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私は反原発の急先鋒といっても過言ではないが、福島原発事故による福島の放射能汚染被害を描いた、自称ドキュメンタリーと称している映画「A2-B-C」の上映委員会が、突如、解散することになり、やれ検閲だの、甲状腺問題はタブーなのか、といった声が出ているが、私から見ればこのクソ映画はドキュメンタリーでも何でもなく、反原発派の私でさえ、目を覆いたくなるような恥ずかしい映画で、むしろこんなクソみたいな映画を作っちゃうから、原発推進派や原発容認派に反原発がバカにされ、どんどん原発再稼働が推進される結果になっていると思う。

そのような意味で、反原発派の私としても、このようなただ恐怖を煽るだけで、事実が少ない中身のない映画が、上映中止になった方が反原発を進める上でプラスだと思う。

先日たまたま見たけど、まあひどい。こんなんで「ドキュメンタリー映画」なんて言わないでほしい。何がひどいかって、らしい、らしい、らしい。根拠もなく、裏取りもなく、データもなく、ただただ「らしい」ばかりを集めた小学生レベルの動画なのだ。

福島県の人は生命保険に入れない「らしい」。福島県の若い人に中絶が増えている「らしい」。福島県の子どもに発疹が出ている人が多い「らしい」。

らしいをいくら集めても何の説得力もない。「らしい」が事実なのか確かめるのがドキュメンタリー映画じゃないのか。らしいを集めて不安を煽ってセンセーショナルに反原発と叫ぶなんて、安全でも何でもないのに安全だと豪語して、無理やり原発再稼働をする原発推進派のクソと何ら変わりない。

原発事故のせいで鼻血が増えている話も出てくるが、ほんとなのか定かではない。調べた形跡もない。私には原発事故による鼻血の人が増えているのかどうかはわからない。でも「鼻血が多い」といった発言をさせて映像に残すなら、それを調べるのがドキュメンタリーではないのか。

私はドキュメンタリー映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」の監督をしたが、そこに登場する徳島や和歌山で原発で反対した人が、「福島では今後、甲状腺がんが増えるに違いない」といった発言はほぼ全部ボツにしている。なぜなら何の根拠もないからだ。

例えば医者が科学的データをもとにそういうならカットはしない。実際に福島に行って数が多いと調べてきた人がいうならカットはしない。でもただ一般人が反原発だからといって、何の根拠もなく「らしい」と発言したものは、ほぼ99%、ドキュメンタリー映画にふさわしくない、というかその発言に何の価値もない。そんなことより、この人は何をしたのか、直接体験を語ってもらった方が100倍価値があり、100倍説得力がある。

「A2-B-C」で最もひどいシーンだったのは、撮影許可をとっていない学校で、教頭とやり合うシーンを映画に組み込んでいることだ。私あれみて、この映画ダメだと思った。監督が自分の価値観で自分の勝手な正義を振りかざし、そのためなら他者を傷つけても構わないといった横暴さを感じた。

私は映画や取材をする上で、すべて撮影許可を取れなんてまったく思わない。まして権力相手の映画なら、撮影許可をすべて取っていたら、「真実」に迫れない可能性もある。

でもだからといって「俺は正義だ」「俺は福島のためにがんばってるんだ」というのを見せつけるかのように、教頭に食ってかかるシーンをあえてカットせずに使うのはどうかと思う。まして教頭は「学校には学校の事情がある」といっているが当然だと思う。もし勝手に学校を撮影されて、映りたくない子どもたちを映したら、それこそ人権侵害だ。

数分だけこの映画に見るべき価値のある映像はある。小さな子どもたちが放射線量を測るために、バッチをつけさせられている異様な実態が普通に行われていることや、「こっちは線量が高いからダメなの!」とかいいながら、そのそばで遊ぶ子どもたちの姿は、映像だからこそ説得力のある、いかに原発事故による被害が大きいかことや、一度起きてしまった事故の後始末は大変であることを、雄弁に物語っている。そういうシーンは素晴らしいと思うが、そういうのが数分しかなく、後はただただ「らしい」のオンパレード。

またこの映画を見てうんざりするのは、何度も何度もガイガーカウンターで数値を測るシーンが出てくること。いやそんなに何度も出さなくても、線量が高いところがあるのはわかるし、除染に意味がないこともわかるから。なぜあんなに執拗にガイガーカウンターで測るシーンを出すのだろうか。私には意味がわからない。

ただ思うのはこの映画に登場する、何度もガイガーカウンターを測る女性や、ヒステリックに放射能被害を叫ぶ女性がいるんだけど、そんなに気になるのなら福島から移住すればいいのにと思ってしまう。いや、そんなことできないから困っているのだ、というのかもしれないけれど、「子どものために」とかいいながら、そんなに気にするなら、本気で子どものためにと思っているのなら移住すればいいじゃん。なぜそれをしないで映画に出て、ただヒステリックに叫んでいるだけなのか。申し訳ないけど本末転倒な感じがして、私はむしろこうしたシーンを何度も繰り返すのは、この映画の監督は実は反原発なのではなく、原発推進派で、反原発派のヒステリックなバカさ加減を、わざとこの世に知らしめるために描いたのではないかとすら思った。

私は反原発派。原発なんて経済合理性もなく、事故が起きれば被害も大きく、ましてゴミ問題すら解決できない状況で、原発再稼働するなんてアホにもほどがあると思っている。でもだからといって、この「A2-B-C」のように、らしい情報で恐怖や不安を煽るやり方は、反原発運動に何の役にも立たないどころか、反原発派の知能のなさぶりを世に広める、原発推進映画とすら思ってしまう。

こんなカルト教団並みのおかしな情報で組み合わされた映画が、世の中に放映されるなんて、見るに耐えないと思っていたが、何の理由かは知らないけれど、上映中止になるのは当然だと思う。

私は原発に断固反対しているが、原発推進派の詐欺と同じようなやり方で、根拠もなく不安や恐怖を煽る「A2-B-C」のような手法は、仮に同じ反原発派だっだとしても即刻やめてもらいたいと思う。

真剣に日本の未来を考えているなら、事実に基づいた映画を作ってほしいと願う。

ただ、私は映画「シロウオ」の上映会の監督トークでも話をしているけど、原発というのは美味しんぼの鼻血騒ぎとか、この「A2-B-C」の映画みたいに、根拠もないのに不安や恐怖を煽って、「風評被害」が起きることもまた、原発がもたらす、紛れもない実害なのだ。それも含めて原発によるマイナス面は甚大。こんなクソみたいな映画ができてしまうのもまた、原発という得体のしれないコントロールできない代物の、副産物なのだと私は思う。

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