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【芸能・社会】

大野が17年脱退宣言…嵐、休止選択 来年いっぱいで!5人で会見

2019年1月28日 紙面から

2020年末でのグループ活動休止を発表するため記者会見に臨む嵐のメンバー=東京都港区で(淡路久喜撮影)

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 人気アイドルグループ「嵐」が27日、2020年いっぱいで活動を休止することを電撃発表した。期間は未定。公式ファンクラブの会員向けにメンバー5人が動画メッセージで伝えた後、東京・乃木坂のジャニーズ事務所でメンバー5人が会見した。現在開催中の5大ドーム公演で、国内のツアー史上最多の237万5000人を見込んでいる国民的グループ。デビュー20周年の記念イヤーになぜ休止の道を選んだのか-。背景にはリーダー大野智(38)の決断があった。

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 午後5時過ぎ、1本の動画が列島に衝撃を与えた。「僕たち嵐は、たくさんの話し合いを重ね、2020年12月31日をもって、嵐としての活動を休止させていただくことになりました」。それから3時間後、おびただしいカメラのフラッシュを浴びる5人。しかし悲壮感はなく、笑顔すら見せていた。

 17年6月中旬、大阪での仕事を前に大野が他のメンバー4人をホテルの自室に呼び「2020年をもって、自分の嵐としての活動を終えたい」と伝えた。事実上の脱退宣言だ。その上で「20周年、そして2020年という区切りで一度嵐を畳み、5人それぞれの道を歩んでもいいのではないか」と提案した。

 大野の本心は「具体的に何がしたいかは決まっていないが、この世界を離れてみて自由な生活をしてみたい」だった。4人はその思いを受け止めつつも困惑した。二宮和也(35)は「グループでやってきた年数を考えると、二つ返事で『じゃあ、分かりました』というのは、ちょっと責任感的にできなかった」と振り返った。大野も個人レベルでメンバーと何度も話し合いを重ねた上で昨年2月に所属事務所に報告。そして6月に活動休止の結論が出た。

 大野は「事務所を辞めないとけじめがつかない」と思っていたそうだが、メンバーは「嵐の活動は5人でしかあり得ない」と異口同音に発した。日本航空のイメージキャラクターなどを通じて東京五輪を盛り上げる20年を区切りに、グループは活動を休止。大野は事務所に籍を残したまま、しばらく個人として完全休養に入る。他のメンバーは芸能活動を続ける。

 「素直に申し訳ない気持ちの中で、メンバーに『最後まで笑っていよう』と言われたときは、言葉にならなかったですね。嵐で良かったなと思いました」と大野は涙を浮かべた。

 休養期間中について大野は「ビジュアル、体形キープしていこうと思う。いきなり老け込むのは怖いので。4人以上に気をつけて休もうと思う。1人だけ『何だ、あいつ』ってなるのは嫌なので。仕事に感謝しかない。自分の中で1回足を止めて考えます」と取材陣を笑わせた。

 松本潤(35)は再始動について「感情論だけで言えない」と前置きした上で「また5人で再会できる日がきたらいいと思う」とし、櫻井翔(37)も「メンバーの絆は過去最大に太くなっていると思う」と強調した。

◇笑顔で語った仲間、ファンへの思い

 5人じゃないと嵐じゃない-。櫻井翔(37)、松本潤(35)、二宮和也(35)、相葉雅紀(36)は共通した熱い思いを口にした。4人は話し合いを重ねた上でリーダー・大野智(38)の決断を尊重。活動休止まで残された約2年間、全力疾走することを誓った。

◆相葉「うそでもケンカしとけば」 会場の空気が和らいだ

 まだまだ嵐は続く-。相葉はデビュー当時に「世界中に嵐を巻き起こしたい」と宣言していた。会見でそのことを問われると、「まだ嵐を巻き起こせてない。リーダーが同じ方向を向いたときには…」と目線を大野に送った。即座に笑顔と共に返ってきたのは「巻き起こしちゃいますか」。2人はあうんの呼吸をみせた。

 大野から活動休止を告げられた時は「ひっくり返りましたね」。冗談ではなく、本当に体ごとひっくり返ったという。当初は「『どうにか続けられないかな』と話もした」が、「同じ方向を向いていないリーダーを付き合わせるのは違う」と納得したという。

 5人で1年間協議を重ねた中で、けんかや言い争いはなかったという。相葉は「うそでもしとけばよかった」と会見場の空気を和らげる発言も。コメントでも「決して仲が悪くなった訳ではありません」と発表した。その意図は「(仲が悪いことは)なかった。だから書かせてもらった。話し合いを何度も何度もして一人一人の絆は強かった」と力を込めた。

 2020年12月31日以降は…。「どんな気持ちになるか想像つかない。決められた時間で精いっぱいやった中でどう思うか。お休みはないですね」。自身の芸能活動続行は約束した。充電を終えた大野が復帰して「世界中に嵐を巻き起こす」。相葉は待っている。

◆二宮「残り2年間、僕ららしく」 ファンに向き合いたい

 二宮にとっては生涯忘れられない誕生日だった。2017年6月16日の夜。大野の呼び掛けに応じ、大阪のホテルの一室に5人全員がそろった。翌17日は自身の誕生日だった。

 「個人的な観点で言うと、誕生日を祝ってくれるんだろうと思った。さすがリーダーだなって」

 しかし、リーダーの口から出たのは嵐としての活動休止だった。二宮は「だから衝撃だった。楽しく活動していたので(活動休止は)思ってはいなかった」と振り返った。祝い気分から急転。それでも衝撃発言を受け、静かに聞いた後でこう言ったという。

 「とりあえず今、祝ってくれっていいました。それで乾杯しました」

 リーダーの人柄については「優しい人でした。怒ることはなかったです。悲しいこと、辛いことがある時は、一緒に近くにいてくれた」と心を込めて言った。

 5人でこそ嵐-。衝撃の誕生日を乗り越え、結束を固めた。残された活動期間は約2年。二宮は「前を向きすぎず、楽しむためにもファンに向き合っていきたい。向き合いながら僕ららしく『嵐っていいな』と思ってもらう2年間にしたい」と丁寧に言葉を紡いだ。

◆櫻井「5人の絆、過去最大強く」 21年以降想像できない

 「嵐の絆は過去最大強くなっていると思います」。櫻井は長期にわたったメンバーの話し合い、そして休止という結論の中で深まったグループの結束力をアピールした。

 2017年6月。「活動をいったん終えたい」。そう大野から切り出された当時を振り返って「驚きました。驚きましたが1人の人生を縛るのは難しいとも思いました。20年以上一緒にやってきた仲間。どれだけ時間がかかっても全員が納得がいく着地点を探したい、と思いました。机をひっくり返すようなメンバーはいませんでした」とジョークも交えて話した。

 グループとしては4人で活動していくという選択肢もあったが「5人じゃないと嵐じゃないという選択をしました」。21年以降は「その時が来ないと想像できません。今は嵐のことで頭がいっぱい」と話した。取材陣から「ファンを置いて無責任ではないかとの声も上がるのでは」との質問も飛んだが「2年間かけて感謝の思いを伝えていこう、という期間を設けたのは、僕たちの誠意と思っています」とした。

 「嵐は5人じゃないと嵐じゃない。同時に5人だけで嵐を作ることはできなかったと思う。あと2年、同じ景色が見られるようにみんなと一緒に走っていきたい」。長くメンバーを支えてきたファンやスタッフへの感謝の気持ちも交え、ラストランへの思いを語った。

◆松本「大野より早く休止提案していた」 14年ハワイ公演の後に

 「グループの活動はメンバーの強い意志があって続けられると思っていました」。松本は終始、落ち着いた口調で話した。

 2014年9月に行ったデビュー15周年記念のハワイ公演。公演を大成功に終え、ファンとともに素晴らしい体験をした中で、松本はグループの活動を休止する考えを持ったことを打ち明けた。「良いうちに、自分たちのかたちを一度締めるのがいいのではと考え、メンバーに話したこともありました」。その話は具体的に進むことはなかったが、松本の胸の中では「いつかは」の思いもあった。「だからリーダーからの話は驚かなかったです。2020年の区切りはグループにとってベストだと思いました」

 21年からの自身の活動については「やってこられなかったことができるタイミング、チャンスなのかと思っています」。

 ファンに向けては「感謝しかないです。ファンの方がいてくれたからこそ、できた景色がありました。申し訳ない思いがありますが、僕らが話し合った中で出した結論です。明日から前向きに過ごして、5人で走りきっていこうと思います。最後までついてきてもらえれば」とした。

 活動の再開について聞かれると、「先のことなのでどうなるか分かりません。ただ、また再開できる日があればいいなと思っています」と話した。

◆悲しむファン「青春だった…」「戻ってきて…」

 「青春だった」「また戻ってきて」。嵐の突然の活動休止宣言に衝撃が広がり、各地のファンから存続を願う声が相次いだ。メンバーが訪れた被災地では感謝の言葉が上がった。

 東京都多摩市の大学2年越田杏さん(20)はニュースを聞き、都内のジャニーズショップに駆け込んだ。「いてもたってもいられなかった。小中高から大学まで、青春は嵐と共にあった。悲しい」と肩を落とした。

 福岡市のショップを訪れた山口県美祢市の岡崎由子さん(50)は、高校1年の娘とそろってファン。「母親世代も一緒に楽しめる国民的アイドル。解散はせず、また戻ってきて」と話した。

 嵐は2011年の東日本大震災や昨年の西日本豪雨など被災地を支援する活動も続けてきた。昨年末にはNHK紅白歌合戦の企画で、福島県飯舘村のうどん店を訪問。東京電力福島第1原発事故による避難指示が解除され、17年春に店を再開したという高橋ちよ子さん(70)は「うどんをおいしいと言って食べてくれたのがうれしかった。また遊びにきてほしい」。

 西日本豪雨の際に広島市安芸区の避難所で世話役を務めた浦野紀元さん(74)は発生から約2週間後、メンバーの松本潤さんが避難所に駆けつけた様子を振り返った。「最も大変な時期に励ましに来てくれ、被災者にとって生きがいになった。被災時の話にじっと耳を傾け、記念撮影にも応じてくれた」。疲労感が漂った雰囲気が一変したといい「私生活も犠牲にした面があったと思う。お疲れさまと言ってあげたい」とねぎらった。

 メンバーの二宮和也は岡山県倉敷市真備町地区を訪ねた。「つらい時期にとても力になった。本当にありがたかった」と語るのは自宅が被災した中西冨美子さん(66)。「それぞれの活動は応援したい。また真備に来てほしい」と願った。

 義援金を贈呈された愛媛県の幹部は「多くの県民が感謝している。休止するとしても、納得がいく形で引き続き頑張ってほしい」と話した。

◆記者の目 奔放発言はメンバーの思い代弁か

 予兆はあった。デビュー10周年を迎えたころにも、大野はメンバーに脱退の意志を伝えたことがあった。国立競技場での3日間連続公演やNHK紅白歌合戦への初出場など、当時は嵐としてやるべきことをやりきったと考えたからだ。

 人気が出れば出るほどメンバー5人は現状維持、そして次のステップを踏むために何をすべきか悩んだ。「国民的グループ」という名の重圧が常に付きまとい「いつまでキラキラしていられるのか」という不安もあっただろう。

 少年時代からアイドルだった彼らも気が付けばアラフォー。私生活を見つめ直す時期に来ているのも事実だ。「自由な時間がほしい」という奔放に見える発言はリーダーならではの気遣いで、メンバーの思いを代弁したのかもしれない。

 5人は本当に仲がいい。家族以上に同じ時間を過ごしてきたから、簡単に壊れるような絆ではない。活動休止をプラスにとらえ、それぞれが公私ともに充実させれば、さらにパワーアップした5人が再び集結するはずだ。(江川悠)

<嵐> ジャニーズ事務所所属の男性5人組アイドルグループ。メンバーはリーダーの大野智(おおの・さとし)、櫻井翔(さくらい・しょう)、相葉雅紀(あいば・まさき)、二宮和也(にのみや・かずなり)、松本潤(まつもと・じゅん)で不変。1999年11月デビュー。NHK紅白歌合戦には2009年から10年連続出場中。

 

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