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【大相撲】

関脇・玉鷲が初賜杯 34歳2カ月の史上2番目の年長V

2019年1月28日 紙面から

遠藤(下)を突き落としで下し初優勝を決めた玉鷲(芹沢純生撮影)

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◇初場所<千秋楽>

 (27日・両国国技館)

 関脇玉鷲(片男波)が遠藤を突き落としで下し、13勝2敗で初優勝を決めた。34歳2カ月での初優勝は年6場所制では2番目の年長記録。3敗で追っていた関脇貴景勝(22)=千賀ノ浦=は、豪栄道に圧倒された。貴景勝は11勝4敗で場所後の大関昇進は見送りとなった。西前頭2枚目の北勝富士が9勝目を挙げ、春場所での新三役を確実にした。

      ◇

 第2子となる次男誕生は午前4時ごろだったという。そんな日に初優勝が決まるとは、玉鷲はなんと幸せな男なのだろうか。誰からも愛される男が、涙と笑顔で国技館を幸せで包み込んだ。

 大一番は14日目とは違い、貴景勝の取組前。それでも「(頭が)真っ白になりました」と緊張に襲われた。「でも頑張りました。ほんとによかった。今まで努力してきて…。想像できなかったですね。夢かな。なんか信じられない。涙? 感謝の涙です」。現役1位となる、入門から1151回無休で努力を続けた結果だった。

 モンゴルにいたときはスポーツとは無縁の生活を送っていた。「モンゴル相撲もやったことがない、レスリングも柔道もやったことがない」。ホテルマンを目指して大学に通っていた普通の少年だった。

 父バトジャルガルさんは高校で設計を教えていた。母ツェンドスレンさんは、大学でモンゴル語を教えていた。父がモンゴル相撲の横綱である白鵬のようなDNAはない。教育一家で生まれ育った玉鷲が、長い時間をかけて努力でつかみとった初優勝だった。

 入門も偶然だった。大学が休みだった2003年の秋。東大に留学していた姉のムンフズルさんをたずねた。両国へ遊びに行ったとき、びん付油の香りがした。力士が自転車に乗って通り過ぎたところだった。

 「角を右に曲がったからついて行った」。見失ってしまったが、パチパチという音が聞こえてきた。井筒部屋だった。中をのぞくと井筒親方(元関脇逆鉾)が手招きしてくれた。

 「うちにもモンゴル人がいるよって」。それが当時まだ幕下の鶴竜。その場で旭鷲山の連絡先を教えてもらい、とんとん拍子で入門となる。

 身長187センチ、体重135キロ。「大学で2、3番目に大きかった」と自信があったのに、部屋に入るとみんな大きくてびっくりした。

 ゼロからのスタートだった。「だから、押し相撲なんですかね」。それに磨きをかけて挑む春場所は、大関とりの足固めとなる。

 ホテルマンになりたかった理由は「新しくシーツを替えたり、いろんな人と会えるから。人が好き」。春場所でも「先のこと考えず、まず見てよかったという相撲を取りたい」。再びファンを喜ばせてくれるだろう。 (岸本隆)

<玉鷲一朗(たまわし・いちろう=本名バトジャルガル・ムンフオリギル)> 1984年11月16日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身の34歳。188センチ、172キロ。片男波部屋。2004年初場所初土俵。08年初場所新十両。同年秋場所新入幕。15年年春場所新小結。17年初場所新関脇。初土俵以来休場がなく、通算連続出場1151回は現役1位。優勝1回。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞1回。得意は突き、押し。エルデネビレグ夫人と2男。趣味は小物づくり、お菓子づくり。

 

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