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空が蒼を捨てる前に【なろう版】 作者:椎名
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偽りばかりが真実となる。

 

 嫌な夢を見た。


 緩慢に開いた視界の先、チカチカと光を浴びせるシャンデリア状のライトに、俺はゆっくりと腕を持ち上げた。


 あれは過去の夢だ。実際に受けた記憶の断片だ。けれど、『俺』のものではない。


 綾瀬泪(アヤセルイ)はあの日死んだ。空に抱かれて、全てを投げ捨て世界を呪って死んだ。その筈だった。

 けれど『俺』はまた、この世界に存在している。――来宮依流(キノミヤイズル)として。


 所謂転生、というやつらしい。いや、前世の記憶を持ったまま生まれただけ、という方が正しいだろうか。


 自殺した魂は、輪廻転生を受けられず地獄に堕ちると聞いた事があるが、あれはどうやら嘘だったらしい。現に、綾瀬泪として自殺した記憶のある俺は、あれ程憎んだ世界で再び来宮依流として生を受けている。

 ……否、これこそが罰なのかもしれない。綾瀬泪として生きた記憶のある俺は、周囲に馴染むことが出来なかった。生まれた瞬間から感じていた差異に、化物の如く発達していた精神状態が、受け入れる事を拒否してしまったのだ。


 俺を抱き上げて微笑む両親が、親と思えない。以前と違って、随分裕福な上流階級らしい家が、実家だと思えない。俺には存在した筈の『妹』がいなくて、『弟』がいることが不思議でならない。家族を家族だと思えない。無駄に広い廊下に、整えられ一切の不自由ない一人部屋に、家族が揃うことの少ない食事風景に、『他人の家』としか認識ができない。


 俺が知っている『家族』は、しっかり家事をこなしながらもパートで家計を助ける母に、そんな母と協力しながら、世の平均水準よりも年収は低いが立派に勤めていたサラリーマンの父に、七も下で、最近お洒落に目覚めたらしく小学生ながらにクラスのお洒落番長を張っていた小生意気な妹に、我が家の癒しであった雑種犬のモモコだ。

 夕食は必ず家族全員で取ることがルールで、休日には家族サービスをたっぷり働いてくれる親バカならぬ家族バカだった父に連れられ遊び回り、ほんの少し暑苦しいくらいに愛されている事を自覚しながら生きてきた。子供部屋は妹と共同で、少し歩けば父母のいる部屋に着けたし、一人、高校の寮に入るまで、寂しいだなんて考えた事がなかった。


 家族ではない他人の料理が出てきて、朝は母親ではなく他人の声で起きて、敬語を使われて、親に敬語を使って、家族に会うには長い廊下を進まなければならなくて、一日家族と顔を合わせない日の方が多いような、こんな寒々しい『家』なんて俺は知らない。

 他人の家庭にただひとり放り出されたような、そんな疎外感を、物心つく前から懐いていた。


 なにより。



「……お前なんか、知らない」



 鏡に写った柔らかな茶髪の美しい少年は、自身を見つめて吐き捨てた。


 綾瀬泪は、自己評価するならばそこそこ勉強の出来る、色恋よりも友情、スポーツの好きなごく普通の青年だったと思う。見た目を男前と誉められる事も多くてそれなりに彼女もいたが、恋に生きるよりも男友達と馬鹿騒ぎして運動でフラストレーションを消化する、そんな典型的な運動馬鹿だった。

 髪を染める金があるならばカラオケや友人との娯楽に回したし、高い服を買う金があるならば妹の小遣いにしてやった。

 俺が知る『俺』は、身長は平均よりも高くて、手が大きくて、髪は少し焼けた黒髪で、肌もそれなりに運動焼けしていて、合コンに出れば二番目くらいにはイケメンと誉めて貰えるような、そんな男前寄りの平凡男だった。


 それがどうだ。鏡に写る『俺』に、どこに面影があるというのだ。

 紫外線を徹底的に跳ね退け使用人に手入れされた生っ白い肌。柔らかく指通りのよい高級な猫のような髪。生まれつき色素が薄いらしいそれはキャラメル色をしていて、瞳もべっこう飴のように甘ったるい。全身、傷なんてものは見当たらなく、まるで深窓の美姫のようだ。

 まだ発達途中の少年だからなのかも知れない。この年頃の男女は、身体的区別も付きにくいだろう。

 しかし、先に十七年生きてきたからわかる。このタイプの美少年は、無骨とは無縁の優男になる。俺の生前の友人がそうだったのだから間違いない。


 こんな『俺』は知らない。


 鏡を見た瞬間、見知らぬ他人が写りその他人が自分と同じ動きをする恐怖がわかるだろうか。

 頭では理解していても、認められない。十七年間生きていた綾瀬泪としての意識が、五年生きた程度の来宮依流を否定する。


 衝動に駆られて鏡を割った事もある。これは俺じゃないんだと、この姿はなんなのだと叫びたかった。喚き散らしたかった。

 俺は死んだ筈なのに、絶望的なあの状況下で、唯一選択できたのに、何の冗談だと神に食って掛かりたかった。

 成る程。これが自殺した罰だというのならば、確かに効果は覿面だ。俺はまた、世界を憎む生を歩むのだろう。


 綾瀬泪としての呪縛を抱えながら、来宮依流は再び目を閉じた。何処にいても変わらない空だけが、救いだった。



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