魔法科高校の幻想紡義 -旧- 作:空之風
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またオリジナル主人公をはじめオリジナルキャラ、独自展開を多く含みます。
某日、某所――。
「百年。言葉では一秒程度で済ませられる単語だが、その実はなかなかどうして深く、そして濃いものだと私は感じているよ」
広い洋風の一室。全ての厚いカーテンが閉め切られた空間で、部屋の中央に置かれたソファに座る男は愉快げに語りながら赤いワインを口に運ぶ。
百年、一世紀。
言葉にすれば確かに簡単だ。
だが百年とは、大半の人々からすればそれを実感する前に、一生涯を終えてしまう程の年月。
そして時代や歴史という観点からすれば、人々の持つあらゆる価値観、常識が一変してしまう年月。
この二十一世紀という百年間の歴史もまた、激流に満ちた時代だっただろう。
発端となった西暦一九九九年の『あの事件』。
そこで明かされた超能力という『力』。
急激な寒冷化を原因とする国家間の資源の争奪、戦争。
第三次世界大戦、二十年世界群発戦争。
嘗て、ある歴史家が語った予測がある。
『第一次世界大戦は、化学の戦争だった』
『第二次世界大戦は、物理の戦争だった』
『そして第三次世界大戦は、数学の戦争となるだろう』
その予測は、半分だけ当たっていた。
第三次世界大戦は、「最小の行動で最大の成果を」というドクトリンに基づく、データリンクを始めとする情報と効率性を図った兵器運用。
そして、新たな『力』である『魔法』。
第三次世界大戦は、数学と魔法という二つの要素を持った戦争となった。
三度目の大戦により多くの国家が消滅し、力ある国家は巨大化した。
百年前の世界地図はただの紙切れと化し、新しい世界地図に塗り替えられた。
その中で魔法もまた、人々にとっては周知の力となった。
百年前は
それを思えば、百年とは何と重い年月なのだろうか。
彼はワインを一口飲んでグラスをテーブルに置くと、この部屋にいるもう一人に向かって問いを投げかける。
「ところで純粋な疑問なのだが、君も私と同じく、いや私以上に時の重みを実感しているのかな?」
座っている男とは反対に、部屋の隅で立ったまま壁に背を預けている少女は無表情に答える。
「特に何も」
少女はとても簡潔に、この百年間に対する感想を言い捨てた。
「ふむ。この百年で人は『魔法』を手に入れて大きく変わったというのに、君は何も思わないと?」
「慣れの問題だ。“この程度”の変化、産業革命で既に実感している。何より魔法は私に言わせれば元に戻ったようなものだ」
少女の答えに何が面白いのか、男は静かに笑いを零す。
「流石は四百年を生きる魔女。私のような凡庸とは器が違う」
「凡庸? 貴様が? タチの悪い冗談だな」
「冗談では無いさ。私は特別ではない、どこにでもいるようなただの人間だよ」
「……さっきの問いの答えを訂正しよう、まさに世も末だ。全人類を鏖殺しようと目論む奴が、普通だとは」
呆れた声でそう言い放った少女に、男は穏やかな笑みを浮かべたまま首を横に振る。
「鏖殺とは違うな。私はただ終わらせたいだけだ」
「結局は同じだろう?」
「いいや、明瞭な違いがある。私は憎しみをもって人々を殺すのではない。ただ愛するが故に終わらせたいのさ」
「……前々から思っていたが、やはり私にはお前の動機が理解できない」
「君と比べれば、確かに抽象的なのだろうな」
男は再びワイングラスを手に取って傾ける。
「それはそうと、実はラグナレックに『大きな仕事』の依頼が来ているんだ」
「ほう」
男が提供した話題の転換に、少女は少しばかり興味を示した様子で男へ視線を向ける。
『
まるで戦争の時代を予見するかのように、二十年国家群発戦争の最初期に、バートン・ハウエルによって設立された
尤も民間警備会社とはあくまで国際法上での形式であり、実質は歴たる
なお、社名の綴りが「Ragnarok」では無いのは誤りではなく、『古エッダ』および『スノッリのエッダ』の「
ラグナレックは大戦初期から後期までの二十年間をかけて急速に台頭。
更には大戦終了後に在野となった多くの人材を獲得するなどで勢力を拡大。
今や名実共に世界最大、そして最強の民間軍事企業となっている。
現在のラグナレックは、南半球にある二つの大陸を股に掛けて活動している。
一つはアフリカ大陸。大戦前と比べて半分以上の国家が消滅し、未だ資源獲得を目的とした紛争と、歴史的民族紛争が絶えない大陸。
もう一つは南米大陸。ブラジル以外は小国分立状態と陥り、大半の力を失った大陸。
ブラジルを除外すれば、二大陸の中で勢力を拡大している国々は、その軍事力の半数以上、中にはその大半をラグナレックに委託する形で保持しているのだが現状だ。
その為、大国から「ブラジルを除いた二大陸は、実質的にラグナレック・カンパニーの統治下にある」と分析されるほどの影響力を持ち、高レベルの危険度で警戒、監視されている。
実際にラグナレックが保有する総戦力は、ブラジルのそれを上回るとも。
ブラジルがラグナレックの影響を排することに成功しているのも、戦略級魔法師・十三使徒の一人、ミゲル・ディアスを抱えているという事実が抑止力と牽制の効果を発揮しているに過ぎない。
少なくとも大国や先進国の軍首脳部はそう判断している。
それが
――たとえば、この部屋にいる二人のような。
部屋の中でワインを嗜む男性、ラグナレック・カンパニーの現社長であり、初代社長「バートン・ハウエル」の名を引き継いだ二代目「バートン・ハウエル」。
彼は少女の視線を受けながら続きを口にする。
「依頼主は大亜細亜連合。内容は当然ながら受託するまで明かされない。ただ向こうのオーダーは、優秀な魔法師を最低一個小隊以上」
「フン、随分と欲張ったオーダーだな。また日本に仕掛けるつもりか? 少し前に大漢を滅ぼされて、最近には日本の沖縄に侵攻して惨敗したというのに。呆れて物も言えんな」
嘲笑を浮かべて侮蔑を吐き捨てる少女に、バートンは面白そうに口元を緩めて少女を見遣る。
「フフ、もう三年前になる戦争を『つい最近』、三十年以上も前のことを『少し前』なんて表現できるのは、君ぐらいだな」
バートンとは対照的に少女は面白くなさそうに顔を背けると、ラグナレックの社長であるバートンに問う。
「それで、依頼を受けるのか?」
「ああ。今日にでも日本のクレトシに連絡を入れる予定だ。私たちにとって魔法師一個小隊なんて、簡単に用意できる。他ならぬ君のおかげでね、マイヤ・パレオロギナ」
マイヤと呼ばれた少女はバートンを一瞥すると、今回の依頼に思考を巡らせる。
「動かすのは駐留部隊か? ――それとも『本隊』か?」
「本隊を」
バートンの答えを聞いたマイヤは、微かに口元を歪めた。
「本隊の魔法師一個小隊。極東の軍事バランスを崩すまでには至らないだろうが、何かしらの切っ掛けにはなるかもしれんな」
「ああ、そうだね。これを機に世界が動くかもしれない」
バートンは想いを馳せるように、静かに目を閉じた。
「そうだとも。世界は動く、動き続ける。だから人々も動き続ける。休む間も無く、それはまるで奴隷のように」
サラエボの一発の弾丸のように。
天才物理学者の一つの公式のように。
世界は何時だって止まることなく動いてきた。
時間は流れ続ける。
時代を、歴史を、流れを止めることなど出来やしない。
バートンはワイングラスに手を伸ばし、コツンと指先で叩く。
バランスを失ったグラスはテーブルに倒れると、残っていたワインでテーブルクロスを赤く染めながら転がり、テーブルから落ちて――。
「それが“生きる”ということならば、私は私のこの愛を世界へ、これから生まれる子供たちへと届けよう――」
床に落ちたグラスは、砕け散った。
見た目からして若い青年で、何より母親似なのか女性的な顔立ちをしており、黒髪を後ろ首筋で切っている。
一見して「ボーイッシュな女性」に見えなくもない。
ただ一点のみ、その突き刺すような鋭い目つきが無ければ、の話だが。
水無瀬家は古式魔法の家系であり、実力という面では他の古式魔法の系譜、九重家や吉田家から一目も二目も置かれている家だ。
だが立場という面では古式魔法だけでなく現代魔法、更には十師族からも白眼視されている。
その理由は、水無瀬家が日本の魔法師でありながら、正式にラグナレック・カンパニーに所属しているためだ。
それもラグナレックの幹部という高位の席に。
ラグナレック・カンパニーが創設されたのは二十年国家群発戦争の最初期。
その創設メンバーの中には、当主を始めとした水無瀬家一族も名を連ねていた。
当時のラグナレックは世界中で活動していたとはいえ乱立する民間軍事企業の一つ。
創始者である初代バートン・ハウエルが設立したばかりの弱小勢力に過ぎなかった。
それが二十年戦争の最初期から初期に掛けて民間軍事企業の一角として名を馳せ、中期から後期には世界有数の戦力を保有する巨大企業。
そして戦後数年で有史以来最大の民間軍事企業と成り遂せたのは、初代バートン・ハウエルのカリスマ的指導力と、創設時から優秀な魔法師を幾人も揃えていたという二つの要因があったためだ。
当時の水無瀬家は僅か十名足らずだったが、一族総出で日本から飛び出しラグナレックに属し、今や世界最大規模のPMCの幹部に収まっている。
そして現在、水無瀬家の人間は当主である水無瀬呉智、この青年ただ一人を残すのみ。
元々虚弱であった母は、妹を出産した際に亡くなっており、父は十年以上前の中東の戦役で敵側となって介入してきたインド・ペルシア連邦の一個連隊と交戦。
父を含む僅か六名の分隊で連邦軍の魔法師を含めた一個連隊をほぼ全滅に追いやるという隔絶たる戦果を築き上げると共に全員が戦死という、壮絶と言っても過言ではない最期を遂げている。
それでも呉智には嘗て年の離れた妹がいたが、彼女は既にこの世界から“消え去って”しまっている。
呉智に残されたのは水無瀬家当主という名ばかりの座と、バートン・ハウエル直属部隊、通称「本隊」所属というラグナレック幹部としての席。
そして、世界に対する一つの強い想い。
故に、呉智は上司であるバートンに心から同調しており、バートンからも優秀な部下というだけでなく、同志としても遇されている。
(内容はやはり総隊長からの任務通達。依頼主は大亜連合、か)
符札に浮かび上がる文字、英語で書かれた本隊の指令書を読み終えた呉智は内心でそう呟く。
この通信方法は本隊、つまりバートン直属の部隊で開発された、とされている術式で、存在自体が本隊以外には知らされていないトップシークレットだ。
「魔法にとって物理的な距離は意味をなさない」というのは現代魔法の常識だ。
だが、だからといって「地球の反対側の人物が書いた文字がリアルタイムで目の前の紙に投影される」などという魔法を呉智は知らない。
現代魔法で解釈するならば、おそらく向こうで送信の媒体となる用紙に書かれた文字がエイドスに刻まれ、受信の媒体となるこちらの符札に刻まれた文字が反映される、光の「放出」と「移動」と「収束」の複合魔法。
古式魔法で解釈すれば、精霊を用いた『感覚同調』の更に発展型。
だが、それすらも推測に過ぎない。
本当はもっと別な、常人が知り得ない魔法なのではないのだろうか。この通信手段を見る度にそんな思いが脳裏を掠める。
電子的情報ネットワークを介した情報のやり取りは、利便性と即応性に長ける分、リスクも大きい。
例えばこの国にいる『
その為、こういったラグナレックの重要度の高い情報は、あの少女が作ったであろう魔法的で、ラグナレック本隊以外の誰も知り得ない伝達手段でやり取りを行う。
(おそらくこの術式を編み出したのは、ハウエル総隊長の傍らにいるあの少女)
マイヤ・パレオロギナ。
本隊所属かつ幹部、つまりラグナレックの上層部となってから漸くその存在を知り、顔を見ることのできるバートン・ハウエルの右腕。ラグナレックの最高機密。
外見は腰まで伸ばしたアッシュブロンドの長い髪に黒い瞳。
見た目は十代半ばを思わせる少女だが、その身に纏う雰囲気も、何より彼女が持つ既存の魔法を大きく覆す魔法の数々を実際に垣間見た限り、とてもじゃないが十代とは到底思えない。
例えるならば、表裏を知り尽くした女王、或いは何代も生き続ける魔女――。
(いや……)
そこで呉智は首を横に振り、逸れた思考を正す。
少女の正体など自分にはどうでもいいことではないか。
必要なのは、ラグナレックのメンバーとして行動すること。
それが、自分の復讐を成し遂げるための最短にして最大の前進であると信じて。
呉智が符札に手を添えると、符札は受信機としての機能を失い、ただの紙に戻る。
今回の依頼主は大亜細亜連合。任務内容は不明だが、おそらくこの国相手の任務になるだろう。となれば――。
「この国には、もういられなくなるな」
ラグナレックに所属しているも、今までは日本と直接敵対関係には至っていないからこそ、水無瀬家は未だ日本で生活することを許されている。
尤も、今もこの屋敷の外にいるように密かに監視が付けられていたが、それも今回までだろう。
今度からは監視ではなく、敵となる。
(あの兄妹とも敵同士になる、か)
ふと脳裏に浮かんだのは、三年前に出会った、強力無比な魔法を使う少年少女。
ラグナレックの、まるでこの世界にわからないことなど無いのではないかと思わせるような情報網によると、「あの」家の関係者である二人。
――あの時、一瞬だけ妹と姿が重なったため、命を助けた少女。
それでも――。
呉智はゆっくりと立ち上がると、無言のまま踵を返して奥間から出て行く。
まずは監視を振り切ってから横浜へ向かう。
妹が消えたあの時以来、この屋敷には何も残していない。踏み込まれたところで問題などありはしない。
それでも、水無瀬呉智は――。
そして、水無瀬呉智はいとも容易く監視の目を振り切って行方を晦まし。
先祖代々続くこの水無瀬家の本家に帰ってくることは二度と無かった。
妹を消し去った、妹の存在を許さなかったこの世界を、許すつもりは無かった――。
《オリジナルキャラ》
・バートン・ハウエル
・マイヤ・パレオロギナ
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