(cache)人生の半分を「新聞なし」で生きてきた私が新聞の凋落問題に思うこと(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(2/4)



人生の半分を「新聞なし」で生きてきた私が新聞の凋落問題に思うこと

なぜそうなったか、を真剣に考えると…
髙橋 洋一 プロフィール

役人時代にも新聞は取らなかった

筆者が官邸勤務をしていたときは、まさに新聞を読んでいない時期に重なっているが、仕事に差し支えることもなかった。

新聞を自宅でとらなくなってからも、筆者は大蔵省で広報の裏方のような仕事をしていた。旧大蔵省の場合、広報を担当する部署はあるが、事実上のマスコミ対策は各省に任されており、政策の根回しの一環として、一部官僚がマスコミ対策を行うことも当たり前であった。いわゆる「ご説明」「レク」と呼ばれるものである。

なにか新しい政策を打ち出すとき、その政策の担当部局の課長や課長補佐が、あたかも軍隊のように一糸乱れず整然と政治家、学者やマスコミに「ご説明」して周り、彼らの理解や支援を得て、国会を有利に取り運ぶのだ。

 

筆者も、課長や課長補佐時代に多くの「マスコミ対策」を行った。そのためのいち手段として、日頃から、マスコミへの「小ネタ」を提供していた。言い方は悪いが、いわゆる「鳩への豆まき」だ。

役所から見れば、マスコミ記者は「鳩」であり、その餌付けのために「豆をまく」という感覚である。なぜ「鳩」かというと、マスコミの記者は自分で考えることが少なく、記憶しようという努力も怠ることから、鳥並みである、というわけだ。

マスコミの方には申し訳なのだが、役人が「豆まき(レク)」をすると、かならず「紙」をくれといわれる。そうでないと、デスクが納得しないからという。なので、役人からみると、マスコミ記者は「ヤギ」にも見えた。「紙くれ」「紙くれ」というからだ(紙、とはその政策や発表に関する資料のこと)。

まだ「ヤギ」のほうが「鳥」より賢いだろうが、いずれにせよマスコミにすれば気分が悪いだろう。しかし、実際に官僚のもとに来る記者のほとんどが、自分でものを考えようとしなかったし、官僚からのレクや紙に頼るばかりだった。

このようにマスコミを「操っていた」ので、新聞は読む必要がなかった。役所にある新聞で、自分があげたネタがどのように報じられたか、その結果を確認すればよかっただけだった。

もし、役所にとって予定外の記事が出ることになっても、すぐに情報は入手できた。というのは、その新聞が出るまでに、他の新聞社が必ず役所に確認に来るからだ。「明日の〇〇新聞で、こんなニュースが出るらしいですが、そのニュースは本当ですか?」という感じで、だ。わざわざ他社の記者が知らせに来てくれるので、その新聞が出るまでに、対応方法や対策などの事前準備はほぼ済んでいる、といった具合だった。

結局、どのような場合でも、新聞から情報を得る必要がなく、逆に与える立場だったので、役人時代は新聞を取る必要はまったくなかったのだ。

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