重ねてあさい氏のツイートを掲載する。
エントリーのタイトルがややこしいが、フィルアニマチオンで「ポタクとアニフィルはどう区別すればいいのか?」という問題提起をしてみた。
活発な議論となったが、何か芯を食わない。
そこで、僕は気付いた。
「あなた方のように、私はポタクじゃない!あんなのと一緒にするな!と断言することじゃないかな?」
すると、
「それは難しい、制作者側が毅然とモノづくりをするしかない」
あちゃー・・・。
ご意見はありがたく承ったが、フィルアニでこれだ。
市井ではもっともっと難しいだろう。
ひと昔前は「俺はオタクじゃない!一緒にするな!」と言い切る人間ばかりだった。
もちろんそのほとんどが実はオタクだ。
そこにはオタクの「独自性」、個としての独立性がまだ残っていたのだ。
それが、今やどうだ?
「オタクじゃない、一緒にするな!」と言うだけで、ネットのバカどもから猛攻撃を食らうだろう。
この同調圧力、何なんだ?
これに関し、歴史を辿ってオタクの変遷を考えると、行き着く先は、自分だ。
『ハルヒ』と『らき☆すた』、この二本で、オタクが群れることによる「力」の増大、そしてそれを更に強化するSNSの使い方を教えてしまったのだ。
宇野さんに「ヤマカンさん、こうなったのはあなたのせいだ!」と言われる所以である。
こうしてオタクは思想勢力、いや宗教結社となってしまった。
宗教は手強い。
自分で自分のケツを拭くしかない。
ならばやはり自分が最前線に立ち、業界を浄化するしかない。
道のりはまだまだ険しい。でも頑張ろう。
徹底的にやろう!