オーバーロード ―さまよう死霊― 作:スペシャルティアイス
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ナザリック地下大墳墓の第二階層を歩む影が二つあった。宙に浮いた死霊は滑るように、前をゆく者の後を追う。
和服に似たメイド服に身を包んだ小柄な少女だ。表情の動かない、お面のような貌は表情を読むこと能わず。
「へぇ~。元は一人で旅をしてらっしゃったんですかぁ」
「んだんだ。つっても好きで一人歩きしてたわけじゃないんだけどね。結果的に潰しちまったギルド連中から追われるのが原因なんだがしんどかったわ。なんせ奴ら、俺と同じ“敗者の烙印”持ちだもんで逃げ場無くてなあ」
「でもぉそんな旅をしてて、あんな美味しいもの食べれるなんて素敵ぃ」
そう言ってこちらに顔を向けたメイド、エントマの表情は柔らかい――様な気がした。
今は餓食狐蟲王への挨拶を終え、第二階層へ向かっている途中だ。彼女が言った美味しいものとは、墳墓を案内する礼として彼から受け取った品である。
貧乏性であり整理整頓を不得手としていたトライあんぐるは、拠点を持たないがため大量の拾得物を収められるギルドの倉庫を持っていなかった。
ユグドラシル時代はソロプレイヤーでも預けられる場所はあったのだが、自分のものは常に持っておきたいトライあんぐる。故に装備にかけるはずの課金をアイテム所持の拡充・消費アイテムの充実に注力していた。
現実であるこの世界では、ゲームのようにアイテム欄を一覧できないため、彼自身も自分の無限の道具袋の内訳がうろ覚えであったが。
よく使う物などはいいのだが、完全なる狂騒などアインズとの会話で持っていたことを思い出した程である。
「〈極上の樹液〉のことかい?食えるもんなら食いたいけど俺口も舌も無いし。気に入ったならもう一つやるよ」
「わぁ~、ありがとぉ!あとでみんなにも分けてあげよう!」
瓶詰めのメープルシロップを諸手で掲げたメイドの姿に微笑ましさを死霊は感じた。彼の今の感情は、子供にお菓子をあげたくなる年配の心理に近い。
雑談しているうちに彼女の種族が蜘蛛人と聞かされ、それならと渡した品はユグドラシルでは錬金職や調教師に需要のあったアイテムだ。
調合で使用するため錬金スキル持ちの需要が高く、また蟲系のモンスターの親愛度を上げる効果のためそれを手駒として使うプレイヤーも欲するものだった。
少し行儀が悪いが、エントマは歩きながら瓶から指にすくった樹蜜を舐める。その姿にトライあんぐるへの遠慮は無かった。
気安い関係を築きたいと思っていたトライあんぐるとしては願ったり叶ったりだ。
「(挨拶回り一段落したら王都行きてえな。俺の知ってることは全部喋ったけど、下火月の三日とやらに間に合うんか?)」
玉座の間の挨拶の後、王都での出来事をアインズが直接聞きたいとのことだったので、守護者も合わせ第九階層の一室で簡易会議となった。
その会議でトライあんぐるは証言をしたのだが、かしこまった空気に肩が凝ってしょうがなかった。
内容は潜入させているセバス・チャンが保護した人間、それに関わるならず者どもの蠢動。
その場で喋れるだけ喋ったトライあんぐるはその場から退出し、自分の住処となる区画へ移動することにした。
しかし広大な墳墓には案内が必要とのことで、プレアデスの一人であるエントマが先導してくれるとのこと。
当初はアインズが直接招いた者という事実に従者然としたエントマだったが、ウザいほどトライあんぐるから振られる雑談と度重なる賄賂攻勢にその態度は非常に柔らかくなってしまった。
「着きましたぁ。ここから第二階層の領域守護者、恐怖公の〈黒棺〉に行けますわぁ」
「……エントマちゃん?俺には転移罠しか見えないんだけど」
「はい。ここから行くのが近道ですからぁ」
トライあんぐるの下げた目線の先、石造りの床の上にくっきりと見えたスイッチ型の転移罠。非常にポピュラーなものだが、移転先をマグマや氷雪などのダメージフィールドにすれば効果が高い。
ちなみトライあんぐるは、移転先が聖水の泉というものにひっかかり一デスしたことがあるのでいい思い出がない。
「それじゃあ先に行って、恐怖公にオジさんのこと伝えてきますわぁ」
「ああよろし……ってエントマちゃん!?俺オジさんて歳じゃ」
言いかけたトライあんぐるが見たエントマの後ろ姿が消える。伸ばした手をそのまま下に、宙に浮いたまま跪く態勢をとる。
「オ、オジさん……。親しみの気持ちなんだろうけど。そりゃあ俺も三十過ぎてるから彼女くらいの娘からみりゃ、ってエントマちゃんて歳いくつなんだ?」
そんな益体もないことを考え、しばしの時間を置いてトライあんぐるも躊躇を見せて罠を起動させる。
一瞬の酩酊から出た場所、そこは真っ黒な空間だった。
仄かな明かりに照らされ佇むエントマの周りを除き、その四方はテラテラとぬめり光る光沢が蠢いていた。
それは荒廃した西暦2138年の世界でも命をつなぐ蟲、油虫・コックローチ・Gなど呼び方はあるが、つまり無数のゴキブリである。
「こりゃー実際見るとえらい迫力」
「私のおやつですわぁ」
「……エントマ殿、あまり御無体をなさらないでいただきたいですな」
渋く威厳ある声に目を向ければ、そこには宙に浮かび飛ぶゴキブリが一匹。王冠と王笏、そしてミニサイズながら立派な意匠の赤マントを身に着けたるはまさしく王という風体。
かつてのユグドラシルにおいて、転移罠にひっかかった間抜けを歓迎する黒棺の領域守護者である。
「お初にお目にかかります。俺はトライあんぐると申すしがない死霊。もったいなくもアインズ・ウール・ゴウン様と知己を得、その幕下に加わった者であります。此度は名高き〈黒棺〉の主殿へのご挨拶へと伺った次第、よろしければ御尊名を頂戴できれば幸いです」
「これはご丁寧に。至高なる御方より授かりし我が名“恐怖公”。心にお留めくだされば幸いですぞ」
「あ、こちら粗品ですがよろしければ」
そういってラッピングされた小包を差し出すトライあんぐる。それをゴキブリ十匹ほどが飛んできて受け取った。
「お気を使わせたようですな。しかしアインズ様は外部の人材を積極的にお取りになられるが、貴方のような者は初めてですな」
「外部?他にも俺みたいなのが?」
この言葉にトライあんぐるの頭に疑問が浮かぶ。アインズからはそのようなプレイヤーの話なぞ出てきていない筈だ、と。
「ええ。ここから近い階層に外から加わった者がいくらか。蜥蜴人や獣などがそれですな」
「ほーん、そんな人らが。……もしや守護者の人ら並にやれる強さですかね?」
「まさか!レベルでいえば最高でも四十にも満たぬ者らですぞ」
「(現地人が加わっただけ、なのか?)」
この返答にトライあんぐるは安堵した。警戒する存在は少ないに越したことはない。そもそも脅威になる存在、可能性を自分よりも頭がいいアインズが残しておく筈がない。
「なるほど。まあレベルによる強さ以外にも強みってのはありますからな。……この数のゴキブリの相手はなかなかどうして脅威そうだ」
「そのための〈黒棺〉ですからな。しかし、貴方の力を聞き及んでおりますが、乗っ取りだとか」
「ええ。まあ同盟を結んだからにはそうホイホイ味方には使いませんとも。そんなんしたらアインズ様怖いですし」
シャルティアに危害が加えかけられた段の話にて、アインズが放った静かな怒気に死霊は身震いする。あれが己に向けられると思うとPvP抜きにしても怖ろしい。
(あの人、不満とか溜めて表に出さんタイプっぽいしな。んで爆発したら徹底的に叩き潰す手合いだな)
その後も世間話を交えたトライあんぐるだったが、この恐怖公はなかなかの情報通だった。
配下のゴキブリらを使ってのことらしく、ナザリック最高の情報魔法行使者には及ばずとも、その収集力は侮れないものだった。
そしてなにより嬉しいことに、トライあんぐるの付け届けの返礼として配下のゴキブリを第一から第三階層の道案内としてつけてくれるとのこと。
「いやー助かりますわ」
「プレアデスや他の者らにも仕事がありますからな。吾輩の配下は召喚によるもなので換えがききますゆえ。……エントマ殿、だからといって喰われ続けられることが是というわけではありませんからな」
こっそりと自分の袖にゴキブリをしまっていたエントマはポーカーフェイスで「はぁい」と応えた。
そうしてようやく自分の住処にいくため〈黒棺〉を辞そうと思ったトライアングルだったが、それは届いた《念話》によって中断されることとなった。
『聞こえますかトライあんぐるさん』
『アインズさん?どうしたんです』
『ちょっと王都に《転移門》で行こうと思いまして。よろしければ一緒に行きますか?』
アインズのこの言葉はトライあんぐるにとって渡りに船だった。一度ブレインに声をかけたいとも思っていたためだ。
『ちょうど行きたかったんですよ。もちろんお供しまっす』
『それならお手数ですが一度、エントマに案内してもらって執務室まで来てください。そこで合流してから行きましょう』
《念話》が切れた後にトライあんぐるは気づく。ふとエントマを見れば可愛らしく顔を傾げた。
「ここって転移系使えないんだっけ?」
リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持たなければナザリック地下大墳墓では転移を使えない。そのアイテムのことをトライあんぐるは知らないが、転移が不可能ということはユグドラシル時代のナザリック大侵攻の動画により把握していた。
「いかがしましたかな?」
「恐怖公、ちょいとアインズ様に呼ばれたので失礼します」
「それはお急ぎになったほうがよろしいですな。次は吾輩の方から貴殿をお訪ねしましょうか」
「住処決まったら招待させてくださいな」
恐怖公へ手を振り〈黒棺〉を辞し、トライあんぐるはエントマと共に来た道を引き返す、のだがいかんせん第二階層から目的地までは距離があった。
遅くはない速さで二人は移動するのだが、どうにもトライあんぐるはやきもきする。
(流石に低位ダンジョンみたいに《霊体化》と《透過》の合わせ技の“床抜き”はできねえか。いっそエントマちゃんにヘイストポーションのませて俺が《憑依》してやれば早く着くが……)
“床抜き”“セルフ落とし穴”“エレベーター”など他称はあるが、要は死霊系のもつスキルを利用した次エリアへの移動方法である。
階段などで他の階層へ進むダンジョンでは可能な手段なのだが、ユグドラシルでは中級になる頃には当たり前のように転移による階層移動のダンジョンがあるためさほど機能はしなかった。
王都の売春窟で成功したのでこのナザリックはどうかと試したのだが、念入りな転移対策が施されているのか“床抜き”はできなかったのだ。
「……やめとくか」
「どうしましたぁ?」
たださえ己のスキルは警戒されている。それと類似したものを使うのも望ましくないとトライあんぐるは判断したのだ。
多少の不便は組織に属すればいたしかあるまい、そう思ってのトライあんぐるの行動は片方のみの手段である。
「いんや、なんでもねえ。あとこれ飲んでみてくれ」
取り出した二本のヘイストポーションの一つをエントマに渡し、片方をトライあんぐるは目の前で飲み干した。
飲む動きは不要であったが、自らに触れた液体が瞬時に霧散、己の体の一部になる感覚とともにトライアングルの飛行速度が目に見えて変わる。
それを見たエントマも薬を仰ぎ、身軽になった身体で案内に戻った。
しばしして、《念話》の指示で訪れた一室にはアインズとアルベドがいた。
一礼してエントマは下がり、その部屋に入ったトライあんぐるが注目したのは一枚の鏡だった。目の前にあるその鏡をアインズは空虚な眼窩で眺め、またアルベドは冷たい眼差しを注いでいる。
「来たか、トライあんぐるよ」
「はい。王都へのご用向きということですが、その遠隔視の鏡は偵察で?」
角度的に鏡の裏側しか見えないが、長くユグドラシルをプレイした者ならばその鏡を知っているはずだ。
「その通りだ。お前もこちらに来て見るといい」
その言葉に従いアインズの隣、アルベドの逆側にトライあんぐるは移動する。覗き込んだ鏡面にはとある一室、そこに数人の人物らが見えた、
「はっ?どゆこと?……うげっ!?」
思わずそうこぼすトライあんぐるが見たのは、一人のメイドを庇うようにセバスの拳を受け止めたコキュートスの姿だった。
剣呑な二人から離れた位置には肉色の赤子を抱えるデミウルゴスとここにいるはずのアインズの姿があった。
声は聞こえないが、殺気めいたセバスと誰もが張り詰めた表情で、その場が平穏で無いことは明らかだった。
「なんでアインズ様がもう一人?それにあの赤子の天使って……」
その疑問に答えたのはアルベドだった。目線を鏡の中のセバスから離さずに口を開く。
「会議でデミウルゴスから一言あったのよ。万が一に備えセバスの忠誠を確かめるべき、とね。あのアインズ様はパンドラズ・アクターが化けたもの。そして赤子というのはヴィクティムのことね。言ってしまえばアインズ様の命令であの女をセバスが殺せるかどうか、その結果でもって真意を推し量るということよ」
「そしてそれを止めるコキュートスさん……。ははあ、なるほど得心しました。てことはあれがセバスさんが匿ってた……」
「そうだ。そしてこの女の名はツアレ、ツアレニーニャ・ベイロン。彼女は私の名を持って保護することに決めている」
その言葉に一瞬だけアルベドの目線が動き、戻った。主人の女性個体への特別な恩寵への嫉妬、しかしそれはすぐに見えなくなる。
それに気づかぬ死霊は腕組みしながらしきりに頷く。
「最初から殺すつもりはない……つまりは出来レース、ですか。でもセバスさん気づきませんかね?このアインズ様が偽物だって」
「パンドラズ・アクターはあの言動だけど実力は本物よ。これがアインズ様でなくたっち・みー様であればその可能性もあったけど。それに己に疚しい心当たりがある者が、上位者からプレッシャーをかけられ冷静でいられることは容易くない。セバスが常の態度ならまだしも、ねえ」
その場には知恵者のデミウルゴスと武威に優れたコキュートス、そして内情を知るソリュシャンは退路を塞ぎつつ即座にツアレを手にかけられる位置に立つ。
トドメはデミウルゴスが抱える肉色の胎児ヴィクティム。
安全対策を重ねた状況証拠を鑑みて、アインズに扮したパンドラズ・アクターを見破るのは難しいと言えただろう。
鏡面には、へたり込んだメイドへ駆け寄ろうとしたまま動かぬ、動けないセバスが映っていた。どうやら彼はこのツアレという者に情けをかけ保護しており、それを主人へと報告せずに匿っていた、それが露見したが故のこの一幕ということか、そう死霊は結論づけた。しかし―――。
(そこまで確認してアインズさんが保護するほど、重要性あるんかこの女)
そう思いトライあんぐるはその女性、ツアレを凝視する。
純朴で、人当たりのよさそうな顔立ち。しかしよく見れば目筋が滑らかで顔全体のバランスが良く、華はなくとも確かに美人。1世紀半前の言い方を借りるなら、学校のクラスの中で三・四番目に可愛い娘とでも言おうか。
「うん?」
「どうしたトライあんぐる」
「何というか、この娘っ子見てると心がざわつくというか。……違うなこの雰囲気というか」
そこには肩を己の腕で抱き、うつむき座り込んで震えるツアレの姿がある。瞳の光は失われ、青褪めたその顔はその心情が如実に察せられた。
ツアレを見て死霊の感じたそれは初めてものではない。少なくともこの世界にて数度感じたものだ。
そうしているうちに鏡面の中の光景も変化していく。鏡の中のアインズが裾を払って立ち上がり、ヴィクティムをデミウルゴスから受取って転移魔法を唱え消えた。と同時にトライあんぐるらの目の前にその二名が現れる。
「ご苦労だったパンドラズ・アクター、ヴィクテムよ」
そのアインズの言葉に、現れたアインズの姿が普段のパンドラズ・アクターに戻り、深々と、大げさにドッペルゲンガーは頭を下げた。
その腕の中の赤子も頭を下げた気がする。
「その労りの言葉は千金を積み上げてもなお届かぬ甘露。アインズ様のご期待に沿えられるなら私、いかな
「すっげぇ詩的、ってかミュージカルの動画みてえなセリフだな」
「……オウフ」
目の前の黒歴史とトライあんぐるの呟きにアインズの精神の沈静化が働く。そしてアルベドのパンドラズ・アクターを見る目、どこか気の毒なものを見る姿で二回目の沈静化が発動した。
「……とにかく、セバスに翻意がないことはこれではっきりした。ならば私自身が赴いても問題はないだろう?」
「異議などございませんアインズ様」
アルベドの返答に満足そうに頷き、アインズは立ち上がる。
『それじゃあ行きますかトライあんぐるさん』
「ではトライあんぐるよ、行くぞ」
その言葉にトライあんぐるは首肯し、アインズに続いて《転移門》へと入った。