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ベネズエラの自殺
―― 南米の優等生から破綻国家への道

モイセス・ナイーム カーネギー国際平和財団特別フェロー
フランシスコ・トロ グループ・オブ・フィフティ 最高コンテンツ責任者

Venezuela’s Suicide
Lessons From a Failed State

Moises Naim ベネズエラの貿易産業大臣、フォーリンポリシー誌の編集長などを経て、現在はカーネギー国際平和財団特別フェロー。スペイン紙エル・パイス主任国際コラムニスト、アトランティック誌コントリビューティングエディターも務めている。
Francisco Toro グループ・オブ・フィフティ最高コンテンツ責任者、カラカス・クロニクルズ(ブログニュースサイト)創設者、ワシントンポスト紙グローバルオピニオン・コラムニスト

2018年12月号掲載論文

インフレ率が年100万%に達し、人口の61%が極端に貧困な生活を強いられている。市民の89%が家族に十分な食べ物を与えるお金がない。しかも、人口の約10%(260万人)はすでに近隣諸国に脱出している。かつてこの国は中南米の優等生だった。報道の自由と開放的な政治体制が保障され、選挙では対立する政党が激しく競い合い、定期的に平和的な政権交代が起きた。多くの多国籍企業が中南米本社を置き、南米で最高のインフラをもっていたこの国が、なぜかくも転落してしまったのか。元凶はチャビスモ(チャベス主義)だ。キューバに心酔するチャベスと後任のマドゥロによって、ベネズエラは、まるでキューバに占領されたかのような大きな影響を受けた。でたらめで破壊的な政策、エスカレートする権威主義、そして泥棒政治が重なり合い、破滅的な状況が生み出された。・・・

  • 国家の転落
  • チャベス主義の悪夢
  • そしてマドゥロへ
  • 崩壊への道
  • 打つ手なし?
  • 民衆に力を

<国家の転落>

中南米にある二つの国を思い浮かべてほしい。一つは、この地域有数の長い歴史をもつ、力強い民主国家だ。社会のセーフティネットは近隣諸国のなかでももっとも充実している。すべての市民に無償で医療と高等教育を提供するという公約も着々と実現に向かっている。社会的流動性が高く、中南米諸国とヨーロッパから磁石のように移民を引き寄せている。報道の自由が保障され、政治体制も開放的だ。選挙では対立する政党が激しく競い合い、平和的な政権交代が定期的に起きる。一部の中南米諸国では、軍事政権が独裁体制の泥沼に国をひきずり込んでいるが、この国はそうした流れをうまく回避してきた。

アメリカと長きにわたる政治的同盟関係にあり、貿易と投資面でも深い関係を築いてきた。このために、多くの多国籍企業がこの国に中南米本社を置いている。インフラも南米では最高レベルだ。汚職、不正、制度の機能不全のレベルからみて、依然として途上国なのは事実だが、ほぼあらゆる尺度でみて、他の貧困国よりもはるかに先を行っている。

もう一つの国は中南米でも最貧国の一つで、もっとも新しい独裁国家だ。学校は人影もまばらで、医療制度は、数十年に及ぶ投資不足や政治腐敗、そして関心が寄せられなかったために荒廃している。マラリアや麻疹など、人類がはるか昔に克服したはずの疾患が流行している。十分な食事をとれているのは一握りのエリートだけだ。社会暴力が蔓延し、殺人事件の多さは世界でも有数だ。

すでに1世代にわたって、中南米最大規模の難民がこの国から生まれ、この数年だけで100万人が国を後にしている。選挙は不正まみれで、その結果を認める国は(他の専制国家以外)ほとんどない。非政府系の少数の報道機関も政府の報復を恐れて国の発表をなぞるような報道しかしない。経済生産の規模も、2018年末には5年前の半分程度になっていると推定される。しかも、コカイン密輸ルートの中核拠点と化し、政界の黒幕が麻薬密輸容疑で、アメリカで起訴されている。物価は25日ごとに2倍に上昇し、主要空港にもほとんど人影はない。なんとか持ち堪えている一握りの航空会社が、わずかな乗客を国の内外に運んでいるだけだ。

この二つの国は、実際には、同じ国、ベネズエラだ。但し、時代が違う。一方は1970年代初めの、もう一方は現在のベネズエラだ。この国の変貌はそれほど劇的で完全かつ全面的で、戦争も経ずにこうなったとは信じ難い状況にある。ベネズエラに何が起きたのか。なぜこんなにもおかしくなってしまったのか。

端的な答えは、チャビスモ(チャベス主義)のせいだ。ウゴ・チャベス前大統領と後任のニコラス・マドゥロ大統領の指導下で、ベネズエラは、まるでキューバに占領されたかのような影響を受けた。でたらめで破壊的な政策、エスカレートする権威主義、そして泥棒政治が重なり合い、悪影響がさらに増幅される事態を経験してきた。

こうした特徴の一つだけでも、巨大な問題を生み出す。しかし、これらのすべてが重なり合ったために、破滅的な状況が引きおこされた。現在のベネズエラは貧困国であり、外国に指針を求める独裁者が動かす破綻した犯罪国家だ。

この状況を覆すためにとれる選択肢は、ごくわずかしか残されてない。現在のリスクは、ベネズエラの人々が絶望のあまり危険な措置、例えば、アメリカ主導の軍事介入を求めようと考え始めることだ。

 

<チャベス主義の悪夢> 

多くの専門家にとって、ベネズエラの窮状を説明するのは簡単だ。社会主義に心酔するチャベスは(大統領として1999―2013年まで)社会主義政策を推進した。その後の悲惨な状況はすべてこの「原罪」に起因すると考えることもできる。しかし過去20年間、アルゼンチン、ブラジル、チリ、エクアドル、ニカラグア、そしてウルグアイの有権者も社会主義政権を選び、その結果、政治的にも経済的にも苦しんだが、ニカラグア以外の国は内部から崩壊することはなかったし、豊かになった国もある。

ベネズエラを凋落させた原因が社会主義でないとすれば、石油が「犯人」かもしれない。というのも、ベネズエラ危機のもっとも悲惨な局面は、2014年に始まった国際的な原油価格の急落とぴったりと一致するからだ。

しかしこの説明も十分ではない。ベネズエラの衰退が始まったのは、4年前ではなく40年前だからだ。2003年までには、ベネズエラの労働者1人当たりの国内総生産(GDP)は、1978年のピーク時と比べ37%落ち込んでいた。こうした経済の悪化が、チャベスの大統領選挙での勝利につながった。しかも、世界のあらゆる産油国は、2014年の原油価格の暴落によって大幅な歳入減に陥ったが、その圧力に耐えられなかったのはベネズエラだけだ。

ベネズエラが破綻した原因は、もっと深いところにある。数十年にわたる経済的衰退のなかで権力を握ったチャベスは、キューバの独裁体制をモデルにした政治腐敗まみれの権威主義体制を築いた。チャベスはカリスマがあると同時に、時代遅れのイデオロギーをもつデマゴーグで、キューバの独裁制に多くを負っていた。ベネズエラの危機は、チャベスが権力の座につく前から始まっていたが、チャベスの遺産とキューバの影響は、ベネズエラの危機を説明するあらゆる試みの中心に位置づけられるべきだろう。

チャベスは1954年に、地方の中間層下流の家庭に生まれた。野球の奨学金で職業軍人になると、民主体制の転覆を10年以上画策していた小さな極左運動にすぐに加わった。1992年2月4日、チャベスはクーデター未遂事件を起こし、民衆に強烈な印象を与えた。

投獄されたものの、クーデターを試みたチャベスは、10年に及んでいた経済停滞に対する民衆の不満を具現する国民的英雄に祭り上げられた。恩赦で釈放された彼は、1998年にアウトサイダーとして大統領選挙に出馬して地滑り的な勝利を収め、過去40年間ベネズエラの民主主義を支えてきた二大政党制を覆した。

チャベスを権力の座に送り込んだポピュリストの怒りは何が原因だったのか。一言でいえば、それは失望だった。1970年代までの50年間、ベネズエラが経験した輝かしい経済成長は失速し、中間層につながる道は細くなり始めていた。

エコノミストのリカルド・ハウスマンとフランシスコ・ロドリゲスは(上昇気流に乗ったこの国を)次のように描写している。「1970年までに、ベネズエラは中南米でもっとも豊かな国になり、世界で20番目の富裕国になった。1人当たりのGDPは、スペイン、ギリシャ、イスラエルよりも高く、イギリスを13%下回るに過ぎなかった」

しかし、1980年代初頭までに原油価格が低下し、急成長の時代に終止符が打たれた。石油からの歳入の減少は、公共投資や社会保障措置の削減、通貨切り下げ、物価上昇、金融危機、失業増を招き入れ、貧困層の生活をさらに追い込んだ。それでも当初の成長が見事だったために、チャベスが大統領に初めて選ばれた当時も、1人当たりの所得は、中南米諸国ではアルゼンチンに次ぐ2位のレベルにあった。

チャベスの台頭を説明するもう一つの理由として、「政治腐敗の蔓延が引きおこした経済格差に対する有権者の反動」が指摘されてきた。しかし、チャベスが権力を握ったとき、ベネズエラの所得格差は近隣諸国のなかでもっとも小さかった。もし格差が選挙の結果を左右したとすれば、富裕層とそれ以外の人々の格差がはるかに大きかったブラジル、チリ、コロンビアでチャベスのような候補が登場していたはずだ。

チャベスが大統領に就任した1998年当時のベネズエラ経済は崩壊途上にはなかったかもしれないが、停滞し、後退しつつあった。原油価格が1バレル11ドルまで落ち込み、新たに緊縮財政措置が導入されていた。チャベスは、こうした環境ゆえに高まっていた社会不満を掘り起こすのが非常にうまかった。

格差、社会的隔絶、貧困、政治腐敗、そして既得権益にまみれた政治エリートを雄弁に非難するチャベスの演説は、日々の生活にもがき、豊かだった時代にノスタルジーを感じていた有権者の心を捉えた。チャベスに反発した、無能で現状に無関心な政治・ビジネスエリートが、チャベス並の支持を得ることは決してなかった。

民衆はチャベスに賭けた。しかし彼らが手に入れたのは、現状を覆すことに燃えるたんなるアウトサイダーではなかった。世界中に信奉者を得ることになる中南米における極左の寵児だった。

チャベスは国際的な首脳会議の破壊者そしてスターとなり、ジョージ・W・ブッシュ米大統領のイラク侵攻で火がついた反米主義の世界的リーダーになった。内政面では、職業軍人だったせいか、権力を中央に集中させて反対意見を認めなかった。野党政治家だけでなく、自分の政策を疑問視する与党の政治家も追放した。側近たちはすぐに、チャベスの機嫌をとるようになった。こうして、政策論争はなくなり、事前の検討や現実的な精査をほとんどせずに過激な政策がとられるようになった。

チャベスが一切の相談も議論もなく発した2001年の土地改革に関する大統領令は、それから起きることを予兆していた。彼は大統領令で大規模農場を接収し、技術的ノウハウも運営能力も大規模生産に必要な資本もない小作人協同組合に農地を分配した。当然、食料生産は破綻した。

チャベス政権は他の産業部門でも、同じように自滅的な政策を次々と実行した。石油合弁事業の外国資本持ち分を補償もなく接収し、専門的技術も経験もない取り巻きにこれを委ねた。ユーティリティ(水道・ガス・電気)産業と主要な通信産業も国有化したため、ベネズエラは慢性的な水と電力不足に陥り、世界でもっともインターネット接続が遅い国の一つになった。さらに鉄鋼メーカーを接収して国有化したことで、2008年に毎月48万トンあった鉄鋼生産量は、現在は事実上ゼロになっている。アルミニウム、鉱業、ホテルや航空会社の国有化も同じような結果をもたらした。

さまざまな企業が次々に接収されると、国の役人が資産を奪い取り、給料をうけとる企業の職員もチャベスの関係者ばかりになった。当然ながら資金問題に直面すると、彼らは政府に泣きつき、救済してもらった。2004年までに原油価格が上昇に転じ、国庫が石油収入で潤うと、チャベスはそれを制約も管理も説明もなくばらまいた。

そこに中国から好条件の融資話が舞い込んできた。中国は、原油の供給保証と引き換えに、ベネズエラに融資の提供をオファーしてきた。チャベスは、空洞化したベネズエラ経済が生産できないものは何でも輸入し、借金によって消費ブームを支えることで、その壊滅的な政策から一時的に市民を守り、かなりの人気を維持し続けた。

しかし誰もが納得していたわけではなかった。チャベスの権威主義的なやり方に最初に警鐘を鳴らしたのは、石油産業の労働者たちだった。彼らは2002年と2003年にストライキを実施し、新たな大統領選挙の実施を求めた。するとチャベスは、国営石油公社の労働者のほぼ半分をクビにし、複雑な為替管理制度を導入した。やがてその制度は政治腐敗の温床と化した。チャベス政権の取り巻きたちが、公定レートと闇レートの鞘取引をすれば、一夜にして大儲けできることに気がついたからだ。これによって、政府とコネがある泥棒政治家を中心とする、巨万の富をもつエリート層が誕生した。この泥棒政治によって、石油収入の一部をかすめ取って私腹を肥やす手法が完成される一方で、国内の商店は空っぽになり始めた。

こうしたことはすべて完全に予測できたことだし、実際に広く予測されていた。だが、内外の専門家の警告の声が大きくなるほど、政府はこのやり方にこだわった。チャベスにとって、テクノクラートが発する悲惨な警告は、革命が正しい方向に進んでいる証拠だった。

 

<そしてマドゥロへ>

2011年、チャベスは癌と診断された。ブラジルとアメリカの一流の癌専門医が治療を申し出たが、チャベスはキューバでの治療を選んだ。癌の治療だけでなく、「自分の病状を口外しない」と信頼できる国だったからだ。癌が進行するにつれて、チャベスのハバナへの依存は高まる一方で、病状をめぐる謎は深まった。2012年12月8日、衰えたチャベスは最後のテレビ出演をし、当時副大統領だったマドゥロを自分の後継者にするようにと呼びかけた。

それから3カ月間、ベネズエラは幽霊のような存在に遠隔統治された。チャベスの署名が入った大統領令がハバナから送られてくるが、彼の姿をみた者はなく、「すでに彼は死んでいるのではないか」という噂が広がった。2013年3月5日、ついにチャベスの死が発表された。秘密と隠蔽が辺りを支配するなかで、唯一はっきりしていたのは、ベネズエラの次のリーダーも「キューバの影響という伝統」を引き継ぐことだった。

長くキューバをベネズエラ革命の青写真にしたいと考えてきたチャベスは、重要な岐路に直面する度に、キューバのフィデル・カストロ国民評議会議長の助言を求めた。その見返りに、ベネズエラはキューバに石油を供給した。連日11万5000バレルが大幅な割引価格で供給されるキューバへのエネルギー支援は、ハバナにとって年間10億ドル近い価値があった。

キューバとベネズエラの関係は同盟以上のものだった。チャベス自身がかつて述べたように、これは「二つの革命の合体」だった(同盟の年配のパートナー率いる国は若いパートナーの国よりも貧しく小さかったが、経験も能力もあるカストロがこの関係を支配した)。キューバはベネズエラにおける自らの痕跡を小さくみせようと心がけ、カストロはカラカスではなく、ほとんどハバナで会談を行った。

一方、チャベスが後継者に指名した人物が、キューバ社会主義の大義に人生を捧げてきたことは誰の目にも明らかだった。10代でカラカスのキューバ寄りのマルクス主義小政党に加わったマドゥロは、大学には進学せず、20代でハバナの国際幹部養成所で職業革命家になる訓練を受けた。

2006―13年にチャベス政権の外相を務めたが、目立とうとすることはほとんどなかった。チャベスとキューバへの揺るぎない忠誠が、次期トップへの昇進を後押しした。必然的に、キューバの影響力がマドゥロ政権下のベネズエラにさらに深く浸透した。主要閣僚ポストは、キューバの組織で訓練を受けた活動家で埋められ、キューバ人が体制内で重要な役割を担うようになった。例えば、マドゥロが毎日目を通す情報報告は、キューバの諜報部員が作成するようになった。

キューバの指針を受け入れたマドゥロは、経済活動の自由を大幅に制限し、ベネズエラの政治と制度に残存する自由主義の痕跡を完全に消し去った。チャベスの手法を踏襲・拡大した彼は、人気が高すぎるか、取り込みにくい野党指導者を投獄や国外追放処分にし、政治生命を奪った。最大野党指導者のフリオ・ボルヘス元国民議会議長は、投獄を避けるために国外に逃亡し、カリスマのある野党指導者レオポルド・ロペスは長期にわたって収監されるか、自宅軟禁処分にされている。

長期的に収監されている政治犯は100人を超え、拷問も日常的に行われている。選挙は茶番と化し、政府は野党が多数派を占める議会からあらゆる権限を奪った。マドゥロは、多くの反欧米の立場をとる外国政府と同盟を組み、ロシアに兵器、サイバーセキュリティー、石油生産の専門知識を、中国に融資とインフラ整備を、ベラルーシに住宅建築を、イランに自動車生産を頼っている。

ワシントンや中南米の民主国家との間に残されていたつながりを彼が断ち切ったことで、ベネズエラに経済に関する健全なアドバイスをする者は誰もいなくなった。政治的立場を越えたエコノミストのコンセンサスも切り捨てられた。エコノミストたちのインフレに対する警告を無視して、「紙幣を刷り増して歳入不足を補っても恐ろしい事態にはならない」という、キューバとマルクス主義の政策顧問の助言をマドゥロは受け入れた。こうして破滅的なハイパーインフレが起きた。

キューバの影響、汚職の蔓延、そして民主主義的なチェック・アンド・バランスの解体に指導者の無能が重なり合うことで、ベネズエラ政府は破滅的な経済政策をとり続けている。月間インフレ率が3桁を超えているというのに、政府は明らかに状況を悪化させる政策を場当たり的にとり続けている。

 

<崩壊への道>

ノルウェー、イギリス、アメリカなどリベラルな民主体制をとるほぼすべての産油国は、石油資源を発見する前から民主国家だった。一方、アンゴラ、ブルネイ、イラン、ロシアなどの石油資源を発見した独裁国家が、リベラルな民主主義へ移行することはなかった。石油資源が発見されて以降、1958年に民主化と自由化を果たしたベネズエラは、その後40年にわたって、奇跡的にこのパターンを覆したかにみえた。

しかし、結局、ベネズエラにはリベラルな民主主義は深く根付いていなかったようだ。20年にわたって経済運営を間違えた結果、伝統的政党への支持は失墜し、石油景気に乗って登場したカリスマ的なデマゴーグがその仕事を引き継いだ。こうした異例の状況のなかで、チャベスはわずか数年で、民主的なチェック・アンド・バランスの制度をほぼ一掃した。

10年にわたる原油高の時代が2014年に終わると、ベネズエラはチャベスの人気と国際的影響力を支えてきた石油収入を失っただけでなく、外国の資金調達市場へのアクセスも失った。こうして莫大な債務を抱え込んだ。石油収入は大幅に減っても、石油ブームの時代に借り入れた融資の返済を続けなければならなかった。

こうしてベネズエラは、「石油を発見した独裁国家」に特有な政治に行き着いた。それは、民衆が静かにしているときは無視し、抗議の声をあげたときは暴力的に押さえつける、略奪的な寡頭体制だった。

その結果生じた危機は、西半球で最悪の人道危機を引きおこした。ベネズエラのGDPがどのくらい失われたのか。厳密な数字を入手するのは難しいが、エコノミストたちは、2012年に壊滅的な内戦が勃発して以降のシリア並に、つまり、40%程度GDPが縮小したとみている。

インフレ率が年100万%にも達し、人口の61%が極端に貧困な生活を強いられ、調査回答者の89%が家族に十分な食べ物を与えるお金がなく、64%が空腹のために体重が減ったと答えている(申告された体重減少の平均は11キロになる)。しかも、人口の約10%(260万人)が近隣諸国に脱出している。

ベネズエラ政府は、医療から教育、さらには警察活動まで公共サービスを提供していくことをほぼ断念している。唯一、政府が民衆に一貫して与えているのは、抑圧的で手荒な暴力だけになった。2014年と2017年に大規模デモが起きた際には、政府は数千人を逮捕し、残酷な暴行を加え、拷問し、130人以上を殺害している。

一方、犯罪ビジネスは国を無視するわけでも国と共謀するわけでもなく、政府自ら犯罪ビジネスに手を染めるようになった。石油生産と通貨の鞘取引と並行して、麻薬密輸が統治エリート層に近い人々の主な収入源となり、高級官僚や大統領の一族が、麻薬密輸容疑によってアメリカで起訴されている。

有力なコネをもつ小規模なエリートグループは、かつてないレベルで国家資産を着服している。2018年8月には、政府とコネがある複数のビジネスマンが、12億ドル以上の不法所得を資金洗浄した容疑でアメリカの連邦裁判所に起訴されたが、これは略奪が横行するベネズエラに蔓延する詐欺事件の一つに過ぎない。国の4分の1に相当する南東部は、違法で搾取的な鉱山ビジネスの拠点と化し、空腹のために都市部を逃れてきた人々が、軍が保護しギャングが運営する危険な鉱山で運試しをしている。

さらに監獄内の自治組織と化している「プリズンギャング」が政府の治安組織と手を組み、うまみの大きい恐喝ビジネスを全国レベルで展開し、事実上の運営組織さえもっている。財務省、中央銀行、そして国営石油企業は、複雑な金融犯罪を生み出す実験室と化している。国家経済が崩壊するなか、国と犯罪集団を分ける境界線はほとんどなくなっている。

 

<打つ手なし?>

ドナルド・トランプ米大統領は、中南米諸国の指導者と会う度に、地域国家としてベネズエラ危機に対策を講じるように求めている。一方で、ホワイトハウスの国家安全保障チームに「強力な」代替策を出すように指示し、アメリカにはベネスエラ問題に対処する「数多くの選択肢」があり、「軍事的選択肢を排除するつもりはない」と述べたこともある。共和党のマルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出)も、軍事的対応をほのめかしたことがある。

しかしジェームズ・マティス国防長官は、アメリカの安全保障コミュニティーに共通する認識を代弁して「ベネズエラ危機は軍事力で解決すべき問題ではない」と明言している。ベネズエラの近隣諸国も、アメリカの軍事介入には反対している。

当然だろう。トランプが考えるような軍事侵攻は大きな見当違いであり、極めて危険だからだ。アメリカ主導の軍事介入でマドゥロを退陣させるのは簡単だが、イラクとリビアのケースからも明らかなように、その後、現在よりもはるかに悪い状態に陥るかもしれない。外部パワーが介入して破綻途上国家のトップに居座る独裁者を倒すと、民主主義の実現はおろか、安定さえも期待できなくなり、終わりなきカオスが生じる危険がはるかに高い。

それでも、ワシントンは、今後もベネズエラの崩壊を阻止する何らかの方法を見つけることを求める圧力にさらされ続けるだろう。これまでの対策は、現実には、アメリカにできることはほとんどないことを立証したようなものだ。

オバマ政権時代にアメリカの外交官たちは、ベネズエラの体制に接触を試みたが、交渉では何も進展しなかった。マドゥロは国際的仲介による交渉を利用して、巨大な大衆デモを抑えようとしただけだった。抗議デモのリーダーたちは交渉期間にデモを中止したが、交渉担当者たちは時間稼ぎをするだけで、反対派を分断するためのわずかな譲歩をしただけだった。しかも、その間に次の抑圧作戦の準備をしていた。この段階になって、アメリカとベネズエラの近隣諸国は、「交渉はマドゥロに利用されるだけであること」を理解したようだ。

厳しい経済制裁によって、マドゥロを退任に追い込むべきだという意見もある。しかしアメリカはすでにこのやり方を試している。現体制が新たな国債を発行して、国有石油公社の資金繰りに当てるのを阻止するため、オバマ政権とトランプ政権はともにさまざまな制裁を実施してきた。カナダと欧州連合(EU)とともに、政権幹部の一部に制裁を科し、その海外資産を凍結して渡航制限措置もとった。

だが、こうした措置は無意味だった。ベネズエラ経済を破綻させることが制裁の目的なら、マドゥロ政権ほどそれをうまくこなせる集団はないからだ。同じことが石油輸出の封鎖についてもいえる。ベネズエラの石油生産はすでに(マネジメントの問題などによって)大幅に減少している。

ワシントンが周辺部での対策を強化することはできる。例えば、キューバの影響力をもっと重視する必要があるだろう。ベネズエラがハバナの支援なしではほぼ何もできない以上、ワシントンと同盟諸国は、キューバと接触するとき、常にベネズエラ問題への対応を最優先にハバナに訴えるべきだろう。

さらにアメリカが政治腐敗取り締まりの網を広げれば、不正行為をしている政府高官だけでなく、彼らとつながる人物や家族が汚職や麻薬密輸や着服の利益を共有するのを阻止できるだろう。すでに実施している対ベネズエラ武器禁輸措置を、世界に広げるようと試みることもできる。マドゥロの側近たちに、現体制を支えても、結局はベネズエラで孤立することになり、現体制に背を向けることが唯一の脱出方法であることを明確に伝えて、マドゥロの権威主義的路線を牽制することもできる。ただし、こうしたやり方が成功する見込みはあまりない。

ベネズエラの混乱を気に懸けてきた他の中南米諸国は、ベネズエラの政情不安が自国に波及するのが避けられないことを理解しつつある。21世紀初めに起きた中道左派の台頭が後退するにつれて、アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、ペルーに登場したより保守的なリーダーたちは、ベネズエラの独裁体制に一丸となって厳しい態度をとり始めたが、実行できる選択肢がないことに苛立っている。

伝統的な外交は機能せず、むしろ逆効果だった。圧力行使策にも効果はなかった。例えば2017年、中南米諸国がベネズエラに対して、米州機構(OAS)のメンバーシップ停止を示唆すると、ベネズエラは一方的にOASから脱退してしまった。これは伝統的な外交的圧力などマドゥロがほとんど気に懸けていない証拠だろう。

憤慨した近隣諸国は、この危機を、ベネズエラが作り出した難民問題というプリズムを通してみるようになった。近隣諸国は、自国の社会保障システムに負担を強いている飢えたベネズエラ難民の流入をなんとか食い止めたいと考えている。

ベネズエラ難民の流入に対するポピュリストの反動が高まるなか、一部の中南米諸国は国境封鎖を検討しているようだ。しかし、その誘惑には抵抗しなければならない。危機をさらに悪化させる歴史的間違いだからだ。

中南米諸国はベネズエラ危機を前にどうすればよいかわからないというのが現実だ。難民を受け入れること以外、彼らにできることは何もないのかもしれないが、そうすることで、少なくともベネズエラ民衆の苦しみを和らげる助けにはなる。

 

<民衆に力を>

ベネズエラの現体制は堅固であり、指導者たちの顔ぶれを変える方が、体制を変革するよりも現実味がある。(キューバは)ベネズエラにおけるキューバの覇権をより持続可能なものにするために、マドゥロよりは少しはましなリーダーに置き換えるかもしれない。しかしそれが民主主義への回帰を意味することはなく、外国が支配する、より安定した石油資源に巣くう泥棒政治をもたらすに過ぎない。

たとえ野党勢力、あるいはアメリカ主導の軍事介入によって、全く新しい体制の政権が誕生しても、彼らが直面する課題は途方もなく大きいはずだ。公共部門のあらゆる領域で、軍が果たしている大きな役割を縮小し、医療や教育、法執行の基本サービスをゼロから再構築しなければならない。石油産業を再建するとともに、他の経済部門の成長を刺激する一方で、麻薬ディーラー、刑務所で運営される恐喝ビジネス、略奪的な鉱山業者、金持ちの闇金融業者、そして国のあらゆる部分を食い物にしてきた略奪者を排除しなければならない。しかもこうした改革のすべてを、無政府状態に近い政治環境と、深刻な経済危機のなかで遂行する必要がある。

こうした問題の大きさを考えると、ベネズエラは今後も長期にわたって不安定であり続けるだろう。市民と指導者、そして国際社会にとっての目先の課題は、この国の衰退の余波を封じ込めることだ。悲惨な事態に直面しつつも、ベネズエラ民衆が失政に対する闘いをやめたことはない。2018年夏の時点でも、人々は、依然として月に数百件の抗議行動に繰り出している。その大部分は地域密着型の草の根運動で、政治的リーダーシップはほとんどないが、それでも、これはベネズエラの民衆が、自分のために立ち上がる意志を強くもっていることを示している。

だが、これだけで、ベネズエラが現在の厳しい状況から抜け出すのに十分だろうか。おそらくそうではない。絶望ゆえに、トランプが求める軍事介入を心待ちにする人は増える一方だ。たしかにそれは、長い間苦しんできた人々が熱望するデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)かもしれないが、まともな戦略ではなく、報復という妄想に過ぎない。

ベネズエラにとって最善の希望は、軍事介入ではなく、抗議行動や社会の反対意見の炎が完全に消えないようにし、独裁体制に対する抵抗が維持されることだ。その見通しは絶望的に思えるかもしれない。しかしベネズエラの抗議の伝統が、いつか市民制度と民主的慣行を回復する基盤を提供するだろう。簡単ではないし、短期間では実現しないだろうが、これまでも、国家を破綻の瀬戸際から救い出すことが、簡単だったことは一度もない。●

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