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【東京】

ハンセン病資料館で宮崎駿さん講演 多磨全生園前自治会長・佐川修さんしのぶ

佐川修さんをしのんで贈った絵「プロミンの光」について語る宮崎駿さん=東村山市の国立ハンセン病資料館で

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 映画監督の宮崎駿さん(78)が二十七日、国立ハンセン病資料館(東村山市)で講演し、昨年一月に八十六歳で亡くなったハンセン病療養所多磨全生園(同市)入所者自治会の佐川修前会長について「出会えたのは僕にとって、とても大事なことでした」と振り返った。 (谷岡聖史)

 二人の出会いは、全生園の近くに住む宮崎さんが「もののけ姫」(一九九七年公開)を準備中の二十数年前。同作にはハンセン病患者を思わせる包帯姿の病人が登場する。「武士や百姓だけではない時代劇を作ろうとしたら、ハンセン病にも向き合わなければ」と、現在の資料館の前身、高松宮記念ハンセン病資料館を訪れるうち、設立に尽力した佐川さんと知り合った。

 二人は、終戦直後から使われた園内の寮舎「山吹舎」の復元(二〇〇三年)にも一緒に取り組んだ。建材にガラス戸や防腐剤を使ったことに佐川さんは「あんなに立派じゃなかった」と不満だったといい、宮崎さんは時折涙ぐみながら「最期まで言ってましたね。頑固な人だから」と笑った。亡くなる直前、病室で眠る佐川さんの手を取って「ありがとう」と声を掛けたことを振り返ると、一瞬声を詰まらせ、「大事な友人でした」と語った。

 講演後、佐川さんの妻幸子さんに贈った油絵「プロミンの光」も披露した。プロミンはハンセン病を初めて治療可能にした薬で、「光が差したようだった」という佐川さんの言葉をヒントに、スタジオジブリ美術監督の吉田昇さんが描いた。今後、同資料館で展示するという。

 

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