史上最凶最悪の師匠とその弟子 作:RYUZEN
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正式にジュナザードの弟子になってから時間が経つと、あくまでティダード国内に限ってはそれなりに自由な時間も許されるようになった。
幾ら拳魔邪神ジュナザードが邪悪、外道、ドSの三拍子を地でいく人物であろうと彼も格闘家の中の格闘家。
そして格闘家というのは医者とは別ベクトルで人体のスペシャリストといっていい。だからこそ力を伸ばすのには厳しい修行だけではなく、時には息抜きや休息が必要だというのも分かっている。
無論のんびり出来る時間なんていうのはごくごく稀のこと。仮にジュナザードが留守の時でも、代わりの達人に指導されるので休暇なんて一か月に一度あればいいほうだ。
だがどれほど偶の休みであろうと休息というのは嬉しいもの。休みになると翼――――改め、クシャトリアは観光気分でティダードを散策したりもした。
「おやクシャトリア様。お出かけですかな? なんなら車を回しますが――――」
「いえ。お構いなく」
これは正式な弟子になって何日かしてから気付いたのだが、自分はどうもティダードでは敬われる側の人間らしい。
散々師匠の外道っぷりを間近で見てきたクシャトリアには、にわかには信じられない事だが、シルクァッド・ジュナザードは嘗ては救国の英雄と呼ばれた人物であり、今もなおティダード国民はジュナザードを恐怖しつつも敬服している。
そしてその英雄ジュナザードが正式な弟子ということで、クシャトリアも一定以上の扱いをティダード国民から受けていた。
虎の威を借る狐そのものだが、別に自分が望んだことでもないし、腹を空かせている時に果物をくれるのは有り難いのでこれはこれで良いことだった。
ティダード王国にいる間に他人の会話に聞き耳をたてているうちに、インドネシア語もそこそこマスターしたので意思の疎通に問題はない。
「はぁ~あ。果物もいいが、偶にはファーストフード店でハンバーガーでも食べたいなぁ」
師匠に倣ってというわけではないが、手頃な岩に腰を掛けリンゴを齧りながらクシャトリアは空を仰ぐ。
日本からここティダードの地に連れてこられて半年余り。両親はどうしているだろうか。
地獄のような毎日が続くせいで、深い望郷の念を抱きながらクシャトリアは自分が『内藤翼』だった頃の両親の顔を思い浮かべる。
『ああそうそう。日本でのお前のことじゃがのう。闇が圧力をかけ川に溺れて死んだということになったわいのう。親の心配はする必要はないわい』
日本の両親について聞いた自分に、ジュナザードがあっけからんとそう返事したのを思い返す。
ジュナザードの言う〝闇〟がなんなのかは知らないが、ティダード王国でのジュナザードの扱いを見れば、それが嘘か真かの判別はつく。
そして日本にまで手を回せるほどの手の広さを考えると、自分に地球上で逃げ場所なんてないという残酷な事実もクシャトリアは思い知った。
きっともう自分が日本人として日本へ戻り、あの平和で穏やかな生活に戻ることは永久にないのだろう。
「クシャトリアか。そこでなにをしている?」
「あ、メナングさん」
クシャトリアに話しかけてきた男性はメナング。達人級のシラット使いで、ジュナザードに最も近い腹心だ。
医術の心得があり、あのジュナザードの腹心でありながらかなりの常識人であることもって、それなりにクシャトリアとは良く話す間柄だ。
というよりクシャトリアが勝手にティダード良い人ランキングナンバーワンに認定してるほどの人だ。
「いえ、ちょっと日本の事を考えてて」
「日本……確か梁山泊のある極東の島国だったな」
「梁山泊? 梁山泊なら日本じゃなくて中国じゃないんですか。水滸伝でしょう」
「気にしなくていい。まだお前が知る必要のないことだ」
そう言われると聞きたくなるのが人間の性分。
だがそうやって危ないものに手を出したら痛い目みるのは、ジュナザード相手に「武術を教えてくれ」なんて言ってしまった人生最悪の失言で身に染みているのでここは黙る。
触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らずだ。
「だが故郷か。クシャトリアは日本からジュナザード様が連れてきたのだったな」
「はい。……本当は通りがかりの達人にちょっと武術のコツを教えて欲しいだけのつもりだったんですけどね。気付いたらこんなことに」
「――――――――あの御方も、昔は高潔な真の英雄だったのだがな」
メナングの瞳には決して変わらぬジュナザードへの忠誠心と、ジュナザードへの憤りの二つが入り混じっていた。
ティダードの国民としても武術家としてもジュナザードを尊敬しているが、人間的にはジュナザードの非道には否がある。
子供である自分が偉そうな断定はできないが、予想するならこんなところだろうか。
ジュナザードに対して溢れんばかりの恐怖を抱いているだけのクシャトリアには分からない感情だ。
「メナングさん。あのこれはオフレコでお願いしますよ」
「なんだ? 藪から棒に。君のことを哀れにも思うし出来れば祖国へ帰してやりたいとも思う。しかし私はジュナザード様の部下だ。帰してくれと頼まれたも聞けんぞ」
「分かってますよ。そんなことじゃありません。ただ本当に
「…………お前が疑うのも無理はない。なにせもしも英雄だった頃のあの方を知る人物が、時間でも飛び越えて今のジュナザード様を見ればお前と同じ意見をもつだろうからな」
「!」
「戦時の英雄は平和の中では英雄たりえないのか。それとも殺し合いの狂気が平和の中で溜まりに溜まった結果なのか。或いはあの御方が変わってしまったことはあの御方御自身にさえ分からぬことなのかもしれない。
だがこれだけは断言しよう。拳魔邪神ジュナザード様がティダードを侵略から救い、国を守った英雄なのは間違いなく本当のことだ」
「分かりました。それに考えれば意味のないことでした。昔の師匠が英雄でも、今の師匠が邪神なら今の師匠の弟子の俺には関係ないんですから」
「……すまんな」
「謝らないで下さいよ。ここで頼りになるのはメナングさんだけなんですから」
リンゴを食べ終えると、今度は葡萄を懐から取り出して食べる。
このティダード王国に来て数少ない良かったことは、日本では食べられない新鮮で美味いフルーツを気軽に食べれるということだ。
「クシャトリア様、ここにおられましたか」
ジュナザードがクシャトリアの世話役として付けられた侍女が小走りで走ってくる。
「えーと、確かミカン……」
「ミランです、クシャトリア様」
「ああそうそう。どうも最近フルーツばかり食べていたせいでね。それで何の用だ? 今日の修行はOFFのはずだけど」
「邪神様の気が変わられました。クシャトリア様におかれましては、直ぐに鍛錬場へと戻るようにと」
「短い休み時間だったな」
ここでクシャトリアにごねるという選択肢はない。師匠の呼びつけを破るとは即ち死を意味するのだから。
クシャトリアが師匠から解放されるにはクシャトリアが師匠を超える強さを手に入れるしかない。だがそれは果たして何十年後か、はたまた一生懸けても不可能か。
「クシャトリア」
鍛錬場へと向かう寸前でメナングに呼び止められる。
「こんなこと気休めにもならんかもしれんが。クシャトリア、お前には才能がある。あのジュナザード様が目をかけるほどの類稀な……十年に一度の才がな。だからお前なら他の者なら死ぬことでも耐えられる……と思う」
「最後に余計な一言を入れないで下さいよ」
「す、すまん。だが才能があるというのは本当だ。なにせまだ生きているからな。才能がなければ今頃お前は邪神様に殺されている」
「………………でしょうね。じゃあ神童は神童らしく、死なない気で励んできますよ」
才能がなければ殺されていた、というのは間違いではないだろう。
自分の師匠が『失敗作』とみなせば、それが弟子であろうと問答無用に殺害する超弩級の危険人物なのは良く知っている。それに師匠が殺さなくても、あのバトルロワイヤルの課題で他の弟子候補に殺されていたはずだ。
その意味で今こうしてクシャトリアが生きているのは、一重に武術の才能があった故なのだろう。
「ところでミラン。なんでまたいきなり休み返上に? これまで殺し合いをさせられたことは一度や二度じゃあないが、休みを取りやめにして修行なんてことはなかったはずじゃないか」
「それが私は詳しく知らないのですが、弟子入り希望者が来たとかで」
「弟子入り希望?」
「はい。それでジュナザード様は弟子入りにクシャトリア様を倒すことを条件にしたと」
「……成程」
勝手に自分を弟子入り条件にした師匠ではなく、よりにもよってこんな時に押しかけてきた弟子入り希望者に対して怒りを燃やす。
お陰で貴重極まりない休みの日は台無しだ。この借りはしっかりと返させて貰おう。
尤も師匠の性格からすると、借りを返すどころでは済まないことになりそうだが。
クシャトリアは複雑な気分のまま鍛錬場へと入っていった。