挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
空が蒼を捨てる前に【なろう版】 作者:椎名
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
8/12

はみ出し者は求めあう。

 

 その後、大道寺に連れられ渡り廊下を越えた先の別棟へと移動した俺達は、開かれた光景にすっかり思考を止めていた。

 何故大理石。何故シャンデリア。何故ステンドグラス。

 一般人が想像した金持ちイコールみたいな高級品たちがズラリと並んでいる。

 そんな俺達の反応に笑みを深めた大道寺は、構わずアンティークな扉を開いた。



「あら、ずいぶんはやいおかえりですのね、会長。一年生たちにふられました?」



 少女の声。



「まさか。ナンパ大成功だよ。ほら」



 硬直する俺達の背を押して、ずずいと少女の前へと進められる。少女は、困惑に言葉を失うと、指でつまんでいたティーカップを宙に留めたまま、瞳だけで大道寺を詰問した。――おい、なんだこの部外者たちは。と。



「ざんねんですわ。会長はごぞんじなかったのね。サロンは児童会と教員、それから児童会のオービーいがいたちいりきんしですのよ」


「お客人のせったいは別だろ? 未来のこうはいなんだから、いつ見学させてもかわらないさ」


「………………それはしつれいしました。こちらへどうぞ、ちいさなお客さまがた」



 たっぷり一拍措いてから、笑顔の変わらない大道寺にこれ見よがしに息を吐いた少女は、胡乱な目で俺達を招いた。

 少女も、そして瀬長も、大道寺の奇矯な行動への対応に随分と慣れているように見える。辿り着く先は諦め一卓といった意味で。校内探索も、一年生のあまりの纏まりの無さから呆れた大道寺が気随気儘に振る舞っているのだとばかり思っていたが、元々そういう性格なのかもしれない。

 物腰柔らかな俺様って一番最悪なパターンじゃないか。何論じてもいつの間にか丸め込まれてたりする。生前の友人にも似たようなタイプがいたが、彼の裏側でのあだ名はもっぱら魔王だった。表向きは王子だが。例の(見た目だけは)優男な友人である。


 それはともかく。

 彼等の会話から飛び出た『会長』と『児童会』という単語に嫌な予感がひしひしとする。過去、泪の記憶の中に強烈な印象を残してくれたキンキラ集団がいた訳だが、その時の状況と光景に大変酷似している気がする。というかそれの子供バージョンだ。――ああ、現実逃避も程々にしよう。


 つまり、彼等は。


 俺の内側の葛藤なんてまるで知らない少女は、ニッコリと清廉に笑って述べた。



「はじめまして。児童会の書記をつとめます。保科靜ともうします。保つに教科の科、むずかしいほうの靜かで保科靜です。どうぞおみしりおきを」



 本日二度目の『投げ出したい』が頭の中を駆け抜けていった。



「……ふっ、はは! やっぱり姉弟だな。凉くんと同じ紹介の仕方だ」


「あら、弟とおあいになりましたの?」


「どころか、凉くんもナンパしたうちの一人だよ。どうせなら彼もつれてくればよかったな」



 何やら大道寺と少女――保科の姉改め靜が長閑に雑談しているが、もうどうでもいい。疲れた。

 天宮が人見知りを発動して誰とも目線を合わせず俺の手を握って震えているが、それすらも好きにしてくれといった気持ちだった。第二の朝霧みたいなもんだ。祁答院は打ち解けさえすれば社交性全開になるからな。



「それで、わたくしにこちらのちいさなお客さまがたの紹介はしてくださらないの? 会長」


「ああ、ごめんごめん。茶色いかみの彼は来る宮と依頼の依に流れるで来宮依流くん。黒かみの彼は天の宮に理科の理と音で天宮理音くん。こう聞くと名字が似てるね」



 呑気な二人は差し置いて、俺達の前にシンプルなデザインの入ったティーカップが置かれた。瀬長だ。

 瀬長は、そこに靜が淹れてた分があったから紅茶にしたけど、ジュースの方がよかったなら言ってね。と無愛想に告げると、当たり前のように俺の隣へ座った。子供が苦手なのかと思っていたが、そうでもないらしい。妙に世話し慣れている。……ああ、大道寺のおもり効果か。

 紅茶で大丈夫だろうかと隣の天宮を見てみると、なんだかそわそわしていた。まさかまた尿意か。



「あまみやくん。大丈夫?」



 もし尿意なら今度こそ事前に言ってくれよ。



「ちなみに、オレンジジュースとリンゴジュースとグレープがあるけど」



 瀬長はやっぱり、興味ないと白けた顔をしながらも、目は何処と無く心配そうに此方を伺っていた。

 そっちの「大丈夫?」じゃなかったんだが……まあいいか。



「……にてる」


「ん?」



 消え入りそうな舌っ足らずな声がこぼれる。

 ティーカップが? 似てるもなにも同じデザインだけど。



「なまえ、にてるって」



 ふにゃっとアイドル顔負けの相貌が嬉しそうに溶けた。

 ……ああ、大道寺に名字が似てると言われて嬉しかったのか。ハムスターの次は恥ずかしがりやな仔猫に好かれたらしい。

 それにしても、祁答院といい朝霧といい天宮といい、何で子供って聞かれた質問に答えないですっとんだ話題寄越してくるんだ。リアクションに困るだろうが。



「……あー、どうでもいいけど大道寺。目的わすれてないか?」



 雑談に夢中になっている大道寺を、付き合ってられんとばかりに瀬長が引き戻す。



「え? ……あ。」


「もくてき? ただのきまぐれではありませんでしたの?」



 瀬長の言葉に靜が可愛らしく小首を傾げている。

 今更だが、靜も弟の凉同様子供とは思えない美貌に恵まれている。腰まで絡まりなく伸びたストレートの黒髪にバランスのよいアーモンドアイ。背筋は無理なく伸ばされ脚もお淑やかに揃えられている。姿勢だけで育ちが良いことがわかる。まさしく正統派の美少女だ。凉と並べて着飾れば、それは一対の人形のように愛らしいことだろう。



「ちょっと色々あって。来宮くんの制服を替えたいんだよ」



 与えられた答えに、靜は疑問がさらに増えてしまったようだ。

 元々、制服が紺のズボンであることもあって、例の染みはすっかり目立たなくなっている。靜からすれば着替える必要性が全くわからないだろう。原因が原因なだけに、俺としてももう放っておいてほしい気持ちでいっぱいなのだが、潔癖な節がある名家のご子息様方からするととても放置できる案件ではないらしい。

 そんな、ソファに座りながらも尻の浮くような感覚が拭いきれない俺に、別室へと消えていた大道寺から相変わらずのんびりとした声が掛かった。



「依流くーん。こっちおいでー」


「は……、…………。」



 立ち上がろうとする俺の腕を天宮が離してくれない。両手でがっちり掴んでいる。……仕方ない。

 合気道の両手取りを流す要領で腕を引き抜く。天宮は何が起こったのかわからないらしくポカンとしていた。こんなことで護身術の必要性を実感するなんて……情けない。



「すぐもどるから。いいこにしてて」



 呆けたままの天宮の頭を撫でて大道寺の元へ向かった。扉の向こうの別室も例にもれず目に痛い装飾だった。何故に燭台があるのか。あの絵画、どっかで見たことある巨匠のサインが入っているがまさか本物じゃないだうな。

 キョロキョロとする俺を微笑ましそうに見ていた大道寺は、真新しいビニールの袋を抱えて手招きした。



「はい、制服。一人できがえられる?」


「はい」



 当たり前だろうが。と噛み付きかけて慌てて抑えた。俺は子供。どう足掻いても見た目は子供なのだから。ああ、あと何年この苦痛に堪えねばならないのだろう。憂鬱だ。



「そっか。えらいね。じゃあ、きがえられたらさっきの広間にいるからおいで。説明するから」



 パタリと閉じられた戸と共に袋を開く。

 ――説明。何の説明だ。授業終了のチャイムもとっくに鳴ってしまったし、適当にスリッパを返して帰りたいのだが。あ、スリッパってどこに返しに行けばいいんだ。職員室か。そしてこの替えの制服は……洗濯して明日ここまで返しに来ればいいか。

 ノリの利いた、何故かサイズぴったりなズボンを穿いて広間へと戻る。


 天宮が泣いていた。



「…………」



 何がどうしてそうなったんだ。



「あまみやくん」



 俺の声に天宮がすっ飛んできた。天宮が座っていたソファの隣には大道寺がいて、彼が何かしらちょっかいを掛けたのだろうことはわかった。



「あれー、逃げられちゃった。ねえ靜、もしかしてけっこうまじめに僕の顔ってこわかったりする?」


「しりません」



 瀬長と靜がすっかり呆れ顔になっている。

 どうせ、穏やかな顔してあれこれ構いまくったのだろう。人見知りする子供は構ってくる大人が一番苦手なんだぞ。適度に放置しろ。



「まあいいや。ちゃんときがえられたみたいだし、リオくんも依流くんがいれば落ちつくだろうし。こっちおいでよ。――あらためて紹介するから」



 大道寺を挟む形で、上級生三人が対面ソファへと着く。ぷるぷると震える天宮を強制連行して中身の変わらないティーカップの前へ。腰を下ろし、机を挟んだ先の三人を見据えて。

 子供ながらに、威厳を纏った大道寺が口を開いた。



「あらためまして、――児童会会長の大道寺修也(シュウヤ)です」


「副会長の瀬長勝憲(カツノリ)


「さきほどもいいましたけれど、書記の保科靜ですわ」



 ピシッと挨拶が決められる。三人とも凛々しい顔をしている。――のは一瞬だけで。



「ようこそー! 児童会本部とは名ばかりのサロンへー! はい、拍手!」


「おい」


「おくちがすぎますわよ会長」


「あいた!」



 道化に成りきってはしゃぐ大道寺を部下二人がたしなめた。

 まあ、予想はしていたがようするにこの三人は泪の記憶の中にあるキンキラ集団の卵ってことだろ。嫌な思い出しかないけど。

 瀬長に叩かれ靜につねられ。左右から制裁を受けた大道寺は、ヘラッと笑って続けた。



「あはは。ちんぷんかんぷんだろうから児童会の説明からするね。――二人はぜったい、無関係じゃないから」



 そうして始まった彼の話によれば。

『児童会』とは――全校児童から優秀な児童を七名選び、児童代表として行事に積極的に関わったり、児童たちのサポート、及び児童の模範、目標となる為設立された自治組織である。役員は四年生から六年生の児童から選ばれ、書記・会計二人ずつの計四名には四年生。副会長の二名には五年生。会長の一名は六年生とするのが通常である。二名ずつの役職には男女での就任が望ましい。児童会役員には役員本部――通称サロンと呼ばれる別棟が与えられ、そこを拠点とすることが許されている。等々。



「まあようするに、全校児童の代表。初等部のヒーローってことだよ! そしてここは秘密基地だ!」


「ひーろー! ひみつきち!」



 完全に女の子にしか見えない身形でも、心は立派な男の子らしい天宮が食い付いた。なお、ヒーローとか言ってる会長様の隣にいる二人は大変冷たい目をしていた。



「そう! ヒーロー! なりたい?」


「なりたい!」


「ほんとうになりたい?」


「ほんとーになりたい!」


「よーし、いい心意気だ! 会長様からじきじきにすいせん書を……」


「アホか」



 また瀬長にしばかれていた。……こういうキャラクターなんだな。



「や、まあ、一年生ですいせん書はさすがに冗談だけど、君たちは三年後ぜったい児童会に入ることになるよ。断言する」


「……なぜですか」


「え? 顔。」



 身も蓋もない理由だった。



「会長」


「はーい。冗談ですゴメンナサイ。顔ってのもうそじゃないけど、今日見ていて適性てきにね。依流くんは言わずもがな、しっかりしてるし面倒見もいい。そして頭もいい。今だってほとんど完ぺきに僕の言ってること理解してるでしょ? ぜったい四年生になったしゅんかん、児童会の話が上がってくるよ。リオくんは周りの注目度からかなー。こんな見た目で余り者だなんて、周りがつよく意識して彼の出方を見ていたしょうこだよ。性格も悪くはなさそうだし依流くんといたら変な育ち方もしないだろうし、将来有望だ」



 大道寺の笑みが深まる。



「代表ってのはようするに周囲の関心、注目度が高いあかしだ。顔のことを言ったのも、顔がいい方が自然と目がいってしまうって意味。依流くん、自分の顔が使えることわかってるだろ?」



 ああ、と思った。

 大道寺が残り者を集めたのには理由があったのだ。時間を遅らせたのもわざと。ヘラヘラと何も考えていない空っぽな笑い方をしながら、俺たちを見ていた。――観察していた。

 厄介な奴に目を付けられた。この年でこの智謀とは、代表の名は伊達じゃない。



「わっ、どうしよう勝憲。すんごい警戒されてる! かわいい!」


「お前の趣味はよくわからん。かわいいならいじめるな」


「えー? 子猫がいかくしてるみたいでかわいくない? かまれてみたいなあ」


「ほんとうに会長ってあくしゅみだわ」



 空っぽに見えてその実、目が心底愉快だと笑っている大道寺に、舌打ちしたい気持ちを抑えて口を開き――


 ガシャンッ。



「いっ、いじめっこはだめなんだよ!」



 天宮が吠えた。



「どうしたのリオくん。お兄さんべつにいじめてないぞ?」


「いじめてたもん! いじゅるくんやなかおしたもん! いじめっこはしょうらいてきにわがみにかえってくるってはるくんがいってたもん!」



 おそらく「わがみにかえってくる」の意味は全く理解できていないのだろうが、怒り心頭の天宮にはそのような些細な問題は気にならないらしい。

 色々と発音が怪しいが、天宮は続ける。



「いじめっこはだめなんだよ! カナちゃんいじめてたようくんもはるくんにおこられたんだよ! ようくんないちゃったんだよ! は、はるくんが……っ、うっ、ううーっ」



 終いには泣き出した。勘弁してくれ。頭が痛い。

 なんだってこう、子供は情緒不安定なんだ。最大の情緒不安定期は中学の時に来るんだから今は本能に従っとけ。……いや、本能に従った結果がこの啼泣か。


 支離滅裂に恨み言をこぼしながら泣く天宮に、浮いた腰を落ち着かせようと俺も立ち上がりかけて。


 あ。



「……依流くん、もう一回きがえようか」



 大道寺の同情が滲む笑顔に、俺は無言で頷いた。

 天宮が机にぶちまけた紅茶が新品のズボンをぐっしょりと濡らしていた。






「一日で二回もサロンにある制服をだしたのは初めてだよ」



 再度新しいズボンに替えた俺を見て大道寺が苦笑した。天宮はさすがに反省したのか、ソファに小さくなってしゅんと肩を落としていた。――それよりも。



「あの、すみません。べんしょうします」



 接待の際使われていた机の机上は拭き取られ綺麗になっているが、天宮が倒してしまったティーカップには大きくヒビが入ってしまっていた。

 やらかしたのは天宮だが、天宮は俺の為に怒ってくれたのだ。ならば、原因となった俺が責任を取らなくては。子供の天宮には判断力も制止力もなかったのだから。



「ああ、いいよいいよ。どうせだれかの土産だし。おーい靜ー。これだれの土産だっけー?」


「マルクセンなら遠藤さま。ウィークリー・ルージュならレベッカさまですわ」


「うげっ、マルクセンだ。あのおっさん息子に嫌われてるからって一々からみがうざいんだよなあ。面倒だなあ。勝憲から電話いれてよ」


「ふざけんな」


「あの方、きっとそういうしゅみがあるのよ。わたくしや雪乃にはみむきもなさいませんもの」


「……よけいに嫌になってきた」



 本気で嫌そうな顔をしている大道寺に、何でも飄々と受け流してしまうイメージがあった為少し驚いてしまった。

 それもそうか。一年生からすれば六年生はとんでもなく大人に見えるけれど、小学六年生なんてついこの間十歳を越えただけの子供だ。……子供相手に俺も大人げなかったな。



「あの、ほんとうにべんしょう……」


「いーのいーの。ティーカップなんていくらでもあるんだし。学校のびひんじゃないし。ていうかここに置いてるもの全部学校のものじゃないからなにしても大丈夫」



 すべて学校の物じゃない……?

 あっけらかんと笑っている大道寺にぱちくりと目を瞬かせると。



「わーっ、かわいい! 今の見た!? 勝憲……いってぇ!」


「いいかげんにしろ。今のお前、遠藤さまと大差ないぞ」



 また叩かれていた。



「勝憲、口の前に手を出すそのくせほんと何とかしろよな……って、ごめんごめん。話もどすね。あのね、サロンの所有権は学校にはないんだよ。サロンを好きにいじれるのは児童会の人間だけ。なんでも、一番はじめに作った児童会の人が大人になってからオービーとして所有権もぎとったらしいよ。で、児童会と関わりがあった人間なら好きに口出しできるように変更したの。だから、ここにあるものは全部オービーたちからの寄贈品。おかげでジャンルばらばらだろ? まったく、ここは土産置き場じゃないってのに。ことあるごとにがらくた押し付けてくるんだから」



 漸く、統一性のない如何にもな高級品たちの謎が解けた。思い思いの品を送っているとなれば、ごちゃごちゃして目に痛い仕様になるのも無理はない。ひとつひとつが立派な芸術品であるだけに、調和が取れないのが勿体無い。



「だから、君たちが役員になるころには僕たちがガンガン関わるつもりだから覚悟しとけよ?」



 どこまでも爽やかな笑顔で俺様を発揮している大道寺に、生前の友人を思い出しながら俺は返した。


 心の底からお断りします。



 サロンを後にして。教室へと荷物を取りに戻る途中の俺の隣には保科の姉、靜がいる。小学生デビューした凉を迎えて共に帰るらしい。五、六年生でもないのに登校――サロンは学校の権限にないので厳密には登校とは言わないのかもしれないが――していたのはこの為だったのだ。姉弟仲が良好というのは事実らしい。

 天宮は、なんとこの年で寮入りする為、直接寮へ向かい後から教師が荷物を届けに行く形になった。一人にするには心許ないので、瀬長が泣きすぎてしゃっくりの収まらない天宮へ付き添っていた。あんな泣き虫のくせに親元から離れて大丈夫なのだろうか。

 大道寺はサロンの戸締まりとタブレットの返却がある為職員室へと向かって行った。



「来宮くん」



 幼い女児特有の甲高い声を抑え、耳に心地好くする涼やかな声が廊下に落ちる。この姉弟たちから感情の揺れる声が上がる想像ができない。そのくらい、彼等は一言一言の音程が落ち着いている。



「会長のこと、にがて?」


「…………」



 俺は答えられなかった。苦手といえば苦手だ。しかしそれは何を考えているのかわからない――彼の一言がどのような影響を及ぼすかわからないからであって、彼本人への嫌悪では決してない。少々愉快犯な節はあるものの、悪意は一切感じられなかった。どころか、生前の友人を思い出させることもあって、妙な親近感さえ覚えてしまっていた。少し悔しい。

 むしろ、友人の件があるから嫌いではないが警戒しているといってもいい。……あいつは裏から手を回していつの間にか場を掌握するのに長けていたからな。まさしく微笑みの魔王だった。



「ふふ。にがてそうね。わたくしもね、はじめはそうだったのよ。だってあの人、なにかんがえてるのかちっともわからないのだもの。……そしておもいついたって顔をしたときはたいていろくなことじゃないわ。これ、おぼえておいたほうがいいわよ」



 釘を刺すように神妙な顔をした靜に、これまで周囲を縦横無尽に振り回してきたのだろう大道寺の姿が鮮明に想像できてしまい何とも言えない気持ちになった。

 生まれ変わってまでまたこのタイプの人間に捕まるとは……何の呪いだ。



「けれどね、今では彼のそんな顔をみると、ああ、きた! と思うとどうじにわくわくしてしまうの。だって――彼の発言は、めちゃくちゃだけれど、かならずみんなが笑顔になれるものばかりなのだもの。きっと楽しいだろうってわかるのよ。だからにくめないの。……しょうじき、準備するこちらとしてはめいわくはんぶんもあって、つい楽しみにしてしまうこの気持ちがくやしくてたまらないのだけれどね」



 クスッと悪戯に笑った靜は、立ち止まって緩やかな瞳で俺を見た。



「だから、きらうなとは言わないけれど、かんちがいしないであげて。会長が『会長』であるのには、ちゃんとりゆうがあるのよ。……まだ、わからないわよね」


「いえ、」



 どうしようもなく切なかった。

 ――わかる。『俺』には、彼女の言葉がわかってしまうのだ。



「知ってますから」



『泪』は、知っている。



「……あなた、ふしぎね。わたくし、弟はとくべつなのだと思っていたのだけれど、あなたのような子もいるのね。それなら、……あの子は孤独にはならないかしら」



 靜は、ほんのりと寂しそうに呟いた。

 靜や凉のような子供は、落ち着いているが故に無邪気な子供たちの輪から浮きがちだ。依耶もこのタイプだがまだまだ幼さが見える。その為、溶け込んでいられる。幼いが故に受け入れられるだなんて――皮肉だ。

 靜の周りには、そんな人間がいなかったのかもしれない。靜は『子供』にしては賢すぎた。――否、だから児童会という集団があるのかもしれない。



「サロンはほんらい児童会に関する人間いがいたちいりきんしなのだけれど、……いつでもいらしてね、来宮くん。あそこは問題のある児童を学校から保護する場でもあるの。児童会の人間のきょかがあれば入れるわ。……あなた、苦労しそうだから」



『児童会』に、――きっと大道寺会長に救われてきたのだろう靜の笑顔は、どこまでも綺麗で随分と大人びて見えた。



「それから、会長のおきにいりだしね」


「…………」



 ちょっとその一言は遠慮したい。



 Aのプレートが埋められた扉が見えてきた。明野の声がする。担当する児童が帰ってこなければ帰れないなんて、教師ってのは大変だな。

 靜を隣に、扉をスライドさせて。



「来宮くん! ああ、よかった……」



 明野が泣きそうな顔で飛び付いてきた。おい、本当にクラス持たせて大丈夫かこの教師に。



「君は……児童会の」


「保科靜です。来宮くんのおみおくりと……弟をむかえに」


「――しず!」



 教室の中から、今度は凉が飛び出してきた。幼いながらに整った人形じみた顔が歓喜に満ちている。……そうか、お前シスコンか。



「凉、先生にごめいわくはおかけしていませんね? さ、かえるわよ」



 きゅっと美少年美少女の手が握られる。……うん、眼福だ。大変微笑ましい。



「明野先生、ありがとうございました。さようなら。来宮くんも、さようなら」


「さようなら、先生。いずるくん、またあしたね」



 美しくも愛らしい姉弟の後ろ姿を見送って、明野と二人きりになった。



「…………」



 気まずい。一方的に俺が明野を警戒しているからだが、何も言わずランドセルだけ持って帰ってはいけないだろうか。



「来宮くん」



 明野が見ている。とてつもなく意志を感じさせる目だ。なんでそんな決意した目をしているんだ。

 何を言い出すのかと息を詰めて身を固くしていると――



「――学級委員長って、興味あるかな?」


「…………」



 全身全力で脱力した。……ああ、そういうことか。

 これまでの観察するような目は、文字通り“見定めて”いたのだ。くだらない。なんてくだらない。答えなんて、ひとつしかない。



「おことわりします」



 本日一番の笑顔が炸裂した。



「まっまっ、待って! 違うんだ! 一年生の間は委員長はいらないんだよ、二年生から」


「おことわりします」


「言わせてもくれない!」



 明野が崩れ落ちた。意外と面白いなこの教師。ちょっと『泪』の血が弄りたいと疼いてるぞ。



「いいんちょうにはほしなくんとかいいんじゃないですかね。それじゃ、さようなら」


「あれっ、いつの間にランドセルを!?」


「またあしたー」


「えっ、ちょっ……来宮くぅぅぅん!!」



 廊下に明野の情けない声が長く響いた。



+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。