オーバーロード ―さまよう死霊― 作:スペシャルティアイス
<< 前の話 次の話 >>
表層近くに出て、テレポート対策ということでアインズは己の指に嵌めていた指輪を下僕へ預ける。そうしてから改めて王都への《転移門》を開く。
抜けた先にはアインズへと跪く執事・悪魔・蟲王・メイドがいた。
「出迎えご苦労。立て」
主人が椅子へ座してから四人が立ち上がる。側仕えのような位置に立つトライあんぐるは自分へ向けられる視線に居心地悪さを感じた。
そんな死霊とは対象的に、アインズは機嫌よさげに下僕達を見回す。その場には先程までいたメイド姿の人間、ツアレの姿はなかった。
憔悴した彼女を別室に移動させたのだろう。
「これでセバスへの疑心も晴れたというもの。私を心配してのことと理解しているが、この程度でこのような作業をしていては疲れよう。……さて、ツアレという女への処分だが」
セバスの肩が僅かに揺れる。表情に変化がないものの、この場にいるナザリックの者はその動きだけでセバスの内心を推し量られた。
「問題点はその女から我々の情報が漏れる、ということだったか。私としては記憶を奪い適当な、そうだな……カルネ村などで保護することを考えている」
「お言葉ですがアインズ様。その人間が生きている限り発生するリスクを鑑みて、殺してしまうほうがよろしいのではないでしょうか?」
そのデミウルゴスの言葉にソリュシャンは頷き、コキュートスは静観する。一方のセバスは動揺を表に出さないものの、主の決定が“処分”に傾く怖れを抱く。
某かの発言をと口を開くのとアインズが言葉を発しようとしたのはほぼ同時だった。しかしそれよりも一拍早く声が聞こえた。
「まずはその女を直接見てからでもよくないですかね?もしかしたら思わぬ発見、例えば利用というか生かしたほうがいいことがあるかもしれないし」
沈黙していたトライあんぐるの言葉に室内の視線が集まった。
ツアレを生存させる立場のセバスとしては、思わぬ場所からの援護に驚きが生まれる。
「ふむ。その利用法、ということなら私の“飼育場”の作業員として使いたいね。フル稼働中のあそこはいつでも人手不足なもので」
「飼育場?デミウルゴスさんって牧場の経営でもしてんですか?」
「ええ。しかし初めての挑戦なもので四苦八苦しながらのものだがね」
そう言ってデミウルゴスは微笑んだ。
トライあんぐるの脳内に、麦わら帽子とオーバーオールに身を包んだデミウルゴスが飼葉を牛豚にせっせと与える映像が浮かぶ。
額の汗をすくい笑みを浮かべ、育てた家畜に慈しみの視線を向ける悪魔。
「(めっちゃ楽しそうにしてるビジョンが浮かぶな)」
「デミウルゴスには巻物作成のための羊皮紙の確保、たしか混合魔獣のものだったか。組織の運営も併せてのその働きはナザリック随一のものだ」
「ありがとうございますアインズ様!不肖デミウルゴス、これまで以上の結果をご覧にいれてみせます」
「牧畜と事務仕事の二足のわらじねえ、現実だったら考えられねえな。あぁ、こんな身体になる前に養殖物のお肉食ってみたかっ――うん?」
まずい固形食糧の味を思い出していたトライあんぐるだったが思わず言葉を切ってしまう。
それは何やら思い詰めた表情でアインズとデミウルゴスの会話の会話を聞くセバスのせいだった。
「……アインズ様」
「どうしたセバス?」
若干の言い淀みを振り切るようにセバスは顔を上げる。そしてアインズを見据えたまま言い放った。
「よろしければ、ツアレをナザリックにて働かせたいと考えております」
その言葉に場が静まりかえる。一拍置いて、平坦な声音でアインズが尋ねた。
「提案するからには、その利点も挙げられるのだろうな?」
「……はい。一つ目にこの世界の人間の成長性の実験が行えます。彼女は料理を作れますが、ナザリックの料理長に師事させることで生産職としての訓練を兼ねた実験が行なえます。
二つ目に、現状のナザリックに料理を行えるものは少なく、もしも料理長と副料理長になにかあれば労働力であるホムンクルスのメイド達の食料確保の低下、それに伴うナザリックの環境保護に著しい悪影響が生じます。そのような事態は家令として看過できません。そのため容易に確保できる現地人を労働力として使えるよう、試験的にツアレを働かせたいと考えております」
「厨房からそのような問題は上がっていないはずだが?その懸念は最もだけれど、現状維持に努めながら改善策を講じるのはどうかな?」
「その歯切れの悪い言い方、貴方らしくもありませんねデミウルゴス。そもそも忠誠厚い調理長らがそのような弱音を上げるはずがありません。ならば先手をうって対処を講じるのがよろしいのでは」
「……私らしくない、か。あたかも私のことをよく知っている風な口ぶりだがねセバス、私の記憶の中にそのような事実は家畜の毛一本もないのだが」
「曲解しないでいただきたいのですが―――」
口論は続き、苛立ち混じりのデミウルゴスへセバスも徐々に怒気を発していく。
「(うひょぉ、ガチ喧嘩こええ。てかツアレとかいうの呼ばんのかよ。はよ見たいんだが、こっそり見に行くか)」
《霊体化》を使い姿を消し、密かに部屋を出ようとトライあんぐるはドアに近づく、がソリュシャンを横切ろうとして彼女に声をかけられた。
「どこにいかれるのですか?」
「おぅっ!?なんでバレた?!」
「索敵は私の領分です。それでどちらに?」
いままで《霊体化》で事足りていたので同じように行動したのは失敗だった。なにせここには自らに肉薄するNPCがいるのだから。
「えーと、ちょっとお花を摘みに?」
「その冗談、おもしろくありませんわ。どこから突っ込めばよろしいのでしょうか」
真面目な顔のソリュシャンへと、話をずらそうとトライあんぐるは無いはずの脳味噌を働かせる。
「と、ところで、このセバスさんとデミさんのツアレちゃんを巡る三角関係どう進展するのかね?まさしくトライあんぐるハート、なんつって☆」
「……ずいぶんと軽い口ですね。少し貴方への認識を改める必要がありそうですわ」
「なになに?惚れちゃう?惚れちゃう?」
その軽口にソリュシャンの肌の色がショゴスのものとなる。アインズの前でのその態度に、彼女の苛立ちが高まっていることを表していた。
「イイ加減ニシロオ前達!アインズ様ノ御前ダゾ!!」
「……ッ!?申し訳ございませんアインズ様!」
「御前での無様な姿、大変失礼したしました!」
「ご無礼、伏してお詫びいたしますっ!」
「す、すいまえんでした……」
コキュートスの叱責にボルテージを高め合っていた執事と悪魔、肌色に戻ったソリュシャンは主人へ即座に跪いた。
一方の悪乗りしていた死霊は宙に浮かびながら土下座していた。ジャンピングならぬフライング土下座である。
「……っあははっ!あっはっはっはは!!」
それに対してのアインズの反応は何故かの爆笑、それも堪えきれないというふうに腹を抑えながらだった。
初めて見る主人の姿にセバスとデミウルゴス、ソリュシャンは呆然とそれを眺めてしまう。
「いい!いいぞみんな!まるであの時みたいだ!あっはっはは………抑制されたか、まあいい」
瞬時に落ち着くも、まだいまだアインズの機嫌はよいものだった。
「ア、 アインズ様……?」
「よいよい。許す、許すぞお前たち」
「(セバスとデミウルゴスの喧嘩っぷり、たっちさんとウルベルトさんそっくりじゃないか!あの二人はいっつもこんな感じに、いいやもっとひどいくらいだったな。それに)」
アインズは目線の先を悪魔と執事からメイドと死霊へ変える。
「(軽口にムキになるソリュシャンとおちょくるようなトライあんぐるさんの掛け合い、ホワイトブリムさんとるし☆ふぁー思い出しちゃったよ。ああいう冗談も言えるんだな、この人)」
ひとしきり思い出を回顧したアインズは顔を上げる。先程までの空気はなりを潜めていた。
「二人の主張はわかった。さて、そろそろそのツアレとやらを連れてくるといい」
「……かしこまりました」
アインズの催促にセバスは部屋をすぐに出ていき、話中の女性を連れて戻ってきた。
その姿を見てとり、アインズは僅かに身じろぎしつつもツアレをじっと見つめる。
その視線に晒された彼女の心に怯えが生まれる、がそれを態度に出してしまわぬよう堪えようとした。これ以上セバスに迷惑をかけたくないがために。
「……やはりか。ツアレよ、お前のフルネームを述べよ。偽りを口にする、私の望む答えではない。そのいずれの結果であればそこで話は終わりだが、な」
その言葉にセバスに付き添われたメイドは身震いする。
嘘など言えるはずもない、このような怖ろしい存在を目の前にして。かといって望む返答でなくても怖ろしい結果が待っているというではないか。
これは自分を生かして帰すつもりはないということではないのか?疑心暗鬼と恐怖、不安に押し潰されそうになるツアレを、セバスは祈るような心持ちで見つめる。
「ツ、ツアレ、ニーニャ。ツアレニーニャ・ベイロンです……」
「ベイロン……ふむ、なるほどな。ではツアレ」
か細いその声音はどこか宣誓にも似ていたが、その後に続いたアインズの声にかき消されたかのようだった。
「お前の望みを述べよ。可能な限り叶えてやろう」
その言葉にナザリックの下僕達に衝撃が走る。至高の存在が、比ぶるべくもない木っ端の如き人間の女にここまでの温情をかけることが信じられなかったのだ。
それはセバスとて例外ではなく、見開いた目は彼らしからぬ面貌と評せるものであった。
その問いかけを受けたメイドは気弱げに、しかしアインズの眼光から目を逸らさずに答える。
「セバス様と、一緒に……一緒に暮らしたいです」
「ほう。他にはないのか?莫大な財貨を得ることや、復讐のための強大な力を与えてもいいのだぞ?」
「い、いりません。私、セバス様と、セバス様と一緒にいられるだけで、いいんです。他には何も、いらないッ……!」
床へ落ちた雫が染みを作り、そして二重三重と広がっていく。溢れる涙をそのままに、赤い目でツアレは言い切った。
「(……彼女は肉体的には強くない。それこそナザリックのレベル1のメイドにも敵わないだろうな。しかしこんな、エネルギーというか輝きを発することがたまらなく眩しく尊く感じる。あのカルネ村の戦士長のように)」
アインズの禍々しい双眸の光がどこか優しくまたたいた。
「お前の気持ちはよくわかったぞツアレ。では客人として遇されることを望むか?」
「い、いいえ。セバス様と、働きたいです」
「よかろう。―――聞け、我がシモベらよ。アインズ・ウール・ゴウンの名において、これよりツアレニーニャ・ベイロンを保護の対象とする。以上のことを、ナザリック地下大墳墓の全ての者へ伝えよ。共に働く者と―――」
そこまでアインズが喋りかけたたところへ、監視役のモンスターから《伝言》が届く。
『ご無礼をいたしますアインズ様!緊急にお伝えすることが発生いたしました』
『なにがあった八肢刀の暗殺蟲よ』
『重要監視者である人間、個体名サキュロントとヘーウィッシュがこちらへと向かっています』
『……なんだと』
アインズの赫眼が細まる。どう考えても愉快な状況が巡ってきたと思えぬ報告と、己の重き宣言を中断させられたことにアインズの機嫌が直下へと落ちていく。
主人の様子が変わったことに下僕は顔を引き締め、ツアレは豹変した空気に顔を青くする。
「件の対象者であるヘーウィッシュとサキュロントとやらがここへ向かっている……」
「ヒッ」
首を絞められたかのようなか細い悲鳴が漏れ、気絶したツアレの身体をセバスが支えた。そして部屋の端のソファに寝かせる。
そしてデミウルゴスは胸に手を当て主人からの
「いかがいたしましょうかアインズ様」
「……奴らが世間話でもしにきたなら実験材料にでもしてしまえ。まあ、どうせツアレを返せと強請るに決まっているがな。くくっ、あたかも私の言葉を途切らせるために待っていたかのようだな」
アインズから絶望をもたらすオーラが噴き上がる。己の誇りを傷つけんとする者らへの怒りがためだ。
「たった今、アインズ・ウール・ゴウンの名を出しての宣約を、奴らは!そんなにも踏みにじりたいのか!
主の憤怒が部屋を昏くさせる。その重圧に従僕たちは押しつぶされる錯覚を覚え冷や汗を止めることができない。ツアレの盾となるように立つセバスは特に影響を受け、瞳孔を揺らし息を荒くさせる。
「デミウルゴス、ソリュシャン、奴らを歓迎してやれ。人生最後を飾る悦びに狂い哭くほどにな」
「承りましたアインズ様」
「仰せのままに」
「セバス、《転移門》を開く。ツアレと共にナザリックへ。ペストーニャに手当させろ」
セバスは頭を下げ了解の意を示す。
「(……情報の多寡によっては根絶やしにするべきだな。みんなの名前を馬鹿にしたんだから、当然だ。よりにもよってこんなタイミングで来ることないだろクソ共が。
しかし情報もなしに殺すのは愚策すぎる。なにより突っ込む拠点や人数、規模、そして勝利条件もはっきりしてないのに。
デミウルゴスやセバスの報告では王国の犯罪組織だったか。マフィア、というやつだよな。まずは飛んで火にいるみたいなその二匹から情報を得て……)」
そこで思い出す。容易に、相手に気取られずに潜入できる人材のことを。同じプレイヤーであるため思考が中立に位置し、ナザリック寄りの思考にはない柔軟な情報の取捨選択ができるという利点もある。
アインズが死霊へ目を向けると、死霊はある人物からを微塵も目をそらさずに見つめている。アインズの開けた《転移門》へ向かうセバスに抱えられた女性へ。穴が空くように、目を皿のようにじぃっと、じぃっと見つめていた。
『?トライあんぐるさん、ちょっとお願いしたいことが』
『……んぁっ!?えっえっ?アインズさ―――様?』
『いや《念話》の中でまで様づけいいですから。ツアレを見ていたようですが、何か気になることでも?』
その一言に死霊はアインズへ顔を向け、そしてうつむいた。
『あ、あのアインズさん。彼女から、何かこう……感じるものはありましたか?なんというか感情が動かされたというか、その』
『は?えっと……そうですね。人間の心の強さ、っていうんですか、セバスといたいためだけにああも啖呵をきれることに感心しました。そういう一瞬に掛ける思いの強さは凄いというか、なんというか』
そのどこか憧憬をにじませたアインズの《念話》に、トライあんぐるの身体から力が抜け、次いで精神の安定化が働いた。
『……そう、ですか。答えてくれてありがとうございます、アインズさん。それで、何か私に御用がお有りで?』
『そうでした!実はトライあんぐるさんにはこれから―――』
その《念話》に耳を傾けながら、トライあんぐるは別のことにも思考を回す。
彼は自分が感じたある感情がアンデッドになった影響かと考え同族であるアインズへ尋ねたのだ。しかしその答えは期待していたものでなかった。
彼はアインズの語ったものなぞ微塵も感じなかった。むしろその“逆”、似た趣向としては赤髪のプレアデスのものが近いだろうか。
部屋に入ってきた時のツアレの恐怖、そしてアインズへ発した言葉へ込めた希望。そして、追手が迫る事実を知らされ、奈落の底へ落ちていくが如き絶望。
“もっとその顔を恐怖させ、絶望と後悔のなか朽ちていくのを見たい”
そんな残酷な気持ちを抱いたことに、自分の中身が自分でないものに置き換わったような錯覚、なによりもそうであることを受けいれている自分がいることに、トライあんぐるは得体の知れない不安を感じていた。
原作をなぞるようで心苦しい
次回以降は王国サイドでお送りしたいです