキャラクターみたいだ。
ジュナザードが知り合いと呼び、美雲が技を盗むほどの相手。恐らくは風林寺隼人なる人物もかなりの達人に違いない。
それもジュナザードがじっさまと言ったあたり、かなりの高齢だろう。
「やっぱりその人も一影九拳なんですか?」
「違う。奴は闇の殺人拳とは対極。活人拳などを掲げる爺だわいのう。そして我と引き分けた唯一の男だわい」
「……!」
もしかしたら、それはジュナザードが引き取りにやってくるという連絡が来た時よりも凄まじい衝撃だったかもしれない。
史上最悪にして最凶。並ぶものなき魔人とすら思っていたシルクァッド・ジュナザードと引き分けるような怪物がいる。
そのことがとても信じられない。
「じゃが風林寺のじっさまの秘技か。そうじゃな、流水制空圏を会得した褒美に我も幾つか知るじっさまの秘技を一手授けてやろうかいのう。おい、そこの」
「はっ」
ジュナザードが合図をすると、部下の一人が巨大な檻をもってくる。
檻の中に入っていたのは、一目で獰猛と分かる大虎だった。余程腹を空かせているのだろう。大虎は涎を垂らしながら、クシャトリアとジュナザードを睨んでいる。
「離せ」
「はっ!」
ジュナザードの命令に反論一つすることなく、部下の男は虎を檻から解き放った。
檻から出て自分が自由になったのだと理解したと悟った虎は目の前にいる得物。クシャトリアに飛びかかってきた。
「我ではなくクシャトリアへ向かうとは、獣の分際でどちらが格上なのか本能的に分かるようだわいのう。じゃが無駄じゃ」
ジュナザードが一瞬にして虎を蹴りあげ、殴り易いよう腹を晒させる。そして、
「数え抜き手! 四、三、二、一ッ!」
怒涛の四連抜き手。大虎は腹に四つの穴を開けて、完全に生命活動を停止した。
檻から放たれて僅か十一秒。獲得した自由に比べ、余りにも短い寿命だった。
「しっかり見ておったであろうな。通常の抜き手を四と見立て、そこから指の数を三、二、一と減らしていく抜き手。風林寺のじっさまの技の一つだわいのう。
この技の優れたところは数が減るごとに威力を増すのみならず、一発一発の抜き手に性質の異なる特殊な力の練りが加えることで、三発目まで防いでも最後の一発で必ず相手の防御を貫くところだわいのう。
今のお前にはちと難しい技じゃが、流水制空圏は覚えたことであるし我ならば教えられなくはないわいのう」
「……凄い」
ジュナザードの技が凄いのではない。自分こそが最強であるとするジュナザードに、技を盗もうと思わせた事。それがとんでもなく凄い。
無敵超人、風林寺隼人が師匠と引き分けたというのは事実なのだろう。そうでなければ師匠は技を盗んだりしない。格上が格下から教わることなどない、というのが師匠の考え方なのだから。
「カッカッカッ。じゃがこれだけではないぞクシャトリア。我にはもう一つお前に渡すものがあるわいのう」
「渡すもの?」
「それは……これだわいのう!」
ジュナザードが自慢げに見せたのは仮面だった。
クシャトリアはおずおずとそれを受け取ると、その仮面を観察する。ジュナザードの仮面と同じ意匠の、悪魔や妖怪を想起させる仮面だった。
師匠の目線がこちらに向いている。被れ、と言っているのだろう。
「では」
一応は師匠からの初めてのプレゼントというやつだ。文句を言えば洒落抜きで殺される。
クシャトリアは仮面を被るが、
「お、重い……」
サイズが完全に合っていなかった。被れはしても、こんな仮面をつけて戦っていては碌に目が使えずに敵にやられるだけだ。
というよりこんな重いものを頭に被っていたら動きが鈍るどころではない。
「駄目かいのう。ならばこれはどうじゃ」
それからもジュナザードが寄越した仮面を一つ一つ被ってみるが、どれも大きすぎたり小さすぎたりでピッタリ合うものは一つもなかった。
ジュナザードは仕方なく部下に木材を用意させると、
「オーダーメイドだわいのう」
あろうことか自分自身で木材を掘り始めた。
ジュナザードは武術のみならず芸術にも覚えがあるようで、瞬く間に新しい仮面を一つ作ってしまった。
「今度は問題ないわいのう」
妖怪や悪魔とも違う。優美にして高貴な騎士と、空を駆け抜け自在に飛ぶ鳥を混ぜ合わせ合体させたような仮面。
差し出されたそれを受け取ると被る。オーダーメードに偽りなく、その仮面は始めからクシャトリアの肉体の一部のようにピッタリと合った。
「カッカッカッ! やはり我の弟子であれば仮面がなくてはいかんわいのう!」
「拘りがありますねー」
結局、その日は仮面選びで時間が潰れ修行はなしとなった。